第二十五章 この子はもうダメだ
「そろそろ時間ですよ。あなた、行きましょう――」
女がくるりと振り返り、俺の腕を取ろうと手を伸ばしてきた。
俺は慌てて身をかわす。だって一度でも手をつかまれたら、もう絶対に離してくれないってわかってたから!
その瞬間、俺の体に激しい痛みが走った。何かが無理やり引き剥がされるような感覚。よく見ると、それは……俺の魂だった!
おいおい、冗談じゃねえぞ?
俺は急いで指先の血を額に塗りつけ、自分の魂が抜けないように封じ込めようとした。
あの世では、俺とあの幽霊女はすでに夫婦の関係になっている。つまりもう童貞じゃねえってわけだ。
でもこっちの世界じゃ、俺の血はまだそれなりに効果がある!
幽霊女はギャッと悲鳴を上げ、ベッドに崩れ落ちた。無垢な白い太ももがあらわになって――
……惜しい。小倩が幽霊じゃなかったらなぁ、マジで最高なのに。
親父はこの状況を見て、俺に目配せしてきた。すぐに察して、俺は部屋のドアを開けて親父と一緒にダッシュ!
今は外がカンカン照りだ。どれだけ幽霊女が強くても、太陽の下まではさすがに追ってこられない!
父さんは俺を連れて隣の家へ。目的は――黒犬の貸し出し依頼!
隣のおじさんが口をへの字に曲げた。心の中じゃ全部お見通しだ。「王家が犬を借りるってのは、つまり返ってこないってことだな」ってね。
「持ってけ。でもこれが最後だからな?」
隣人の李じさんはご立腹だったけど、仕方なかった。何年も隣人やってれば、俺たち父子のやり口なんて百も承知。
もし貸してくれなきゃ――盗むしかねえ。昔っからそうだ。
「親父、これ何に使うつもりなんだよ?」
「わかってて聞くな。」
その一言で、俺はピンときた。そういやあの日、村医者を救った時も似たような手口を使ったな。泥に何かを包んで、自分の気配を染み込ませて、それで“穢れ”に「あ、こいつだ」って誤認させるんだ。
つまり、父さんが用意したこの黒犬も、幽霊をだますための囮ってわけか――
ふと頭をよぎる。親父、あんた……ホントに犬みてぇなヤツだな……
案の定、黒犬が息絶えると、父さんはその体に厚く泥を塗り、自分の髪の毛を貼りつけ、「陰人符」をべたっと貼ってから、泥犬を部屋の中へポイッ。
すると間もなく、女は部屋からすーっと出ていった。
もしも女があの世へ戻ってから、自分が連れて帰った“夫”が実は犬だったと知ったら……正気保てるのか?
しかも、あの女は一生に一度しか夫を選べない――
つまり、これからの余生(いや、余死?)は、黒犬とともに過ごすしかないってわけだな……
この件については、全部が全部、俺たち父子のせいってわけじゃねえんだよ。
俺たちの出発点は間違ってなかった。あの女に優しく説得して、自分からあの世に戻ってもらおうって思ってたんだから。だけど、全然話を聞こうとしねえし、どうしても俺を連れて行くって言い張るもんだから、こんな結果になったのも……仕方なかったってわけだ。
「そのうち、機会があったら……小倩の魂、引き上げてやるか……」
親父はちょっと気まずそうに呟いた。幽霊女が幸せを求めるのは悪くない。でも、選ぶ相手を間違えた――そこが唯一のミスだ。
「王先生いらっしゃいますか!?どうか……うちの子を見てください、お願いしますっ!」
ようやく一息ついたかと思った矢先、外から王おばさんの必死な声が飛び込んできた。地面に膝をつき、泣きながら頭を下げている。どうしても父さんに来てほしいらしい。彼女の子どもが、今にも死にそうなんだと。
俺も親父も驚いた。だって俺たちがあの家から黒犬を借りたときは、特に異常なんてなかったし、家の中も平和そのものだった。それが、たった今外に出たばかりで、もう子どもがダメになったって……?
もしかして、あの女、かなりのやり手で……俺たちの工作が効かなかったどころか、隣人を巻き込んじまったってことか?
「鉄男、行ってみよう。」
父さんと一緒に隣の家に向かうと、すでに家の前には人だかりができていて、みんな何やらざわざわ話していた。
内容はだいたいこうだ――「あの子はもう助からねえ」「もう息してねえらしいぞ」って。
俺はすぐに家の中の広間へ入って、草むしろの上に横たわる王おばさんの息子の虎子くんを見つけた。
体はずぶ濡れ、顔色は紫がかっていて、体温もすっかり冷えきってる。心臓も動いてねえ。
どうやら川で泳いでて溺れたらしく、誰かが引き上げてきたらしい。
「おかしい……こりゃおかしすぎる……」
思わず声が漏れた。なんか引っかかるんだよな、この状況。
「鉄男くん、何かわかったの?ねえ、ばさんに教えておくれ!」
王おばさんが俺の腕をがっちりつかんできて、涙目で懇願してくる。
俺はチラリと親父を見た。だって俺が気づいたことなら、親父さんも当然、気づいてるはずだ。
「鉄男、王おばさんは他人じゃねえ。思ったことがあるなら、はっきり言ってやれ。」
親父からOKが出たので、俺は口を開いた。
「おばさん、虎子くんは心臓も脈も止まってますけど――でも、三魂七魄はまだ全部体内にあります。肩の上にある三本の灯も、まだ二本残ってます。つまり、厳密に言えば、虎子はまだ生きてます!」
この一言に、外にいた野次馬たちがどよめきはじめた。
みんな子どもの脈を確認して、「こりゃもう死体だな」と思ってたのに、俺の口からは「まだ生きてる」って――
「おいおい、あんた本当にちゃんと見たのか?変なこと言うもんじゃないぞ?」
「そうだぞ、口にしたことには責任持てよな。今どきそんな“妖怪がどうのこうの”って迷信、まだ信じてるのかよ?恥ずかしくねえのか?」
……なるほど、よく言われる「冷たい言葉は刃より鋭い」ってのは本当だな。
俺が言ったことは、全部が心の底から出た本音だった。なのに、外野の連中からはまるで詐欺師扱いされるとはな。
「親父、こんな状況になっちまって…俺たち、まだ関わるべきか?」
「鉄男くん、行かないでくれ!あたしゃ、虎子にはまだ息があるって信じてるからこそ、あんたを呼びに行ったんだよ!あんたと虎子は仲良しだったろ?あの子を見殺しにしないでおくれよ…!」
親父が口を開く前に、王おばさんが俺の腕を掴んできた。もう一度ひざまずこうとした勢いだった。
「おばさん、それだけはやめてくれ!俺が必ず全力で助ける!」
俺はすぐにおばさんの身体を支えた。おかげで土下座まではしなかった。
「朱先生が来たぞ!専門の医者に診てもらえ!お前ら親子は早くそこをどけ!みっともない真似すんなよ!」
「アッハハハハ~~!」
三十代の男が俺と親父のことを笑いものにしやがって、周りもつられて大爆笑。
俺はその男をじっと見た。そしたら、顔の中央にくっきりと一本の黒い線。あれを見た瞬間、ピンときた。この男、もうすぐ死ぬ。
十数分も持たねぇな、こいつ。もし何も起きなけりゃ俺が謝ってやってもいい。
「はあ…ま、もうすぐお迎えが来るんだし、最後に好きに喋らせてやろうか。今のうちに口だけでも達者にしとかないと、地獄じゃもう喋れねぇぞ?」
「鉄男、黙れ!」
親父がすぐさま俺を止めてきた。余計なトラブルを避けたかったんだろう。
でも俺の言葉は、はっきりとその男の耳に届いちまってた。
「はぁ?何ぬかしてやがる小僧、今なんつった?お前さ、同じ村に住んでるからって調子に乗んなよ?今すぐ土下座して謝れ!そしたらこの拳で許してやらんでもない!」
「へっ、どうせあと数分の命だろ?黙って聞いてりゃいいんだよ」
残り…八分だな。
「てめぇ、殴られねぇとわかんねぇのか!覚悟しろッ!」
そう言って拳を俺の頭めがけて振り下ろしてきた。
俺も黙って殴られるほどお人好しじゃねぇ。一発、片手でその拳を受け止めて、身体をちょっと引きながらその勢いを利用して――ぽいっと投げてやった。
「ぐあああっ!? くっそ、痛ぇーよぉ!」
男は見事な"平沙落雁"(ぺいしゃらくがん)――別名"犬食い飯"(=顔から地面にダイブ)を決めた。
「もうやめてよ!ケンカしないで!」
王おばさんが間に入ってくれて、ようやくその場は収まった。
「ふう……脈もないしな。王さん、残念だが……覚悟を決めなさい」
村医者・朱先生が溜息をつきながら去っていった。
「どうだ?な、俺の言った通りだろ?この子はもう死んでんだよ!お前ら親子なんて、所詮ろくなもんじゃねぇ!いつもインチキばっかやりやがって!前から目障りだったんだよ!」
風は東に巡り、龍の気が動くとき——このページにたどり着いたのも、きっと「縁」の導きに違いありません。
筆者・蘭亭造は、大陸・龍虎山にて古術を学び、風水・命理・陰陽五行を長年研鑽してまいりました。
干支、八字、五行方位、九星気学など、古より伝わる術数を用い、多くの方の人生に光を灯すお手伝いをしてきました。
本作はフィクションの体裁をとっていますが、登場する風水理論や相術の多くは、実際に伝わる術理をもとに構成されています。
一部は、筆者自身の体験に基づいた内容でもあります。
もし、この物語の中に、あなたの人生に役立つ「何か」があったとしたら——
それもまた、偶然ではなく必然。
このご縁に、心より感謝いたします。