第4話 王女の癇癪
「思い出した!」
不思議な美しさをもつ異形の少年に、たっぷりと無遠慮な視線を浴びせ続けたインディラであったが、唐突に正気に返った。
前触れも無く発せられたインディラの高い声に、少年は肩をびくっと上げた。表情にはまるで出ていないが、けっこう驚いたらしい。
「あなた、鳥に乗ってた人でしょ?」
崖から落ちる瞬間、インディラは金色に輝く大きな鳥と、それにまたがる人の姿を目撃していた。
「……………」
「それで、私を助けてくれたのね。本当にありがとう! 心から感謝を」
そう言ってインディラはサリーを両の指先でつまみ、それを左右に広げながら腰を落とした。正式な謝礼の作法である。
しかし、次の瞬間、少年の口から驚くべき言葉が滑り出た。
「見られていたのか。だったら、助けるんじゃなかったな」
「えっ?」
インディラは弾かれたように顔を上げた。
「助けておいて勿体ないが……」
気付くと、少年の端正な顔が目の前にあった。いつの間に立ちあがったのか、衣擦れの音さえしなかった。
そして、指がインディラの喉元に触れた。
「あ…」
本能的な恐怖に、インディラは息を呑む。
金色の目が間近にあった。そこから一切の感情は読めない。
その時、頭上で鳥が鋭く啼く声が聞こえた。
少年がはっとしたように身じろぎした。
「…行け」
インディラの首に触れていた手を落としながら、ぼそりと言った。
「え? あ、あの」
訳が分からず、インディラは目を瞬かせた。
「行け! 僕とガルダのことは誰にも言うな」
「ガルダ? あの鳥はガルダだったの?」
インディラが訊き返すと、少年はあからさまな舌打ちをした。口が滑ったと言わんばかりだ。しかも、
「そう、ガルダだ」
開き直った。口調が捨て鉢に聞こえる。
「でも、大きさが…」
インディラが知るガルダは、手に乗れるような小鳥だ。
ただし。
カマラを治めるシャフジャハン王家が象徴とする神鳥ガルダの肖像は、人の何倍もの大きさで描かれているのである。
王のターバンに挿された金色の羽根も、その神鳥ガルダのものだという。
ただの言い伝えだと思っていたけど。
「もう良いだろう! 取るに足らない好奇心で、僕を煩わせるのは止めてくれ。そもそも君には全く関係のないことだ!」
黙りこくったインディラに業を煮やしたのか、少年は追いたてるように「しっ、しっ」と手を振った。
私は犬か猫ですか。
「もう、分かったわよ。私だって、ぐずぐずしてられないんだから!」
目的地はカタック山麓の村。そして、助けを呼ぶ。
水面に叩きつけられたせいで、まだ体中が痛かったけど、我慢できない程じゃない。
インディラは数歩歩いて振り返る。すると意外にも、少年と目が合った。
見送ってくれている? ううん、遠ざかるまで見張るつもりなんだわ。
なんて無礼な人。
それに、ちょっと危ない人かも。本気かどうか分からないけど、首を絞めようとしたし。
でも、一応は命の恩人よね~。
インディラは少し考え、体ごと向き直った。
「私は、カマラ国のインディラ王女です。もしも我が国に立ち寄ることがあれば、城にお越しください。今日のお礼を致します」
そう口上を述べた途端、少年が、驚愕に目を瞠った。
「では」
インディラは軽く会釈して踵を返した。が、
「待て!」
少年がインディラの行く手に回り込む。
「な、なに?」
「気が変わった。君を城まで送り届けてやる」
インディラはぽかんと口を開けた。
「ええと…その申し出は有難いけど、私は城には戻らない。麓の村に行って、ミーナ達を助けてもらうの」
「どういうことだ?」
少年は眉を顰めた。
「説明してる時間なんて無いわ」
「じゃあ、歩きながら聞く」
と、横に並ぶ。仕方なくインディラは一緒に歩き始めた。
少年の態度は強引だけど、別段、隠す必要も無いことだ。
そして、インディラの巧みとは言えない説明を聞いた少年は、俄かにインディラの手を取ると、あろうことか引き返そうとした。
「ちょ、ちょっと、何するのよ!?」
「バカか、君は!」
真正面から怒鳴られ、インディラは雷に打たれたように体を硬直させた。
曲がりなりにも王女である。罵声を浴びせられた経験など皆無に等しい。
それを自覚した途端、かっと頬に血が上った。
「ぶ、無礼者! 放して! ミーナが死んじゃったら、どうするのよ!」
半ば叫びながら、インディラは繋がれたほうの手を激しく振りまわした。
「わ、こら…!」
「放して放して放して~!! ばかばかばかあっ!」
揺すぶられ、それでもしっかりと手を捕まえている少年は、呆れたように呟いた。
「なんて癇癪持ちだ! 母親そっくりだな」
「嘘つき! 私のお母様は、お淑やかな貴婦人なんだから!」
取り乱したインディラは、なぜ少年がインディラの母親のことを知っているのかという、根本的な疑問さえ浮かばない。
それどころか、
「あ! あなた、ひょっとして、あいつらの仲間!? いやー! きゃあああっ!」
「……どうしてそうなるんだ」
げんなりとこぼす少年。が、インディラは聞いちゃいない。
「きゃー! きゃー! きゃー!!」
「仕方ないか」
声と同時に、インディラは掴まれた手をぐいっと引き寄せられた。
はっと気づくと、少年の顔が目の前にあった。少女のようになめらかな肌がぼんやりと白く浮かび上がって見えた。
インディラは赤面した。
「え? や、待って…」
「待たない」
強引に引き寄せられる。
うそ。私、初めてなのに。
そして。
互いの呼吸さえ聞こえるくらいに近付き、
ごつっ!
「いたぁ~い」と、インディラは情けない声を出して額を押さえた。
「頭突きなんて~。私ってば、てっきり…」
思わず零した呟きを、少年が耳聡く拾う。
「てっきり、何?」
「えっ!? あ、いえ、そうよねっ。あの場合は頭突き以外無いわよねっっ」
顔を真っ赤にしてあたふた言うインディラ。
少年は、小さく頷いた。
「ん、どうやら癇癪は治まったようだな。これでやっと話が出来る」
「え?」
「単刀直入に言う。僕がミーナとやらを助けてやるよ」
「ええっ!?」
少年の言葉はインディラにとって突拍子も無かった。
「どうして? さっきは、助けなければ良かったって言ったり、意地悪く追い払おうとしたのに」
瞬間、少年はばつの悪そうな顔する。
それでも、返答は簡潔だった。
「君が、リュシアスの娘だからだ」
リュシアス。それは去年亡くなったミーナと兄サイラスの父であり、前カマラ王だ。
インディラは呆然と尋ねる。
「あ、あなた、お父様を知ってるの?」
「知ってる。君たちのいうところの、『古馴染み』というやつだ」
「ふわ~」
古馴染み! 私と同じくらいの年なのに、こんな大人びた言葉を自然に使えるなんて、すご~い。
「まあ、僕もこんな山中でリュシアスの娘に出くわすとは想像外だったよ」
インディラの感嘆の眼差しを、少年は違う意味に受け取ったらしい。
が、二人ともそれに気づくことなく、ミーナの姿を求めて、山中を引き返し始めた。
「あ!」
藪をかき分けながら、唐突にインディラが声を上げた。
「そういえば、私まだ、あなたの名前を聞いてなかったわ」
「ん? そうだったか」
と、少年は指を軽く曲げて頤に当てた。年に似合わない、妙に老成した仕草である。
「僕は、アスシュナミルだ」
読んで頂いてありがとうございました!
ようやく、もう一人の主人公の名前が出せました。っていうか、サイラスも第一話にしか出てない。二人揃って影うすー(笑)
しかし、その分長くじっくり書く予定なので、お付き合いいただければ幸いです。