深い森の中
「……まだ何も教えてもらってないよね?」
勇が口を開いたのは、脳が再起動した五秒後。横にいる魔人に聞く。
「え? 言ってたよ。あの、この森のどこかにいるやつを狩れって」
魔人とは到底思えないような、高い声で答える。
この森の中から探せ、と。どうやって?
方位磁石もない、地図もない、懐中電灯もない、食べ物もない、飲み物もない。
状況は、山で遭難した時と大差なかった。いや、もっと酷い。
「とりあえず、歩きましょ」
と、頭の上で言うのはアル。
神出鬼没とはこのことを言うんだろう。
人前では出ないように言っていたのに……と胸の内で呟いていると、
「大丈夫でしょ。この子の秘密、握ってるんだから」
勇の不安がそのまま出ていたのか、アルは理由を答える。
少女はいきなり現れた黒猫にあまり動揺していなかった。
というより呆然としていたが、自分が脅迫に近いことをされているのだと分かると、すぐに不安そうになった。
というより怯えて目を伏せている。
彼女にとって、今は二対一の状態。魔人狩りという目標がなければ、すぐにでも逃げてしまいそうだ。
「そうだ、名前は?」
そんな彼女に気を遣うことなく聞く。
「あ、えと……日向」
目を伏せたまま答える。多少震え、声も小さかったが、何とか聞き取れた。
「じゃあ、日向はどうしてこの子と一緒に狩りをしようと思ったの?」
今度は頭の上のアルが聞く。
「あ……え、と。鷹西くんのこと、もっと知りたくて……」
小さな声で続ける。
「つまり、自分の弱みをバラされないように、俺の弱みも握りに来た、というわけだね」
恨めしそうな口調ではなく、普通の、ただの確認のための言葉。
「そんなんじゃ……」
必死に抵抗しようとする日向だが、後半は小さすぎて何を言っているのか分からなかった。
「まあ、何でもいいよ。それと、俺のことは勇でよろしく。こっちのほうが慣れてるから」
「え? 下の名前?」
なぜか困惑する日向に、勇が少し面倒そうに言う。
「うん。それと、性格も教室の時みたいにしてよ。正直、話しづらい」
「無理だよ。なんか、無理なんだよ」
少しだけ強めの発言。彼女にとっては。
もう理由を聞くのも面倒になってくる。
「ほら、二人ともグダグダ話してないで。早く行くよ」
頭の上でアルが言う。
「あー、うん。じゃあ、行く方向言って」
「前に直進」
その言葉に合わせて勇は歩き始める。
「これからどうするの?」
日向が小走りで勇の横に並ぶ。
勇のほうが日向より少し背が高いため、勇の方は見下ろす形で会話する。
「魔人探すんだよ。アルは魔力の場所を特定できるからね。そういえば、君、今日のテスト何位だった?」
魔力というキーワードで今更思い出し、そのまま聞く。
軽く首を傾げる日向に、「大掃除のやつ、三限目の」と付け加える。
すると、「あ」と小さく呟き
「九位だったよ」
ニコ、と笑う。
勇のクラスは三十六人。九位だと、それなりの戦力にもなるだろう。
「日向は魔術魔法使い?」
魔術魔法、遠距離攻撃の魔術。
この魔術は高等で、使用者は少ない。勇は、これの弱体化系なら使える。
「うん、私は……色々できるよ!」
さっきよりは声の音量は上がり、緊張も和らいだようだ。
なぜ和らいだのかは分からない。
しかも、説明になってない。
「期待してるよ」
苦笑いしながら、仕事の上司のようなことを日向に言う。
明かりがないと不便だ。
日向は火の魔術は使えないらしく、暗く、不気味な森の中を無言で歩いた。
無言なのは、辺りに気配を漏らさないため。そもそも話をする必要もない。
空はもう暗くなり、月明かりだけが頼りだ。
足元は木の根が邪魔で、歩きづらい。日向は三回ほど転けた。
一時間くらい歩いただろうか。
「止まって。もう少しで魔力の元に着くよ」
アルの言葉で、一旦止まる。
後ろを確認すると、しっかりと日向もついてきている。
さっき武器を確認したところ、素手で戦うらしい。
そこら中に生えてる木に手を当て、少しずつ前進する。
前に広がるのは闇。目が慣れたため、多少見えるが、生き物の気配はない。
「もう少し……もう少し……」
アルの言葉だけを頼りに、一歩一歩進んで行く。
歩く度に落ち葉を踏むので、音を鳴らさないように慎重に。
日向は何の注意もせず、パリパリと音を鳴らしているので、意味はないだろうが。
「止まって」
アルの声で、足を止める。
「いない」
「いない?」
アルの声に焦るような呟きに、勇は聞き返す。
「うん、さっきまでここにあった気配が……」
言葉が途切れる。気配を自由自在に消せる魔人か、そんな魔人は聞いたことがない。
ふと、空を見上げる。
木に覆われ、少ししか見えない黒い大空は、強く星が輝いていた。
「いないね」
確認するように、勇が言う。返事はない。
木の上で待ち伏せでもしているのかと、念のため確認した。
不意打ちを狙うような生き物の影はない。あるのは一羽の黒鳥のみ。
カラスか? 知ったことではないが。
「日向は何か感じないの?」
と、後ろを振り向くが、日向はゆっくり首を振るだけ。
「アル、違うところに魔力感じたりしない?」
視線を変えることなく、勇はアルに聞く。
「うん、完全に消えた……」
ということは
「目標を見失った、ということか」
無言。それが答え。
「未知の魔人なのかな。俺達がその魔人と戦うのなら、完全に生贄みたいなものだけど」
相手の情報が分からないのに、送り込まれた。
それが初めて戦うのなら、勇達が戦ったデータは貴重なものとなるだろう。
勿論、未知の魔人なら助かる保証はない。
お手上げだ。魔人の居場所も分からないし、これからどうすればいいのかも分からない。
「ここで爆発とかさせて、その音で引き寄せたら?」
という日向の提案は
「余計のまで付いてくるよ」
という勇の言葉で却下された。
もし、ここが町の近くだったら、町に聞こえるかもしれない。
そうなれば、只事では済まない。
「じゃあ、雷鳴みたいにすれば?」
空は雲が立ち込めている。どう見ても、雷を落とすようには見えない、真っ白な雲が。
「無理だよ」
そもそも雷の魔術を使えるのなら、夜道を照らしてほしかった。
「あー、雨降るような雲じゃないもんね。雷も落とす人いないし」
勝手に納得して頷く日向。できないのなら言うな。
「でも、このまま居ても、どうしようもないよ?」
それも、分かっている。だが、アルが探知できない魔力を、勇がどうにかできるわけがない。
そのアルは、木の上で目を瞑り、何かに集中している。
闇の中で怪しく輝く体毛は、どこか幻想的な光景でもある。
「あれって、何してるの?」
アルを眺める日向の言葉には
「さあ」
と返す。
アルが使用するのは、半径一キロ以内の全生物を探知する、魔術。
勿論その他いろんな魔術が使えるが、ひとまずこれだ。
「いた」
勇の耳にギリギリ届く、澄んだ声。
「二つあるよ。どっちから行く?」
木から飛び降り、勇の頭で着地するアル。
崩れ落ちそうになった勇だが、なんとか堪える。
「近いほうから」
こう答えるのを分かっていただろう、アルは何も答えず、右側に飛び降り、歩き出す。
付いて来いということだろう。二人は、猫の背中を追う。
暗い世界、深い森の中、虫の音が響く静寂の中で。
相手は、どう考えているのだろうか、思考があるのだろうか、そもそも心臓が動いているのだろうか。
勇は、どこか遠くにいる魔人のことを何となく考えながら、木に体重を預けた。
日向のほうは木にもたれ、首が船を漕いでいる。
一つ目の気配は、近付いた途端、消えたらしい。最初と同じだ。
二つ目は、学校の生徒。しかも同じクラスらしかった。
あの保険の人は、あのクラスの集団狩りの邪魔になる魔人を狩れと言いたかったのだろう。
一応、向こうはこちらに気付かず、どこかに歩いていった。
だが、これで状況は振り出しに戻る。時刻は、腕時計を忘れたため、分からない。
全く、笑えてくる。
「どうする?」
アルは平然と勇に聞く。
「どうするって……どうする?」
その勇は、質問をそのままアルに聞き返す。
「あたしはもう、休んだほうがいいような気もするけどね。正直、これ以上は無駄としか思えないし。その子も寝てるし」
魔人の狩場で寝るというのは、自殺行為に等しい。
だが、魔人が近付いてこれば、アルが気付かないはずもない。
自分で警戒する必要は、ゼロ、むしろ邪魔のような気がした。
「じゃあさ、来たら教えてよ。お言葉に甘えて、俺は少し休ませてもらうけど」
「うん、ゆっくりおやすみ」
目を瞑ると、疲れが溜まっていたのだろう。
時間を掛けることなく、すぐに眠ってしまった。
襲撃は、少し後の話になる。