九
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鵜飼について調べていくうちに、神田たちは奇妙な問題に阻まれた。鵜飼がミャンマーで何をしていたのか、全くわからないのだ。まともな仕事をしていれば、職場くらいはすぐわかる。しかし鵜飼はどのような仕事をしていたのか、調べてみてもわからなかった。
八雲は暴力団の組員だった。八雲は何者かによって、通り魔的な犯行ではなく、計画的に殺された。次は鵜飼が狙われた。もし八雲と鵜飼に何か共通点があるとしたら、鵜飼は──?
神田は席を立って、弥生のもとへと歩いていき、言った。
「鵜飼も八雲と同様、反社の人間かもしれません。ミャンマーの警察に協力を要請してはどうでしょうか」
弥生はじろっと神田を見上げて言った。
「それはもう、兵庫県警だけで対処できる問題じゃない。警視庁に一から説明しなければ駄目だ。もう少し粘ってからにしろ」
「そうしている間に、また殺しが起こるかもしれません。犯人には何か目的があります。二人殺してはい終わり、で終わるはずがありません」
「駄目だ」
弥生は全く瞳を動かさずに冷たく言い放った。これ以上どう説得すればいいのかわからず、神田が悔しさでぎゅっと拳を握りしめた時、神田の右肩を力強く掴む手があった。
「課長、お願いします!! 我々は警察ですよ。市民を守ってこその役職ではありませんか」
男の目は強く光っていた。神田の右肩を掴んだまま、男は弥生にまっすぐ顔を向けていた。
「雛内……」
神田は思わず呟いた。これほど大声をあげる雛内を、神田は見たことがなかった。
雛内はしばらくじっと雛内を見ていたが、やがて口を開いた。
「わかった。ならば、警視庁に取り次ごう。神田、雛内、お前たち二人で東京に行ってこい。県警本部長に俺が説明して、警視庁に連絡してもらうから、お前たちは資料を持って今日中に兵庫を出ろ」
神田はほうっと息を吐いた。長身の雛内を見上げると、雛内と目が合い、雛内がかすかに微笑んで頷いたのが見えた。
神田は資料をまとめた後、荷物を白い自家用車に乗せて家路を急いだ。車の時計は十五時を表示している。玲華か執事の橋爪が居るだろうと思い、神田は鍵を開けずにインターホンを押した。
すぐに扉が開き、橋爪が顔を出した。
「神田さん、お帰りなさい。今日は早いですね」
部屋の奥から、「おじさん、おかえり」と玲華の声も聞こえた。玄関に入って扉を後ろ手に閉めると、リビングの座卓の上で漢字ドリルに向かっている玲華と、キッチンで家庭ゴミをまとめている橋爪がいた。
「玲華、ごめん……俺は、すぐに東京に向かわないといけないことになった。数日は帰れない。橋爪さんと一緒に待っててくれ」
「何かあったの?」
「今兵庫県警で扱っている事件で、事が大きくなってきて県警だけじゃ捜査しきれなくなったから、東京の警視庁本部に協力を頼むことになったんだ。俺は部下と一緒に東京へ行ってくる」
「そっか、いってらっしゃい。元気で帰ってきてね」
玲華は微笑んで言った。
「しっかりお守りしますから、安心して行ってきてください」
橋爪が言い、神田は頷いた。着替えと最低限必要な物を持ち、神田はアパートを後にした。
神田の住むアパートがある兵庫県N市の隣にはK市があり、県庁や県警本部が置かれていた。K市のJR駅駐車場に車を駐めると、駅の建物の入り口に薄手のコートを手に持った雛内が待っていた。
「上着、お持ちですか。東京は寒いですよ」
「まだ十月だ。大丈夫だろう。どうしても必要になったら、現地で買うさ」
二人は駅の建物の中へ足を踏み入れた。
十月になると、もう日が落ちるのは早くなってきて、夏の頃とは明らかに違う。神田は壁城組に突入したあの日、夏の暑さを引きずった、九月の終わり頃の夜を思い出した。
防弾チョッキの固く、服がじっとりと汗を吸って不快な感覚。
訓練ではない銃声と、その後の何も聞こえない、恐ろしいほどの静寂。
ベッドの下の隙間に手を伸ばし見つけた引手の、皮膚に心地よい冷たさ。
そして、玲華……。
改札に向かって歩きつつ、他人に聞こえる所で話すのは不用心だと思いながらも、神田は口を開いた。
「雛内、お前はこの事件のことをどう思っている?」
「どう、とは?」
「お前はかの有名な、『ヤクザ嫌いの雛内』だろう。県警にお前を知らない男はいない。一般人の父親を暴力団の組員に殺されて、その復讐の為に警察官になった。新人の頃から多くの事件を追い、反社の人間を何人も逮捕に追い込んだ。
そのお前の能力と執念は、確かに高く評価されている。俺の十三個下だから、お前は今、二十九歳か? まだ若いのに、県警捜査一課に配属されて、俺の部下に就けられた。
お前はさっき弥生に、警察は市民を守ってこその役職だと言ったな。お前にとって、反社の人間はどうなんだ? 暴力団の組員であろうと、それ以前に大切な市民か? お前のあの発言を聞いて、気になったんだ。『ヤクザ嫌いの雛内』らしくない、ってな」
ICカードを出して改札を通過し、二人は歩き続けた。雛内はため息をつき、口を開いた。
「父が殺された時、私は十歳でした」
新幹線が走っていく轟音が聞こえ、建物全体が少し振動するのが感じられた。
「父は普通の会社員でした。毎日夜遅くまで働いていて帰ってくるのは夜中が多かったけれど、たまに顔を合わせると話を聞いてくれる、優しい人でした。
父は夜中帰りの路上で殺されたそうです。暴力団の組員に銃を向けられて金を要求され、財布を奪われた。逃げようとした父を、男は自分の身元がばれると思い、とっさに撃ち殺した。
父の財布の中には、三万二千円が入っていたそうです。たった、三万二千円。その為だけに父は殺されました。父を殺した男は強盗殺人罪で無期懲役が確定し、現在服役しています」
雛内はさらに言葉を継いだ。
「私が父の面影以上にはっきりと覚えているのは、葬式で母が父の亡骸を抱えて泣き叫んでいた声です。母は突然夫の命を奪われました。一家の稼ぎ手を、人生の伴侶を、最愛の人を失いました。
確かに私には、父の命を奪った反社に対する怒りも、憎しみもあります。しかし、警察官として仕事をする中で考えるようになりました──反社の彼らにも、守りたい家族がいるのではないか、と。ならば、自分にできること、自分がやるべきことは、法にのっとって正しく彼らを取り締まり、地域の治安を保つことだろう、と。そうすれば、父のように命を落とす人も、母のように家族を失う人も、警察の圧力があれば反社による犯罪も減るでしょう」
パパ、死刑になるのかな──とテレビを見ながら呟いていた玲華の声が、神田の耳に蘇った。
愛情のあるなしに関わらず、誰もが誰かの子供として生まれ、いつか誰かの伴侶となり、誰かの親となる。たとえ結婚したり子供を持ったりしなくても、生きていることは、それだけで誰かの人生を支えている。だから、この世に役立たずの人間などいないのだ。
轟音を立てて、新幹線がホームに入ってきた。神田たちは終点の東京まで乗って行くことになる。
ホームドアが開き、神田たちが新幹線に乗り座席に座ると、新幹線はゆっくりと走り出した。




