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魔人狩り

「うぐ……」

 出られない。寒すぎて。

 遅刻一時間前。今日は遅刻しないように、目覚ましをセットしたまではよかった。

 だが、いざ朝になると、布団の暖かさがとても心地良く、出れそうにない。

 いっそ二度寝してしまおうか。そう考えた時

「はい」

 と、声と共に勢いよく布団が捲られ、体温が急激に下がっていく。

 勇の足の膝にも届かないアルが布団を物理的に捲るのは不可能だ。

 だから、布団は捲られたというよりも勝手に浮いた。

「あぁ……なんてことを……」

 ボヤきながら勇は仕方なく起き上がる。そしてストーブまでダッシュ。

 階段を数段飛ばしで駆け下り、リビングにある小さい電気ストーブを点ける。そのままブルブル震えながらしばらく待つ。

「情けないね。男ならもっとしっかりしようね」

 階段を音も立てずに下りてくるアル。慰めるような声がとても心に刺さった。

 男らしくなくてもいいじゃん。

 少し拗ねたようなことを考えていると、ストーブから暖かい空気が放出される。

 思考は完全に中断し、ストーブの熱気に当たることだけに専念する。

「ほら、早く動かないと」

 急かすアルに

「大丈夫だよ。そのために今日はいつもより一時間も早く起きたんだから」

 のんびりと勇が答える。

「違うよ。遅刻じゃない」

 何時になく真面目なアルに勇も少し緊張する。ほんの少し。

「じゃあ?」

 首を傾げる勇に

「魔人狩り」

 一言でアルは答える。「あ……」と言葉が自然と口から漏れた。

「まあいいよ。貯金もあるし。授業の狩りの時に行けば。金も一応貰えるんだし」

「まあね」とアルも答える。

 貯金しようという気はないのね、という言葉は聞かなかったことにする。

 親も居ず、そもそも家族や親戚がいない勇は、働いて稼ぐしかない。

 そういう複雑な事情を持った生徒も魔術学校に通っているためそこはなんとかなる。

 魔人狩り、その名の通り、魔人を狩ることによって。

 レベルによって貰える金額は違うが、最高でも三が限界だろう。

 この仕事の欠点は、リスクが高い。

 本来はいるはずの、教師がいない。

 これで死亡しても、自己責任として扱われる。最近の死亡者はこれによるものが多い。というかこれしかない。

 普通の授業での魔物狩りでも、生活に支障をきたすことがないほどの金額が貰える。

 勿論、家庭がない生徒にだけだが。

 わざわざ普通の家庭を援助できるほど、金持ち学校ではない。

 魔人狩りはいつでも行ける。今のような早朝でも。

 ただ、寒い。やる気がなくなったし、やっぱり寒い。

 それだけで勇が行かない理由は十分だ。

 しかも、勇には欲望というものが抜け落ちてしまったように、ほとんどない。

 食べ物など生活に困る物以外の買い物といえば、さまざまな種類の本くらいだ。

 娯楽本やR指定のものがたまに混じっていたりするが、それは過去の友人の勧めだ。

 自分から進んで買ったわけではない。ちなみに軽い物語が好みだ。

「で、今日のノルマは何?」

 頭がまた眠りに落ちそうになったところで、アルの言葉が飛んでくる。

 アル(いわ)く毎日目標を立てないと駄目人間になるらしい。特に勇は。

 いつもなら、「平和に暮らすこと」なのだが、昨日のこともある。

「あの子のこと、もっと知りたいかな。俺の平和が乱される可能性もあるしさ」

 特に考えず、ただ思ったことを口にする。

「珍しいね。平和に暮らす以外の目標が出るなんて」

 驚いているのか、勇にはアルの顔を見ても分からない。いつもと何も変わってないような気がする。

 いや、驚いていないだけか。

「いいじゃん。たまにはさ。ちょっと興味も湧いたことだし」

 アルはピョンと跳ねると、勇の頭に乗る。

 少し頭が揺れたが、気にするほどではない。

 頭に収まるサイズの黒猫は、滅多にいないだろうな、と考える。

「ほら、ダラダラしない。さっさとご飯食べて顔洗う」

 似合わない母親のような口調に、なんだかおかしく感じ、顔に笑みが浮かぶ。

 勇よりは断然しっかりしているだろうが、やはり違和感がある。

「はいはい。そろそろ動かなきゃな」

 ストーブのスイッチをオフにし、立ち上がって伸びをする。

 パキパキ、と背骨が小気味のいい音を立てる。

 窓を見ると、外は少し曇っている。分厚い雲に覆われ、日は見えそうにない。

 かといって雨が降りそうでもない、微妙な天気だ。

「念のため、傘も持っていったら?」

 まだ頭の上のアルが言う。

「そうだね」

 と、勇が返す。

 鷹西勇の朝は大抵こんな感じでダラダラと始まる。


✽✽✽



 運動型の訓練は少しきつかったりする。

 今日のノルマは、先生の作り出した怪物を倒すこと。

 クラスの半分はクリアしていた。

 だが、残り半分、勇より下の生徒は誰も合格していない。勇も含む。

「鷹西! 今日は珍しく遅刻じゃないと思ったらその程度か!」

 石畳の闘技場。観客席の位置から怒声が響く。

 いや、遅刻と訓練は関係ないでしょ。

 怒鳴るのはクラスの担任だ。名前は忘れた。

 少し情熱的で生徒からの人望が厚いこの教師を、勇は少し苦手である。

 刀を杖代わりにして何とか立ち上がる。刀は支給品で、学校のものだ。

 正直、手に馴染まない刀で挑むのは、やりづらい。

 目の前の敵は石でできた三メートルの熊。その背中から不要な蝶の羽根が生えている。

 意味が分からない。ミスマッチにもほどがあるだろう。

 熊はそんな勇の胸中など知るわけもなく、爪のない丸い右手を振りおろしてくる。

 せめてもの配慮だろう。爪がないのは。石の爪なんて、死ぬことはないだろうが、当たったら重傷だろう。

 熊の打撃を前に飛び越えてかわし、そのまま顔の前まで瞬時に移動する。

 右手で握っていた刀を上段に構え直し、しかしその隙に一発右からのパンチを食らう。

 恐らく、左手からのものだろう。

 なんとなく気配がしたので、右半身全体に魔力のシールドを張っておいた。

 おかげで、ダメージは最小限に抑えられ、受身も取れた。

「ハァ……ハァ」

 十分くらい、これの繰り返しだ。他の生徒は勝ち負け関わらず、教室に帰った。後は勇だけ。

 これに負ければ放課後、意味の無い大掃除。

 読みたい本がある勇にとっては絶対に避けたい障害だ。

 とはいえ、かわしては食らい、かわしては食らいを繰り返していると、身体が持たない。

 これが、最後になるだろう。

 力の入らない身体を無理矢理動かし、両手で刀を持ち、刀を鞘に納めるように、右側の腰で構える。

 そして姿勢を低くし、相手の隙を(うかが)う。

 この熊は術者の意思によって動いているわけではない。完全な独立型だ。

 こちらが動かなければ、相手から攻撃するように設定されてある。

 そこを、狙う。

 場には自分の呼吸音しか聞こえなくなる。

 熊は全く動かず、こちらの動きをじっくり観察しているようだ。

 やがて焦れたのか、少しずつ、こちらに近寄ってくる。

 巨大な見た目の通り、遅い。ドスンと、一歩踏み出すごとに重々しい足音が鳴る。

 勇はそれでも一切動かず、ついに目の前まで三メートルの巨像がやってくる。

 目の前で見ると、結構迫力がある。

 そして、右手の真ん丸の拳を振り上げ、勇に振り下ろす。

 勇は少し後ろへ下がると、拳は石畳に叩きつけられ、互いにヒビが入る。

 そのままの構えで熊の腕を駆け上がる。

 細くはないが、太くもない。

 バランスを取ることすら難しそうな足場で、勇は走る。

 距離は短い。熊の肩の位置より少し前に来ると、首に向かって軽く飛ぶ。

 居合切りのように、両手で構えた刀を振り抜く。

 太刀筋は確かに熊の首を捉えていた。

 何も音を立てることなく、気持ちいいくらいに刀が入った。

 だが、それは途中で止まり、熊の首は繋がったままで止まった。

 強引に切り裂こうとしても、踏ん張る地面のない空中じゃ、ただ刀を軸にブラブラと揺れるだけ。

 焦ってシールドを張るのも忘れ、まともに本日最大の拳を食らった。

「う……!」

 横に吹き飛び、受身も取れずに石畳の地面に頭から叩きつけられる。

 身体を動かそうとしても、動かない。

 赤い液体が視界の端に見えた。どうやら、出血しているらしい。

 視界は暗くなり、教師の声が勇の耳に届くことはない。




 暗かった。

 心はとても冷め、家族の温もりも知らなかった。

 訳もわからず目の敵にされ、ただ逃げる日々。

 そんな暮らしに終止符を打ったのは、名も知らない男。

 男はいくつかの知恵を授けた。

 魔力のコントロール。自身の弱体化もその一つだ。

 それからは追われることもなくなり、家もできた。でも、家族はいない。

 そんな状況で突然現れたのがアル。生き物といえば生き物だが、少し特別な存在。

 それから少しして、友達もできる。

 今の暮らしに満足し、安心もしている。

 唯一の不安は、自分の本当の姿を知られること。

 だが、それは力を使わない限り、知られることはまずない。

 今回も、力を使わなかったため、こんな無様な結果になっている。


 保健室のベッドに横たわり、頭には包帯が巻かれている。

 周りはカーテンで見えない。ここに来たのは初めてだった。

「あらら。随分と派手な怪我だね」

 いつの間にか腹の位置で座っていたアルが、まるで独り言のように呟く。

「まあ、ね。しょうがないよ。これが僕の実力」

 アルを見ず、黒ずんだ白い天井を見たまま話す。

 はぁ、とアルがため息を吐く。情けない勇に対してだろう。

「分かってるよ。でも、駄目なんだ」

 理由などは口にしない。言い訳みたいに、見苦しく聞こえるから勇は嫌いだ。

 アルも「分かってる」と口にするだけで、もう何も言おうとしなかった。

 昔のことを、思い出していた。

 今はもう遠い記憶。でも、大切な記憶。

「鷹西くん、大丈夫? 開けますよ」

 外から女性の声。場所から考えて、保健室の人だろう。

 その声を聞くと、アルは黒い霧になって消える。

 直後にカーテンが開けられるが、そこにもうアルの姿はない。

 カーテンを開けたのは、予想通りの人。まだ若く、綺麗な人だ。

 同級生が仮病までして保健室に入っていくのを馬鹿だと思っていたが、なんとなく分かる気がする。

 勇は寝かしていた身体を起こし、先生と向かい合うように座る。

「随分無茶したのね。医療魔術の先生いなかったら危なかったよ。あんまり無茶はしないように」

 そう言いながら勇の頭に巻いた包帯を(ほど)く。

 軽く触られると、ズキリと痛み、思わず顔を(しか)める

 勇は軽く会釈し、時計を探す。だが、どこにも見当たらない。

「あ、時計ね、壊れたの。だから今修理中。今は……三時ぴったし」

 勇に様子を見ていた先生が、腕時計を見ながら言う。

 三時……また授業を受けることができなかった。そういえば昨日のことで朝、こっぴどく怒られた。

 転校生もチラチラ見ていたが、こちらが目を合わせると逸らした。

 朝はスルーされたので、昼休みにもう一度話に行こうとしたらこのザマだ。やってられない。

 「あ、まだ授業は受けられないよ。危険だからね」

 立ち上がろうとする勇を止める。

「……危険って何ですか」

 長い間声を出さなかったせいで、少し枯れ、聞き取りづらくなった。

 それでも、この人は聞き取れたようで、言葉を紡ぐ。

「魔人狩りだよ、今日」

「えっ」

 言葉が詰まった。最悪だ。

 こうなると、明日自主的に行かないとどうにもならない。

「とは言っても次の時間だけどね」

 それを聞くと少し安心する。行けなければ意味無いが。

「行かせてください。生活費が無くなります」

「ダメ。そんな怪我で行かせられるわけないでしょ」

 勿論許可してくれない。でも、この状態で一人魔人狩りをするのは正直骨が折れる。

「じゃあ、金下さい。魔人狩り分の」

 そうでもないと一人で行くことになる。それだけは嫌だった。

「はぁ……分かった」

 深いため息を吐き、了承の言葉。

 このままただで貰えると期待したが、期待はあっさり裏切られる。

「今日の放課後、魔人狩りをさせてあげる。二人でね。ペアは……担任に希望制で言っとくよ。友達いなくても、いつもの金額五倍と言えば、いくらか反応するでしょ」

 友達がいないことは大きなお世話だが、事実だ。二人しかいない。

 理由は、巻き込まれたくないからだろう。戦闘に。

 簡単に言うと、希咲のせいだ。

「ありがとうございます。場所はどこですか?」

 魔人は、どこに出るのか分からない。特定できた時に、時空魔術で送り込む。

「森の中。場所までは知らないよ。じゃあ、六時に屋上で」

 そう言って、先生はカーテンを閉めた。このカーテンには防音の魔術が施され、外に声が漏れないようにできていたはずだ。

「嫌な予感しない?」

 頭の上にズシ、という重みと共に声が下りてくる。

「うん。金額五倍っていうのも気になるね」

 実際は、そこまで重要視していなかった。危険でも、二人ならいけるだろうと。

 希咲が来てくれる可能性は高かったし、自分の力は落ちるが、希咲の力があればすぐに片付くだろう。

 そしたら、安全に帰れる。そうなるはずだった。

 だが、思い通りには行かなかった。



✽✽✽



「じゃあ、魔人のいるところに送るからね」

 そう言ったのは、特に緊張した色を見せない保険の先生。

「ちょっと待ってください。なんでこ……の人なんですか」

 こいつ、と言おうとしたのをギリギリで止める。

 選ばれたのは希咲ではない。例の転校生だ。

「あら、別にいいでしょ。その子、結構強いよ。よかったわね」

 軽く困惑していた勇に微笑みかける先生。

 ダメだ、この人。完全に面白がってる。

 そんなことを心の底で呟いた。

「市莉は……市莉はどうしたんですか!」

「担任の先生によると、話を全く聞いていなかったみたいね。晩御飯がどうとか言ってたらしいよ」

 ああ、そもそも希咲に期待した自分が悪かったんだ。バカということを忘れていた。

「私じゃ……ダメだった?」

 勇があからさまにがっかりしていると、うるうるした瞳をこちらに向け、少女が不安そうに呟く。

 朝に話を聞きに行くと、素っ気ない言葉で返されたのに、どうしてこんなに急に態度が変わるのだろうか。

「いや、そんなことはないけど……」

 勿論嘘だ。見知らぬ地で、魔人と二人きりなんて、不安しかない。

「さあ、飛ばすわよ。準備しといて」

 そんな勇の不安を知ることもなく、言われる一言。

 「待ってください」と言葉を掛けようとしたところで、一瞬の浮遊感。

 目の前は青白い光に包まれ、視界が急変する。

「あ……」

 気が付けば森の中。

 滅茶苦茶な魔人狩りが、始まった。

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