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二 象徴

二 象徴しょうちょう


 神田が住むアパートから、車で30分ほどの距離に兵庫県警本部はあった。


 白色の自家用車から降り、警備員が詰めている自動ドア二枚をくぐり、まっすぐに会議室へと足を運ぶ。さほど広くない会議室の中は、昨夜の壁城組への突入後、家に帰らずに夜を徹して諸機関への連絡やマスコミ対応をしていた連中と、神田のように一度家に帰って、今朝から任務を交代する連中でごった返していた。


「主任、おはようございます」

 半袖の白シャツを着て紺色のネクタイを締めた、背の高い若い男が神田に声をかけた。

「壁城組組長を始めとする諸組員の検察への輸送はスムーズに進んでいます。昨晩、敷地内を確認したとのことですが、問題等はありましたか」

 九月の末の今でも、兵庫はまだ夏をっていて暑い。神田も半袖のシャツを着ていた。

 夜通し仕事をしていた男の顔にはさすがに疲れが見てとれたが、それでもすっきりした細面の容貌と誠実そうな黒く鋭い瞳には、凛とした雰囲気がただよっている。


 雛内ひなない 幸彦ゆきひこは二十九歳。神田の直属の部下であり、神田とは十三歳差である。

「ああ、特に問題はなかった。もう少しすれば、今回の事を嗅ぎつけたマスコミが沢山来るだろう。奴らに取り囲まれてマイクを向けられる前に、早く家に帰れ」

 実は隠し部屋を見つけて、組長の娘に出会って、彼女を誘拐して家に連れてきました──などと言えるわけもなく、神田は早口で嘘をしゃべった。お先に失礼します、と雛内は言って、鞄を持ち部屋を出ていった。


 その後ろ姿を見て、神田はふとある事に気が付いた。以前聞いた、雛内の生い立ち──雛内がなぜ警察官を志したか──を思い出したのだ。

 一般人だった雛内の父親は、暴力団の組員に銃殺されている。なぜ雛内の父親は殺されたのか、神田は詳しく知らないが、雛内はその父の無念を晴らすために警察官になったのだ。

 反社を日本から殲滅する、という目標を持って。

 指定暴力団である壁城組は、雛内にとって悪の象徴のようなものだろう。今回、壁城組が瓦解されたことを、彼は喜んでいるのだろうか。

 彼にとっては、子供である玲華でさえも悪なのだろうか。

 おはよう、いってらっしゃい──と言った玲華の笑顔が、一瞬脳裏にひらめいて消えた。


『壁城組組長、壁城へきぎ 信治しんじ、六十二歳。

壁城組副組長、紀内きうち いさむ、五十五歳。

その他組員二十四名……』

 今回逮捕された組員の名前と顔写真が載ったファイルを、神田は一枚一枚丁寧に読んでいた。壁城という名字なのは組長の壁城 信治だけで、今回逮捕された組員の中に女は一人もいない。

(玲華の母親は誰なんだ?)

 今度玲華に訊いてみよう、と神田は考えた。

 それに、もう一つ気になる事があった。住民基本台帳に、壁城 信治の子供は載っていない。戸籍上・・・、壁城 玲華は存在しない。玲華には戸籍がないのだ。

 戸籍がないということは、おそらく、生まれた時に出生届が出されなかったのだろう。それがなぜか、はっきりとはわからないが、多分、彼女が反社の生まれであることに関係していると神田は考えていた。


 外が騒々しくなってきた。時計を見ると、午前七時。県警本部の建物の外には、カメラやマイクを構えたマスコミが集まり始めている。マスコミのインタビューを受けるのは、神田や雛内のような下っ端ではなく、もっと階級が高い上司の仕事だ。神田は会議室を出て、普段自分が仕事をしている部屋へと歩き、自席に座った。



 午後六時までの十一時間はあっという間に過ぎた。検察と拘置所、それに警視庁への連絡を済ませて、神田は荷物をまとめて早々にアパートへ帰った。

 アパートに着き、鍵を開け、扉を引き開けると、玲華が奥の部屋でテレビを見ていた。新聞の大見出し、ワイドショーの特集、ネットニュースのトップまで、今日はどれも昨夜の壁城組瓦解に関する内容で埋め尽くされている。

 玲華の父で壁城組組長である壁城へきぎ 信治しんじを、顔写真付きで紹介している番組もあった。

「パパ、死刑になるのかな……」

 テレビを見ながら玲華が呟いた。

「いや、……多分、死刑にはならないと思うよ。懲役はほぼ確定だろうけど」

 神田は答えたが、それでも玲華の顔には陰鬱いんうつとしたかげが宿っていた。


 玲華には言わなかったが、神田はある一つの可能性を考えていた。

 壁城 信治は六十二歳と、やや高齢だ。仮に懲役二十年を執行されれば、釈放されたとき彼は八十二歳になる。刑期と彼の健康状態によっては、玲華は生きている父親に再会できないかもしれないのだ。


「さ、買い物に行こう」

 玲華に声をかけると、玲華はうなずいて立ち上がった。

 買わなければならないものは多くあった。食料品、布団、玲華の服。多くの店が閉店する午後八時までにそれらを買いに行かなければならない。


 二人はまず、布団を買いに家具店に行った。やや薄めのマットレスを買い、沢山種類があるシーツと羽毛布団のうち、玲華はピンク色のものを選んだ。

 次に服を買いに行く。服の好みは人それぞれ自由だが、玲華が今着ている服は六桁するかもしれないワンピースと装飾で、とても庶民の服とはいえない。

 玲華は店に展示された数々の服のシンプルさに驚いていた。まあ、彼女の出自を考えれば無理もない。玲華はジーンズ風のズボンとミルキーホワイトのTシャツを選んだ。


 最後に食料品を買いにスーパーに行く。神田の部屋には炊飯器がなかったので、電子レンジで温めるパックご飯を買った。豚肉の細切れ、野菜、味噌と酢をカゴに入れる。玲華はスーパーにも来たことがないようで、陳列された商品を物珍しげに見て歩いていた。


 牛乳をカゴに入れた時、玲華が神田を見上げて訊いてきた。

「おじさん、お金大丈夫?」

 今日一日で多くのものを買ったからだろう。

「大丈夫だよ。もともとあまり使わないから」

 それは本当だった。警部補である神田の収入は一人暮らしにはあまりにも充分な額だし、父親に仕送りもしていない。警察官をしていた神田の父は、現在は警察の退職金と年金を頼りに一人暮らししている。仕送りをしようか、と父に訊いたこともあるが、父は断固として拒否した。子供からの仕送りは受け取らず、自分の金だけで生きるのが彼のプライドのようだった。


「何か、食べたいものがあったら買いな」

 神田が言うと、しばらくして、玲華はみかんゼリーを持ってきた。それから、玲華が使うためのシャンプーとリンス、ボディソープと洗顔料を買って、二人は店を出た。


 ちょうど午後八時になったようで、市内放送で聴き慣れた音楽が流れている。塗り込めたような黒い夜空に、星がいくつも光っていた。右手に買い物袋をたずさえて、神田は玲華と駐車場を歩いた。

「おじさん」

 互いの顔がかすかに見える暗闇の中で、玲華が言った。

「ん?」

「パパが逮捕されて、組員もみんなりになって──でも、私にとって警察は、悪の象徴じゃないよ。おじさんみたいな、優しい人もいるから」

 玲華が、神田の買い物袋を持っていない左手を握ったのが感じられた。

「おじさん、ありがとう」

 喉が塞がったようで、神田は何も言えなかった。ただ、つないでいる左手で玲華の手を握り返した。


 満天の星空の下を、二人は歩いていった。

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