鉄の吐息、旧世界の亡霊
朝靄が晴れぬうちに、アイリスは街を出た。
装備は最低限。腰に吊るした突撃銃、背負った簡易バッグ、短剣、そして暗視・熱源探知付きのゴーグル。ショートジャケットに身を包み、銀髪を高くポニーテールにまとめる。
>「……よし。行こう、ユグド」
>「遺跡候補地点《X-23》、地図照合完了。旧帝国軍の補給拠点跡と推定。危険度は中。敵性存在:未確認」
カイルには、もう同行を頼まなかった。
昨夜、宿の前で小さな袋を渡した。
中には、換金で残った銀貨の半分以上が入っていた。
「ここまでありがとう。あとは一人でやる」
そう告げたときの、彼の戸惑った表情は、もう思い出さない。
──数時間後。目的の遺跡入口へ到着。
岩肌に食い込むようにして口を開いた、旧時代の金属扉。
既に半ば崩れていたが、かろうじて中へと通じる隙間が残っていた。
>「外部温度、22度。内部反応検出──熱源複数。警戒レベルを引き上げます」
「上等だ。実戦でこそ、学べることがある」
アイリスは銃を構え、音もなく暗がりの中へと足を踏み入れた。
蒸気がうなり、鉄骨が軋む。
その先には、かつて誰かが造り、捨てた世界が眠っている。
無機質な通路に、金属の爪が滑る音が響いた。
>「熱源反応──距離、十五メートル。警戒。警戒。起動型警備兵装、型式不明」
「来たな」
アイリスは暗視ゴーグルのバイザーを下ろし、突撃銃を構えた。
チャキ、と乾いた音。蒸気駆動と魔力結晶の連動機構が起動する。
──次の瞬間、鉄の影が通路の影から飛び出した。
「ッ!」
四脚の小型警備機。球状のボディに赤いセンサーアイが瞬いている。
旧帝国の警備用兵装──だが今は制御を失い、侵入者を無差別に排除する“狂犬”だった。
マントの裾を払ってしゃがみ込み、アイリスは反動姿勢を取る。
「……まずは、対装甲弾」
銃身側面に装填セレクターを操作。魔導徹甲弾を選択。
──引き金を引く。
閃光。銃声。魔力と蒸気の咆哮。
《ズドンッ!!》
徹甲弾が敵機の前脚を撃ち抜いた。だが、即座に跳ね上がる機体。
赤い光が収束──魔導収束弾を撃とうとしている。
>「魔導照準、2.4秒──間に合いません」
「なら、動いて避けるまでだ!」
反転し、通路の支柱を蹴って跳躍。
直後、背後で爆音と白煙が炸裂。魔導弾が通路の一部を吹き飛ばした。
空中で姿勢を整えながら、アイリスは第二射。
「今度は──コア狙いだ!」
照準をセンサー部へ。
ズン、と魔力の震動を銃が伝える。
着弾。警備機の頭部が粉砕された。
脚をバタつかせ、警備機が崩れ落ちる。
蒸気が漏れ、魔導動力が断たれる音が聞こえた。
──静寂が戻る。
>「敵機排除完了。魔導核は損傷。回収価値:中程度」
「素材は工房で売れる。……次の通路に進むぞ、ユグド」
銃身を下ろしながら、アイリスは奥へ進んだ。
誰も助けてはくれない。
だが──この世界で生きるなら、戦うしかない。
それはかつて、銃と爆炎の中で得た答えと、何も変わらなかった。
崩れかけた回廊を進むごとに、空気が重くなっていく。
金属の腐臭。微細な蒸気粒子。壁の配管からは、絶えず「ピシ……ピシ……」と冷えた水が滴っていた。
──ここは、完全に“死んでいる”はずだった。
だが今、アイリスの耳に届くのは明確なノイズだった。
「……機械の駆動音。起動してる……?」
《ユグド》が即座に応える。
>「圧縮蒸気反応を検知。警告──この先、魔導駆動機関の残骸に擬似生命反応あり。戦闘用個体の可能性、65%以上」
アイリスは無言で頷き、ベルトに装着した《散布ユニット》を操作した。スチール製の小さなボンベ──蒸気カートリッジをねじ込み、解放弁を開く。
──プシュゥウ……。
瞬間、冷気にも似た霧が足元に広がる。視界は揺れ、アイリスの肌に微細な粒子がまとわりついた。
>「展開完了。圧縮蒸気は局所筋組織と神経反応を一時的に増幅。使用可能時間、約三十秒」
戦術強化状態──いわば、“戦闘補助技術”。
「行くよ、ユグド」
その声と同時に、床の影からそれは現れた。
蒸気駆動の四脚機兵──おそらく、かつての魔導工学研究に使われた「警備用自律兵装」の一体だ。だが制御装置はもはや腐り落ち、暴走個体となっていた。
「こっちに気づいた!」
アイリスは購入したばかりの突撃銃を構える。
──カイルが選んだ、ボディアーマー貫通弾と魔導徹甲弾の両方を使える銃。
彼女は《暗視ゴーグル》の視界で敵の熱源と駆動部を確認。暴走機兵の関節部──熱分布が集中している場所へ、銃口を向けた。
「……射線、確保。ユグド、偏差補正」
>「補正完了。発射許可」
──バン、バンバンバンッ!
装甲を貫通する鋭い音。だが完全には止まらない。
アイリスは回避行動に移る。地面の起伏を利用し、転がり、背後へ回り込む。
>「左駆動脚に脆弱性。狙撃可能範囲に誘導を」
「やるしかない……!」
アイリスはあえて一発、銃弾を外して機兵の注意を引くと、狭い足場を走ってすり抜けた。そして──
──ズドォン!!
魔導徹甲弾を左脚関節に叩き込み、機兵はバランスを崩す。
倒れ込んだ瞬間、頭部ユニットが蒸気を噴き上げた。
>「コア解放予兆──自己崩壊動作に移行!」
「ユグド、最短ルートで離脱!」
>「誘導開始。後方三メートルに非常用シャフトあり、開閉ロックを解除します」
走った。全力で。
圧縮蒸気の効果は限界に近い。脚が重くなる前に──!
廊下の末端、破損した鉄格子の隙間から、ようやくアイリスは外へ飛び出した。
次の瞬間、背後で爆音と赤い蒸気が吹き上がった。
──あれが、この世界の現実。
──魔法もなければ、味方もいない。頼れるのは自分と、ユグドだけ。
息を整えながら、アイリスは背後を一瞥した。
「生き残った……」
ユグドが静かに言う。
>「生存率、想定を17%上回りました。お見事です、アイリス」
「……当然だ。私はこっちで死ぬつもりなんてない」