第十三章 喪の鐘を鳴らすとき、霊に押し潰される
村の医者の額に、一筋の黒い線が閃いたのが見えた。
あれは――「喪の鐘を鳴らされた」者の印だ。百科事典には、喪の鐘とは葬儀や人が亡くなったときに鳴らす鐘だと書かれている。
だが、俺の言う「喪の鐘」とは、もっと直接的だ。つまり――命が風前の灯火って意味だ。
この村医者は、すでにあの世の霊に目をつけられている。いつ三途の川へ引きずられてもおかしくない。「慌てるなよ。俺はお前を害しに来たんじゃない。むしろ――助けに来た。」命を奪った過去を持つ人間が、身を隠しながら医者になった。
つまり、それは自分の罪を償おうとする“贖い”の道を選んだってことだ。だからこそ、俺が重傷の雇い主を運び込んだとき、彼は命を削る勢いで治療に尽力してくれた。
「一命を救うは、七層の塔を建てるに等し」という言葉がある。
瀕死の人間を救うことができれば、それだけで莫大な陰徳を積むことができるんだ。
「助けるって……お前、どうやって?」
村医者は訝しげな目を俺に向けた。
「簡単なことだ。――お前が、生き延びる手助けをしてやる。」俺がそう言うと、村医者は腹を抱えて笑い出した。
俺のことを、荒唐無稽なことを言う奴だとでも思ったのだろう。
「ははは、冗談もほどほどにな。俺は自分の身体のことくらい、よくわかってる。見てみろ、筋骨隆々の健康体だぞ? あと五十年、いや六十年は生きられるわ!」俺は静かに笑った。
――人の寿命ってのは、実に滑稽なものだ。さっきまで大笑いしていた奴が、次の瞬間には命を落とす。そんなこと、世の中ではいくらでも起きてる。
交通事故、落下物、橋の崩落やビルの倒壊……そういう「想定外」の出来事が命を奪う。
だから、寿命の長短は健康状態と必ずしも比例しない。末期患者でもない限り、それだけでは判断できないんだ。
目の前の村医者――彼の額に浮かぶ黒い線、それが全てを物語っている。
彼は「突然の不運(横禍)」によって命を落とす相だ。黒線が額の上部に現れた場合、それは病で二日以内に死ぬ予兆。
額の中央に現れたら――寿命が途中で断たれる。つまり、今の村医者がまさにその状態。家に引きこもっても、死は避けられない。
もし顔全体に黒い線が交差していたら――その人間の死に様は極めて悲惨で、遺体が原形をとどめないほどの最期になる。
……もちろん、この「相術」や「占術」はアフリカのような地域では通用しない。
当たらないどころか、場合によっては現地の人に殴り殺されかねないんでな。
俺は自分の正体を村医者に明かし、彼の身に起きるであろう異変についても伝えた。
――なんとか命だけでも救ってやりたかった。何だかんだ言っても、この男は根は悪い人間じゃない。
「それ……本当にお前が占った結果なのか?」
村医者はそう言って、俺の顔をじっと見つめた。
俺は黙って頷いた。
村医者はしばらく黙考し、そのままゆっくりと病室へ入っていった。
そして手際よく治療の準備を始めた。
「もしそれが運命なら――もう抗わないよ。今この瞬間を生きてるだけで、俺には十分すぎる。」
作業をしながら、そんなことを呟いた。
きっと、あの命を奪ってしまった過去の事件が、彼の心に深い傷を残しているんだろう。
もう生き死には受け入れるしかない――そう思ってるんだ。
だが、俺の計算では、村医者の寿命は――今日の夜まで。
しかも死因は「家屋の崩落」。このまま放っておけば、確実に命を落とす。
……絶対に助けてみせる。
このタイミングで俺がこの事態に巻き込まれたのは、何かの縁だ。
つまり、この男の命はまだ尽きるべきではないという、天の采配なのだろう。
「先生、じゃあ俺はお邪魔しないように。あとでまた来るよ。」
そう言って俺は、雇い主のポケットから家の鍵を取り出し、村医者に軽く頭を下げて家を後にした。
雇い主の家に戻ってみると――玄関の扉に、一枚の紙切れが貼られていた。
俺はそれをはがして読み上げた。
「今回は警告だ。これ以上くだらぬことをすれば――死ぬぞ。」
……まったく、字がヘタすぎて、まるでスッポンが泥の上を這い回ったような筆跡だ。
教養がなかったら読めなかったかもしれねぇ。こんな数行ですらな。
読むまでもなく、書いたのがあのクソ道士であることは明らかだ。
「昨日お前の親父を狙ったのは、あくまで見せしめ。次はお前の番だぞ」と、そう言ってるわけだ。
「……はっ、笑わせんなよ。」
俺はその紙をビリビリに引き裂き、空中へ放り投げた。
舞い落ちる紙片は、まるで死人をあの世へ導く紙銭のようで――妙に寒々しい光景だった。
扉を開けて家に入ると、庭の地面にまた無数の足跡がついていた。
「ちっ……またあのクサレ道士かよ!」
あの時、もし殺しさえしなけりゃタダじゃおかなかった。あのボロ小屋で決着をつけてやったのに。
だが今もまだ、しつこく付きまとってくるってわけだ。面白くなってきやがった。
どっちが上か、白黒つけてやろうじゃねぇか。
部屋に戻ると――お爺さんの魂は、案の定いなくなっていた。
きっと今ごろは棺の中に戻っているのだろう。
……それを見て、俺は少しだけ、心が落ち着いた。
少なくとも――爺さんは安らかに眠れるようになったのだから。
部屋の空気は妙に重苦しく、ひんやりとした冷気が漂っていた。
なんとも言えない不快感が背筋を這い上がってくる。
まるで背中に山を背負わされたような圧迫感で、足すら思うように動かせねぇ。
――これは……金縛りだ!
その三文字が、脳裏にハッキリと浮かび上がった。
どうやらあのクサレ道士、見かけによらずなかなかやるじゃねぇか。
まさか昼間っからこんな術を仕掛けてくるとは……
おそらく雇い主を狙った術式だったんだろうが、まんまと俺が踏み抜いちまったらしい。
普通、金縛りってのは寝てる時に起こるもんだ。
息苦しくなって、体が動かない。
ぼんやりとした意識の中で、胸の上にドスンと何かが乗っかってる感覚。
まるで重たい地獄の亡者が、冷たい目で見下ろしてるような、そんな感じだ。
田舎育ちのやつなら、一度は体験したことがあるんじゃねぇかな。
ただ、最近はこの「金縛り」って現象も進化(?)してるらしく、
今じゃ都会のほうがよく出るって話だ。
特に、夜更かししてスマホをいじり倒してる会社員や学生がターゲットになりやすい。
布団に入ってもなかなか寝ない、睡眠時間がバラバラ――そういうやつらほど起こりやすいらしい。
場所によっては「金縛り」を「幽霊に取り憑かれる」と呼ぶ地域もあるが、
今回の俺の状況は、それらと比べてもレベルが違う。
命がかかってんだよ、命が。
そういえば、昔親父からこんな話を聞かされたことがある――
ある男が夜中に尿意で目を覚ました。
寝ぼけ眼でトイレへ向かおうとするが、なぜか背中がやけに重い。
寒気がして、耳元に誰かが息を吹きかけてるような感覚。
ビビりながらも振り向いてみたら――
そこには、真っ赤なパジャマを着た女の幽霊が、
真ん丸の目をカッと見開いて、無言で男を凝視していたって話だ。
結局、その男はトイレで死んでいた。
顔は苦悶に歪み、死後しばらく経っていたようで、体は腐り始めていたらしい。
検死の結果は「心臓発作による死亡」とされたが、
遺族の話では、男に心臓病の持病もなければ、家族にもそんな病歴はなかったという。
親父にこの話を聞かされた俺は、それ以来、夜中にトイレに行けなくなった。
布団の中で膀胱が爆発しそうになっても、出る勇気が出ない。
結局、どうしても我慢できない時は、親父を引っ張って一緒にトイレに行ってたっけな。
あの恐怖心が消えるまで、相当時間がかかったもんだ……
まぁ、いわゆる「金縛り」ってやつは、普通ならそのうち自然と解けるもんで、
大した害はない。
だが、今回の俺の場合は話が別だ。
このままじゃ――命が危ねぇ!
もしここで対処を間違えれば、
俺も例の男みたいに――トイレで変死体として見つかることになりかねねぇ!
風は東に巡り、龍の気が動くとき——このページにたどり着いたのも、きっと「縁」の導きに違いありません。
筆者・蘭亭造は、大陸・龍虎山にて古術を学び、風水・命理・陰陽五行を長年研鑽してまいりました。
干支、八字、五行方位、九星気学など、古より伝わる術数を用い、多くの方の人生に光を灯すお手伝いをしてきました。
本作はフィクションの体裁をとっていますが、登場する風水理論や相術の多くは、実際に伝わる術理をもとに構成されています。
一部は、筆者自身の体験に基づいた内容でもあります。
もし、この物語の中に、あなたの人生に役立つ「何か」があったとしたら——
それもまた、偶然ではなく必然。
このご縁に、心より感謝いたします。