闇の中の斬り合い
午後十時現在、第一班。
ここに勇のクラスの担任、久賀栄一がいる。
基本、一班四人と教師一人で組まれるが、この班は三人だけ。
エリートの二人だけだ。
一人は学年近距離部門一位の、よく問題を起こす市莉希咲で、もう一人は学年遠距離部門一位の木戸仁。
そもそも天才この二人に教師のサポートがいるのかすら疑問に思えてくる。
現在地は深い森の中。いきなり飛ばされたため、どこにいるかは分からない。
「本当にこんな場所に強い魔人なんているんでしょうか?」
眼鏡を掛けた、人相のいい仁が尋ねる。
「さあな。今回は特別らしい。気ぃ引き締めとけよ」
一応、教師らしいことは言っておく。「はい」と歯切れよく返事をすると、すぐに進行方向に目をやり、周りに気を配る。
よくできた生徒だ。対して希咲は
「晩御飯……」
グダグダと、魔言のように延々と呟いている。自分も含め、二人とも無視しているが。
ちなみに、夕食は食べていない。
「そろそろ食べるか。携帯食料はあったろ」
この狩りは本当に特別で、報酬金はいつもと比べ物にならず、サポートも今までとは段違いだ。
とはいえ、食料などが増えただけで、元々サポートなどなかったのだが。
この支給品の数を考えると、大人の狩りと同じくらいだ。
不安を覚えないわけがなかった。
栄一が背負っていたリュックから簡単なパンを取り出し、振り返った二人に投げる。二人とも、しっかりと受け止める。
「……これ、不味いんですよね」
希咲が不満の表情を隠さずに聞く、と同時にパンに齧り付いた。
その後、眉を歪ませる。
「分かったろ」
栄一はそれだけ言うと、木の根に腰を下ろした。続いて仁も座る。
手に持っている小型ライトの電源を消し、黙々と、味のない空腹を満たすだけの食料を食べ進める。
「狩りの対象って、魔人ですよね?」
いきなり仁が口を開く。
「この島で出会った魔人は全員捕獲じゃなくて殺れって……その割には一人もいないじゃないですか。なんか、変じゃないですか?」
「気にするな。俺も詳しいことは分からん。上の判断に任せときゃいいんだよ」
と、全員が食べ終えたところで立ち上がる。
「そろそろ行くぞ。魔力を近くに感じるだろ? 相手から近付いて来てくれたのかも知れん。戦闘準備しとけよ」
適当に話を逸らし、歩き始める。
栄一も、気付いていた。気付かないわけがない。
他の班が違う狩場に飛ばされ、一班だけがここで、狩りのレベルも違う。
怪しく思わない方がおかしい。しかし、疑ったところでどうしようもなかった。
生徒を不安にさせてはいけないし、狩りに乱れが生じてもいけない。
この件は、後で考えることにしたほうが、身のためだ。
「……ん」
立ち止まり、二人の前を腕で遮る。
「来ますか」
疑問というより確認に近い言葉と同時に、仁はどこからか取り出した魔銃を構える。
魔銃は、魔術を元の作った銃で、大きさは肩幅と同じくらい。細長く、扱いづらい、両手銃だ。
希咲も、もう既に太刀を片手に握っている。先程までの表情は、微塵もない。
心配する必要も、警告する必要もなかった。
「発砲許可、お願いします」
「撃て」
もう敵の姿を捉えたのか、仁が低い声で尋ねる。
栄一が即答した後、銃口が火を吹いた。文字通り、火だ。
丸く、小さく圧縮された球は一直線に闇を切り裂き、標的に飛んでいく。
やがて、仁が苦々しい表情で
「……外しました。最射撃、実行しますか?」
と言う。
学年一位射撃魔術師が外すとは……内心、驚きながらも
「止めとけ。これじゃあ、無理だ」
もうバレているだろうが、だからといって無駄火炎弾を何度も撃つのは馬鹿に等しい。
敵にこちらの位置を教えるだけだ。ただでさえ、闇の中での火は目立つ。
それに、一発一発、確実に魔力を消費する。
魔力が回復するには、少し時間が掛かる。走る時に使うスタミナのようなものだ。
戦場でのんびり休憩できるはずもなく、無駄弾は避けたい。
「敵が突っ込んで来たら市莉、お前が止めろ。その隙に木戸、お前を火炎弾だ」
「分かりました」
仁の返事はあったが、希咲はない。
だが話は聞いていたようで、一歩前へ出る。
栄一は逆に二人の後ろに下がり、いつでも出れるように準備しておく。教師なので、サポート以上のことはしない。
「……くッ!」
苦悶の声とともに、人型の生き物が飛び出してきた。光は消したので顔は分からない。
恐らく、仁達と同じくらいの年だろう。
右手に黒い刀を持ち、黒い瞳の男。
ものすごい勢いで突っ込んできた少年は、希咲を目掛けて高速の突きを繰り出す。
希咲はそれを太刀を使うまでもないと判断したのか、身体を軽く反らす。
だが、甘い。少年の刀は軌道を変え、希咲の太刀に当たり、弾き飛ばす。
さらに一瞬の戸惑いの隙を生んだ希咲に一発、腹に蹴りを入れる。
希咲の軽い身体は簡単に吹っ飛び、栄一の後方で落下音が響いた。
明らかに人間技ではない。
……なぜ刀を使わなかった。
そんな疑問は胸中に押し込む。今はそんなことより、生徒の安全を守るほうが先だ。
もう既に食らっているが、あれくらいで死ぬようでは、学年一位は務まらない。
希咲は放置し、残った仁に視線を向ける。
仁と少年は、一定の距離を保ったまま、動かない。
仁が撃ち、かわされればあの刀を喰らう、少年が斬り掛かると火炎弾を喰らう可能性が高まるという状態なので、どちらか先に力尽きたほうが負け。
少年ほうが逃げるという選択技があるため、多少有利だが。
しかし、どちらも動くことはない。
後ろで倒れていたはずの希咲が栄一の横を通り過ぎ、一直線に少年へと向かっていく。
太刀は手にしっかりと握られ、勢いに任せ、大太刀を振るう。
一対一の斬り合いでは、短い刀のほうが有利。
少年が持っているのは片手でも持てる、希咲の太刀よりも少し短い刀。
最初の一撃をかわされずに喰らわせれば、勝てる、そういう考えだろう。
やるなら強く、だから助走をとった。
外れれば、負けは確定。栄一はいつでも飛び込んでいけるように身構えた。
希咲は少年に何のフェイントもない、高速の太刀を少年の頭に振り下ろす。
恐らく、彼女最速の太刀だろう。同年代の人間ならまず避けられない。
それをかわさず、いとも簡単受け止めた。刀の峰をもう片方の手で支え、両手で受け止める。
バランスを崩した様子もなく、逆に受け止めた太刀を弾き、希咲の体勢を崩した。
そして、希咲を斬るべく、刀を振りあげる。
直後に銃声。仁が火炎弾を放ったのだろう。
その時にはもう少年の姿はなく、炎弾は少年の立っていた場所を過ぎ、木に命中した。
希咲は崩された態勢を戻そうとしたが、身体に力が入らなかったようで、そのまま地面に倒れる。
少しの静寂。
木がパチパチと燃える音だけが場に響く。
「終わりだな。気配が消えた。仁、火を消せ。希咲、大丈夫か?」
荒く呼吸をする仁に後始末を任せ、希咲の元に向かう。
返事はなく、ただ仰向けに寝転がっていた。
「おい……?」
肩を叩くと、ビクリと反応する。
驚いた、のか。
正面から近付いて、気付かないということは、考えごとでもしていたのだろう。
何のことかはすぐに分かった。
希咲の顔は無表情だったが、身体は正直だ。
小刻みに震え、触れているだけでもすぐに分かる。
これは、ほっておいたほうがよさそうだ。
栄一はリュックから寝袋を取り出し、希咲の横に置いた。
その後、消火を終えた仁にも渡す。
「今日はもう寝るぞ。後二日もあるんだからな」
焦る必要はない、と後で付け加えた。
✽✽✽
とある薄暗い部屋、ガラス張りの机にグラスを並べながら、二人は話していた。
革のソファーに律儀に座り、赤ワインを口に含む。場違いの、純白のドレスに身を包んだ彼女の名はない。
もう一人は、気品な雰囲気を漂わせる、老紳士。
黒のスーツで整え、黒のシルクハットを頭に被っている。
それのせいで、顔半分は隠れ、上半分の顔は見えなくなっている。
「計画は順調ですか?」
シルクハットを被った老紳士が、ワイングラスを片手に聞く。
「はい、二つのグループが衝突したことを除けば、順調に進んでおります」
無表情で彼女は返答する。
「ふふふ……そうか。まだ衝突するには早いな。まあ、いい。実験の準備は整ったのかね?」
「はい、実験体Aなら、先程、地上降り立ちました」
ふふふ、と再び笑い、老紳士はゆっくりと立ち上がる。
「いいだろう。そのまま続けたまえ」
簡単な会話が終わった後、老紳士は黒い霧となり、姿を消した。
一人取り残された彼女は、テーブルの上に置かれたグラスを手に持つと、部屋から出ていった。
✽✽✽
「ありえない……」
朝、勇は切り株の上に座りながら呟いた。
「え?」
横で何かをガチャガチャと弄っていた日向が、その独り言に反応する。
「いや、だって……今朝だよね」
「うん」
「魔人、結局逃げられたよね」
「うん」
「関係ないけどお腹空かないの?」
「うん」
「そう……」
空腹で、歩くことすらしたくない。
夜、何かの爆音が聞こえ、目を覚ましたのが運の尽き。いや、経験上目を覚まさないと死ぬと直感的に感じたのだが。
周りを見張りに行くと、魔人か何かに遭遇した。
多分、人間だろう。斬りかかってしまったのは、突然のことで驚いたから。
冷静になるまで、少し時間が掛かった。
「魔人かもしれなかったのに、どうしてあの時斬らなかったの?」
木の上でアルが言う。木が好きだな。
「蹴るしか方法がなかったじゃん。後何ポイントあるか確認してみなよ」
するとアルは納得のいったように
「ああ、十五ポイントね」
と呟いた。
「大体、あんな大ダメージ受けた時点で、ポイント残量考えておくべきだったんだ。これじゃあ後三回くらいしか刀振れないよ」
「え、と。何の話?」
「こっちの話だよ」
はぁ……と大きく溜息を吐く。
少し戸惑いながらもガチャガチャする日向はさておき、勇は次の問題に思考を移す。
食料の確保。
今最優先すべきは、それだ。
こんな森の中に食料があるとはとても思えないが。
食料が必要なのは、今のところ自分だけ。我慢はできない。
「なんかないかなぁ……」
息のように言葉を吐き出し、後ろに倒れる。
切り株から身体を移動させ、身を草原に落とす。
「日向はなにやってんの?」
「ん……こっちの話」
「ああそう」
地面で弄っていたものがいつの間にか消え、キョロキョロと辺りを見回しているので、仲間でも探しているのかと思ったが、それは無さそうだ。
この子の性格からして、嘘は付けないだろうし。
そんなことはどうでもいい。早く食料調達の手段を探さねば。
……そんな手段、あるわけない。
「……はぁ」
結局、またため息を吐く。
「そんなにため息ばっかり吐いてたら幸せ逃げるよ」
頭の位置から鈴の音のような声。
アルだ。いつの間に下りたのやら。
「俺にあるのは不幸だけで、幸せなんてないよ」
幸せが何なのかも知らない。
「まあ、そうだね」
短い前足でポンポンと慰めるように勇の頭を叩く。
「それでもここまで頑張ってこれたんだよね。偉い子偉い子」
「止めといて」
苦笑いしながら、少し軽い口調でアルの背に手をやり、軽く撫でる。
ふと、周りを見回していた日向と目が合うと、すぐに目を逸らした。
会ったばかりの時とあまり変わらないので、気にしない。
少しは仲良くなったかと思っていた時にやられると、少し傷付いたりもする。
「今の勇みたいに、撫でて欲しいんじゃないの? 多分、暗い人生送ってるでしょ。あの子」
「そんなわけないよ。君一応猫だからね。それより、何か食べ物ない?」
冗談めかして言うアルの好きな話題を変更し、今一番重要なことをアルに聞く。
「ああ、それならあの子が知ってるんじゃない?」
この場には三人。あの子とは、一人しかいない。
「ねえ」
会話を聞いていたのか、勇の言葉に顔を向こうに向けたまま「あるよ」と答える日向。
「どこ?」
クイクイと手招き。付いて来いということだろう。
歩き出した日向の背中を少し早めのペースで追う。
今日も、天気はいい。
「ここだよ」
日向が止まった家の前。
慣れ親しんだ、風化した、家の前。