四
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スマートフォンの着信音で、神田は目を覚ました。午前二時。発信者を見ると、兵庫県警本部であることがわかったので、応答ボタンを押して電話に出た。
「はい、神田です」
『N市で殺しです。目撃者からの110番通報にて発覚。N市内の河川敷で男性が殺されているのが発見されました。至急、兵庫県警本部に来てください』
わかりました、と言って神田は電話を切った。玲華は寝ている。神田は急いで着替えて荷物をまとめ、テーブルの上に玲華に書き置きを残してアパートを出た。
兵庫県警本部には、連絡を受けた警察官が続々と集まり始めていた。神田も駐車場に車をとめ、県警本部の建物に入り、まっすぐに会議室を目指した。
「おい、遅いぞ、神田!」
会議室に入るやいなや、罵声が飛んできた。声の主は部屋の奥に設置されたホワイトボードの前に座っている、小柄な中年の男だった。
「もっと急いで来い。そもそも、家を出るのが遅いんだ。何だ、お前、女でもいるのか」
男は五十四歳で、神田と雛内の上司を務めている。弥生 勝也という名前だった。
いませんよ、と言いながら上司の元へと歩く。弥生は神田に地図を突きつけた。ところどころに付箋が貼られ、書き込みがされている。
「N市内の河川敷、ということでしたが」
神田が言うと、弥生は眉間の皺を深くして、腕を組んで言った。
「L川だ。夜中帰りのサラリーマンがL川河川敷のそばを歩いて帰っていて、見つけたらしい」
L川はN市内を流れている河川の中で、最も水量が多く大きい川だった。ゆえに、河川敷も長くて広い。N市内の多くの浄水場や下水場も、L川の水を利用している。
「鑑識は?」
「さっき出ていった。お前も現場に行ってこい」
神田は頷き、会議室をあとにした。
男が殺された現場は、兵庫県警本部から車で四十分ほどの距離にあった。すでに鑑識は到着していて、遺体にはブルーシートがかけられ、周囲には規制線が張られていたが、夜中にもかかわらず、その前で野次馬が数名たむろしていた。神田は規制線をくぐり、軍手をはめて、少し合掌してから懐中電灯をつけてブルーシートをめくった。
殺された男は五十歳くらいに見えた。黒い長袖と長ズボン、左手首には腕時計をしていて、スニーカーを履いている。
男の額の真ん中より少し右、右目の上あたりにはほぼ完璧な円を描いた小さな穴が空いていて、そこから血がべっとりと流れていた。
「主任」
背後から雛内の声が聞こえた。彼も出動の要請を受けたのだろう。
「これは……、銃殺だな」
神田は呟いた。
「銃殺ですか?」
「ここを見てみろ。拳銃で頭を撃ち抜かれて、弾丸が貫通した痕だ。犯人が拾っていなければ、近くに弾丸が落ちているはずだ」
懐中電灯で傷口を照らしてみせると、雛内は神田のそばに座って、目を細めた。それから、軍手をはめた手で遺体の上唇をめくり、顎を持って口を開けさせて歯の様子を見た。それから、上着の首元をぐいっと引っ張って下げた。すると、右の鎖骨の辺りにも額と同様の穴が空いていた。
「ここにも傷があります」
「二発撃たれていたのか」
その時、鑑識から声が上がった。
「弾丸が見つかりました!」
神田は立ち上がった。
「本部に戻るぞ。まずは、このホトケの身元を明らかにするところからだ」
神田と雛内は県警本部に戻り、会議室に入った。
「どうだった、神田」
頬杖をついている弥生が、神田を睨みつけて言った。
「銃殺です。額のやや右寄りに一発、右の鎖骨付近に一発。さっき鑑識が銃弾を見つけました」
「はてさて……、ホトケは一体、どこのどなただろうな。行方不明になっている人間のリストをしらみつぶしに確認していくことも可能だが、そもそも、撃たれている時点で普通の人間ではないだろうしなあ」
神田の背後に立っていた雛内が言った。
「歯型で特定するのはどうでしょうか。右奥歯に金歯があったのと、下の前歯が一本ありませんでした」
「そう、それが一番良いだろうな。金歯があるということは、歯医者への通院歴があるということだ。ホトケが司法解剖にまわされたら、歯型を調べて片っ端から歯医者のカルテにあたれ」
神田と雛内は頷いた。
午前七時頃に、男の遺体が司法解剖に渡された。司法解剖の結果が出るまで、神田と雛内は被害者と犯人の目撃情報を求めて精力的に動いた。
男の司法解剖と同時に、現場で見つかった二発の銃弾の鑑定も行われた。その結果、二発の銃弾の線条痕は一致した。このことによって、二発の銃弾は同一の拳銃から発射されたものであることがわかった。
(※線条痕……ライフル銃など、銃身の内側にらせん状の溝を施された銃から発射された弾丸についた、銃身内の溝のあと。 [補説]線条痕から、発射された銃を特定することができる。)
数日後、司法解剖の結果も明らかになった。
事件の日付は十月三日夜から十月四日明け方にかけて、N市内の天候は曇り。
被害者の死亡時刻は十月三日午後九時から十一時である。目撃者による警察への通報が十月四日午前零時三十分頃。
現場の河川敷は最も近い民家から直線で三百メートルほどの距離にあり、この長距離のゆえか、発砲音を聞いたという情報は一つも得られなかった。
被害者の死因は脳挫傷。銃弾が額に当たり、脳を貫通したことが致命傷となった。
被害者は右の第二小臼歯(前から五番目の上の歯)に金歯が被せられており、下の左側の前歯がなかった。歯医者で抜歯したのかはわからないが、とにかくこの二つの特徴をもとに神田と雛内は調査にあたった。被害者は左手首に時計をしていたが、こちらは大手メーカーの既製品で同一の商品が大量に出回っているうえに、被害者が着用していたものはあまり新しくは見えなかったので、腕時計からの身元特定は諦められた。
事件が大きな進展を迎えたのは、四日後の十月八日。
右の第二小臼歯が金歯の五十代男性。容貌がすぐに判明したのは、男性に逮捕歴があったからだった。
八雲 淳、五十四歳──八雲は、 大阪府に拠点を置く暴力団の組員だった。