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2-7 あかされししょうげきのしんじつ/Ⅰ

うん、諸事あって遅れた。すまない。

 ――――ぱくっ、ガリッ、ゴリ


 これ、何の音だと思います? これ、黒パンに歯を立てた音なんですよ。

 とても堅いです。どれくらい堅いかというと、噛みちぎるどころか、そもそも歯が立たないくらい。

 最近はご主人が焼いた柔らかなパンばかりだったので忘れていましたが、パンとは本来、こういうものなのです。

 柔らかい―――といっても、ふかっとしたご主人のものと違い、もそっとしているのですが―――パンが食べられるのは、それこそパンを焼いた当日だけなのです。

 翌日からは作り置きした、日に日に固くなっていくパンが食卓に並びます。

 ちなみにどれくらいの固さかと言いますと、最終的には短剣でも切り分けられないほど。

 塊のままだと食べられませんので、保存する前に予め切り分けておき、スープや水に浸しながら食べるのです。

 確かめもせずに手にとって、そのまま口に運んだ私も私ですが、せめて薄切りにはしておいて欲しかった。

 いえ、出てきた手の平大のパンが、ガチガチの古パンとかちょっと想像できなかったです。

 頼めば木槌を借りられるでしょうか? 叩いて砕けば食べようもありますし。

 ちなみに、何で古パン相手に苦労しているかと言いますと、これはメルギス様の診療所前で、女性と落ち合った時まで遡ります。

 まずはお互いに自己紹介しようとしたところで、お腹が鳴ったのです、私の。

 私的には空腹を感じていた訳ではないのですが、緊張から気づいていなかったのでしょう。

 そもそもお昼を食べていませんでしたし、日の位置からするにお昼を大きく過ぎていたようでした。

 うん、お腹が鳴ったのも仕方がありません。そう、仕方がないことだったのです。

 そんな仕方のないことが起こった後、女性の案内で診療所から少し離れた位置にある夜は酒場で、昼は食事処だというお店へとやってきました。

 カウンターバーに、丸机一つに付き、三脚の椅子が備えられたものが五つほど。

 お客さんが居ないのは、お昼過ぎの中途半端な時間だからでしょう。たぶん、恐らくきっと。

 お店に入るのこと自体が初めてなので、このお店の大小はわかりませんが、綺麗に拭かれた机などから掃除に気を遣っているのはわかりました。

 そして二人で一番端っこの席に陣取り、食べ物を注文する段になって、私はこう言ったのです。



 ――――とりあえず、一番安い食べ物とスープを、と。



 目の前の女性も止めては下さったのですが、手持ちがわからないという理由で押し通しました。

 結果として出てきたのは、今もって加えている古パンと、深めの木皿に注がれた野菜屑のスープです。

 パンを口にする前にスープを一口、先に居た代打のですが、これは非常に塩辛く懐かしさすら感じる味でした。

 家で作ったスープも、大抵はこんな感じの味になるのです。

 なんせ塩を多く入れると日持ちしますし、冬場などは凍りにくくなるので、スープ類はひたすらに塩辛くなっていきます。

 場合にyっては、水で割って薄めるほど。

 え、毎日ッ暮れって? 無茶を言わないで下さい。塩よりも、薪の方が大切です。

 一々作るよりも、ある物を暖めるほうが薪の節約にもなりますし。

 そして今も噛んでいるパンですが、もう顎が痛いです。それだけ噛んでも一一向に歯が立ちそうにない固さです。


「食べ物屋で一番安い品は、前日などの残り物です。

 特にパンなどは新しいものほど高く、古い物ほど安くなる傾向にあるんですよ」


 向かいに座る女性が、微苦笑を浮かべて言いました。

 手元の小皿が空っぽなのを見るに、私が古パンと戦っている間に、頼んでいたサラダを食べきってしまったでしょう。

 しかし魔法の属性効果って凄いですね。傾向という言葉を知らないはずなのに、何となくですが意味がわかります。

 まあ傾向の意味を説明しろと言われても、一方に流れる感じ、としか言えないのですが。


「一番安いともなれば、まあ一月(ひとつき)は前のものになるでしょうね」


 そういって女性は静かに両目を閉じました。

 見てない間に古パンから口を離してしまいなさい、という事でしょう。

 お心遣い痛み入ります。もう、品性とか、品格とかの差に打ちのめされそうです。

 いえ、奴隷に負ける品格や品性もないでしょうから、強いて言うなら著しい人間力の差……でしょうか?

 そんな事を考えながら、加えていたパンをお皿の縁に立てかけるようにしてスープに浸けました。

 唾で少しは柔らかくなっていたのか、うっすらと歯形も付いていますし、少し置いておけば歯も立つようになるでしょう。


「さて、何だかんだと後回しになってしまいましたが、互いに自己紹介と参りましょうか」


 目を開きながら言った、向かいの女性の言葉に頷きます。

 まずは立場的にも低い私から名乗るのが筋でしょう。


「私はクラーラと申します。ごしゅ……ムツキ様の小屋敷でメイドをしています」


 自己紹介としては、これで良いはずです。

 いえ、やはり奴隷身分であることを確りと言うべきでしょうか?

 しかし、ご主人と親しいはずのメルギス様も、私を奴隷だと知らない風でしたし、伏せておくべきなのでしょうか?

 そう迷っていると、女性が口を開きます。


「イザリスです。クラウ(ねえ)の助手が最近の主な仕事ですね」


 家名はなく、称号名もないということは、この方は普通の平民なのでしょう。

 しかし助手。彼女はもしかしたらメルギス様のお弟子さんか、お医者様見習いなのかもしれません。

 そう考えていると、イザリス様はチョッキの物入れから小袋を取り出します。

 大きさは手の平に収まる程度のもので、何だろうと小首を傾げていると、イザリス様は言いました。


「では、クラウ姉からの頼み事を済ませてしまいしょう」


 お勉強のお時間です、とにこりと微笑むと、小袋の止め紐を緩めてひっくり返します。

 ジャラジャラという音と共に机の上に放り出されるのは、色とりどりの平べったくて円の形をしたものです。

 その中に一つだけ見たことのあるものがあったおかげで、それが何なのか解りました。


「お金、ですか?」


「はい。貨幣について、簡単に説明しておいてくれと」


 良いながら、イザリス様は机の上に出されたお金を、種類毎に並べていきます。

 右から金色、銀色、赤銅色、後は磨かれた鉄の色。何れにも綺麗な彫刻が施されています。

 基本的には大小二種類ずつで、その中で鉄色の物だけは一種類しかなく、円ではなく長四角をしていました。。


「お金と言っても色々と種類があるのですね」


「これでも少ない方なのですよ

 落陽帝国などでは大小併せて十八種類もの貨幣が流通しているらしいですからね」

 

 十八!? その数の大きさには驚きを禁じ得ません。

 そんなに種類があっても使い切れないというか、細かすぎて逆に不便な気がします。

 ………ところで落陽帝国ってどこの事なのでしょう?


「さて、向かって左から順に説明していきますが、宜しいですか?」


 はい、と頷きます。

 落陽帝国が何なのか気にはなるのですが、今の話題とは関係がないですし、機会を見てご主人に聞きましょう。


「まず、この長方形の貨幣は青銅片貨と言います。最も価値が低い貨幣ですね。

 単品で使うことは滅多にないでしょうが、少しばかり持っていると便利ですよ」


 磨かれた鉄色の長四角のお金は、青銅片貨せいどうへんか

 縁取りをするようなツタ模様があり、真ん中には双葉を思わせる彫刻が成されています。

 単品で使うことはないということは、他のお金と組み合わせて使うという事でしょうか?

 そんなことを考えていると、イザリス様は続いて赤銅色のお金を順々に指さします。


「この小さい方のが小銅貨、大きいのが大銅貨。そのままですね」


 少しばかり笑いを漏らして、イザリス様は続けます。

 赤銅色のお金は、小銅貨と大銅貨。

 どちらも同じ彫刻が施されており、縁取りするように楔模様、真ん中には大樹が描かれています。


「小銅貨は青銅片貨十枚分、大銅貨は小銅貨十枚分の価値があります。

 小銅貨は小さいものの買い物に、大銅貨は大きな買い物用と覚えておくといいでしょう。

 身近なところだと………そうですね、青銅片貨五枚と小銅貨一枚で焼きたてのパンが一つ買えますね」


 自然、視線がスープに付けた古パンへと向かいます。

 これが青銅片貨五枚と小銅貨一枚………なんでしょう、非常に割高な感じがしてきました。


「それは古パンですからね、スープと併せても青銅片貨八枚と言ったところでしょう」


 私の表情から考えを読み取ったのか、微笑みながらイザリス様が言いました。

 えーと、小銅貨が青銅片貨十枚分の価値なので、普通のパンは青銅片貨十五枚分。

 それで、この古パンとスープは青銅片貨八枚………十四、十三、十二の――――。

 頭の中で指折り数えた結果、青銅片貨八枚分だけ……あれ? あ、違います、七枚分だけ安いのです。

 パンは古いものほど安くなるとの事でしたが、随分と安い気もします。


「続いては、大銀貨と小銀貨ですね。

 小銀貨は大銅貨十枚分、大銀貨は銀貨二枚と大銅貨五枚分の価値とされます」


 銀色のものは、小銀貨と大銀貨。

 やはりどちらも同じ彫刻で、こちらは縁取りをするように文字が連なり、真ん中には嘶く二頭の竜が描かれていました。

 縁取りしてある文字―――というか、文章は何と書かれているのか気にはなりますが、今は別の質問をすることにします。

 文章は、何れ自分で読めるようになればいいのです。


「大銀貨は小銀貨十枚分ではないのですね」


 青銅片貨十枚が小銅貨、小銅貨十枚で大銅貨、大銅貨十枚で小銀貨ときたら、小銅貨十枚で大銀貨となりそうなものなのですが。

 なんで半端に小銅貨二枚に大銅貨五枚なんていう価値になるのでしょう?


「単純に銀の含有量……えー、含んでいる銀の量的に、それだけの価値しか出せないのですよ。

 小銀貨十枚分となると大きくなりすぎて、貨幣としては扱いづらくなるので」


 要するに、もっと大きくしないと小銀貨十枚分の価値は出せないけれど、大きくすると使いづらくなってしまう。

 なので結果的に半端な額になってしまった、と。

 なるほど、納得です。私が頷いていると、イザリス様が話を再開させました。


「最後はこの金貨ですね。

 小金貨は大銀貨二枚分、大金貨は小金貨一枚と小銀貨三枚分の価値があります」


 ず、随分と細かいです。

 それによくよく見ると、大金貨は大銀貨に比べて僅かながら小さいようでした。

 また大小の金貨で彫刻も違います。

 どちらも縁取るように文字が書かれていますが、小金貨は交差した剣と盾が描かれ、大金貨は馬に乗った騎士の絵……でしょうか?

 馬に乗った人が細く反った片刃の剣を掲げるというものでした。


「大銀貨よりも大金貨の方が小さいんですね」


「はい、金は銀よりも高価ですから、必然的にこうなります。

 それに大金貨の値段が半端なのは、混ぜものをしているからというのが大きいですね」


「混ぜもの、ですか?」


 金貨に混ぜものと聞いても、ぴんと来ません。

 混ぜものがされた物と言いますと、この間、ご主人が出してくれた香草入りのパンくらいしか思い浮かびません。

 あれはパンを作るとき、生地に細かく刻んだ香草を―――とそこまで考えて、答えらしきものに思い当たりました。

 恐らく、きっと。


「金貨を作っている時に、何かを混ぜたとか?」


 私のその言葉に、イザリス様はにっこり笑って、正解です、と言いました。


「金は噛むと歯形が付くほどに柔らかいので、頑丈にする為、金によく似た偽金鉄という金属を混ぜこんでいます」


 なるほどなるほど。

 要するに、頑丈にする為に入れた偽金鉄の分だけ金としての価値が下がり、結果として金貨の価値が下がってしまっている訳ですね。

 納得です。うんうん、と頷いていると、イザリス様は続けます。


「日常生活を営むにおいては、大小銅貨を数枚と青銅片貨を十枚も持ち歩けば十分でしょう。

 実際、銀貨は家具などの調度品や税の支払い以外には使われません。

 金貨なども主に商家や貴族が取引に用いるだけで市井の人間が使うことは滅多にありません」


「税の支払い、ですか……」


 ついつい意識せず、苦みのある声を漏らします。

 税を収めても、収めた相手に村を焼かれた身としては、あまり税を納めたいとは思いません。

 でも、収めないと犯罪者として囚われて売り飛ばされるでしょうから、払わねばならないのです。

 ………しかし、街だと税ってお金を収めるんですね。

 農作物を税として収めていた身としては、高いのか安いのかもわからないのですが。


「はい。

 ついでに説明しておきますと、税の支払いは年に二回、春夏の狭間月と秋冬の狭間月になります」


 狭間月というのは、それぞれの季節と季節の間にある月のことです。

 春夏秋冬がそれぞれが60日ずつ。

 そして、春夏、夏秋、秋冬、冬春に挟まれるようにしてある季節の変わり目の30日を狭間月と言うのです。

 

「大人は大銀貨一枚。子供は小銀貨一枚を役所に収めることになります。

 とはいえ、クラーラさんには関係がありませんね」


「関係がない?」


 予想外のことに小首を傾げて聞き返して、しかし直ぐに答えに行き当たります。

 奴隷は主人の所有物なので、税金がかからないのでしょう。恐らくきっと。

 その分、奴隷を所有していると言う事で、ご主人は余計に税を納めることになっているのかもしれませんが。


「ええ、住み込みで働く人間に掛かる税金は、雇い主が負担するように領地法で定められていますから」


 全く違いました。大外れでした。単に、私の分の人頭税は、ご主人が支払う事になっているだけのようです。

 ちなみに、法律は二種類あります。

 一つは領地法。これは個々の領内でのみ有効な法律です。

 もう一つは国法。これは国全体で有効な法律だそうです。

 だからなんだ、という話ではあるのですが。

 いや、だって、普段から守っている法律のどれが領地法で、どれが国法なのかなんて知りませんし。


「貨幣に関してはこんなところですね。

 物価は流動するものですし、後は適度に散財しながら相場というものを覚えていくといいでしょう」


「は、はぁ………」


 言ってることは属性効果のおかげで何となく解りますが、難しくって意味するところがわかりません。

 物の価値が、なぜ流れ動き、相場を覚えるのにお金をいい感じに使い込まなければならないのか。


「それと買い物のことなどですが、所持金は幾らほどですか?

 手持ちに応じて案内する店を決めますので、教えて下さると助かります」


 イザリス様は言いながらお金を袋の中に仕舞っていきます。


「ええと、ムツキ様から頂いてから、一回も中身を検めてないので今、確認してしまいますね」


 スカートの物入れから重みのある袋を取り出して、机の上でひっくり返します。

 流れ出した銀色がジャラジャラと音を立てて小山を作り出しました。

 ……え、あの、なんか小銀貨しか入ってないんですけど、ナニコレ?


「数えても宜しいですか?」


 私がぽかんと小銀貨の小山を見つめていると、イザリス様が言いました。

 私はそれに、こくこく、と頷くばかり。正直、触るのも怖いのです。


「失礼」


 真剣な表情で言って、イザリス様は銀貨を数え始めます。

 五枚一組で積み上げて、それが六つできました。

 即ち………………………………………………………………………………三十枚!!

 後五枚足せば私が買える金額です。あれ、もしかして私、安い女?

 

あにさん……」


 流石の大金にイザリス様も驚いたのか、片手で眉間を押さえながら呆れたように呟きました。

 しかし兄さん? ご主人とイザリス様はご兄弟……には見えません。

 髪も、瞳も、肌の色も違います。兄妹分、という奴でしょうか?


「両替商……は、ぼられそうですし、素直に相応の店に行くべきでしょうね」


 むむむ、と難しい表情で独りごちてから、イザリス様は声を上げました。


「店主! ジッシュヴェールを!」


 店の奥の方から届く、あいよー、と威勢のいい声が聞こえます。

 ジッシュヴェール(ショウガ汁入り麦酒)ですか、あれは美味しいですよね。

 私も冬にはよく飲みました。お酒は水と違って滅多に凍らない為、冬期には欠かせない飲み物です。


「まずは古着屋へ、それから針と鋏を、最後に靴、という順番で構いませんか?」


「えっと、靴や服を買って、裁縫道具まで買えますか?」


 個人的に最優先なのは裁縫道具です。それさえあれば、最悪、ボロ布からでも服を作れますし。

 ご主人に頼めば裁縫道具は貸して頂けるのですが、やはりこればっかりは自分の物が欲しいのです。

 奴隷の癖になんて我が儘で贅沢なとは思いますが、女として自分の裁縫道具は持っていたい。

 …………元々持っていた代々のお下がり品は、焼けた家の下敷きでしょうし。


「半分以上は残りますよ。小銀貨三十枚というのは、それだけの大金ですから。

 それと、ここの会計は私が持ちますので、お金は仕舞って下さい」


「はい? え、いえ、そんな申し訳のない……」


 一瞬、何を言われたかも解らず、数度瞬いてから慌ててお断りの言葉を口にします。

 寧ろ、大金があるというのならば、案内の御礼を兼ねて私が支払いをすべきではないでしょうか。

 そのことを言おうとすると、先にイザリス様が言いました。


「いえ、小銀貨だと高すぎて店側が迷惑します。

 商品と支払いの差額はおつりとして、店側が客側に返金しなければなりませんので」


「それは……小銀貨の返金額をお店が用意するのが大変だから、という事ですか?」


 私の言葉に、ええ、とイザリス様は頷いて続けます。


「特に屋台や露天では、銀貨での売買は断られる事も多いです。

 ここのように店舗を構えている店ならば兎も角、釣り銭を用意しきれないこともありますしね。


 少額の買い物で銀貨を使うのは、嫌がられることが多いのですよ」


 なるほど。差額を返すにもお金が足りない可能性もある、という事ですね。

 先ほど、大銅貨と小銅貨を数枚ずつ持つと良いと言っていたのを思い出します。

 あれは、そういう事だったのですね。

 そう考えながらお金を袋の中に戻していきます。


「ほい、ジッシュヴェールお待ち」


 お金を仕舞い終わった所でやってきた、初老の店主さんが瓶入りのジッシュヴェールをイザリス様の前に置きました。

 蓄えられた白髭と白髪交じりの長髪は、何となく村長を思い起こさせます。

 いや、それ以外には一つとして共通点はないんですけどね。ああ、あと一つだけ同じものがありました。同じく男性です。


「昼間からお酒を飲むのは久しぶりです」


 表情を緩ませながらイザリス様は言いました。

 真っ昼間からお酒を飲めるのが幸せかと言われると、私は首を傾げてしまいます。

 だって、それって気温が上がらず、氷や雪が溶けず、飲み水が確保できないので代わりにお酒を飲む、という事ですし。

 しかも酔うといけないので雪でお酒を割って飲むのです。体が冷えてトイレが近くなるので明るい時間の飲酒によい印象は持てません。

 しかしイザリス様にそういった考えがないということは、街ではやはり考え方や生活が違うのでしょう。

 そんな事を考えていると、イザリス様がジッシュヴェールを飲み始めたので、私も遅れじと古パンへと挑み掛かりました。








 ――――――食べきった古パンに関して一言だけ言わせて頂きますと、顎が痛いです。













 並んで歩くイザリス様に案内されながら、私はきょろきょろと周囲を見回します。

 街に入った時は注目される事から来る恥ずかしさから俯いてばかりでしたが、今は特に注目されることもないので、落ち着いて街並みを見ることが出来ました。

 来たときは気がつきませんでしたが、幅が広く取られた道には石畳がみつしりと敷かれ、一定の間隔で鉄柵が埋まっています。

 ……あの鉄柵は何でしょう?

 歩いているとちょうど足下に来たので覗き込んでみますが、柵の間隔が非常に狭いのと中が暗いせいか奥を見通すことはできません。


「それは排水溝です。雨水などを下水路に流すための穴ですね


 小首を傾げながら通り過ぎると、イザリス様がこちらに視線を向けて解説して下さいます。


「下水路……ですか?」


「地下に埋め込まれた水路と思ってください。

 道路の水捌けをよくする為のものです」


 道路……道の水捌けをよくする為のものですか。

 見れば家と家の間にある細道も石畳で覆われていて、水の逃げ道を用意してあげないと、道路が川のようになってしまうのかもしれません。

 街は村と違って、色々と複雑な作りをしているようです。人が多いので、それも当然なのかもしれません。

 私がお礼を言いながら頭を下げると、イザリス様は小さく笑って応じます。

 そしてイザリス様がまた前を向いたのを確認して、今度は立ち並ぶ家々へと視線を向けました。

 多いのは、二階建ての木枠と白壁の家です。いえ、見える範囲に限るならば殆どが二階建てで、稀に三階建てがあるくらい。

 驚くべき事に平屋が一軒も見つかりませんでした。それに加えて、中には色鮮やかな赤い壁の家屋が点々と建っています。

 通り過ぎる時に壁をよく見れば、それは煉瓦のようでした。

 土を焼いたものとはまた違う色合いをしているので、また別のものを焼いたのか、或いは赤色の染料を混ぜたのでしょうか。

 そんなことを考えていると、イザリス様がぴたりと足を止め、私も一歩遅れて止まります。


「ここが古着屋となります」


 そうイザリス様が示したのは、白漆喰の家屋でした。

 開け放たれた扉を押さえるようにして、服の絵が描かれた、私の腰くらいまでの大きさの円看板が立てかけられています。


「仕立屋で新品をとも思ったのですが、そちらは作るのに数日は必要ですので」


「普段はこのメイド服ですし、部屋着や外出用の服が欲しいだけなので大丈夫です」


 すまなさげに言うイザリス様に、首を横に振って答えます。

 いや、部屋用というか、だらける為の服や、今日のように街へ出かける為の服が欲しいだけなのに、新品の服を用立てるなんてもったいない。

 そもそも奴隷なのですから、古着を手に入れられるだけでも十分に上等です。


「なら、よかった」


 安堵したように小さく微笑んで、イザリス様は古着屋へと入っていきました。

 私もそれに続いて中に入り、店内をぐるりと見回します。

 室内は明るく、幾つかの大きめの台が置かれ、そこには畳まれた服が重ねられて並べられていました。

 奥に続く扉の前には、頑丈そうな机が鎮座していて、恰幅のよいオジさんが椅子に座って膝を付いて本を読んでいます。

 …………あのオジさん、文字を読めるんですね。街だと誰もが文字を読めるのでしょうか?


「手にとって、広げてみて合った大きさのものを選ぶといいでしょう。

 戻すときには、ちゃんと畳んでくださいね」


 イザリス様の言葉に、はい、と頷いて、適当に手を取って広げてみます。

 染めなしの長丈の上着(チェニック)で、生地は麻のようですね。

 麻の服は固くてチクチクするので、下に何か着て肌に直接触れないようにしたいところ。

 村には……村には、このチクチクがイイ! とか言ってるのが居ましたが、私には解らない感覚です。

 大きさ的には丁度よさげなのですが、ここは少し大きいのを買って下に木綿の薄着を着るようにすればいいかもしれません。

 それで腰回りを帯で締めればだぶつきもみっともなくはならないでしょう。

 そんなことを考えながら、手にした上着を畳んで次の服へと手を伸ばします。

 …………服を選ぶのって楽しいですね。基本的にお下がりを貰ったり、駄目になった服を縫い合わせたりなので服を選ぶのは初めてです。

 ついつい何着も広げては畳んでを繰り返してしまいます。


「決まりましたか?」


 そうして背後からの声に我に返りました。

 慌てて振り返ると、どこか楽しげなイザリス様が立っています。


「も、申し訳ありません。つい夢中になってしまいまして」


 深々と頭を下げて謝罪します。

 どの程度の時間かは解りませんが、随分と服選びに熱中してしまっていたようでした。

 少なくとも、背後にメルギス様が近寄るのに気がつかないほど。


「気にしないでも結構ですよ、服探しは楽しいものですから」


「は、はい…………」


 ふふふ、と笑っているところからして怒っては居ないようですが、項垂れてしまいます。

 一緒に居る人のことまで忘れて没頭するというのは、流石に宜しくありません。


「本当は好きなだけ、と言いたいところなのですが、あと二件は回らないといけませんので」


 その通りです。今日、私が買うべき物は、服の他に靴と裁縫道具があるのです。

 服屋だけで時間を使い切る訳にはいきません。

 なので気に入ったものを幾つか胸に抱くようにして抱え込みます。


「では会計を済ませましょう。付いてきて下さい」


 言ってイザリス様は奥のオジさんの所へと歩いていきます。

 私もその後に続くと、オジさんがこちらに気がついたのか、本から顔を上げました。

 

「買うもんを机のうえに並べな」


 顎をしゃくりながら言うオジさんに、はい、と答えて机の上に並べていきます。

 無地の長丈の上着(チェニック)と木綿の薄着を二着ずつ。

 それにルウ(羊)の毛の上着が一つ。

 そして足首まで覆う長丈の灰色のスカートと膝下までを覆う短丈の薄紅色のスカート。

 合計五着。結構な買い物です。


「大銅一枚と銅貨六枚だ」


 スカートの物入れに入れてあるお金袋から銀貨を一枚取り出して、差し出します。

 オジサンは眉を寄せてそれを受け取ると、それから机の引き出しから取り出したお金を机の上にジャラリと並べました。

 ええ、と大銅貨が八枚に小銅貨が四枚あります。

 これは、ええ、と、お釣り、と言う奴でしょうか。


「額は合っていますので受け取ってしまって大丈夫ですよ」


 布の鞄に、机の上に並べた服を詰め込みながらイザリス様が言いました。

 あれ、手ぶらでしたよね?


「あの、その鞄はどこから……?」


「上着の物入れに畳んで納れておいたんですよ」


 お釣りを受け取りながら訊くと、そんな答えが返ってきました。

 いえいえいえいえ、確かに入りそうではありますが、鞄の大きさ的に畳んでも物入れがパンパンに膨らんでしまうはずです。

 私の記憶が確かなら、チョッキの物入れはぺったりと潰れていました。

 あれ、そういえば貨幣の説明に用いたお金もチョッキの物入れの中に仕舞われたはずです。

 あんなかさばるものを納れて、物入れが膨らまない? これは一体…………。


「タネを言ってしまいますと、ただの収納の魔法です。

 重みはなくらないので使い所は限られますが、嵩張るものを持ち歩くには便利でいい」


 不思議がる私に、イザリス様は悪戯っぽく笑って、服を収めた鞄を手渡して下さいます。

 収納というのは、確か意義系統の属性でしたっけ? メルギス様の説明の中に出てきたはずです。

 日々の生活の中で使える魔法、羨ましい…………。

 そんなことを考えながら、イザリス様に付いて古着屋を後にします。


「毎度あり」


 どこか投げやりなオジさんの声を背に受けながら。







 裁縫道具を取り扱っているお店は、古着屋さんの並びにありました。

 こちらは鍛冶職人や織物職人などから商品を卸しているのだそうです。

 古着屋さんと異なり、女の人が売り子さんだった以外は、特に語るような事もなく終わりました。

 強いて語るならば、裁縫道具一式と下着用の木綿数枚で併せて銀貨三枚と小銅貨二枚と、服とは比べられないくらい高かった事くらいでしょう。

 ちなみに一番高価なのは鋏で、次が木綿です。布であっても新品は高いようでした。

 そして今は、少し離れた場所にあるという靴屋へ向かって歩いています。


「買い物が終わってからと思っていましたが、今からしてしまいましょうか」


「何か、ご用でもあったのですか?」


 ぽつり、とイザリス様が何事を独りごちたのに、小首を傾げて問いかけます。

 それにイザリス様は、いえ、と首を振って否定して言いました。


「街を歩く上のでの注意点などを説明をしてしまおうと思いまして。

 その服を着ている限りは概ね安全ですが、それでも能なしの向こう見ずというのはいますので」


「このメイド服って凄いんですね」


 イザリス様も述べておられましたが、これを来ているだけで悪漢が寄ってこないってどういう事なのでしょう。


「兄さんの庇護下にあることの解りやすい証明ですからね。

 そうと知ってなお襲う馬鹿もいるので困りものなのですが」


 軽く肩を竦めてイザリス様は言いました。

 ご主人って、本当に何者なのでしょう? お金持ち、貴族、後は………何かの元締め?

 色々と考えますが、答えはわかりません。

 訊いてしまえば一発なのでしょうが、果たして訊いていいことなのか判断が付きませんでした。

 いや、ほら、自分の主人について知らないとか、ちょっとありえないですし。


「まあ、街での注意点なんて多くはありません。

 路地などの人目のない所には入らない、近寄らない。

 日が落ち始めたら住処に帰るか宿に泊まる。


 この二つです」


「それだけですか?」


 ちょっと拍子抜けです。

 もっと色々とあるものだと思っていました。


「はい。夜間は危険ですので絶対に歩いてはいけません。

 あとは手荷物を体から離さないことですね、運が悪いと盗まれます」


 その言葉に、鞄を持つ手に力が入りました。

 体から離したら盗まれるって怖いですよ。


「それと、あの建物を見て下さい」


 メルギス様が指さした先には、一件の石造りの家……と言っていいのでしょうか?

 二階建てで出入り口には扉が無く、屋根は平らで角張った印象を受ける家屋でした。

 出入り口の脇には、身の丈ほどの木の棒を携えたサーコート姿の男性が立っています。

 サーコートの紋章は、交差した片刃の剣と細い剣、凧型の(カイトシールド)に星の模様、そして最後に青い馬というものでした。

 見たことのない、ごちゃっとした紋章です。

 彼は騎士……様か、それとも従士様でしょうか? 口の奥に言いしれぬ苦みのようなものを感じます。


「あれは衛兵分所と呼ばれる場所です。

 治安維持を業務とする衛兵の詰め所となります。


 街中に同じような建物が点在していますので、何かったら頼って下さい」


 衛兵さんでしたか。

 ということは、賦役中の農民か街の人なのでしょう。

 村でも男衆が一年ばかり徴兵されたものでした。

 とすると、彼のサーコートの紋章は、この地を治める領主様のものでしょう。


「何かあったら、というのは、荷物を盗まれたりとかでしょうか?」


 そう考えると、あまりお世話にはなりたくありません。


「いえ、道に迷ったとか、買いたい物を売っている店の場所を訊くとか、そういうものでも構いませんよ。

 それが彼らの仕事ですから」


 その説明からは、衛兵と言うよりも、街の案内役といった印象を受けました。

 衛兵というのは、村から村の道などを騎士様に率いられて巡回したりするのが仕事だった筈です。

 これは何度目かわかりませんが、やはり街は色々と違うのですね。


「まあ余所に比べて治安がいいですから、普通に通りを歩く分には身の心配する必要はありません」

 

「他の街は違うのですか?」


 気になったので訊いてみます。

 私は、この街しか知らないので、余所と比べてと言われてもピンと来ないのです。


「そうですね、治安が悪いとされる街では…………」


 少し考えると言うよりは、言葉を選んでいるかのように視線を巡らせてからイザリス様は言いました。


「私達のような年頃の女が夕暮れ以降に歩いていると、ほぼ確実に路地に引き摺り混まれて乱暴されます。

 それを目撃して衛兵に助けを求めると無視され、助けを求めた人間が犯人に見せしめに殺されます。

 例え衛兵が犯人を捕まえても賄賂を受け取った衛兵の手で即日釈放され、捕まえた衛兵は報復で殺されます。

 更に高価な品を持っていると囲んで動けなくなるまで殴られ、逆に襲われた時に金目のものを持っていないと憂さ晴らしに殺されます。

 ああ、あと反撃すると犯罪者と繋がっている衛兵に罪状をでっち上げられて獄中死……と言ったところでしょうか」


 うわぁ…………。

 うわぁ…………。

 何も言えません。なんですか、その怖い街。

 その街において法律はどこへ消えてしまったのか。

 開いた口も塞がりません。もう死ぬしかないじゃないですか。


「これは最底辺も最底辺の話ですので、そういう街もあると思っていればいいですよ」


 そんな場所があるなんて知りとうなかったです………。

 というか、イザリス様の口ぶり的に、その街に行ったことがあるようなのが怖いです。


「まあ普通の街は、女が一人で夜歩きしてたら路地に引きずり込まれる。

 金目のものを持ち歩いていると引ったくられる。

 人混みで運が悪いと財布をスリ取られる、くらいですかね」


 最初に聞いた街が最悪すぎて、もう天国にしか思えません。

 この街は治安がよいそうなので、何れも滅多に起こらないのでしょう。

 いえ、起こらないで欲しいです、少なくとも私の身の回りでは。


「っと、着きましたね。

 ここが靴屋となります」


 言って、イザリス様が足を止めました。

 私も立ち止まって、ぐるりとその靴屋さんを見回します。

 二階建ての白壁の家ですが、扉は四角ではなく上部分だけが丸みを持っていて柔らかな印象を受けました。

 また扉の直ぐ脇の高い位置には、突きだした木の棒に靴と金槌の絵が描かれた看板が釣り下げられています。

 

「………金槌?」


 靴屋の看板に、なぜ金槌が描かれているのでしょう。


「靴屋というのは靴職人の工房でもありますからね。

 それを示すための金槌です」


 言いながらイザリス様は、扉を押し開けて室内へと足を踏み入れます。

 しかし靴って、わざわざ職人さんが作るようなものでしたっけ?

 猟師さんに頼めば、簡単に作ってくれるものだったのですが。

 そんなことを考えながら、後に続くようにして私も室内へ。

 入ってまず目に付いたのは、向かいの壁に設置された木靴と革靴が並べられた棚でした。

 棚には彫刻が施され、色鮮やかに彩色された木靴と見たことがない作りの革靴が飾られていて非常に目を引きます。

 また棚の隣には奥に続く廊下があり、それらとを隔てるように背の高い横長の机が置かれていました。

 机の上には手持ち鈴が置かれており、イザリス様はそれを無言で手に取ると、躊躇いなく振り鳴らします。

 かららーん、という軽い音が鳴り響いて少しすると、のっそりとくすんだ金髪で無精髭な30代後半ほどの男性が奥から姿を現しました。

 背丈は私よりも頭三つ分ほど高く、細身でひょろりとしているようにも見えますが、袖まくりをして見える腕は筋肉質です。

 目つきは鋭く睨むようで、何とも神経質そうな印象がある人でした。


「何かご用で?」


 呟くような声は重く圧するようで、知らず知らずに身が竦みます。

 しかしイザリス様は意に介することなく言いました。


「彼女の靴を仕立てて頂きたい」


 その言葉に、男性の視線がこちらに集中します。

 緊張から真っ直ぐだった背筋が更に伸びました。


「木靴と革靴、どちらに」


 それは私に向けられた言葉のようでしたが答えられません。

 木の靴と革の靴。その違いが私には分からないのです。

 今まで履いてきたのは、毛皮の靴ですし、そこから考えると革靴が良いのでしょうか?

 助けを求めるようにして、イザリス様に視線を向けると応じて下さいました。


「街中で履くことを前提とするなら革靴をお勧めします。

 木靴はぬかるんだ道や炭坑などのような場所で足を守る為に履くにはいいですが、石畳で舗装された道路を歩くには適しませんので」


 なるほど。

 私の仕事場は小屋敷ですし、何かあるにしても街へ来るくらいでしょう。

 そう考えれば、革靴の法が私には向いています。


「ええと、革靴を一揃えお願い出来ますか」


「先払いで大銅貨五枚、後払いで銀貨一枚となるが」


 ええ、と後払い、先払いって何でしょう? 後に払うのと先に払うのでは金額が変わるのでしょうか?


「この場合は、先に銅貨五枚支払い、受け取り時に銀貨一枚の支払いをしてくれ、ということです」


 注文だけして受け取りに来ないとなると、職人さんの丸損です。

 それを防ぐ為に、先に金額の一部を支払わせるのでしょう。

 それに納得して、私はスカートの物入れから銀貨が詰まった袋を取り出します。


「銀貨しかないのですが、宜しいでしょうか?」


「少し待て」


 言って男性は奥へと引っ込み、しかし直ぐに戻ってきます。

 そして私に手の平を突き出すと、そこには大銅貨が五枚載っています。


「あ、えっと……」


 これがお釣りという事でしょう。

 私は慌てるようにして袋から銀貨を一枚取り出して差し出します。

 男性が空いた手でそれを受け取ったので、私も差し出された大銅貨を受け取りました。

 一枚が五枚に増えました。ただし価値は五枚纏めても一枚の半分です。


「では、足を」


 はい? 足をどうしろと?


「大きさを測るので足を見せてくれ、ということです」


 イザリス様の補足に、片足を上げるか、スカートの裾を上げるかで迷い、結局、スカートの裾を上げました。

 膝くらいの高さまで。

 じっ、と男性に見つめられるのは、些か恥ずかしいですね。心なし、足がざわざわします。


「確かに。三日後に受け取りを」


 それだけ言って、男性は奥へと戻っていきました。

 その背中を見送って、呆然と私は呟きます。


「何だったのでしょう?」


「測る魔法ですね、あれは見ることで足の大きさなどを測っていたのですよ」


 イザリス様の説明に、便利、という感想しか浮かびません。

 見るだけで大きさなどを測れるって、生活で色々と役立ちそうです。

 しかし、何と言うか。


「ご主人みたい……」


 あの、必要なことを必要なだけというか、少し言葉が足りないというか、聞かれないと答えない所とが特に。


「ご主人?」


 丁度、出入り口の扉を開けたイザリス様が振り返って首を傾げます。

 それに、私は、はっ、として口を押さえました。

 やってしまいまいした…………何と言って誤魔化しましょう。

 私がええと、ええと、と思い悩んでいると。


「ああ、兄さんのことですか。らしい呼び名ですね」


 そう呟くようにイザリス様は言って、外へと足を踏み出しました。

 慌てて後を追いかけます。


「時と場所と場合を弁える必要は当然ありますが、兄さんのことは好きに呼べば宜しいかと。

 あの人は何と自分が呼ばれようが気にしませんし、私もそこに悪意がなければ咎めはしません」


 外へと出た私に、イザリス様は特に気にした風でもなく言いました。

 メルギス様の時もそうでしたが、奴隷……そうでなくともメイドが主人を『様』付けせずに呼んでも問題ないのでしょうか。

 もういっそ、言ってしまいましょう。


「私がご主人に、様を付けなくても問題はないのでしょうか?」


「ありません。

 公的な場、式典などであれば兎も角、そうでないのならば、兄さんが許しているのです。

 誰が文句を付けられましょう」


 きっぱりとした断言でした。


「ですが、えーと、あーと、その…………そ、そうです、社会的には問題になるのでは?」


 ふっ、と鼻で笑われました。

 ええええ、必死にひねり出した難しい言葉が…………。


「社会なんて、兄さんに頭を垂れるべきものですよ」


 それはた、た、た………………たいげ、えっと、大口が過ぎるといものでは?

 偉い人をちゃんと敬わなければ、世は巡らないのではないでしょうか。


「些か気にしすぎですね。

 咎める者が居るのならば、主から許されていると胸を張って言ってやりなさい」


 文句を言われても、それで大抵は引き下がりますよ、と言って、イザリス様は歩き出しました。


「そういうものでしょうか?」


 その後に続きながらそう言うと、イザリス様は、そういうものです、と応じて。

 それから少し寂しげな笑みを浮かべました。


「あの、どうかなさいましたか」


「………昔は、兄さんもよく笑い、よく語ったのです」


 はい?、と首を傾げます。

 何の話でしょう。唐突すぎてちょっとわかりません。


「ああ、いえ、先ほど靴職人を兄さんのようだと言っていたでしょう。

 それで少し昔を思い出しまして」


 なるほど。確かに私は、あの男性をご主人のようだと思いました。

 口数が少なく、必要なことだけを端的に語るところとかが、そう思わせたのです。


「昔のご主人は、どのような人だったのですか?」


 私、気になります。

 とはいえ、老人、中年の過去とは違い、十六程の青年の過去です。

 精々が十二歳かそこらの、やんちゃだった時期の話でしょう。


「先ほども言いましたが、よく笑い、よく語り―――」


 そして、と一旦、言葉を切ったイザリス様の横顔は、とても優しく柔らかで、何より喜ばしげでした。

 何と言えばいいのでしょう。私の言葉では言い表せない、遠くを見る穏やかな目をしています。


「―――何より静かに真っ直ぐに怒ってくれる、そんな人でした」


 言葉が重い、そう感じました。

 押しつけられるような重みではなく、胸を圧するようなものでもありません。

 ですが、それでも、軽々しい言葉を口にできない、そんな重みに満ちています。

 だから、私は自ら訊いたにも関わらず、何も言うことができません。

 お互いに何も言わず、ただ街のざわめきだけが通り過ぎていきます。


「十六と言うものは、子供の目から見れば大人ですが、いざその歳になると子供だと痛感します。

 貴女はどうでしたか? 私と同じ歳と思うのですが」


「ええ、まあ、はい、そうですね。

 上からは若造、下からは大人として見られますが、何よりまだ子供だとそう感じます」


 子供を持った親たち、働く大人達に比べて、自分を子供だと感じることは多々ありました。

 それは、心構えであったり、考え方であったり、色々です。

 上手くは言えませんが、考え一つでも、重み、中身、そういったものが違いすぎて、自らの若さを感じることは多かった。


「そう、私達の年齢は、上から子供として扱われ、しかし下に対しては大人として振る舞う事を望まれます。


 …………兄さんは子供であった私の前で、大人として振る舞ってくれたのです。

 誰もが諦めろと口にするような苦難を前に、それでも命を懸けて成すべきことなのだと、そう言ってくれる人でした」


 目を細めて語る言葉は優しく、尊敬の念に満ちています。

 何が在ったのかを訊く勇気は、今の私にはありません。

 いえ、何より命を懸けたという、その内容を聞くのが怖かったというのもありました。

 けれど、それでも解ったことはあります。

 昔のご主人は、今と違って語り、笑い、怒り、そして何より子供のために命を懸けられる人だったのです。

 命を懸けるという事の重みを、私は知っています。立ち向かわず、逃げるだけだったからこそ。

 イザリス様が慕い、メルギス様が信頼するのも、何となくわかった気がします。


「昔の話です。もう……七年も昔の」


 ん゛ん? 七年?

 しんみりと独りごちたイザリス様の言葉に、耳を疑います。

 先ほどまでのもの悲しい思いが、驚きから一発で吹っ飛びました。

 子供だったイザリス様の前で、大人として振る舞ったご主人………。

 話の内容からして、ご主人は当時、十六歳だった?


「あの、すみませんが、宜しいでしょうか」


「はい、なんですか」


「ご主人は、一体、お幾つなのでしょう?」

 

 なぜ、そんなことを訊かれるのか解らないという風に、イザリス様は首を傾げながら答えて下さいました。


「今年で二十三歳だったかと」


 今、明かされた驚愕の真実!

 あまりの真実を前に、私はただただ瞬きを繰り返すばかりです。


「…………兄さんのことを何歳だと思っていらしたので?」


「私と同じくらいとばかり………その、身長と外見的に」


 そっと目を逸らしながら答えます。

 だって、身長低いじゃないですか! あれで二十三歳とか低すぎですよ!?

 それに外見だって十代にしか見えません! アレで二十代とか冗談でしょう!?


「外見に関しては、アレでも昔に比べて大人っぽくなってます。

 それに身長は、兄さんの故郷だと平均よりは上だそうです」


 ご主人の故郷は、小人の国か何かですか………。


「ところで、他に買う物はありますか?」


 少しばかり考えて、今は特に思いつきませんでした。

 裁縫道具と服は買い、靴は三日後にできあがる。

 これ以外に必要なものは、ないはずです。


「いいえ、必要なものは買い揃えたはずです」


「そうですか………なら」


 イザリス様は空を見上げて。


「いえ、帰路についた方が良いですね。

 もう少し街を案内をとも思いましたが、これ以上は日が暮れます」


 言われて空を見れば、夕暮れに差し掛かる少し前と言ったところでした。

 日が暮れる前に家に帰らないと危ない、というのはイザリス様も同じです。

 私の案内を終わらせて、家に帰らないといけないのでしょう。


「兄さんの小屋敷最寄りの街外れまでお送りします」


 メルギス様の診療所からここまでの道は覚えましたが、今の場所からお役所までの道はわかりません。

 申し訳ないないですが、イザリス様に案内をお願いするしかないでしょう。


「宜しくお願いします」


 深くイザリス様に頭を下げました。






 遠くから響いてくる、巣へと帰る鳥の声。何処かへと並んで飛び去る竜の影。

 見える風景は茜色に染まっていて、どことなくもの悲しさを感じさせます。

 門柱を抜けて前庭へ。石畳の道を歩いて小屋敷へと向かう最中、ふと、視線を地面へと向けました。

 探すのは、出がけにジンライさんが魔法で石畳に呪文を刻んだ場所です。

 共有属性の力で文字の意味を読み取れるかなと思ったのですが……それは無理のようでした。

 どうやら文字は削り取られてしまったようで、文字が刻まれてた場所は他の場所に比べて凹んでいます。

 ご主人が言っていたとおり、直してしまったようでした。

 ……職人さんを呼んで直したのでしょうか? それとも自分で直したのでしょうか?

 自分で直したのだとしたら、本当にあの人は本当に何者なんでしょう。ちょっと何でも出来すぎな気がします。

 玄関扉を開けて室内へ入ると、ちょうど食堂からご主人が出てきた所でした。


「ただいま戻りました」


「おかえり。

 食事の用意には少し掛かるから、呼ぶまで部屋で待つといい」


 はい、と頷いて階段へと歩を進めます。

 何故でしょうか? たったこれだけのやり取りなのに、胸が熱いのは。

 わかりません、何か口にすれば泣き出してしまいそうで、私はご主人に年齢のことを聞くこともできず自室へ向かいます。

 悲しいわけではないのです。ただ不思議と、込み上げてくるものがあったというだけで。

 自分でも訳が分かりません。ただ、いきなりそうなったのです。食事の時には、街でのことを聞かれるかもしれません。

 それまでに、この感情を、どうにか鎮めてしまいましょう。

 

 

 最後に、胸に温かいものを残して、私の初めての買い物は終わりを告げたのです。


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