第十四章 天に代わって裁きを下す
額に、ねっとりとした液体がポタポタと二滴落ちてきた。
その液体は額を伝って滑り落ち、最終的には鼻先にまで垂れてきた。
――くっさ!何だこの臭いは?
……まさかの、ヨダレ!
慌てて後ろを振り返ると、そこにはニタニタと笑う幽霊の顔が!
真っ白な顔に、無数の小さな穴がびっしりと空いていて、密集恐怖症の俺には直視するのもキツいレベルだ。
着ているのは青い錦のローブ。古めかしく見えるその姿は、歳月を感じさせる。胸元はやや膨らんでいたが、見るからに垂れていて、どう見ても年季の入ったババァ――女の幽霊だった。
そいつが長い舌をにゅるっと伸ばして、俺の頬を舐めようとしてきたから、俺は即座にその舌を鷲掴みにしてやった。
そして、そのまま力任せにグイッと引っ張ると――
ベリッ!
根元から引っこ抜いてやった!
どこの馬の骨とも分からん下っ端が、俺の前でイキれると思うなよ?
まったく、自分の首に値札ぶら下げてるようなもんだ!
「妖しき者よ、正体を現せ!」
俺は素早く符紙を取り出し、指先を噛んで血を滲ませ、その血でお札に術式を描き――
それを女幽霊の額にペタリと貼り付けた!
「ケッケッケッケッケッ……ギャアアアア~~!」
女幽霊は部屋の中を狂ったように飛び跳ねながら、苦しげな絶叫を上げた。符咒が体を焼くような痛みを与えているのだろう。
「へっ、ざまぁみろ。」
今でこそ哀れな姿をさらしているが、こいつが人間に何をしてきたかを考えれば、情けをかける余地なんて一ミリもない。
こいつの手にかかって命を落とした人間は、きっと一人や二人じゃないはずだ。
この女幽霊と、あのクソ道士には何か深い繋がりがあるに違いない。でなければ、わざわざ道士の言いなりにはならん。
……もしかしたら、「距離ゼロの関係」ってやつかもしれんな~
「破ッ!」
女幽霊の絶叫が耳障りすぎて限界だったので、さっさと送ってやることにした。
すると、女幽霊の身体がバンッと爆ぜ、煙のように霧散して空気に溶けていった。
「カァー……カァー……」
やっと一息ついたその瞬間、外から不吉なカラスの鳴き声が二声聞こえてきた。
「マズい、何か起きるぞ!」
――カラスが鳴けば、災いが来る!
女幽霊を祓った直後にこの鳴き声、偶然であるはずがない。きっと何か関連がある。
「ガタン!」
突然、窓がガタついた。窓の外に、人影が一瞬ちらついた――誰かがいる!
「誰だっ!」
慌てて追いかけて外へ出たが、人の姿はどこにも見えなかった。
……だが、その代わりに、俺が最も見たくなかった光景を目の当たりにすることになった。
なんと、雇い主の父親が、また戻ってきていたのだ!
さっき窓の外で物音を立てたのは、きっとあの御老体だ。
見知らぬ奴(俺)が家に入っているのを見て、警戒して中に入ってこられなかったんだろう。
昼になり、外はギラギラとした日差しが容赦なく降り注いでいた。
そんな中、お爺さんの魂は庭に立ち尽くし、黒い煙を立ち上らせながら、苦悶の表情を浮かべていた。
「お爺さん、中に入りましょう! 外は危険すぎます!」
呼びかけると、お爺さんの魂はフラフラと室内に入ってきた――もう半透明になっていて、今にも消えそうな状態だった。
どうしてこんなことになっちまったんだ?
兄弟の確執に巻き込まれて、なんでお爺さんまでこんな目に遭わなきゃならんのか?
見てみろよ。あんなにしっかりしてたお爺さんが、すっかりしょげ返って、今にも泣き出しそうだ。棺には戻れず、家にも入れず、挙句に魂までバラバラになりかけてる。
あの道士がクズなのは最初から分かってた。金で動く連中にモラルなんて期待しちゃいない。
だけどな、長男のあの博打野郎までが、父親の無惨な姿を目にしても一言も発さないなんて、どういう神経してんだ?
世の中には「人」と「人に似た何か」がいる。後者はな、もはや畜生以下だ。
俺は部屋中の窓や扉をすべて閉め、雑巾やベッド、タンスなんかを使って、外からの光が一切入らないようにした。
少しでもお爺さんが落ち着ける居場所を作ってやらねぇと。
「先生、あなた……陰陽師ですよね?」
お爺さんは、俺が悪い奴じゃないと察したのか、ようやく口を開いた。その声はやさしく低く、妙に落ち着いていて、どこか懐かしさすら感じる。
俺が黙ってうなずくと、お爺さんはそっと俺の額に手を当てたあと、静かにこう言った――
「先生、お願いがあるんです。私を、あの世へ送ってもらえませんか? この世には、もう何ひとつ未練がありません。……もし次に生まれ変われるなら、絶対に人間なんかにはなりたくない。苦しすぎました。」
短い言葉だったが、その言葉には重みがあった。いったい、このお爺さんの身に何があったというのか……何が、彼をそこまで絶望させたのか。
死に方からしても、おそらくは無念の中で命を落としたんだろう。
「先生、私を送ってくれたあと……どうか、棺を元に戻してやってくれませんか? 倒れたままの棺じゃ、息子たちの行く末に影響が出そうで。長男は未熟者ですが……どうか、あなたのような立派な方なら、許してくれるでしょう?」
俺が黙っていると、お爺さんはさらにしみじみと語りかけてきた。まるで遺言を遺しているかのようだった。
さっきから気になっていたことがある。
お爺さんは自分の棺が「倒れている」と言っていたが……それが妙に引っかかる。
だって、墓穴に土を埋め戻したのは俺自身だし、棺の蓋を閉めたのも俺だ。
あの棺は絶対に平らに置いた。倒立してるなんて、そんなバカな話が――あるわけがない。
お爺さんの棺は、別に特別立派ってわけじゃないが、ちゃんとした形式で埋葬されていた。
埋葬場所だって、風水の極上スポットじゃないにせよ、別に荒れ果てた山奥でもない。だから、後の世代に悪影響を与えるなんてことは、普通ならないはずだった。……もし本当に棺が逆さに埋められてるとしたらの話だけどな!それじゃ話がまるっきり変わってくる。
後の代に降りかかるのは「ちょっとした不幸」どころじゃない――まさに破滅、滅びの災いってやつだ!昔からこういう言い伝えがある。
「棺が縦なら、子孫はバッチリ」……って言うけどな、バッチリ過ぎて命まで持ってかれるわ、そんなの!!「
お爺さん、さっき言ってた“棺が逆さ”って、本当に? 何があったんです?」俺の脳裏に浮かぶのは、ただ一つの可能性。俺がその場を離れたあと、誰かが墓をいじった……!
「……言いたかないが、やったのは長男さ。あいつ、どこからか胡散臭い道士を連れてきてな。そいつに命じて、俺の棺をひっくり返して埋めさせたんだ……。
全く、老いぼれの俺が何をしたっていうんだ? 死んで一日も経たないうちに、寝姿を二度も変えられるとは思わなんだ……」お爺さんは、不満げにそう語ったが……
相手が実の息子となると、胸の奥にたまった苦しみも、簡単には吐き出せないんだろう。言葉の端々に、そんな哀しみがにじみ出ていた。「
許せねぇ……! 俺が必ず、天に代わって裁きを下す!」俺は心に誓った。この腐った業界の害虫どもを、必ず駆除してやると。
お爺さんには心配しなくていいと伝えた。もう誰にも、あんたを傷つけさせやしない。その日、俺とお爺さんは部屋でずっと話し込んだ。
すっかり打ち解けた俺たちは、まるで祖父と孫のような関係になっていた。お爺さんはとても陽気で、冗談好きな人だった。
話の中には笑いもあったし、その人柄には明るさがあった。本来なら百歳まで生きてもおかしくないような、元気で快活な爺さんだったはずなのに――
家族の不和のせいで、二十年も早く命を落とすことになった。
まったく……やるせない話だ。気がつけば、すっかり夜になっていた。
携帯で時間を確認すると、もう夜の九時を過ぎていた。「お爺さん、ちょっと片付けなきゃならない用があるんでな。
ここで大人しくしててくれよ。どこにも行かずに、俺の帰りを待っててくれ。」
お爺さんは、コクンと静かにうなずいた。
俺は玄関の扉を開け、庭に大量の三角スパイクを撒いた。
そして家の鍵をかけ、診療所へと向かった。俺が立ち去って間もなく、屋敷の外に二人の人影が現れた。
そいつらは塀を乗り越えて、音も立てずに庭へと降り立った――……が、直後。「ギャアアアア!」「いってぇぇぇ!!」
と、二人同時に地獄の叫びを上げた!言わずもがな。
俺がばら撒いた三角スパイクを、しっかり踏み抜いたんだろうよ。フッ……すべてはこの俺の計算通り。あの博打野郎とインチキ道士が、雇い主の家を再訪することぐらい、最初から分かってた。やつらの狙いは、やっぱりお爺さんの魂だ。
だからこそ、俺は家のドアをしっかり施錠して、あえて塀を越えて入らせた。その結果が……両足にスパイク、グッサリよ。しかもな、あのスパイクには……俺ん家に代々伝わる、秘伝の猛毒をたっぷり塗っておいた。一度刺されりゃ最後――この世に解毒法など存在しねぇ!
風は東に巡り、龍の気が動くとき——このページにたどり着いたのも、きっと「縁」の導きに違いありません。
筆者・蘭亭造は、大陸・龍虎山にて古術を学び、風水・命理・陰陽五行を長年研鑽してまいりました。
干支、八字、五行方位、九星気学など、古より伝わる術数を用い、多くの方の人生に光を灯すお手伝いをしてきました。
本作はフィクションの体裁をとっていますが、登場する風水理論や相術の多くは、実際に伝わる術理をもとに構成されています。
一部は、筆者自身の体験に基づいた内容でもあります。
もし、この物語の中に、あなたの人生に役立つ「何か」があったとしたら——
それもまた、偶然ではなく必然。
このご縁に、心より感謝いたします