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第2話 襲撃

 カマラ国とアグラ国の国境にあるカタック山。

 幼い花嫁を乗せた二頭立ての馬車が、軽快に山道を登っていた。その後ろには馬に乗った十名ほどの警護兵と、嫁ぎ先への贈り物を山と積んだ荷車がつき従っている。

 カタック山は、どちらかといえば小ぶりな山だ。半日もあれば越えてゆけるだろう。

 行程は順調だった。

 嘆かわしい事に。

「ねえ、見て、ミーナ。 谷底の方に深そうな川があるわ!」

 馬車の窓に顔をくっつけるようにして無邪気にはしゃいでいるのは、ミーナの主人であるインディラ王女だ。

 卵型の輪郭。大きく潤んだ目にはけぶるような睫毛が影を落とし、小作りの鼻が可憐な線を描いている。肌は透き通るように白く、漆黒の髪は、絹糸のように艶やかに、しなやかに揺れている。

 その細くたおやかな身を覆うのは、薄桃色のカミーズ、それに同色のサリー。また、細密な意匠をこらした金細工の額飾りと首飾りをつけている。

 衆目を集めずはいられない、瑞々しい美しさを備えた少女である。

 だがそれが、このような事態を招くことになるとは。

「サラワティ川と繋がっているのかなあ?」

 愛らしく小首を傾げるインディラ。

 ミーナは、たまらずその華奢な体を抱きしめた。

「ミーナ? どうしたの?」

 誰よりも純粋でア…いえ、素直なインディラさま。ご自分の身にこれから何が起こるのか、何も分かっていらっしゃらないのね。

 それだけに悲しく、不憫でならなかった。

 それだけに腹立たしく、御身の不幸が痛ましくてならなかった。

「叶うものなら、私が貴女様を攫って逃げて差し上げますのに」

 アグラ国のクマル王。

 四十を半ばも過ぎた身でありながら、恥ずかしげもなく十四才の少女を愛妾にしようとしている男の名前だ。

 無論、そこに政治的打算が含まれていることは承知している。

 アグラの狙いがカマラの金鉱脈にあることは言うに及ばず、(きん)だけで国体を保っているような小国カマラにとっても、アーリア・ヴァルタ大陸でも指折りの大国アグラと姻戚関係を結べるのは願っても無い事だろう。

 それでも、同じ十代の少女として生理的な嫌悪と憤りを感じずにはいられなかった。

 だいいち、セイラム王ときたら、婚姻の申し入れを一も二も無く快諾するなんて! 二つ年下だけど、ちょっとカッコいいなあって憧れてたのに、見損なったわよ!

 不意に、インディラがくすくすと笑いだした。一瞬、考えが読まれたかと思い、ミーナは体を固くした。が、

「ミーナが王子様だったら、攫われてみたかったなあ」

 ミーナの背中に手が回された。そして、弱弱しくきゅっと抱き返された。

「インディラさま…」

「寂しいなあ。みんなと別れるの。離れたくないなあ、カマラから」

 インディラの声は震えていた。

「申し訳ありません!」

 ミーナは自分の失言を悟った。

 たとえインディラさまがア、いや、純粋無垢すぎて何も分かっていらっしゃらないとしても、住み慣れた故郷から引き離されてお辛くないわけが無いのに!

「インディラさまのお気持ちも考えず、己が感情的になるなど、侍女兼教育係として失格です!」

「え? あの、良く分からないけど、ミーナが謝ることなんて何もないのよ」

 体を離し、両手を彷徨わせるようにして、おろおろとミーナを気遣うインディラ。

「いえ、私が至らなかったのです」

「でも、ミーナが王子様じゃないのは、ミーナのせいではないのだし」

 えっ? そこ??

「王子様と言ったら、やっぱりお兄様かしら。きっと物語みたいに白馬で颯爽と駆けつけて、並みいる敵をなぎ倒し、あの逞しい腕で花嫁をお攫いになるわね」

 その場面を想像しているのか、インディラはうっとりと虚空を見ていた。

 ミーナはこめかみを押さえた。

 この方は、容顔美麗、性格も優しく素直で控えめで、本当に素晴らしい姫君なのだけど。

「インディラさま、セイラムさまは王子様ではなく、王におなりですよ」

「……あう」

 頭の中身が残念、でいらっしゃるのよね。

 そこが可愛らしくもあるのだけど。



 インディラ王女一行は、山間の隘路に差しかかっていた。両側には樹木が生い茂り、馬車だと行き交う事の出来ないような狭い道だ。

 ここを越えたら、アグラは目の前だ。

 もう、引き返すことは出来ない。

 インディラは隣に座るミーナの細い肩に頭を持たせかけた。ミーナは何も言わず、インディラの手を握ってくれた。

 ミーナと初めて会ったのは、七才の時だった。四才年上でしっかり者のミーナを、インディラは姉のように慕った。

 いや、今でも慕っているし、これからも頼りにし続けるだろう。

 だって、アグラに付いて来てくれるのはミーナただ一人なのだから。

 インディラはミーナの横顔を見上げた。

 几帳面そうで、だけど女性らしい繊細さを帯びた輪郭。黒目がちで、いつも優しく和んでいる目。その下と、鼻の上には薄いそばかすが散っている。本人は気にしているようだが、大人っぽい雰囲気のミーナが可愛らしく親しみやすく見えるから、インディラは魅力の一つだと思っている。

「ミーナって、美人よね」

「は?」

 ミーナはあからさまに眉を顰める。

 そう、彼女は決して自分の美しさを認めようとしないのだ。

 インディラは頭を上げた。

「そんな地味な紺色のシャルワール・カミーズじゃなくて、明るい色のサリーを着たりしないの?」

「いえ。こういった足を覆う服の方が動きやすいですから」

 ごく冷静にミーナは答える。

「お化粧だって、もっと多めにしたいと思わないの?」

「これで十分ですよ」

「じゃあ、宝石とか金細工とか…」

 尚もインディラは言い募る。が、機先を制するように、

「お茶をお飲みになりますか? 気持ちが落ち着かれますよ」

 インディラは、はっとしたように口をつぐんだ。

 ミーナはそれを肯定と受け取ったようだ。近くに置いていた布袋から(ひさご)を取り出し、その中身を器に注いだ。芳しい茶葉の香りがインディラの鼻腔をくすぐる。

「作り置きで申し訳ありませんが」

 馬車の中では火など熾せない。

 インディラは両手で器を受け取ると、おずおずと口を付け、一気に飲み干した。自分で思っていたよりも喉が渇いていたみたいだ。

「…ふう」

 吐息をつき、ふとミーナに視線を向けると、柔らかく細められた双眸に迎えられた。

 インディラもにっこりと笑い、

「ね! この夕日色のサリーなんて、ミーナにすっごく似合うと思うの」

 ミーナは目を瞬かせた。

「まだ仰いますか! って、そのサリーどこから出されたのですっ!?」

 が、インディラは答えず、

「えいっ」

 と両手でサリーを広げ、ふわりとミーナの頭に被せた。

「ま、まさかこれ、婚礼衣装では…!?」

 夕日色一色と思われたサリーだが、近くで見ると細かい花模様が施された上質の物だ。

「一枚くらい平気」

「いけません! ほらもう、いいかげん悪戯は止して、元の場所にお仕舞いなさい」

「やだ」

 サリーを脱ごうとするミーナを邪魔するように、インディラはがばっと抱きついた。

「こ、こら…っ」

 焦ってるくせにミーナの抵抗は遠慮がちだ。

 インディラは目を閉じた。

「私はね、今だけは、自由にやりたい事をやってもいいのよ」

 だって、ここが、私の最後の「カマラ」だから。

 が、その時、唐突に馬車が止まった。

「きゃ」

 その勢いで、二人は抱き合ったまま、危うく前につんのめりそうになる。

「インディラさま、大丈夫ですか!?」

「う、うん」

 インディラの体を抱きとめるようにして、ミーナはほっと息を漏らす。

 そして、すぐさま立ち上がると、窓から外の様子を窺った。

 前方では、まるで道を塞ぐように木が倒れていた。慌てて駆け寄る御者の姿も見えた。

 なぜ、こんな所に倒木が?

 その不自然さに人為的な思惑を感じたミーナは、咄嗟に後方を振り返った。

 果たして、道の向こうから、覆面を付けた黒ずくめの集団が馳せ迫っていた。数は二十ほどか。手に手に曲刀を握っている。

 護衛の兵も気づいた。迎え撃つべく馬首を廻らそうとするが、如何せん道が狭い。

 そうしている間にも、黒ずくめたちは、林の方へと広がり、こちらを囲むように展開しようとしてた。

 それはまるで、正規の訓練を受けた兵のように洗練された動きだった。

 どくん、と胸の奥で鼓動が鳴った。

 これは途轍もなく恐ろしい事が起こっているのではないだろうか。

「インディラさま!」

 慌てたミーナは、転がるようにして主の傍へと戻った。

「ねえ、何があったの?」

 不安も露わにインディラが尋ねる。

 その怯えた瞳に、ミーナは、胸を衝かれた。

 確かに、今は一刻を争う。

 だけど、焦燥に駆られ、冷静さを失った私の姿は、インディラさまの不安を煽るだけだ。

 ミーナは胸に手を当て、深呼吸した。

 まずは、落ち着いて状況を説明しよう。

「…敵襲です。正体は分かりませんが」

 最初はクマル王への贈り物を狙った山賊の類かと思ったが、どうも様子が違うようだ。

黒ずくめたちは、宝物を積んだ荷車など目もくれず、戦いを仕掛けてくるような布陣をとった。

 となれば、狙いは一つしかない。

 外から剣戟の音が聞こえ始めていた。

「奴らは多分、インディラさまを狙っているのです! さ、立って!」

 ミーナはインディラの腕を掴むと、半ば強引に立ち上がらせた。

「倒木で道が塞がれておりますので、馬車を動かせません。そして、敵は後ろから来ております。かくなる上は、木立に紛れてカマラ側に逃れるしかありません」

 早口で説明しながら、ミーナは深緑色の敷物を手に取った。

 やや固めだが、下ろし立てだし、纏えないことも無い。軽く叩いて埃を落とす。

「ご無礼を!」

 と、インディラの体を敷物で覆った。ちょうど良い保護色になるだろう。

 そうして、ミーナは先ほどインディラに無理やり着せられたサリーを頭から被る。

 鮮やかな夕日色のサリーを。

「ミーナ…?」

 インディラの秀麗な顔に、驚愕の色が広がった。

「この馬車をでたら、貴女様は、川に向かって真っすぐ進むのです。そして、川にぶつかったら、今度はそれに沿って下りなさい。麓の村に出るはずです」

 しかし、インディラは青ざめ、小刻みに震えながら、首を横に振る。

「そのサリー……ミーナ、ミーナ、何をするつもりなの!?」

「囮になって時間を稼ぎます」

 正直に答えた。さすがに誤魔化しきれないだろうし、そんな時間も無い。

「だめ! 絶対に許さないわ!! 逃げるのなら一緒よ!」

 予想と期待をしていた言葉だった。

 ミーナは微笑んだ。これで十分ですよ。

「私が先に出て敵を引きつけるので、隙を見て脱出なさって下さい。……よろしいですね!」

 言うや否や、ミーナは馬車から飛び出した。

 顔をサリーで隠し、周囲を見回す。

 あちこちで警備兵が応戦している。血を流し地面に伏す者もあった。ミーナは口から悲鳴が漏れそうになるのを必死でこらえた。

 そして、やがて感じる視線。

 間違いなく、黒ずくめのものだ。

 確信した瞬間、ミーナは駆け出した。アグラ国の方向へと。



 よろしいですね!

 その言葉と、晴れやかな笑顔を残してミーナは馬車から飛び出した。

 インディラは呆然と座り込んでいた。

 その頬に透明な涙が伝う。

 なぜ、ミーナは笑っていたの?

 恐くないの?

 私は怖いよ。怖くて不安でたまらないよ。

 でも。

 インディラは、袖で目を拭った。

 がくがくと震える膝を上から抑えるようにして立ちあがる。

 肩からずり落ちそうになる敷物をたくし上げ、インディラは前に踏み出した。

 私がするべきは、川を見つけて、それに沿って山を下って、村に出ること。

 そして、援軍を呼んで皆を助けることだ。

 華奢な手が、馬車の扉を押し開いた。

 読んで頂いてありがとうございました!

 前回とは対照的に、女の子二人の主従話で、とても楽しんで書けました。しかし、ミーナが予定外の活躍をしてくれたお陰で、もう一人の主人公の出番が次回持ち越しになったという…w

 では、次回も読んで頂けたら幸いです。ありがとうございました。

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