是認ホールドアップ
前半部分はGL、後半部分はNL中心です。
その少女は彼女一人であれば、特に目立つような存在ではなかった。成績は座学実技共に中の下。趣味は編み物と読書。好物はホットケーキ。容姿も特別整っているというわけでもなく、強いて言うならば可愛いという形容詞が当てはまるであろう。いつでも笑顔を絶やさず、いずれにも片寄らないニュートラル系。
それゆえか、少女を知る人間は落ち込んだりイライラすることがあると、ふらりと彼女のところへやってきた。そんな、裏路地の喫茶店タイプの彼女が、学校のあらゆる人間から知られていたのは、その隣に居た【存在】が存在であったからなのだ。
その少女は例え家柄という後ろ盾がなかろうとも、十分怖い人間であった。成績優秀。スポーツ万能。優麗にして怜悧で端整な相貌。そして性格は、誰かの上に立つことに無上の喜びを感じる女王様気質で、常に他人を抑えつける力を持った存在であった。
だが彼女も一応人間の心は持っているようで、一途に愛を向ける【存在】があった。その存在の前では甘ったるい形容詞を甘い声で囁くのだ。彼女の恐怖政治と相まって、それが視界に入るたびに生徒達は怯えに肩を震わせる。そんな彼女が、学校のあらゆる人間から二重の意味で畏怖されていたのは、その隣に居た【存在】が存在であったからなのだ。
桜の花が舞う、麗らかな四月のこと。それは生徒会長であり風紀委員会委員長でもあるエリザベート・L・バーネットが、入学式で浮かれて調子に乗っている輩を粛清するためにパトロールしていた時のことだ。一人の少女が、校庭の大きな桜の群れを馬鹿みたいに見上げながら歩いていた。
大きな目を更に大きくして、意識は完全に頭上の桜に向いている。背景に言葉をつけるなら、あっちにふらふらこっちにふらふら、だろうか。あまりの危なっかしい足取りに、エリザベートは注意すべきか粛清対象か三十秒迷った後、とりあえず声を掛けようと思った次の瞬間。少女はドブに嵌っていた。それが、エリザベートと玉城かずらの出会いである。
自業自得だが見て見ぬふりもできず、ドブから助け出してくれたエリザベートに、かずらとてもとても懐いた。エリザベートは学校だけでなく学外まで畏れられる存在であるにも関わらず、雛のようにエリザベートの隣で笑っていた。
「エリザ先輩は良い人ですよ?」
見かねた友人や先輩、教師たちが死にたいのかと忠告しても、普段は周りを見回してはおどおどと怯えるような仕草が目立つのに、彼女のことに関してだけは笑ってすませてしまう。そしてエリザベートの方も、純粋に自分を慕ってくれるかずらにのみ「人間界のカーリー」「サド女王」「平成のハートの女王」などなど、物騒な異名をほしいままにする彼女は優しくなった。むしろ、甘くなった。
かずらが「パンダって可愛いですよね」と言えば、動物園と水族館と遊園地が一体になったテーマパークを貸し切って遠足地にし、「猫を飼ってみたいんですけど、御祖母ちゃんが猫アレルギーで飼えないんですよ」と言えば、生物委員会の一角で猫を数匹飼った。
年頃の少女らしくロマンチックなものが大好きなかずらのために、満月の夜などはお茶会をやり(参加者はかずらとエリザベートのみ。セッティングその他諸諸は全て部下という名の生徒会員)、生徒会室にはクッキーやマカロンなどが常備してあった。放課後や休日は、かずらの都合が許す限り自宅に招いては、二人だけの音楽会やファッションショーを開催した。
初孫を可愛がる祖父母でもここまでやらないぞ! と思われるほど、そりゃあもうエリザベートはかずらを蝶よ花よと可愛がった。中学を卒業して、高校に進学しても腹心にかずらを守らせた。その間に学校も牛耳って同じ高校にかずらを進学させた。そんな猫可愛がりは、エリザベートが某有名大学に進学し、海外に留学するまで続いた。
二年間の海外留学。今時何ら珍しくもないし、エリザベートにとっては親の仕事を継ぐためとはいえ、七三〇日もの間かずらと離れ離れになってしまう。帰ってきたら思う存分、葵を愛でてやると断腸の思いでやっとエリザベートが帰って来た時には、腐ったような王道が待ち構えていた。
『結婚しました。私は今、旦那様と世界中を回ってきます』
そこに愛しの天使の姿はなく、可愛らしい葉書がエリザベートを出迎えたのだった。
「……というわけで妾は必死でかずらを探し続けたのじゃ。だがあのサトリ男に連れ回されておるものだからかずらの足取りは全くもって掴めなかったし私も私で実家で殺人事件やら相続争いやらで余計に仕事が忙しくなって結婚して子育てもついてきたからつい最近までかずらがまたここに戻ってきたことを知らなかった上にかずらの子供つまりお前の存在さえも知らなんだ」
「はあ」
「ああもう、本当に残念なことじゃあの愛らしい少女時代を終えて慎ましい人妻となり母親になるかずらをこの目で見られなかったのは」
ほぼワンブレスで、連続ドラマ五回ぶんの話を終わらせた迫力系美熟女に、葵は生返事しか返せなかった。だって、何と言葉にすればいいのだろう。ご苦労様でしたとかお気の毒にというのも何か変だし。葵はバニラアイスが添えられたワッフルに視線を落とした。甘い甘いそれは葵の鼻腔を擽っても現実逃避のお供には役不足なようだ。
「それにしても、本当に妾のかずらにそっくりじゃなぁ」
エリザベートはうっとりと、渋めの赤いマニキュアが施された美しい手で葵の頬を撫でる。その触り方が、なんというかイヤラシイ。何かこの人怖すぎるんですけどぉぉぉぉ!
「かずらも兎とハムスターを足して二で割ったかの如く可愛かったぞ、あの時だって……」
ビクビクと突然外に放りだされたような小動物のように震える葵に、エリザベートはさらにうっとりする。アルバートとほぼ同じ顔でするものだから、葵としては恐怖倍増だ。
「……あの男に、ほんの少しでもドッキングしていたらどうしてやろうかと思っていたが、かずらそっくりな上に可愛いなら何の問題もない」
どうしてやろうって何をするつもりだったんですか!? っていうか問題って何の話ー!?
ちなみに葵がバーネット家でお茶会となったのは、放課後意地悪な先輩に水をかけられてしまった葵が、ちょうど通りかかったアルバートに発見され、そのままで帰れないでしょシャワー貸してあげると、任意同行のように引っ張り込まれたからだ。
坪が三桁を超えるような屋敷に連れ込まれ、制服は洗濯中だからとやたらフリルのついたワンピースを着せられて、ふかふかのソファのあるリビングでお茶会に参加する羽目になった葵は、縋るように隣で一切顔色を変えず紅茶を啜っていた彼女の息子に視線を配る。
その視線に気づいた彼はやんわりと母親の手を葵から引きはがし、抱き寄せた。息がかかりそうなくらい顔を近付けてにっこりと、母親とよく似ていながらも少し傾向が違っている彼独特の笑みを浮かべる。雰囲気は柔らかいが、どうしてだか逆らえない謎の威圧感を感じる微笑みを。
「よかったね葵。これで後は君の御家族に挨拶しに行くだけだよ」
「……は? え、何で挨拶?」
床から溢れだしてきた水のような迫りくる予感がしながらも、おそるおそる質問する葵に向かって、美形親子はコピペしたような笑みを浮かべる。
「やあね」
「やだな」
『結婚の挨拶に決まっているじゃない』
狙った獲物は逃がさない! 欲しいものは奪い取る! そんなポリシーに満ちあふれている。そのハングリー精神は流石親子だというか、子供は異性の親に似やすいという俗説を、葵は少しだけ信じたくなった。顔だけでなくタイミングもばっちり☆なんです。
「うふふふ……これから実に愉快になりそうじゃなぁ……かずらと暮らすのだからこの家も増築しなければ……かずらは天蓋付きベットに憧れておったはずじゃ、すぐに作らせよう」
嬉しそうに紅茶を淹れなおす母親に、
「母上、僕と葵は学校から近い別屋敷で暮らしますから増やす部屋は一つ分でいいですよ」
葵の肩を抱き寄せたまま恐ろしく上機嫌な顔で笑うその息子。二人の間で勝手に自分だけでなく、己の母親を巻き込んだ人生設計が着着と出来上がっている。数分後、あらぬ場所へ行っていた四つの眼がふと、こちらの方にむく。鮮血のような色の眼は慈愛に満ち溢れ、とろりと微笑んだのだった。
(いとしいあなたたちと、どろどろにとけあいたいのです)