ネストへの依頼
その日、ネスト本部には表立って公開されない《黒紙依頼》が一通、密かに届けられていた。
対象:第八区議員・ハルド=ヴァレンツァ
内容:標的の暗殺
報酬:30金貨
依頼主:匿名(被害者家族の可能性あり)
備考:標的は過去に複数の女性を権力で買収・強姦。最近は未成年にも手を出し始めている。
「……最低のクズだな」
アイリスは依頼書を読み終え、低く呟いた。手に持つ黒紙の縁を炎にかざし、灰にする。
「公式の処罰は望めない。動かない限り、また誰かが犠牲になる」
彼女の前に立つのは、情報仲介人を兼ねる《クロウズ・ネスト》のラゼル。顔の左半分に走る傷痕が、薄暗い室内で不気味に浮かんでいる。
「表のギルドじゃ絶対に通らない依頼だ。だが、裏で消える人間もいる。それが……この世界の均衡だ」
「理解している。これは任務じゃない。処理だ」
「……やるのか?」
アイリスは一歩、静かに踏み出した。黒のドレスの裾が揺れる。
その下には、散布型のスチームカートリッジと短剣、短銃が隠されていた。
「私がやる。あの男に“報い”を──誰かが与えなきゃならない」
*
第八区・貴族街──
夜空に赤い月が浮かぶ、忌まわしい夜。
ヴァレンツァ議員の屋敷に、ひときわ異様な緊張感が漂っていた。
今夜、ある“特別な贈り物”が届くと、主人が上機嫌に周囲へ漏らしていたからだ。
「こいつが今夜の……献上品か?」
玄関で警備兵に引き渡されたのは、銀髪の少女。美しく、うつむき、口をきかない。
しかし、警備兵は不審には思わなかった。
この屋敷では、こうした「贈り物」が時折、地方領主や貴族から送られてくる。権力に媚びる者たちの“賄賂”として。
「ふん……今夜は機嫌がいいらしい。まあせいぜい可愛がってもらえよ」
警備兵は少女を手引きし、屋敷の奥へと導いた。
■ヴァレンツァ議員の私室
酒と香の匂いが充満する寝室。
黄金の装飾に彩られたベッドの上で、男はご満悦の表情を浮かべていた。
「よく来たな、可愛い小猫ちゃん。名前は?」
少女──否、アイリスは黙って頭を下げる。
長い髪をおろした美しい銀髪と、淡いドレス。スカートの裾は軽くふくらみ、中に仕込まれたナイフと スチームカートリッジを隠していた。
「緊張してるのか? いいんだ、今夜は私が優しくしてやるよ……ふふ、気に入った。君は“当たり”だ」
男は下卑た笑みを浮かべ、手を伸ばし、アイリスをベッドへ押し倒す。
背を向けさせ、首筋に唇を近づけた──その瞬間。
「……今夜の“献上品”は、死をもって報いる者だ」
「な──」
振り返ったアイリスの瞳は氷のように冷たく、次の瞬間には銀色のナイフが男の心臓を貫いていた。
「っ……!」
男は声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
返り血は最小限。アイリスはすぐにベッドと衣服を整え、肌に数ヶ所、自ら細い傷をつけた。
あたかも“行為の痕跡”のように見せるために。
■翌朝・屋敷の廊下
陽光が差し込む中、議員の寝室から一人の少女が現れる。
ゆるんだドレス。首元には愛撫の痕に見える赤い線。
護衛たちは目を細め、ニヤつきながら見送る。
「ご苦労だったな、嬢ちゃん。……ずいぶん気に入られたみたいだぜ」
「ええ、たっぷりと……ご満足いただけたようで」
アイリスは微笑みながら、屋敷の門を抜けた。
その背に、誰も違和感を抱く者はいなかった。
その日、正午過ぎ。
ヴァレンツァ議員の侍女が彼の死体を発見した。
喉を潰されたような叫び声とともに、街の闇にまた一つ“汚れた真実”が消えた。




