第一章 出所
長年の獄中生活は、俺に多くのことを悟らせてくれた。いや、痩せもしたけどな。
俺が刑期を終えて外に出たのは、午前九時三十五分。その瞬間は、人生の再出発を意味していた。着ていたのは、入所した当時のくたびれた服。今の時代と全然合ってない。
出所前夜、獄中の仲間たちは口々に後悔を語っていた。でも本音を言えば、「もう一度やり直せても、結局同じことをするだろう」と言っていた。
それが運命ってもんさ。
一見どうしようもない奴らにも、弱さがある。別れ際にこんな風に言われた。
「俺らがシャバに出る前に、お前のツラ見せたら……腕、へし折るからな。」
そんな場所、好きで来るもんじゃない。来たい奴が来ればいい。俺はもう二度とごめんだ。
坊主頭のまま、空を見上げて、久しぶりに自由の空気を肺いっぱいに吸い込んだ――最高だった。朝日がのんびりと昇っていく中、光はやたらと眩しくてたまらなかった。
でも、この眩しさが好きだった。俺が刑務所に入った理由? それも運命の流れの一部さ。
何度でも言うけど――これが「命」ってやつだ。
俺の物語は、ある寂れた村から始まる。
それは、灼熱の夏の日だった。蝉の鳴き声が耳をつんざき、大地は割れ、作物は全滅。俺たちはボロボロの土壁の家に身を寄せ合い、底が抜けた鉄鍋を囲んで沈黙していた。
父さんは、朝早くから隣村に出かけていた。亡くなった人のための儀式を執り行うためだ。夜遅く、ようやく帰ってきた父の手には、くしゃくしゃの百元札が握られていた。笑顔は、まるで子どものようだった。
あの頃、百元は今よりずっと価値があった。数日は腹いっぱい食える金額だ。俺の家は、代々「死人相手の商売」をやっていた。つまり、葬式の儀式を取り仕切り、風水を診断して、難儀な問題を解決する仕事だ。
父さんの腕は確かだった。奇妙な相談もスパッと片付けるので、いつの間にか「陰陽相師」として百里圏内に名が知れ渡るようになった。困ったことがあれば、誰かしら訪ねてくるし、それなりに金ももらえた。だからなんとか暮らしていけた。
だが最近は、妙に静かだった。丸々二ヶ月も仕事が入らず、我が家は火の車。そこに追い討ちをかけるように、長年使ってきた鉄鍋が突然、まるで呪われたかのようにパカンと大きな穴をあけてしまった。何の前触れもない壊れ方だった。まるで意志があるみたいで、気味悪い。
そんな時、隣村の王おばあさんが「ちょうどよく」亡くなった。父さんは久々に仕事を得て、家に金が入った。
人間は、身近な存在には敬意を払わないが、目に見えないものには敬意を払うべきだ。
それが祖父から父へ、そして俺へと受け継がれた教えだった。
俺もその言葉を獄中の連中に話したことがある。結果、ボコボコにされたけどな。
あの場所では、拳こそが正義だ。それ以外は全部、無駄口。
我が家には代々伝わる「宝物」があったが、父の代で家運が傾き、残されたのは言葉だけ。
正直に言うと、役に立たなかった。
父さんはよくこう言っていた。
「礼儀ってもんを、ちゃんとわきまえろや、クソガキ!」
このセリフを聞くたびに、「良い話を聞いた気がするが、意味はまったくわからん」と思ってた。
子供の頃の俺は、父さんに連れられてあちこちの村を回り、占いや風水を学んでいた。おかげで腕も上がった。
だが、俺が18歳になった頃、父は急に態度を変えた。「もう一緒に“山回り”ことはしない」と。
「山回り」とは、内輪の隠語で「稼ぐ」という意味だ。
それだけではない。父はこうきっぱりと言った。
「二十歳になるまでは、家から一歩も出るんじゃねぇ。もし出たら、足の一本はもらうぞ。」
俺は悔しかったが、父の言いつけを守った。まるで箱入り娘みたいに、外にも出ず、ひたすら家の中で過ごしていた。
年頃の俺にとって、それは地獄のような毎日だった。
その頃から、家の中で奇妙な出来事が頻発するようになった。
たとえば、白い服を着た女が、家の中をふわふわと漂っていたりした。口元に笑みを浮かべ、舌を出したまま、俺を見つめてくる。
正直、泣き顔よりも不気味な笑顔だった。隣の王おばさんの飼い犬の方がよっぽどマシだった。
俺には分かった。これは“よからぬモノ”だと。
でも、そんな環境で育った俺にとっては日常茶飯事。見慣れてしまえば、大したことじゃない。
「飽きたらどっか行くだろ」くらいに思ってたら、女の霊は本当に王おばさんの家へ移動した。
その夜のことは、今でもはっきり覚えている。
王おばさんが、男子トイレでこっそりチキンを食っていた時だった。突然、豚が殺されるような悲鳴が響いたかと思えば、パンツを履く暇もなく飛び出してきて、庭でぶっ倒れた。
その時、王おばさんの旦那・李さんは、ベッドの下から這い出てきた。まずはベッドの上にいた“シャオツイ”という若い女をそっと帰らせ、それから庭へと駆けつけた。
倒れている妻を見て、満面の笑みを浮かべながらこう言った。
「えっと……もしかして……もう葬式の準備してもいいのか?」
とはいえ、さすがに「一日夫婦、百日恩」ってやつか、李さんは奥さんを背負って村の診療所に運んだ。
その日は、李さんの背中がエビのように曲がっていた。そのまま半月ほど腰が伸びなかったらしい。
彼は、医者にこう伝えたそうだ。
「治すのが無理なら、無理でいいんです。いいお墓、探しておきますんで。」
それを聞いた医者は、顔をしかめてこう言った。
「奥さんは、ただ驚いて気を失っただけです。すぐに目を覚ましますので、余計な心配は無用です。」
それを知った李さんは、がっかりしてその場で号泣した。
医者は感動し、「本物の愛情だ」と思ったのか、診療費を免除し、青いひし形の薬まで一箱サービスしてくれた。
「夫婦円満が長続きの秘訣ですよ」と優しく言いながら。
それ以来、李さんは明らかに元気がなくなり、腰を押さえたままフラフラと歩くようになった。あれが「愛」ってやつなんだろう。
女の霊はその後も夫婦にちょっかいを出し続けた。今日はベッド、明日は鍋の中、明後日は肩の上。
最初こそパニックだったが、次第にそれにも慣れ、いつの間にか「日常の一部」となった。
もし、君が「この霊はただの余興」と思っているなら――それは大間違いだ。
彼女の出現は、全ての事件の始まりだったのだ。
俺が刑務所に入ることになったのも、すべて彼女が関係している。
ある日、父さんが“山回り”と出かけてから、まる一週間戻らなかった。
その間に、何組もの人が父を訪ねてきたが、誰も父がいないと知って焦って帰っていった。
そのうちの誰かが言い出した。
「この子、父親にくっついて生活してたんだから、ある程度できるんじゃないか?」
結局、みんなして俺に頼み込んできた。
だが、父は言っていた。「二十歳までは外に出るな。出たら足を折る。」
……とはいえ、もしどうしてもって言うなら――
金、弾んでくれるよな?
彼らはボロい服を着ていたが、財布の中身は太っ腹だった。目の前に二万元の札束をドンと置き、さらに「終わったらもう二万払う」と言った。
その瞬間、俺は固まった。
いや、別に俺が下衆ってわけじゃない。その時代、万元単位で金を持ってるなんて、ほとんど神様レベルだったんだ。
18歳の俺が、いきなり四万元稼げるチャンス?
その誘惑はあまりにも大きかった。
だが、一歩間違えば人生終了。俺にとって、その四万元は、消えない汚点となった。
父の言葉を聞かなかったことを、今でも後悔している。
でも、世の中に「後悔薬」なんてない。
撒いた種は、自分で刈るしかない。
それが、この世の真理ってやつさ。
風は東に巡り、龍の気が動くとき——このページにたどり着いたのも、きっと「縁」の導きに違いありません。
筆者・蘭亭造は、大陸・龍虎山にて古術を学び、風水・命理・陰陽五行を長年研鑽してまいりました。
干支、八字、五行方位、九星気学など、古より伝わる術数を用い、多くの方の人生に光を灯すお手伝いをしてきました。
本作はフィクションの体裁をとっていますが、登場する風水理論や相術の多くは、実際に伝わる術理をもとに構成されています。
一部は、筆者自身の体験に基づいた内容でもあります。
もし、この物語の中に、あなたの人生に役立つ「何か」があったとしたら——
それもまた、偶然ではなく必然。
このご縁に、心より感謝いたします。