ギルドにて
夜の帳が降りる頃、冒険者ギルド《焔の大広間》の扉が重く開かれた。
煤にまみれた少年──カイルと、その傍らを歩く銀髪の少女。
インナーの上に薄手のショートジャケット、動きやすい黒の短パン。
煤と汗で汚れてなお、少女の姿はどこか幻想的だった。
ざわつくギルド内。
見慣れない顔に、人々の視線が集まる。
受付に立つ女性職員が声をかけた。
「おかえりなさい。任務は──」
「完了。第二層にて目標の脅威を確認。情報を持ち帰った」
アイリスは無表情のまま、ポーチから封印結晶を取り出す。
「記録媒体。対象の外見、挙動、魔力波形。
起動型兵装と思われる個体が、稼働状態で存在していた」
職員は受け取った結晶を見つめ、思わず息をのんだ。
「……起動型? それって、旧世界の……?」
アイリスは一瞬だけ黙った。
背後でカイルが顔を強ばらせるのを感じながら、短く返す。
「……あくまで“類似”だ。確証はない。だが、遭遇戦での撃破は不可能と判断。
装備も武装も足りなかった。だから、最善の選択肢を取った──“撤退”だ」
事実だった。
──だが、ユグドという存在は、報告の中には含まれていない。
秘密は守る。
それが、彼女の兵士としての本能だった。
数分後、ギルド幹部──鉄仮面のような男が奥から現れる。
彼は記録を受け取り、沈黙のまま中身を再生。
その目が細められ、唸りが漏れる。
「……この判断は、正しい」
「依頼を失敗したとは……言われませんか?」
カイルの問いに、男はかすかに笑った。
「いや、むしろ評価すべきだ。
“勝てない戦いを避ける”のは、訓練された兵士の選択。
死んでいたら、報告もできなかった」
彼は改めてアイリスを見た。
その目は、ただの新人ではないと告げていた。
「君の名前は?」
「アイリス。」
「覚えておこう。……情報依頼として再評価。報酬は倍付け、階級はD級と認定する」
夜のギルド。
灯火の揺らめく中、アイリスは一人テーブルに腰掛けた。
(……バレなかった)
視線を伏せ、内心でユグドに語りかける。
>「記録改変、任務完了。あなたの存在は秘匿されたままだ」
>【了解。潜在的な脅威評価の再計算を推奨。武装取得まで戦闘は最小限に】
(当然だ。今のままじゃ、“あれ”には勝てない)
アイリスは長い銀髪を手早くポニーテールに結ぶ。
戦闘時に邪魔にならぬよう、結び癖をつけるために。
(勝つためには、装備が要る。火力も、防御も。次は……調達だ)
──彼女の目が、再び戦場を見据えた。
軋む扉をくぐり、街の一角にあるギルド支部を出たアイリスは、カイルに連れられ、装備調達エリアの外れへと足を運んでいた。
肌を撫でる乾いた風に、ショートジャケットの裾がなびく。下は薄手のインナーと短パン──この世界の気候に合っているとはいえ、戦場に立つにはあまりに無防備だ。
腰に下げたのは、カイルから一時的に譲り受けた旧式の魔導駆動銃《リバレーターMk.II》のみ。反応も悪く、連射機構もなし。しかも予備弾倉は一つ。
「最低限ってレベルじゃないな……」
アイリスは小さく呟いた。
もともと“本来の装備”など持ち合わせていない。遺跡で目覚めた彼女にとって、この体も、名も、すべてが借り物だ。
視界の片隅に、静かにラインが走る。
【ユグド接続:限定モード】
【推奨:現状の戦闘力不足を認識。近距離での回避機動・反応速度を重視した装備を優先確保すべし】
「わかってる」
思わず口に出してしまい、横を歩くカイルが怪訝な顔を向けてくる。
ごまかすように前髪をかき上げる──鬱陶しい。
アイリスは立ち止まり、髪留めを取り出すと、すっと長い髪をひとまとめにしてポニーテールに結んだ。
「……似合ってる」
カイルがぽつりと呟いたが、アイリスは何も答えず、足を速めた。
向かったのは、《ロルグの雑工房》──鉄くずを魔導素材に再利用することで知られる、冒険者御用達の店だ。
工房の主は、分厚いゴーグルと油まみれのエプロンをまとった壮年の技術屋。
アイリスの姿を見て、やや驚いたように言った。
「……あんた、これで依頼受けてんのか? 冗談抜きで紙装甲だぞ」
「だから来たんだ」
アイリスは即答する。
そして、並べられた部品の中から使えそうなものを探し、最も基礎的な防具の残骸を見つけた。
簡易蒸気圧収束ベスト《スチームレイヤー》:衝撃吸収材を内蔵、だが耐弾性能は低い
魔導銃ホルスター(旧型):リバレーターMk.II専用
予備弾倉(2本):状態不良
「……足りないが、これで十分だ」
【ユグド追記:戦闘想定シミュレーション更新──最低限の生存ライン確保】
装備を受け取った帰り道、カイルが言った。
「なぁ、アイリス。今の装備で無理をするなよ。あんた、戦い慣れてるのはわかるけど、ここは……」
アイリスは、その言葉を遮った。
「……装備はそのうち揃える。問題は、どう使うかだ」
その眼差しは、過去の戦場で数え切れぬ死線を越えてきた兵士のものだった。