2-1 はじめてのおつかい
四ヶ月放置と出たので、一部投下。
9/22誤字修正。
投稿前になぜ気がつかないのか。
遠くからは聞き慣れない夜鳥の歌声。
机の上に置いたランプの揺らぐ明かりと、窓から差し込む月明かりを頼りにして、真っ白な紙へと、ひたすらに文字を書き連ねていきます。
「あ、べ、か、で―――」
一文字一文字を声に出しながら、時に手元に置いた、ご主人手製の見本で間違いがないか確認しつつ、文字を書き続けます。
自分の名前を教わった数日後のこと。
完璧に自分の名前を書けるようになった私は、ご主人から新たに文字を教わりました。
41文字からなり、特定の並べ方をすることで単語を作り、単語を連ねることで文章を作るもの。
ご主人は、これを文章を作る上での最小単位と言っていましたが……、単位って何でしょう?
とにかく、私は最初、これを簡単だと思いました。
ええ、思ったのです。
並び方などを覚えていくのではなく、ただ形を覚えていくだけなんて簡単だ………そう、思ったのです。
ですが、同じような形をしていて、斜め線が一本入っていたり、最後のところを丸めたり、はねたりと、似たような形をした別のものが幾つかあって、それを取り違えてしまう為に、一週間たっても未だに完璧に覚えたとは言えません。
今の私は奴隷であり、メイドです。畑を耕したりする立場にはありません。
なので、もういっそのこと勉強の神様にでも乗り換えましょうか。
勉強の神様の名前も、そもそもいるのかどうかすら知りませんが、自分の行う物事を司る神様を信じるのが普通だそうですし。
勉強をしている私は、勉強の神様に祈りを捧げたりするのが正しい気がするのです。
「りぃ、うぇず―――」
声に出しながら、かりこりかりこり。
羽ペンが書けなくなってきたら、インクに浸してかりこりかりこり。
そうして、文字の書き取りが三週目にさしかかった時でした。
――――こんこん、と扉をたたく音がしたのは。
こんな時間に誰、とは思いません。
このお屋敷には、私とご主人以外には住んでいないのですから。
そんなことを考えながら、羽ペンをインクを拭う為の布きれの上に置いて立ち上がると、再び扉を叩く音がします。
「――はい。今、開けます」
振り向きながら扉に向かって声をかけます。
しかし、こんな夜遅くになにごとでしょう。
急なお仕事でしょうか?
首を傾げながら扉を開けると、そこには絹と思われる寝間着を着て、横長の毛布を肩に掛けたご主人が立っていました。
「夜分遅くにすまんな」
ご主人は、すまなげに言って、軽く頭を下げました。
軽くとはいえ、奴隷に頭を下げる主人、ありえない。
とはいえ、買い上げられて一ヶ月もたてば、流石に馴れます。
何にって、ご主人の有り得ない態度とか対応とかに。
「いえ、お気になさらず。
それで何の御用でしょう」
「明日なんだが、街の役場に届け物をしてほしい。
仕事が溜まっていてな、行けそうになくてな」
街…………といえば、道は石畳でできてきて、レンガ作りの家が所狭しと立ち並び、多くの人が行き交う場所、でしたか。
話にはよく聞きますが、行ったことはありません。
どのような場所か、とても気になるのですが、今はそれよりも聞くべきものがあります。
まず、役場とは何でしょう、とご主人に聞きました。
「役人たちの仕事場だな。
街や近隣に住む住人と公的なやり取りをする場所だと思えばいい」
「はぁ……」
今一つ説明の内容が理解できず、抜けたような返事をしてしまいます。
公的なやり取りというものが、どのようなものなのか解りませんが、要するにお役人様と何らかのやり取りをする場所であるようでした。
……これは、ご主人の代わりに税を納めに行け、ということでした。
お役人様とのやり取りで思い浮かぶのは、それくらいしかありません。
数人の兵隊さんを連れた馬車に乗って村に来ると、豊作であれば普段よりも一回り多く、不作であっても普段と変わらない量を持っていく。
そんな仕事をする人たちだと覚えています。
ただ、税の支払いは半年に一度ーーー春の終わりと秋の終わりに一回ずつで、少し暑いですが今は春の半ばくらいのはずなので、時期的におかしい気もします。
戦争や山賊討伐のための臨時徴収でしょうか…………とまで考えて、自分が原因だと気がつきました。
正直、全く関係がないと思っていたのですが、奴隷には別口で税がかかるらしいのです。
昔、税の取り立てに来たお役人様が、村長に奴隷を買ったりしていないか、と問いただしているのを目にしたことがありました。
詳しい内容は解りませんが、その時は奴隷一人につき幾らかの税がかかるとか、届け出をしなければならないとか言っていた気がします。
なので、恐らくは奴隷に関する届け出を、奴隷である私が届けに行く、ということですね。
「基本的に一本道だし、行きには案内を付けるから道に迷うことはないだろう」
「失礼ですが、その案内をしてくれるという方に届けて頂いた方が早いのでは?」
当然といえば当然な私の問いかけに、珍しくご主人はいたずらっ子のような、それでいて困ったような笑みを小さく浮かべて言いました。
「それだと相手方に余計な手間をかけさせることになるからな。
余裕がある時には使わない」
ご主人の言い分は、今一つ解りません。
余裕があるときは使わず、更には相手に余計な手間をかけさせる。
一体、どういうことでしょう?
首を傾げていると、ほんの少しですが、ご主人の笑みが深くなりました。
お年寄りが物事を知らない子供を見守っているような、そんな穏やかさと柔らかさが一緒になったような顔です。
……見た目からするに、私と同年代か年下のようなのに、そんな目で見られるのは何だかもやっとするものがあります。
「それで明日だが、届け物をすませたら後は休みにしていい」
お休み! やった。早く終わらせて帰って寝よう。
あ、いえ、せっかく街へ行くのですから一日歩き回るのもいいかもしれません。
街がどんな場所なのか、私、気になるところでもありまうし。
「少し早いが、今日までの給金を出す。
必用なものを買うといいだろう」
「え、お給金、貰えるのですか?」
「少し早いが入り用だろう。
安心しろ、色も付ける」
お金に色が付くと何か変わるのでしょうか。
綺麗になって価値があがるとか?
さっきとは反対側に首を傾けますが、答えはでません。
「勉強中に邪魔をしたな。
熱心なのはいいが、夜更かしはしすぎるなよ、目と体に障る」
私の肩越しに―――恐らくは紙と羽ペンが置かれた机に目を向けて、ご主人は背を向けます。
私はその背中に、おやすみなさいませ、と一礼して見送りました。
*
そうして日が昇りに昇って昼前です。
廊下の掃き掃除をしていたところ、ご主人に街へ出かける準備をしろと言われたので、いったん部屋へ戻り、身だしなみを整えて前庭へと足を運びます。
がちゃり、と玄関扉をあけると、玄関前に立っていたご主人が、こちらへと振り返りました。
手には筒状に丸められた紙と羊皮紙が一枚ずつ。
恐らく、あの二つが届け物でしょう。
「なんで、メイド服?」
「これ以外の服を持っていませんので……」
なんか間の抜けた、というか、飽きれたというか、予想外のことに素が出てしまったというような、そんなご主人の言葉にそう答えました。
このメイド服以外には、新たに頂いた換えのメイド服が一着あるだけなので、街へ出かけるのにメイド服が駄目となると、出かけるのに着ていく服がありません。
お使いに行く服がない……昔はお下がりとはいえ、それなりに持っていたのですけどね。
お気に入りの服も、家とともに焼けてしまったでしょうけれど。
ちなみに言うまでもないかもしれませんが、私が今着ているメイド服のほうが、昔着ていた服よりも遙かに上等です。
「ワンピースがあったろう」
「借り物を着ていくわけにはいきません」
仕事やら勉強やらに追われていたというのもありますが、どうにも話を切り出す機会がなく、今も私の部屋の洋服棚の中にしまってあります。
いや、独身でお年頃であろう男性に女物の服を返す時に、なんて言い出せばいいのか解らなかったのです。
「やったつもりだったんだがな。
なら、あれはくれてやる。好きにするといい。
何なら今から着替えてきても構わんぞ」
…………は?
あれ、間違いなく高級品なのですが。
恐らく、あのワンピース一着で一月は食うに困らないくらいの。
全くご主人はなにを言っているのでしょう。奴隷にそんな服を与えるなんて、なにを考えているのですか。
訳が分かりません。意味がわかりません。
「古着が嫌だというなら、洋服棚の肥やしに戻すが」
いえ、特に古着とかは気にしません。
村にいた頃は祖父や祖母のお下がりや、近所の方と着なくなったものを交換して、服を手直しして着るのは普通のことでしたので。
「い、いえ、ありがたく頂きます。
ただ、今は着替えたりするのも時間がもったいないですから。
案内の方を待たせてもいけませんし」
そうか、とご主人は頷きました。
ここで、ご主人をお待たせするわけにはいきません、とか言ったら、構わないから着替えてこいという答えが返ってきたでしょう。
ご主人は、そういうお人です。さして長くない付き合いですが、その程度は分かります。
「ところで、その、案内をしてくださるのはどのような方なのでしょう?」
「いい奴だ。細やかなことに気が利いてな、よくよく助けられてる」
細かな事に気が利く、いい人、ですか。投げやりなのか、それともまじめな答えなのか、どっちでしょう?
むむむ、と悩む私を後目に、ご主人は門へと顔を向けました。
釣られるようにして、私も門へと顔を向けます。
門は開け放たれている……というより、扉がありません。
門柱が二つ佇んでいるだけです。
泥棒とか大丈夫なんでしょうか。強盗夜盗が押し入り放題な気がします。
「来たか」
「…………え?」
ご主人の言葉からするに、待ち人が現れたのでしょう。
それは緩やかな、しかししっかりとした足取りで門の柱の間を抜けてまっすぐにこちらへとやってきます。
「……………………え?」
しかし私としては訳が分かりません。
目をご主人と、来た方とをいったりきたりさせますが、訳が分からないです。
いや、なにが来るのか分かるのですが、なんでそれを待っていたかのように言うのか。
それはもはや足音が聞こえる所まで来ています。
目を凝らしますが、何一つとして新しいものは見つかりません。
見間違いや見落としは無いようでした。
ぱからぱから。耳に聞こえる小気味良い足音。
その足音の持ち主は、私とご主人の目の前で足を止め、ご主人の胸へと、縦長の顔をすり付けました。
――――――はい、馬です。
その背中に誰も乗っけてない。馬です。
大きな、騎士様が乗っていたものよりも一回り大きく、足首を覆うような毛が生えた、青白い肌のお馬さんです。
案内……人?
「呼び立ててすまない。
片道で構わないから、この娘を街の役場まで案内してくれるか?」
白いタテガミを優しく撫でながらご主人が言うと、その馬は確かに頷きました。
このお馬さん、まさか人の言葉を理解している!?
初めて知りました!
馬って人の言葉を理解しているんですね!!
「というわけでだ、街までの案内はこいつが請け負ってくれる。
二人とも自己紹介をしておけ」
お馬さんに自己紹介? とも思いましたが、人間の言葉を理解できるのなら、それも無駄ではないでしょう。
「クラーラと言います。初めまして」
そう言うと、お馬さんは頷きました。
あ、やっぱり理解してる。私も遅れながら、頭を小さく下げます。
すると、バチン、と足下で何かが弾けるような音。
「ひゃんっ!?」
決して大きくは無いですが、聞きなれない音に驚いて、跳ねるように後ろへと下がります。
「な、なに、何事です?」
恐る恐る音のした場所を見ると、先ほどまで私が立っていた場所から一歩先の石畳に、所々から黒い煙を立てた、焼き印を思わせる文字が刻まれていました。
…………え、文字?
さらに、その文字の下に、バチンッバチンッ、という音と共に光が弾け、文字を記していきます。
な、なにが起こっているのです!?
訳の分からない、この出来事を前にして、腰を抜かさない自分をほめてあげたい。
「これはこれはお嬢さん。丁寧にありがとう。
私はジンライという。
片道だけだが、今日はよろしくお願いするよ。
………そう言っている」
眉と眉の間に皺を寄せて、難しい表情を浮かべたご主人が、特に動じる事もなく言いました。
信じられないことに、このような出来事を前にして、ご主人は全く驚いていないのです。
「えっと、えっと?」
しかしご主人が動じずとも、私はそうはいきません。
まずはなにを言っているのか、なにが起こったのか、聞こうと思うのですが、うまく言葉がでてきません。
「ジンライは雷の魔法を使う幻獣でな。
声帯の関係で言葉は話せんが、魔法を使って文字を書いて会話ができる」
幻獣…………大まかにですが、どんなものかは知っています。
曰くにして、魔法を用いる獣。
人に味方することもあれば、敵になることもある。
私が聞いた物語などでも、敵か味方かは半々くらいでした。
……そういえば、喋る幻獣というのは、物語の中にでてくることは滅多にありませんでした。
声帯が何なのかはわかりませんが、ジンライさんは、喋れない幻獣なのでしょう。
しかし、文字での会話ができるのなら、特に問題も……おおありでした。
私はまだ、文字が読めないのです。
もしかしなくとも、私、幻獣であるとはいえ馬より頭が悪い!?
う ま い か の が く り ょ く ! ?
余りのことに何か言おうとしても言えず、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしていると、ご主人は、どこか厳しさを含んだ声で、ジンライさんに語りかけました。
「ところでジンライ」
何だね、と言いそうな仕草でジンライさんが、ご主人に顔を向けます。
「この焼け焦げた石畳、誰が修理すると思う?」
ご主人が言い終わるのが早いか、ジンライさんが凄まじい勢いで背後に振り返って走り出しました。
瞬きの間に門柱まで到達し…………その足を止めると、こちらへ向き直り、しょんぼりとうなだれながら戻ってきます。
そして、その背には何時の間にやらご主人が。
パチパチと何度か目を開いて閉じてを繰り返しますが、見間違いではありません。
その背には確かにご主人が跨っています。
「い、いつ間に背中に乗ったんですか?」
「速度が出る前に飛び乗った」
戻ってきたジンライさんから、ひらりと飛び降りながら、ご主人は言いました。
あり得ない。森の動物もびっくりな行動です。
ああ、そういえば西の方には、走ってる馬に乗っている人に飛びかかり、そのまま地面に引きずり落とす肉食の獣がいると聞いたことがあります。
確かラガート(トラ)でしたっけ? ニャーニャ(ネコ)を大きくした感じのらしいです。
「自己紹介をしろと言ったのは俺だから責めはしないが、次からは脇の土にでも書いてくれ」
ジンライさんが頷きました。
ちなみに、石畳の道の左右には、道と草原のようになった前庭に挟まれるようにして、むき出しの土が拳二つ分くらいの広さで延びています。
「それと、これを渡しておく。
好きに使っていいが無駄遣いは控えるように」
振り返ったご主人は、懐から取り出した小袋を私に差し出しながら言いました。
これが昨夜言っていた、私のお給金でしょう。
ありがたく受け取ります。
「あれ、重い」
「色を付けておいたからな」
お金は色が付くと重くなるんですね。
いえ、お金は重くなると色が変わるのかもしれません。
ああ、それで価値が上がるわけですか。なるほど。
「ありがとうございます」
ご主人は頷くと、今度は手にしていた羊皮紙と紙を私へと差し出します。
「これをお届けすればよろしいのですよね?」
受け取りながらご主人に聞くと、そうだ、と答えが帰ってきました。
「それほど重要という訳ではないが、無くさないように」
そんな重要な物を持たされても困ります。
主人が用意したお役人様に渡す書類と、奴隷の命、どっちが重いかなんて言うまでもありません。
間違いなく私の命の方が軽いので、絶対に無くさないようにしないといけません。
「はい、分かりました」
しっかりと、お辞儀をするように深く頭を下げて、それからジンライさんに声をかけます。
「それでは街までの案内、よろしくお願いしますね」
そして私は歩き出しました。
だいたい、街までどれくらいの時間が―――
「まて、なぜ、歩く」
止めるようなご主人の言葉に、足を止めて振り返ります。
なんでしょう、このいい気分が、ぽっきりと折れてしまった感。
「なぜって、なぜ?」
答えられない。難しい、人はなぜ歩くのか。そこに道があるから…………は違いますね。
街へ行くのに歩かなければ、たどり着きませんし。
困ったのでジンライさんに目を向けると、ジンライさんも困ったように首を捻っています。かわいい。
しかし困りますよね? なぜ歩くのか質問されても。
「街へ行こうとしたのですが」
あるがままに答えることにします。
いや、だって。街へ行くのに歩く以外の術があるというのでしょうか?
「いや、ジンライに乗っていけよ」
え、いや、私、馬に乗った事なんてありませんし。
そもそも馬に乗るのは、騎士様や貴族様くらいのものです。
後は牛車ではなく、馬車に乗った行商人さんくらいのものでしょう。
仲間を得ようとジンライさんへ目を向けると、ご主人の言葉に頷いています。
あ、さっき首を捻っていたのは、私があなたに乗らないことに対してでしたか。
「私、馬に乗ったことないので乗り方がわかりません」
それに、戦場帰りのおじさんからは、落馬したら大抵は死ぬと聞いています。
私はまだ乗り(シニ)たくありません。
不安が顔に出ていたのか、ご主人が諭すような、安心させるような口調で言いました。
「人を乗せるような馬は、基本的に乗った人間を落とさないように歩いてくれる。
普通に移動するだけなら、振り落とされるなんてまずないから安心しろ」
馬、凄い。
そもそも私よりも頭が良いのですから、背中に乗せた人を落とさないように歩くなんて簡単なことなのかもしれません。
でも。
「鞍でしたっけ? あの背中に乗っけてるのがないのですが………」
「遠出するわけじゃないんだ、付けるまでもない」
街は近い位置にあるようです。
しかし鞍―――でいいのですよね?―――がないと、背中に乗ることができない気がします。
だって、確か鞍には足を引っかける輪のような足場があり、それを使わないと、背中の位置が高くて、とてもではありませんが、背中に乗ることはできません。
よじ登るにしても、ジンライさんの背中は、私の頭より高い位置にあるので、難しい気がします。
なので、どうやって乗ればいいのか聞くと……うん、ありえない返事が来ました。
「しゃがむから、俺の膝と肩を階段代わりにしてのればいい」
「歩きます」
ないです。ご主人の言葉があり得ないです。自分から奴隷の足場になるとかなにを考えているのでしょう。
これ、私に無礼を働かせて、首を跳ねようという遠回しな嫌がらせでしょうか。
もしくは、女性に踏まれるのが好きとか?
ご主人が、どうした、と問いかけるように首を傾げます。
なにが悪いのか分からない、というより、なにが悪いのか分かっていないという風に。
ご主人って、もしかして天然なのでしょうか。
そこまで考えて、違うな、と思いました。
恐らく、私とご主人では常識が違うのです。
「ジンライ、座って乗せて立てるか?」
私のお断りな姿勢に、埒があかないと思ったのか、ご主人はジンライさんに、そう言いました。
ご主人の言葉に、ジンライさんが頷いて、地面に座ります。
座っても大きいです、というか、馬って座るんですね。始めて見ました。
私が感動していると、ご主人が目で乗るように促してきます。
うぅ、乗らねばならないのですね。ここまで来ては断れません。
人生、初の馬乗りと参りましょう。
「よ、っこい、せっ………と」
スカートがめくれたりしないように注意して、ジンライさんをよじ登って、その背中に跨ります。
目の位置が高い。ジンライさんは座っているというのに、私が立っているときよりも目の位置が高くなるって、どれだけ大きいのんですか。
「タテガミに捕まるか首に抱きつくかしておけ、立ち上がる時は流石に揺れるぞ」
この高さなら転がり落ちても死にはしないでしょうが、放り投げられたら怪我くらいはしそうでしたので、慌てて首に抱きつきました。
ジンライさんのタテガミが頬と首筋を撫でて、くすぐったさを感じます。
いや、も馬のタテガミってゴワゴワしてると思っていたのですが、凄くサラサラなんですね、なんて考えていると、ジンライさんが立ち上がりました。
かなりの揺れです。確り掴まってなければ振り落とされていたでしょう。
「っ!?」
そして―――息を飲みました。高い! こんな高いの初めて!
いや、ちょっと高すぎです。怖いです。なにこれ。
二階の窓から見下ろした時には感じなかった恐怖。
ガラスと壁のありがたみが痛いほどに分かります。
なんというか、生身のままで、本来あり得ない高さに目があるということ、そして両足が地面についていないというのが、どうしようもなく不安を煽ります。
ところで、これ、降りるときはどうすればいいんでしょうう?
「中々さまになっているな」
私が困っていると、どこか楽しげなご主人の声。
そちらに目を向けると、心なし楽しげなご主人の姿がありました。
笑みを浮かべているわけではありません。
口元が緩んでいるわけでもありません。
ただ何処となく楽しげな佇まいで、そんな風でいるのが、何となく意外に思えたのです。
普段……いえ、初めてあった時から、表情を動かさないから、そう思えたのでしょうか。
「では、頼ん…………なんだ、ジンライ」
ジンライさんがご主人へと向き直り、何かをしたようでした。
足下はジンライさんと自分の足などが邪魔で見えないのですが、かつかつ、という音からするに、前足で石畳を叩いているようでした。
「さっきの続きだ」
ご主人が地面へと目を向けたところからするに、石畳に刻まれた文章の続きを読んでくれるのでしょう。
「随分と見違えた、元気になったようでなによりだ」
―――――――――――――――。
ジンライさんは納得したかのように頷くと、振り返って歩き出しました。
かぱらかぱら、という足音に混じって、背後から、頼んだぞ、気をつけてな、というご主人の声が聞こえます。
私は、その言葉に、背後から分かるように頭を下げながら、初めてこのお屋敷に来た時のことを思い出していました。
馬車を引いていた、青白い肌の馬。
ああ、確かに。馬車を牽いていたのは彼でした。
胸の奥に感じる暖かさ―――これは一体、何なのでしょう。
続きは二ヶ月後くらい?