魔術の学校の転校生
朝、今日は天気がいい。
肌を撫でるのは走った時に起こる冷たい風。
耳に届くのは小鳥の囀り、自分の足音。
周りの景色は、住宅街。
何もないアスファルトの道を、ただ一人駆け抜けていく。
鷹西勇は焦っていた。
当然だ、遅刻五分前に家を出たのだから。
全力で走れば五分で間に合う。
が、もうこれで三度目。先生が見逃してくれるかどうか。
「ハァ……」
ため息にも近い荒い呼吸を混じえながら、校門にたどり着く。
高さ三メートルはあるだろう門を、一飛びで通り過ぎ、玄関で急いで靴を履き替える。
そして階段を駆け上がり、三階の一年の教室に向かう。
一息入れる暇なく、ガラリとスライド式ドアを開ける。
中で雑談している生徒が振り返ることもない。これが、日常だった。
壁に掛かっている時計に目をやると、遅刻一分前。
……間に合った。
肩で呼吸しながら、勇はいつもの席に座る。
「毎朝ご苦労さま」
隣の席に座っている幼馴染み、市莉希咲が笑いながら勇に言う。
「うん」
肩に掛けていた鞄を机の横にある取手部分に掛ける。
丁度チャイムが鳴り、朝のHRが始まる。
「さあ、HRを始めるぞ。号令」
いつの間にか立っていた健康そうな顔立ちの、三十歳の男子教師、勇のクラスの担任が言う。
学級委員長が号令をし、それだけで朝のHRは終わる。いつもはそうだ。
だが、今日は違った。
「鷹西、次遅刻したらみんなの四倍な。それと、突然だが、今日からこの学校に入る転校生を紹介する」
いや、遅刻はしてないですよね、という言葉は、胸の中に閉まっておく。
言い訳をすればするほど、泥沼にハマっていくからだ。例えそれが正論だとしても、この人は言い訳と見なすから恐ろしい。
転校生と聞いて、騒めくクラス。
当たり前のような光景だが、普通とは少し違う。
「どんな人だろう」と話合っているのとか、「どうやって?」と話し合う生徒が、半々くらいだろうか。
「入ってくれ」
生徒達に構うことなく、先生はドアの向こうにいるであろう生徒に向かって言う。
ガラリとドアが開き、そこにいた生徒に男子は全員息を呑んだ。勇など例外の男子もいるが。
スラリと腰まで伸びる黒髪に、整った顔立ち。
肌は白く、細すぎないそのスタイルは、男子陣を釘付けにするには充分だった。
そんな男子達を女子が睨み、男子は幻想の世界から戻ってくる。
凍ったように表情を一切崩さない彼女には、美女、という言葉がよく似合う。
「えーっと。名前は……」
少女は先生の横に立ち、生徒側に向く。
「木瀬日向です。今日から、宜しくお願いします」
深々と頭を下げた。声は、とても冷たいもの。感情は全く含まれていない。
「ということだ。これにてHRは終わり。学級委員長、号令」
さっさと終わろうとする担任に
「ちょっと待ってください。その子の席はどうするんですか?」
眼鏡を掛けた男子が聞く。
さすが委員長、抜け目がない。
「空いてる席は……ないか。しょうがない。木戸、手伝ってくれ」
一瞬、嫌な顔をしたのを勇は見逃さなかった。
手伝うというのは、下の階から机と椅子を運ぶのだろう。
見逃さなかったから何かあるわけではないが。
何気なく、女子に集まられる転校生を見ていた。
いろいろと質問されていたが、すべてに愛想もなく、作業のように答えている。
冷たい女子、第一印象はそれだけだった。
ここ、魔術高等学校は、名前からして普通じゃない。
いや、今はもう正当と化した。魔人と対立するためには、圧倒的に人の数が足りなかった。
そこで、才能のある子供は戦闘員になることになった。
才能は大人子供が関係ない。鍛えれば、誰でも強くなる。
平和な世の中は既に去った。今はこの謎の力で、謎の力に支配された生き物に立ち向かわなければならない。
少しでも死者数を減らすために、この学校は存在する。
最近は死傷することも少なくなったが、油断はできない。
ここで訓練し、この地域で出た魔人は、生徒に退治させる。
魔人にはランクがあり、ランク五が最高レベルだ。
三以降は危険なので、教師が担当することになっている。
この方法が現代では、一番効果的だった。
勿論、三以下といっても危険なので、教師のサポートもある。
勇はその中で真ん中から下くらいの実力だ。
本人は、それくらいで満足していた。
昼休み、勇はだらしなく机に突っ伏していた。弁当は既に食べた後だ。
今は人気が無くなった転校生を、ぼんやりと眺める。
あちらもこちらの視線に気が付いたのか、視線を返してくる。
「今日も全然駄目だね」
横でパンを食べていた希咲の言葉に、勇は何も答えない。
駄目だと言うのは、訓練のこと。
毎日授業の半分は、訓練にあてられている。
一まとめに訓練と言っても、やり方は二種類ある。
魔術力を高めるための「集中型」と、打撃力を上げるための「運動型」どちらも魔術の上達には欠かせない。
はっきり言ってしまうと、勇はどちらにも向かない。
だが、遠距離やらの攻撃は苦手なので、近接型のトレーニングを重点的にやっている。
武器は、刀。使える魔術は肉体強化と軽い魔術だけ。
それでもランク下位にいかないのは、人間離れした反射神経のおかげだ。
「まあ、しょうがないよ。それよりパン買ってきて」
遠慮なしの希咲は無視する。
委員長木戸はどこかへ行ってしまい、からかう暇もなかった。
先程まで俯せのままで魔術をどうしたらうまく使えるか考えたが、思考を放棄した。
そのままぼんやりと転校生と目を合わせていると
「勇?」
と、隣から怒りを押し殺したような声。
「自分で買ってくればいいだろ。俺は疲れてるんだよ」
反抗した際、次に来るのは理不尽な刀。
勇は軽く頭を持ち上げると、瞬間に刀が振り下ろされた。
次元刀、空刃。
希咲が片手で持つのは、背と同じ位の大太刀だ。
これも、魔術の一つ。希咲は、このクラスの中でトップクラスの刀使いだ。
ちなみに刀は、時空術という高等魔術で取り出したようだ。
そんなやつが教室内で片手で刀を振り回している。
ちなみに、訓練時と、教師の了解を得た決闘以外は魔術を使うことを固く禁じられている。
「希咲、やっぱり頭おかしいんじゃないの?」
目の前に置かれた刃を見ながら勇は言う。机には亀裂が走り、ちょっち叩いただけでも壊れてしまいそうだ。
斬れないように力をセーブしたようだが、そもそも根本的にやることが間違っている。
「勇が買ってきてくれないから!」
希咲は机に食い込んだ刀の刃を勇に向け、そのまま首をはねようと斜め上に斬り上げる。
「いやまず考え方おかしいから」
勇は後ろに仰け反り、刀の軌道から逃れる。
目の前で刀が止まる。
「うりゃあ!」
希咲は振り切った刀の刃を下、勇の首に向け、振り下ろす。
仰け反った状態でいきなりは動けない。
魔力を首に集中させ、緊急のシールドを作る。もたれ掛かっている背中にも。
ドン、という衝撃を喉に喰らう。
が、シールドのおかげで首が断たれるどころか、切り傷一つない。痛みはあるが。
船漕ぎ状態になっていた椅子がバランスを崩し、派手な音を立てて倒れる。
後頭部にまたもや強い衝撃が襲う。
「はぁ……」
ため息しか出ない。こんな状況になっても、誰も振り向くことすらしない。
慣れとは恐ろしいものだ。
希咲の持っていた刀は無数の光となり、消える。
「はい、勇の負けね。パン買ってきて」
「殺す気か!」
立ち上がり、希咲の頭を思い切り殴る。
勇は普段の話方は温厚だが、それほど気が長いほうではない。
「痛っ! 酷い! 女子に暴力なんて!」
「これで頭が治ればいいのにな」
今まで人を殺す勢いで暴れていた少女は、軽く頭を殴られただけで叫び、頭を抑える。
それを流し、勇は皮肉混じりに再びのため息。
「うぐ……あたしのどこがおかしいって言うの!」
「全部」
ギャーギャーと騒ぐ幼馴染みは置いといて、今日の時間割り表に目をやる。
五、六、七限目の順番は、国語、そして二限連続訓練。
午後の訓練は基本「集中型」
今日の午前にやった、「運動型」とは違う。
座禅を組み、自分の身体の中にある魔力を意識する。それだけ。
とても暇な訓練で、とても平和な訓練だ。少なくとも、殺し合いや、石をぶった斬る早さを競う訓練よりはいい。
いつも勇は、この時間寝ている。
「集中型」のこの訓練は、基本中の基本。常に意識できるようにすれば、別にこれは必要ない。
休憩時間のようなものだ。これは。
時計の針は一時十分を差す。昼休み休憩終わりまで後五十分。
暇過ぎる。屋上に行って昼寝でもしようと席を立つ。
「やっと行ってくれるんだね! 勇は優しいな!」
キラキラと輝く目で言う希咲はあえて無視。眠気が先行する。
昨日が休みだったこともあり、身体が思うように動かない。
今日は月曜日。本当に、嫌な日だ。
階段を一階上がるだけで、屋上にたどり着く。いつも鍵は閉まっているので、誰もここに来ることはない。
「アンロック」
ガチャリと錆びている扉から音が鳴り、簡単に開ける。
対魔術用の仕掛けはしてあるはずなのだが、勇には何の効果もない。
扉を閉めると、またガチャリと音が鳴る。自動で鍵が閉まるようになっているんだろう。
屋上はフェンスで囲まれ、結構広い。
あんまりフェンス側に行き過ぎると、運動場にいる生徒達に見られてしまうため、勇はど真ん中で寝たり、ぼんやりと青空を眺めたりする。
残念なことに、今日は先客がいた。
後ろ姿だけでも分かる。
腰まで伸びた髪を持つ者など、この学校にはいなかったのだから。
その髪は異様の動いていた。
まるで生きているかのように、髪の一本一本が蛇のように動く。
「魔人……だね」
その声は少女にも聞こえたようで、ビク、と肩を震わせると、ゆっくりと振り向いた。
やはり肌は白く、顔も美人だ。
だが、朝のような表情ではない。
どこか怯えたような表情をし、髪普段通り、動かなくなる。
「大丈夫だよ。俺も、まだ死にたくないから。バラすようなことはしないよ」
まさか、転校生が魔人だったとは……! のような感覚はない。
眠気が勝った。
死にたくない、というのは、彼女の魔力が高まっていたから。
魔術を扱う者なら、誰でも分かることだ。
「……本当に?」
その声も、怯えが現れていた。
朝の凍りついた声ではなく、見た目よりも幼い声に少し驚いたが、表情には出さない。
代わりに、うん、と返事をした。
すると少女の表情は和らぎ、元の姿勢に戻った。
騙されやすいんだろうな、この子。
屋上の隅っこで勇は寝た。
この日のことは、随分後まで記憶されることになる。
起きたのは、空がオレンジ色になっていた時だった。
少女の姿はない。せめて起こしてくれれば良かったのに、内心毒づく。
腕時計で時刻を見ると六時。
もう、下校時刻はとうに過ぎていた。
✽✽✽
「今日は随分と遅いね」
勇の歩く横で、カナリアが鳴くような、高い声が発せられる。
聞いた人間をうっとりさせるような声だ。
カナリアを見たことも鳴き声を聞いたこともないが。
この森は、学校とそう離れていない。なぜか、ある。
魔術の力が密集しているかららしいが、詳しくはしらない。
勇の横を歩くのは、黒い猫。
今、女性の声で言葉を発したのもこの猫だ。
「しょうがないだろ。あんなに寝ることなんて、滅多に無いんだから」
「魔術でもかけられたんじゃ? 睡眠系の」
「そうかもね」
「そもそもこんな寒い日によくこんなに寝れたね。風邪引くんじゃないの?」
「大丈夫だよ」
そんな何気ない会話をしていると、小さな小屋が見えてくる。
ここが勇の家だ。家に両親はいない。
居るのはこの猫、アルだけ。
勇が望めば、いつでも出てきてくれる頼もしい、唯一の家族だ。
「それにしても魔人とは驚いたね。仲間になれるんじゃないの」
からかうような口調に、勇は顔を顰める。
「俺は半分人間だよ。そういう言い方はよしてくれ。理性はあるみたいだったけど」
扉を押すと、木独特の軋む音が聞こえる。
中は結構広い、一人部屋だ。
一応二階建てで、電気も通っている。
靴は玄関で脱ぎ、冬用の上着を部屋の中に放る。
「へぇ。魔人って、強欲に喰われた廃人じゃなかったの?」
「そういうのはよく分からない。もう今日は料理作るのめんどくさいから、パンでいい?」
「いいよ」
テーブルに大雑把に置かれた袋の中から、大きめの長細いパンを取り出す。
「うわ、本当に適当。味もないでしょ、それ」
アルは部屋に敷かれた座布団の上で座りながら、文句を言う。
「何でもいいって言ったのはお前だろ。ほら、文句言わない」
勇がパンを投げると、アルが見事にキャッチする。
「久しぶりのパンも悪くないかと思ってたけど、これは駄目だね」
「楽なんだよ、これが一番」
決して美味しくはない食材を、無言でガリガリと食べる。
「で、どうするの。あの子」
唐突に切り出したのはアル。
あの子というのは、多分あの少女だろう。名前は忘れた。
確か、太陽みたいな名前だったような……まあ、どうでもいい。
「俺からは何もしないよ。恐らく、あの子は学年内で一番強いし」
「学校内で一番強いあなたなら余裕でしょうが」
言い終えた後、はぁ……と息を吐く。
「そうか。力出す気無いんだよね」
「そうだよ。いつも言ってるだろ。だから俺はただの人間。何の能力もない、平均以下の人間さ」
パンの最後の欠片を飲み込む。
「そうね。分かってる」
少し微笑しながら、アルは頷く。
「でも、もういいんじゃないの? そのままじゃ、力を使わないんじゃ、いつまで経っても前に進めないよ。もう、駄々を捏ねる時間は終わったでしょ」
魔人の力、自分の半身とも言えるこの力を使ったのは、一回だけ。
それは、本人にとっては、大きな事件だ。それ以来、力を使っていない。
理由はそれだけではない。自分が魔人だと知られれば、自分も狩られる(・・・・)対象になる可能性が非常に高い。
「まあ、そのうちな」
「またそれ。まあ、いいよ」
こういう時は、アルは追い詰めたりしない。
これで突っ込まれた時はあったが、勇がかわし続けたため、アルは諦めた。
このままじゃ駄目だということは自分でも分かっている。
だからといって簡単にどうにかなる話ではない。
「なんか、きっかけがあればなぁ」
何気なく、呟いた。
アルなら「そんなのあっても何も変わらないでしょ」とか言いそうだったが、黙ってパンを食べ進めていた。
空はもう暗くなり、明るい月が夜空に上がっている。
物語は、少しずつ、動き始める。