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2-4 はじめてのてんじょう


 そうして、夢は終わりを告げました。

 


 お腹を強かに打たれた私は地面に倒れ、朝に食べたものをはき出しながら気を失い、それから目覚めると格子付きの馬車の中でした。

 その中で、激しく抵抗する隣人らの処刑を見せつけられた後、牢屋へと送られる事へとなったのです。

 なぜ、あのような事になったのか、未だにわからない。

 もしかしたら、牢に押し込まれた時に説明があったのかもしれませんが、処刑の途中から記憶がぼんやりとしていて、詳しく思い出すことができません。

 だから、思い返すこともなかったのに。

 なのになんで、今更、夢に見たのでしょう。

 ………少し考えて、答えが出ました。

 恐らくきっと、あの板金鎧を目にしてしまったからでしょう。

 あの、私たちの村を襲った騎士様達が身につけていたものとは明らかに違うものでしたが、不思議と私の目には同じものに見えたのです。

 何とも情けない話ですが、子供が夜の梢に怯えるように、森の暗がりに居もしない魔物を見るように、私は飾られていた鎧に怯え、後ずさって階段から転げ落ちたのです。

 そして、それから……それから? それからどうなったのか、覚えが在りません。

 背中には柔らかな感触があり、体に僅かな重みを感じるところからするに、寝台に寝かされて、毛布を被せられているようでした。

 どなたかが介抱して下さったのでしょうか?

 私のような奴隷なんて、廊下の端っこに埃と一緒に転がしておいても、何ら問題はないでしょうに………って、ああ。

 そうでした、今の私は上等なメイド服を着ているのでした。

 首輪も付けていませんし、奴隷と気がつかず助けてくれたのかもしれません。

 ありがたいのですが……その、奴隷なんかに手間をかけさせて申し訳ないです。

 そんなことを考えながら目を開くと、見たこともない天井がありました。

 木目の浮かんだ白っぽい天井は、村の家々で使われていた黒ずんだそれと違って、何とも高そうな感じがします。

  

「――――ん? 起きたのかい」


 聞こえてきたのは、村の女衆を取り纏めていたオバさんを思い起こさせる、力強いハキハキとした女性のもの。

 体を起こして声した方に顔を向けると、私より一回りほど年上らしき女性が、ちょうど、座っていた椅子ごと振り返ったところでした。

 何とも不気味です。いえ、別に見た目や椅子ごと振り返ったことが不気味なのではありません。

 椅子も高そうなものですが、服装も含めて私が見たことがないだけで、恐らくきっと珍しいものでもないのでしょう。

 炎を思わせる赤色の長髪に白い肌。すらりとした体付きに、真っ黒な丈長のスカートに同じ色のシャツ、その上に、ジンライさんから降りる時に助けてくれた人が来ていたのと同じ、膝丈まである薄手の白い外套に袖を通しています。

 そして何よりも目を引くのは、その顔でしょう。

 怪我をしてしまっているのか、整っているように思える顔の半分、両目のところを包帯でグルグル巻きにして覆い隠してしまっています。

 なんというか不気味です。両目を包帯で覆っていることが、ではありません。

 奴隷と席を同じくして食事をする人もいるのです。両目を覆っている人も、世にはいるのでしょう。

 ですから、不気味に感じるのは別のこと。

 そう、両目を包帯で覆っていることではなく、両目を包帯で覆っているのに、目の前の女性から視線を感じることが、何とも不気味に感じるのです。


「おはよう。

 体に痛みや違和感はあるかい?」


 女性は椅子に座ったままの格好で、そう問いかけてきました。

 言われて体に意識を向けますが、特に痛みや違和感のようなものはありません。

 緩やかな階段であったとはいえ、転がり落ちて怪我一つないというのは運がいいのか、それとも頑丈なのか。


「おはよう、ございます。

 その……特に痛みや違和感は感じません」


 とりあえず首を横に振りながら答えます。

 しかし、ここは一体どこで、目の前の女性は誰なのでしょう。

 お役所にある仕事部屋のつで、仕事ついでに私を見ていてくれた……のでしょうか?


「そうかい、それはよかった」


 私の答えに、女性は、にこり、と笑った……のでしょう、たぶん。

 顔の半分が包帯に覆われているため、その表情が今一つ解りません。

 口は弧を描いていますし、半ば前髪に隠れた眉は笑みの形を作っているように思えるので、恐らくきっと笑っているのでしょう。


「あの……あなた様はどなた様なのでしょう?」


 奴隷ごときが名前を聞くというのは無礼とも思いますが、聞かずには居られなかったのです。

 なぜかと言えば、目を覚ましたら知らない部屋にいて、目の前には包帯で顔の上半分をぐるぐる巻きにして隠した女の人と二人きりとか、少しでも相手のことを知っておかないと、不安で堪らないというものです。


「ああ、そうだね、名乗ろうか。

 私はクラウゼッツ・ザ・メルギスという。

 主に医者だな」


 お医者様でしたか……って、ザ・メルギス!?

 メルギスがどういう意味かは解りませんが、ザ・メルギスが意味するところは解ります。

 称号者。

 三人以上の王に偉大な行いを成したと認められたものに送られる称号を持つ人で、言ってしまえば昔話などの主人公として語られるようなお方です。

 メルギス、というのがどういう意味なのか、学のない私にはわかりません。

 ですが、目の前にいるこの人は、三人の王様に認められるほどのことを成し遂げた人なのです。

 恐らくきっと、生涯、出会うこともなかったであろう人が目の前に。


「どうかしたのかい?」


 驚きのあまり言葉もなく、ただただ見つめるばかりだった私は、その言葉に、はっと我に返ります。


「す、すみません。称号者の方とお会いするのは初めてでしたので、その……驚いてしまいました」


 隠すことなく正直に答えると、少し寂しげに―――いえ、寂しいとは違う、なんと言えばいいのでしょうか、後悔、とも違う、私では言い表せない、陰のある微笑みを浮かべて、えっと……メルギス様は言いました。


「そんな驚かれるほど立派なものではないよ。

 特に、私のものはね。

 なんせ、森を歩いてたら甘い木の実が腕の中に落ちてきたようなもんだからさ」


 その声は、まるで自らを馬鹿にするような、そんな響きがありました。

 三人もの王様に認めれるほど立派な人が、その栄誉そのものともいえるものに対して、なぜそんな風に思うのか。

 私には全くもってわかりませんが、立派な人には立派な人なりの、私程度には分からない難しい理由があるのでしょう。

 …………しかし何を言えばいいのか。

 今の会話が原因か、場の雰囲気は重く、会話が途切れたこともあって、何ともいえない静けさです。

 新しく話を始めようにも話題が思い浮かばず、何もいえずにいると、重い空気を打ち払うように、明るくメルギス様が言いました。


「私のことは解ったろう。

 次は、お前さんのことを教えてくれないかい?」


 そこではたと気がつきます。

 私、名乗っていませんでした。相手に名乗らせるだけ名乗らせて、自らが名乗らないなんて、奴隷云々以前の無礼です。

 人として最悪です。ここが……ここが村であれば、老人らのみならず、両親からもグチグチと叱られることとなったでしょう。


「私はクラーラと申します。

 それで……ええと、それで……あの………その…………」


 困りました。名前以外に言えることが思い浮かびません。

 いえ、ツキ様に買われた奴隷で、お屋敷でメイドをしながら勉強を教わっています、とか言えることはあるのですが、主人が奴隷に勉強を教えているとかご主人が変人扱いされそうですし、自らの主人の正確な名前を知らず、あだ名というか、略称? というのでしょうか、そういったもので覚えているとか、家の中で在ればともかく、外に出してはいけない気がするのです。

 案内してくれたお兄さん相手に口走ったりしているので、もう遅い気もするのですが。

 もごもごと言い淀んでいると、メルギス様がふっと息を吐いて言いました。

 

「ムツキの旦那に雇われたメイドだろう。

 旦那からじゃないがね、お前さんのことは聞いているよ」


 その言葉に、ぎょっと驚く私を見て……見て? いえ、うん? 見て? えっと包帯が……。

 えっと、驚く私を見たメルギス様は、他愛のない悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべています。

 包帯で両目を覆われている筈なのに、どうにも見られているという感じがなくなりません。

 私が気がついて居ないだけで、この部屋に他の誰かが居たりするのでしょうか? それはそれで不気味で怖いです。

 だって、隠れられる場所なんて私が居る寝台の下くらいしかありません。

 寝台の下に横たわり、ヒースヒースと息を殺して隠れる誰か……考えるだけで、うぇあ、という気分になります。

 しかし、メルギス様が言った、雇われたとはどういうことでしょう? 私は奴隷ですので買われたというのが正しいと思うのですが。

 ……外聞という奴でしょうか? 外には奴隷を買ったのではなく、身寄りのない若い娘を雇い入れたという風に言っているのかもしれません。

 首輪を付けていなければ、見た目からは判りませんしね。


「ご主人、様……のご友人のお方なのでしょうか?」


 ギリギリで様付けに成功しました。

 ご主人には、様を付けなくても良いと言われていますが、外で様を付けずに呼ぶのは拙い気がしたのです。

 あのメイドは主人に敬意を払っていないとか、メイドに軽んじられている程度の主人だとか言われて色々と問題になりそうですし。

 それとご主人を旦那と言うメルギス様を、ご主人の奥方と考えなかったのは、単に小屋敷で姿を見なかったからです。

 一週間以上、夫のところに帰らない妻は居ないでしょう。

 それに一目置いている相手や尊敬している相手に対して、旦那、という呼び方をしているのを村で見たことがありましたし。


「どちらかと言えば仲間かね、この世に旦那が来てからの付き合いさ。

 ところで、旦那に様付けしなくとも、私は別に咎めもしないし、気にもしないよ。

 どうせ旦那にもそう言われているんだろう、馴れたようにすればいいさ」


 言い慣れていないのがよく分かる、とメルギス様は笑います。

 見抜かれていました。

 流石は称号者、というよりは、ご主人の人柄をよく知っているのでしょう。

 しかし、この世に来てから、というのはどういう意味なのでしょうか?

 何か難しい本からの例えでしょうか? あ、もしかしたら生家が近かったのかもしれません。

 年齢は明らかにご主人の方が下ですし、幼いご主人の面倒を見てたりとかしてた関係なのかも。

 街ではどうか知りませんが、年長が近所の子供の面倒を見るなんて村では珍しくもないですし。

 あと、仲間というのが気になります。仲間……? 考えてもわからないので、いつかご主人に聞いてみましょう。

 たぶん、答えてくれると思いますので。


「では、普段通りにさせていただきます」


「ああ、そうしてやってくれ」


 ? 喜ばしげなメルギス様の言葉に、おかしさを感じました。

 なんと言うか、言い回しがおかしい気がしたのですが、まあ私の勘違いでしょう。

 お医者様で称号者なメルギス様が言い間違いをする筈もないですし、きっと私が知らないだけだと思います。


「―――あ、そうそう。夫から君に伝言だ」


 ふと思い出したように、メルギス様が言いました。

 伝言とは何でしょう。私はメルギス様の御亭主を知りませんし、お相手もそうでしょう。

 なのに伝言とは、一体……?


「お前さんをここまで運んだのが、私の夫でね。

 だから、夫はお前さんを知ってはいるんだ」


 首を傾げる私に、メルギス様が説明してくださいました。

 なるほど、私を運んでくださったのですね。それならば私は知らず、御亭主が知っているのも当然です。


「それは、その……お世話をおかけしまして……」


 深々と頭を下げました。

 ジンライさんから降りるのを手伝って下さった女性といい、この街には心優しい方が多いのですね。

 奴隷が暮らしやすい街、なんて素晴らしい。まさに奴隷楽園です。まあ私が奴隷と気づいていないだけなのかもしれませんが。

 ……とはいえ、メルギス様の御亭主なのですから、ご主人とも当然、顔見知りでしょう。

 とすると、メイド服を見て、ご主人の小屋敷で働いている人間と気づいてくれたのかもしれません。

 

「頭を上げておくれ、私は特に何もしていないからね。

 礼は夫と顔を合わせたときにでもいってやってくれ。

 旦那のところで働いてるなら、会うこともあるだろうからさ」


「は、はい!」


 言われて、勢いよく頭を上げます。

 その動きで、ぎしり、と寝台が軋みをあげました。

 べ、別に急な動きで寝台が音を立てただけで、私が重い訳じゃない……はず、です。

 

「それで夫からの伝言だがね。

『文書は確かに受け取った、諸々纏めて旦那に送るから、後は自由にしてくれ』とのことだよ」


 ………言われて、胸元を叩きます。

 揺れる胸。

 次にスカートの左右に付いた物入れ(ポケット)を叩きます。

 じゃらり、という固い何かが……たぶん、お金が擦れる音。

 そして体から血の気が、さっと引いたのがわかりました。

 軽い吐き気に体を折って口元を押さえると、その手は吹雪の夜に表に出た後のように震えています。

 頭の中に繰り返されるのは、窓口での女性の言葉でした。




 ――――鉱山での無期労働はちょっと




 無期、の意味はわかりませんが、あの文書を届け人以外に渡すと、鉱山での労働が課せられると言っていました。

 お役所に勤めていたあの女性は、首輪を付けていませんでしたし、少なくとも市民ではあるのでしょう。

 市民ですら鉱山送り……奴隷である私は、どれだけの刑罰を受けるのでしょう。

 望みを言うなら斬首が良いです。父のように……父のように? 父のように何でしょう?

 恐れからでしょうか、ぼんやりと、頭の中に薄霧が掛かったような感じがして、よく思い出せません。

 父は確りとした体付きをした人だったので、恐らくきっと労働奴隷行きでしょう。

 死んではいない、はず……。


「………なるほど、なるほど。

 余裕があるわけでもなかったか。

 だが、良い方向に働いてるなら現状維持でもいいだろうさ」


 ぶつぶつと、何事かをメルギス様が呟いているようでしたが、聞こえた言葉は風のように、耳を擦り抜けて行ってしまいます。

 どうしましょう、どうしましょう、どうしようもないのでしょう。

 そんな言葉ばかりが、頭の中をぐるぐると回っていたからです。

 ああ、ここに来て、私はどうしようもない失敗を―――――


「はっ、はっ、はっ、けふけふ」


 息が苦しい。

 なぜだか喉が引きつるような感じがして、乾いた咳が漏れました。


「大丈夫、落ち着くといい。

 まずは深く息を吸うことを意識して、息を吐いてばかりではいけない」


 いつの間にか側に来ていたメルギス様が、優しく背中をさすってくれます。

 子供の頃、風邪を引いた私の背中を撫でてくれた、母の手の平を思い出しました。


「あ、ふっ」


 そして言われた通りに息を吸い込みます。

 ああ、今の今まで気がつきませんでしたが、息を吐いてばかりいたようでした。

 それは苦しくもなるというものです。


「そう、それでいい。吸って、吸って、大きく吐く。

 自分が落ち着いたと思うまで繰り返しなさい」


 言われた通りに息を吸って吐いてを繰り返します。

 五度目で呼吸が整い、七度目で震えが、九度目でようやく吐き気が収まりました。

 最後に一度、大きく息を吸って吐いて、いつの間にか前のめりになっていた体を起こします。

 

「すみません。ご迷惑を……」


「気にすることはないさ。

 それに、謝るのは私の方だろう。

 すまないね、言葉が足りなかった」


 奴隷に謝るってどうなんでしょうね。

 いえ、先ほども、私のことを雇われたメイドと言っていましたし、単に私のことを奴隷と思っていないだけなのかもしれませんが。

 しかし言葉が足りないとは、いったいどういうことでしょう?


「周知の事実なものだから、省いてしまった。

 私の夫は街長の役職に就いていてね。

 私の夫が受け取ったということは、街長が受け取ったと言うことだ。

 だから安心なさいな、君は確かにお役目を果たしているからさ」


 メルギス様の言葉に、ぱちぱち、と瞼を開け閉めして、ようやく何を言われたのかを理解しました。

 階段から落っこちた私を、街長であるメルギス様の旦那様がここまで運んで下さり、その際に、私が持っていた書類を受け取っていった…………と言う事でしょう。


「私ったら凄い早とちりを……」


 凄いというか、酷い早とちりですが。

 以後は気をつけましょう。

 そうしないと将来的に、もっと酷い失敗をしてしまいそうですし。


「悪いのは事実関係を確り話さなかった私なんだが……。

 いや、それより少しは私を疑ったりしないのかい?」


 その言葉に私は首を傾げます。

 なぜ、疑ったりする必要があるのでしょうか?

 だって。


「メルギス様はお医者様なのですよね?」


「昔っからそうだな」


「だからです。

 お医者様は難しいことを仰いますが、人を騙したりはしないでしょう」


 お医者様はひたすらに難しいことを言いますが、人を騙したりはしないはずです。

 だってお医者様ですから。

 メルギス様も納得です、と思ったら、あれ、なんでしょう、生温かい目で見られている気がします。

 少し肩を落として、困ったように両方の眉の端を下げていました。

 昔、こんな感じの表情を見た気がします……えっと、何でしたっけ?

 あ、そうです。悪童ではないけど馬鹿な子供に常識を言って聞かせる年長の顔です。


「いいかい。この世には人を騙して利益を得ようとする輩や、人を騙すこと自体を目的とする者もいる。

 人の言うことを易々と信じてはいけない。

 その者の言葉が信じられるか、確りと考えてから行動しなければならないよ」


 ? メルギス様の言葉は今ひとつ理解できません。

 騙すこと自体を目的とする人がいると思えないのも在りますが、それ以上に。


「誰かを騙して何かを得ても、暮らしは立ち行かなくなるじゃないですか。

 直ぐに住んでる場所を追い出されることになりますし」


 騙して何かを得手も、それこそ村長の家族でもなければ、いえ、そうであったとしても、村に居場所はなくなります。

 最終的には村から追い出され、森の中で一人で暮らすか、或いは受け容れてくれる別の村を探すか。

 どちらであっても、非常に辛い日々が待っていることでしょう。


「それは全員が顔見知りって規模の村での常識さね。

 この街くらいになると、街の何処に誰が住んでいるなんて解らない。

 名前を偽って人を騙して、それがバレたとしても家を移すか、別の街に逃げればいい。

 何せ、街の人間は田畑を持っていない」


 その言葉にとても驚きましたが、同時に納得も出来ました。

 街のどこに誰が住んでいるか解らない程に街は大きく、全員が顔見知りにならないほどに多くの人が住んでいることに驚きを。

 そして、他人を騙しても逃げてしまえばいいということに納得を。

 ご先祖が切り開き、それを受け継いだ田畑や土地が在るからこそ、村人は村から離れようとは思わないのです。

 ですが、それがなければ身軽に、どこへだって行けるでしょう。

 あまりのことに、私は首をこくこくと縦に振るばかり。

 言葉が出ないとは、まさにこのことです。


「納得してくれたなら何よりだ。

 まあ、お前さんを騙そうなんて輩は、この街にはまずいないだろうがね」


 私の側から、元々座っていた椅子に移動しながらメルギス様は言いました。

 両目を覆っているというのに、不安のない、確かな足取りです。


「そう、なのですか?」


「ジンライに乗って来たろう。

 アイツが背中に乗せるのは、自分が許した人間か、旦那か私たちが頼んだ相手だけだからね。

 灰銀髪のメイドにゃ手を出すなって話が、質の悪い連中の中で駆け抜けているだろうさ」


 なんせ旦那は容赦がない、と改めて椅子に腰掛けながら、メルギス様は愉快げに言いました。

 銀……特に私の灰銀は、それだけで男性の求婚理由になるくらいに珍しいらしいので、その上でメイドとなれば、まあ滅多にいないでしょう。

 ……でも、私、売れ残ってたらしいんですよね。灰銀って珍しいだけで、実は価値がないんじゃないでしょうか。


「そうだったのですか」

 

 ご主人がジンライさんに乗っていけと言ったのは、私の身を守るためでもあったでしょう。

 奴隷ごときを、どうしてこうも大切にしてくれるのか、本当に解りません。

 別に、死んだら死んだで新しい人を買えば良いだけだと思うのです。

 小屋敷や生活からするに、奴隷の一人や二人なら簡単に変えてしまうようなお金持ちなのは確かですし。


「だが、お前さんが旦那に関わりのある人間だと理解した上で悪巧みする輩もいる。

 旦那ならどうとでも出来るだろうが、お前さんはそうもいかんだろう。

 だから、それだけは心得ておいてくれ」


 案じるような声が胸に染み入ります。

 この街に、いえ、ご主人に買われてから、こういうことばかりで、自分の立場すら忘れてしまいそう。


「はい。

 重ね重ねのご忠告、ありがとうございます」


 深く深く頭を下げて、お礼を告げます。


「大したことは言っていないが、ありがたく貰い受けるよ。

 ああ、ところで」


 なんでしょう、と顔を上げると、メルギス様はとんでもないことを言いました。


「お前さん、魔法を使えるようになりたくないかい?」


 はい?


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