第十九章 黒猫
墓地に到着したのは、すでに夜の九時を回った頃だった。
お爺さんの墓を目にした瞬間、胸の奥がゾッと冷たくなった。何とも言えない嫌な感覚が全身を駆け巡った。
墓地はひどく荒れており、棺は何重にも墨縄で縛られ、逆さまに深い穴へと埋葬されていた!
しかも、棺は土に埋められることもなく、空の下にむき出しのまま放置されていたのだ。
「なあ……なんでお前、自分の親父の棺を逆さに埋めたんだ?」
つい声に怒気が混じってしまった。俺は本気で腹が立っていた。兄弟のいざこざに、なんで死んだ親父まで巻き込まれなきゃならん?どう考えても、ただの家庭内トラブルじゃ済まされない何かがある。
長男――つまり雇い主の兄貴は、今ではすっかり俺に頭が上がらなくなっていて、聞けば何でも答えるし、手伝いもする。変な下心も見えない。
「道士が言ってたんだよ、棺をこうやって埋めれば、これから先は金も女もやりたい放題だって〜」
「ふざけんな、このクソ野郎!」
思わず怒鳴りつけた。そんなの、インチキ道士のホラ話に決まってんだろうが!
あのクソ道士が何を企んでたのか、ようやく合点がいった。あいつはこの卑劣な手を使って、俺との勝負に持ち込むつもりだったのだ。そして自分の利益のため、最終的には俺をこの世から消す気だったに違いない。
つまり、あの道士は最初から俺を殺すつもりで動いていたってわけだ。一手一手、全部俺の命を狙っていたってわけか。
思い返せば、あの夜に起きた金縛りの件も、狙いは雇い主じゃなくて――俺だったのかもしれない。あのやり方で、俺の命を取ろうとしていたのだ。
だが、アイツも甘かったな。俺の素性と年齢を見くびったんだ。
俺はまだ二十歳そこそこだけど、陰陽道のことなら骨の髄まで叩き込まれてる。自信満々だったあの道士なんて、俺から見ればただの鼻たれガキさ。
結局、まともに戦う前に自分で毒喰らってアホになりやがった。正直言って、俺としてはちょっと物足りなかったな〜。
俺たち三人で麻縄を棺に巻きつけ、力を合わせて引き上げた。
驚いたことに、この桐の棺は思っていたよりもずっと軽かった。三人ともあまり力を入れずに、あっさりと墓穴から引き上げることができた。
「先生、中を見てください!なんかいますよ!」
村医者が真っ先に気づいた。彼の目は鋭く、穴の中の黒くうごめく何かを捉えた。
しかも、それは動いていた。時おり、ギャアッと耳をつんざくような声をあげる。
なんと、中にいたのは――筋肉質な黒猫だった!
墓穴の中に、なぜこんなモノがいる?この黒猫は完全に俺の想定外だった。
不意打ちのように現れたこの“穢れ”に、さすがの俺も驚いた。
死者の棺のそばに、毛の生えた動物が近づくなんて、本来あってはならないことだ。
特に猫や犬なんてもってのほかだ!
思い出すのは、子供の頃。村の誰かが亡くなると、飼い犬はちゃんと玄関先に座って、絶対に棺の近くには寄ろうとしなかった。
ただの偶然じゃない。犬はちゃんとわかってるんだ、自分が死者の傍にいてはいけないってことを。もし犬が遺体に近づいて、しかもその顔を見てしまったら――百日以内に、その家にまた不幸が訪れると俺たちの地方では信じられている。
だから、死者の傍に生き物を近づけてはいけない。これが俺たちの風習だ。
猫に関しては、さらにタチが悪い。猫は「陰を引き寄せる体質」を持っていて、遺体のそばに現れると、「屍体が跳ねる」――つまり死者が一時的に動き出す、という最悪の事態を招くことがある!
あの“猫面老婆”の事件を覚えてる人も多いだろう。あの話は大陸で話題になった。実際に目撃したっていう奴も多くいた。
結局、あまりに騒ぎが大きくなりすぎて、各メディアが情報を封鎖したことで、ようやく沈静化したけどな。
要するに、猫の死者に対する影響は犬の比じゃない。とりわけ、この全身が黒一色の猫――これは格が違う!
その黒猫は、まん丸の目を見開いて、俺たちをまるで恐れず、ひたすらお爺さんの魂を凝視していた。
しかも、口元をペロペロ舐めながら、明らかに「美味そうだ」って顔してたんだよな……。
お爺さんの魂は震え上がっていた。もともと半透明だったのが、ブルブル震えるせいで、水面の波紋みたいに揺らいで見える。その様子はまるでテレビの電波が悪くて画面が乱れる時のあれみたいだった〜。
「まずい!この黒猫は絶対に始末しないと、取り返しのつかないことになる!」俺がそう言った瞬間、村医が先陣を切って動いた。
手にしたスコップを振りかざし、黒猫の頭めがけて思い切り叩きつけた!「ミャアアア!」黒猫は凄まじい悲鳴を上げながら、その一撃をヒラリとかわした。
身軽にジャンプして、数メートル先まで飛び上がり、そのままスッと着地する。「ミャアア!」再び甲高い鳴き声を上げると、黒猫はお爺さんの魂へ向かって一気に飛びかかった!
「止めろ!早くそいつを止めろ!」「パシッ!」「ミャ……〜〜」鈍い音とともに、黒猫は地面に崩れ落ちた。
そして、そのままピクリとも動かなくなった。俺と村医者は、しばし立ち尽くし、目の前の光景を信じられずにいた──
さっきの間一髪の瞬間、長男が黒猫の頭に強烈なパンチを食らわせた。その一発は相当な重さだった。音を聞いただけで、こっちまで頭がズキッと痛んだくらいだ〜〜。
村医はグッタリした黒猫をひょいと持ち上げると、そのまま思いきり遠くへ放り投げた!
黒猫は十メートルほど離れた空き地に落ちたが、その瞬間、猛スピードで走ってきたワゴン車に轢かれ、地面にベチャッと潰れて肉の塊になってしまった。
これでもう安心だ。たとえあの黒猫に十の命があったとしても、もう助かるわけがないだろう。
お爺さんの魂もようやくホッと一息ついたらしく、徐々に落ち着きを取り戻した──。
「よし、じゃあ……本番を始めるぞ。」
俺は村医者に一羽の大きな雄鶏を手渡した。彼はその鶏を抱えながら棺の周りを一周し、ナイフでその首をスパッと切り裂いた。
雄鶏の血が切り口からドクドクと流れ出し、それを俺が碗でしっかりと受け止めた。数分もかからず、湯気の立ち上る熱々の鶏血が一杯分、完成した〜。
俺は毛のついた刷毛を二本取り出し、一つを長男に渡し、もう一つを自分で持った。そして鶏血を刷毛に浸して、棺の表面に塗り始めた。
長男も俺の動きを見よう見まねで、鶏血を塗っていく。
この「血塗り」の第一段階はかなり繊細な作業で、細かい部分も絶対に見落としてはならない。特に“墨縄”(すみなわ)で巻かれた部分には、必ず鶏血を塗らねばならない。
そうしなければ、何の効果も発揮できないからだ。
作業を始めてから約30分後、ようやく全体を塗り終えた。
俺は村医者にナイフを渡し、「あとは頼んだぞ」と言った。
この墨縄を切る作業を村医者に任せたのには理由がある。実は、彼はもともと屠殺業をしていたことがある。そういう人間は、たとえ長年“殺生”をしていなくても、体の内に“煞気”を宿している。
もしあのクソ道士が、この墨縄に罠をかけていたら――村医者の煞気がその邪気を押さえ込んでくれるに違いないと思ったんだ。
案の定だった。
最初の一本の墨縄を切った瞬間、棺の中から黒い気がブワッと噴き出し、それが一気に村医者の頭頂――つまり「百会」をめがけて襲いかかった!
だがその瞬間、村医の全身から煞気が爆発的に立ち昇り、棺から噴き出した黒気を一瞬で飲み込んでしまったのだ〜〜!
ふぅ〜〜……。
危なかった……。
俺は自分の判断が正しかったことに心底安堵した。村医にやらせておいて本当に良かった。
俺自身、陰陽師としてこの業界の“裏の流儀”をよく知っている。もしあの道士が俺だったとしても、棺に仕掛けの一つや二つくらい、必ず残しておくからな〜〜。
棺の中ってのは、常に何が潜んでいるかわからない。
普通の人間が相手だったら、さっきの黒気にあっさりと侵食されていたかもしれない。
あの黒気はサイズこそ小さいが、やたらと凶暴だ。そして、狙いもはっきりしている。
もしあんなモノが百会に入り込んでいたら……たとえ神様だろうと助けることはできない!
風は東に巡り、龍の気が動くとき——このページにたどり着いたのも、きっと「縁」の導きに違いありません。
筆者・蘭亭造は、大陸・龍虎山にて古術を学び、風水・命理・陰陽五行を長年研鑽してまいりました。
干支、八字、五行方位、九星気学など、古より伝わる術数を用い、多くの方の人生に光を灯すお手伝いをしてきました。
本作はフィクションの体裁をとっていますが、登場する風水理論や相術の多くは、実際に伝わる術理をもとに構成されています。
一部は、筆者自身の体験に基づいた内容でもあります。
もし、この物語の中に、あなたの人生に役立つ「何か」があったとしたら——
それもまた、偶然ではなく必然。
このご縁に、心より感謝いたします。