第十七章 善行を尽くし、見返りを求めず進む
「私はお二人と同郷の者でして、かねてよりお二人のご活躍に感銘を受けておりました。本日こうしてお待ちしていたのは、ただ一献の酒を捧げ、私の敬意を表したくて——」陰陽師のこのひと言が、黒白コンビのど真ん中に突き刺さった。
彼らが冥界の役人になったのには、それはそれは涙なしには語れぬ背景があるのだ。
伝説によれば、黒無常の本名は「范無咎」、白無常は「謝必安」といい、どちらも福建省の閩県(現在の福州・長楽)出身だという。
ふたりは幼い頃からの親友で、兄弟のように仲が良かった。
ある日、ふたりで遊びに出かけ、福州の南台橋までやって来たとき、突然激しい雨が降り出した。
そこで謝必安が「ちょっと傘を取ってくるから、ここで待ってて」と言い残し、一旦家に帰った。
だが、その間に雨脚はさらに強まり、川の水かさが一気に増していった。
范無咎は生まれつき背が低かったが、約束を破りたくなかったもんで、びしょ濡れになりながら橋の下でじっと待ち続けた。
結果——無情な増水に飲み込まれ、命を落としてしまう。
傘を持って駆け戻ってきた謝必安が目にしたのは、すでに水に沈んだ親友の姿だった。彼は深く後悔し、自分のせいで友が死んだのだと自責の念に駆られ、その場で橋に上って首を吊った。
——あの世に行っても、共に生きようと。
この深すぎる絆に感心した閻魔大王は、彼らの義を讃え、城隍爺のもとで罪人を捕らえる役目を与えた。
「謝必安」とは、神に感謝すれば必ず安らかに——
「范無咎」とは、罪を犯せば救いようがない——
と、そんな意味が込められているとも言われている。
ふたりは閻魔殿に赴いたのち、「黒白無常」として正式に任命され、冥界の神格を得ることになった。
だが、いくら神様のような存在になったとはいえ、心の奥底に残るしこりは消えていなかった。
ふたりは今でも、それぞれ自分のせいで相手が死んだと思い込んでいる。——もし自分がもう少し早く戻っていたら、あいつは溺れずに済んだのに。
——いや、俺の背がもっと高ければ、あいつは自責で死ぬこともなかったのに……。
そんなわだかまりを抱えたまま、陰陽師に「同郷」と言われ、過去の話を蒸し返されたものだから、すっかりガードが緩んでしまい、つい酒を酌み交わし語り合うこととなった。
すっかり打ち解けたふたりは、勧められるまま酒と肉を平らげた。——が、その直後、ふらりと目眩に襲われ、方角すらわからなくなっていた。
黒白無常がフラフラになったのは、決して彼らの酒に弱いせいではない。
実は、あの陰陽師が酒にこっそり蒙汗薬を仕込んでいたのだ。
——そりゃ、意識も混濁するって話だ。
それでもなお、黒白無常は使命を忘れてはいなかった。
どんな状態であろうと、あの女の遺体を探し出し、その魂を冥界へ連れ帰る——その責任を果たすべく、必死に動いていた。
そこへ陰陽師が取り出したのは、事前に用意していた泥だらけの犬の人形。
その背に、ある一枚の「陰人符」を貼りつける。
そして、そのまま人形を冷たい川の中へと放り込んだ。
この陰人符には、件の女の毛根付きの髪の毛が三本仕込まれており、特殊な術符と組み合わせることで、その女とまったく同じ“気配”を発するようになっていた。
結果、朦朧とした意識のままの黒白無常は、その”気配”につられ、まんまとその“黒い犬”の魂を連れて帰ってしまったのだ。
その後、冥界に戻った彼らを見た閻魔大王は、連れてきたのが人間ではなく“犬”だったことに激怒。
——だが、普段からの真面目な働きぶりを評価してか、今回は大目に見てくれた。
一方その頃、陰陽師はというと——
あの女とついに結ばれ、世の道徳も倫理もぶっちぎって、ラブラブで恥知らずな日々を送ることとなった。
……とまあ、そんな話もあって、今この俺が手にしている陰人符も同じ仕組みだ。
違うのは——
俺の符には、村医者の脇毛が二本貼りついているってことくらいだな。
しかもそれを、泥でぐるぐるに包んだ“煮込み肉”に貼りつけてある。
見た目はアレだが、匂いは村医者そっくり。魂だって騙されて当然ってわけだ。
「え?なんで頭の毛じゃなくて脇毛なんだよ?」って?
いい質問だ。でも俺だって好き好んでこんな変態チックなことしてるわけじゃない。
あの村医者、実はピッカピカのスキンヘッドでな。
頭に一本も毛が生えてないから、どうにもならなかったんだよ。
他の部位の毛も考えたけど……うん、倫理的にアウト。
だから仕方なく、比較的マイルドな脇毛を選んだってだけの話。
それが意外にも太くてコシがあり、匂いもパンチが効いてて効果バツグン!
これなら陰人符の“霊欺く効果”もバッチリだ。
……そんな苦労をしてやっと、冥界役人のリーダーを叩き起こした俺。
「……あ?あぁ……兄ちゃ〜ん……どったの〜?」
リーダーはまだ完全に酔いが抜けておらず、ろれつも回ってない。
「時間だ。そろそろ現世の仕事終わって、帰って報告しなきゃだろ!」
「報告ぉ?報告ぉ〜って……何の報告だよぉ……給料だってさ〜、もう半月も未払いだしぃ〜、保険も年金もナッシングだし〜……オレぁ、もうやってらんねぇよぉ〜〜」
……なるほど。
こいつら、どうやら泥酔して本音ダダ漏れになってるらしい。
要するに、これは“給与未払い”の冥界版労働争議。
しかも“福利厚生ゼロ”、すでに辞職希望まで出ているレベルだ。
——でも、ちょうどいいタイミングじゃねえか。
もしこいつらが、俺が仕込んだ煮込み肉(脇毛付き)を「これが魂です!」って持ち帰ったら……
閻魔大王、今度こそ彼らの願いを叶えて、あっさり辞めさせてくれるかもしれないぜ〜〜。
俺は鬼差のリーダーにこう諭した——
「物事はな、始めたからにはちゃんと終わらせなきゃいけねぇ。
辞めるにしても、仕事をきっちりこなしてからだろ?
そうしねぇと、人としても鬼としても、格が落ちるぜ?」「ん〜、なるほどぉ〜兄ちゃん〜やっぱり〜お前は〜信頼できるぅ〜〜ゲフッ……」フラフラしながらも、リーダーは立ち上がって他の連中たちを起こしに行った。
十数人の冥界役人たちが、魂の抜けたエビのようにヨロヨロと立ち上がる様子は、まるで『プラントVSゾンビ』のゾンビ軍団みたいだった。「兄ちゃんよぉ〜、俺たち、行くわぁ〜。ごちそうさまぁ〜!
次は〜次はオレたちが奢る番なぁ〜!」……お見事。
あいつらは、しっかりと“陰人符付き煮込み肉”を持って冥界へと帰っていった。
ミッションコンプリートである。「次なんてあるわけねぇだろ……ま、とにかく頑張れよ〜」俺は診療所のことなんて一切気にしなかった。
どうせ明日には取り壊されるんだ。
後片付けなんて、する意味もない。雇い主を背負って自宅へ戻った。
玄関の戸を開けた瞬間、俺の目に飛び込んできたのは——
地面に倒れて泡を吹いてる、見慣れた顔が二つ。二人とも顔がカバみたいに腫れ上がってて、なかなかシュールな光景だ。その傍らでは、お爺さんの魂がしゃがみこんで長男の顔を見つめていた。
その表情は、何とも言えねぇ……
心配してるような、でもどこか笑いをこらえてるような……そんな微妙な顔だった。……俺も見ててさっぱりわからなかったぜ。
きっと複雑な心境なんだろうよ。隣に倒れてるあの道士も、まあ似たようなもんだ。
こっちは完全に意識不明だ。「先生、お戻りでしたか。……彼ら、こんな状態で……どうしましょう?」
「爺さん、心配はいらねぇよ。ここから先は、俺に任せてくれ」
俺は雇い主を寝室のベッドに戻し、それから庭に出た。道士の状態は、かなり深刻だった。
三魂七魄のうち、もうほとんど残っていない。
今ここで体内の毒を抜いたとしても、結果は悲惨だ。
完全に回復することはなく、廃人となってしまうだろう。——だが、それも自業自得だ。
ここまで堕ちたのは、すべて自分の蒔いた種。せめてもの情けで、俺は体の毒だけは解いてやった。
夜が明けるまでには目を覚ますだろう。
そして、今度はあの博打野郎のところへ向かった。
調べてみると、七魄のうち「霊慧」「気」「力」「中枢」「精魄」……この五つが、完全に消えていた。残っているのは三魂と二魄だけ。
こいつはもう二度と博打なんかできねぇ。
っていうか、たぶん今後は“魂も気力も抜け落ちた、完全に真面目一辺倒な男”として生きていくんだろうな。「……これが、奴にとっての最善の結末ってやつかもな」世の中には、宿命というものがある。
どれだけ悪行を重ねたかによって、どれだけの痛みを背負うことになるのか……それはちゃんと釣り合っている。
人として生まれた以上、この“自然の法則”からは逃げられねぇ。——善行を尽くし、見返りを求めず進む。
それが、俺たちに与えられた“当たり前の道”ってもんさ。
風は東に巡り、龍の気が動くとき——このページにたどり着いたのも、きっと「縁」の導きに違いありません。
筆者・蘭亭造は、大陸・龍虎山にて古術を学び、風水・命理・陰陽五行を長年研鑽してまいりました。
干支、八字、五行方位、九星気学など、古より伝わる術数を用い、多くの方の人生に光を灯すお手伝いをしてきました。
本作はフィクションの体裁をとっていますが、登場する風水理論や相術の多くは、実際に伝わる術理をもとに構成されています。
一部は、筆者自身の体験に基づいた内容でもあります。
もし、この物語の中に、あなたの人生に役立つ「何か」があったとしたら——
それもまた、偶然ではなく必然。
このご縁に、心より感謝いたします。