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僕の両親《真白 side》

◇◆◇◆


 ────僕の母である早瀬美乃里(みのり)は、昔から……というか、僕が物心ついた時からずっと()の早瀬(とおる)から暴力を受けていた。

それも、ほぼ毎日。

別に母が何か問題を起こしたり、父に反抗したりした訳じゃないのに。


「────おい、美乃里!旦那の出迎えに来ないとは、何様のつもりだ!」


 今日もまた帰宅そうそう怒鳴り散らし、父は勢いよく玄関の扉を閉める。

と同時に、居間から母が飛び出した。


「ご、ごめんなさい……!ちょっとうたた寝していて……!」


 『わざとじゃないの……!』と陳謝し、母は廊下で土下座する。

ガクガクと全身を震わせながら。


「はぁ〜?うたた寝、だぁ?お前、専業主婦のくせに怠けてんのか!」


 険しい顔付きで母を見下ろし、父は通勤鞄をドンッと床に置いた。

かと思えば、拳を振り上げる。


「ふざけんなよ!誰のおかげで、生活出来ていると思ってんだ!旦那の出迎えくらい、ちゃんとやれよ!」


 『うたた寝なんて、有り得ない!』と非難し、父は何度も何度も母を殴りつけた。

その度に、母は呻き声を上げてどんどん脱力していく。

多分、痛みのあまり体に力が入らないのだろう。


「ひ……ぐっ……ぅ……ご、ごめんなさ……っ……」


 泣きながら許しを乞う母に対し、父は


「謝るのは、誰でも出来るんだよ!たとえ、反省していなくてもな!」


 と、叫んだ。

『口先だけの謝罪なんだろう』と決めつけている父は、思い切り母の頭を踏みつける。


「どうせ、お前も俺を馬鹿にしているんだろ!影でクスクス笑ってよぉ!」


 顔を真っ赤にして怒り狂い、父は足に体重を掛けた。

と同時に、母は恐る恐る口を開く。


「そ、そんなことは……」


「口答えすんな!」


 これでもかというほど目を吊り上げ、父はフーフーと肩で息をする。

会社で何かあったのか、今日はいつもより興奮しているように見えた。


 お母さん、大丈夫かな。


 居間からそっと様子を窺う僕は、テーブルの上にある宿題を放置する。

そして、立ち上がろうと腰を浮かせるものの……母に厳しい目付きで睨まれ、やめた。

常日頃から、言われていることを思い出して。


『お父さんが暴れ出したときは近寄らず、別の部屋でじっとしていて。お母さんのことはいいから』


 この言いつけをきちんと守っているおかげか、僕はまだ一度も父から暴力を振るわれたことがない。

『せいぜい、すれ違いざまに肩をぶつけられる程度』と考えつつ、再度カーペットの上に座り直した。

────と、ここで父がようやく足を下ろす。


「飯!早く用意しろ!」


 『こっちは疲れてんだ!』と言い、父は居間へ足を踏み入れた。

かと思えば、こちらには一瞥もくれずに自室へ入っていく。

どうやら、やっと腹の虫が収まったらしい。


「……はい」


 母は少し遅れて返事し、よろよろと体を起こした。

鼻から、血を垂れ流しながら。

恐らく、頭を踏みつけられた際に顔面を強打した影響だろう。


「真白。悪いけど、宿題は寝室でやってもらえる?居間のテーブルは夕食のとき使うから」


 『ごめんね』と掠れた声で謝り、母はキッチンの方へ向かっていった。

まだ鼻血は止まっていないというのに。


 食事の準備が遅れたら、またお父さんに殴られるからだろうな。


 『特に今日は機嫌が悪いから、気を遣っているのかも』と思いつつ、僕は宿題と筆記用具を手に持った。

と同時に、寝室へ引っ込む。

どうせ、ここに残ったってやれることは何もないから。

『むしろ、事態を悪化されるだけ』と判断し、僕は一人黙々と宿題をこなす。

そんな時────居間の方から、大きな物音が。


「美乃里、お前……!仕事で疲れてきた旦那に、こんなもの食わせようとしていたのか!」


 扉の向こうから聞こえてくる父の怒号に、僕はハッとした。

────と、ここで母の啜り泣く声が木霊する。


「ご、ごめんなさい……でも、今月はもうお金が……」


「俺の稼ぎが少ないって、言いたいのか!?」


「ち、ちがっ……」


「言い訳はいらない!」


 人を殴りつけるような鈍い音が響き、父の荒々しい息遣いを耳にする。

恐らく、また暴れ出したのだろう。

『今日は本当に機嫌が悪いね』と思いつつ、僕は宿題へ視線を落とした。

と同時に、止まってしまった手を再び動かす。


 いつまで、こんな日々が続くのかな。


 母の言いつけを守って大人しくしていることしか出来ない現状に、僕は鬱憤を溜める。

『お母さんを守るには、どうすればいいのか』と自問しながら。

でも、子供の僕ではそんな方法思いつかず……ただ日々をやり過ごしていくだけ。

────そうこうしているうちに月日は流れ、僕は十八歳になった。


「お願いよ、真白の進学を認めてちょうだい。学費なら、私も働いて補うから」


 そう言って、母は深々と頭を下げる。

切実かつ真剣に懇願する彼女に対し、父は顔色一つ変えなかった。


「却下だ。絶対に認めない。どうせ、大学に行っても遊び呆けるだけなんだからさっさと就職させろ」


 『それが真白のためでもある』と主張し、父はスーツのジャケットを羽織る。

と同時に、通勤鞄を持った。


「話はそれだけか?なら、俺はもう行く」


 『こっちはこれから、仕事なんだ』と溜め息を零し、父は玄関へ向かっていった。

すると、母は慌ててそのあとを追い掛ける。


「ま、待って。真白は遊び呆けることなんて、絶対にないわ。だから……」


「いい加減にしろ!」


 堪らずといった様子で怒号を上げ、父は靴箱に拳を叩きつけた。

その音に驚いて口を噤む母の前で、彼はこう捲し立てる。


「なんと言われようと、真白の進学は認めない!諦めろ!」


 『あと、金輪際この話はするな!』と述べ、父はこちらに背を向けた。

かと思えば、大きく深呼吸する。

多分、気持ちを落ち着かせるためだろう。

さすがにそんな怖い表情(かお)で、外には出れないから。


「お母さん、もういいよ。ありがとう」


 父に聞こえないよう小声でそう言い、僕は母の背中を撫でる。

このままでは、また殴られかねないので。

『それに何がなんでも進学したい訳じゃないし』と思案する中、母はチラリとこちらを見た。

茶色がかった瞳に、葛藤を滲ませながら。


「……真白、ごめんね」


 優しく僕の手を掴んで下ろし、母は真っ直ぐ前を見据えた。

と同時に、大きく息を吸い込む。


「────なら、離婚しましょう」


 迷いのない口調でそう宣言し、母はしゃんと背筋を伸ばした。

これまでの弱々しい姿からは想像もつかないほど凛としている彼女に、僕と父は思わず息を呑む。


「お、お母さん……?」


「何を言っているんだ、お前は。離婚なんて、冗談……」


「冗談じゃないわ」


 父の言葉を遮り、母はそっと自身の胸元に手を添える。


「私は本気よ」


「っ……」


 母の覚悟を感じ取ったのか、父は珍しく怯んだ。

恐らく、離婚を言い出されるとは夢にも思ってなかったのだろう。

ゆらゆらと瞳を揺らしてたじろぐ彼を前に、母は淡々とこう言う。


「これまでは貴方の苦しみも分かるから、耐えてきた。けど、貴方のコンプレックス(・・・・・・・)のために真白も犠牲になるなら話は別。もう我慢しないわ」


「は、はっ……?犠牲って、なんだよ?俺はただ就職した方が、真白のためになると思って……」


 しどろもどろになりながらも反論を試みる父に対し、母は一つ息を吐いた。

かと思えば、酷く冷めた目であちらを見つめる。


「嘘ばっかり。貴方はただ────高卒の自分より高学歴になるのが、許せないだけでしょう?」

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