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月の花  作者: 一枝 唯
第2章
19/31

09 誘い出しても

 再び出されたその名に哀悼の仕草をするものもいたが、神妙にそうやったものであっても、瞳にお喋り鳥(キャルー)の輝きが灯るのを隠し切れずにいた。


「本当に去年、五年前の恋人が戻ってきたんだと思う?」


「まさか」


「詩人さんの歌物語じゃあるまいし」


「あれ、歌物語を信じないの?」


 思わずクラーナがそんなことを言うと、少女たちは笑ったり肩をすくめたりした。昨今の娘たちはどうにも現実的で、歌は歌、物語は物語、実際には起こり得ないと割り切っているところがある。年を重ねた女性の方が、却って夢見がちなくらいだ。


「あれは魔術師だったのよ」


「そんなの、ただの噂にすぎないじゃない」


「でも〈水辺の夢は水音が見せる〉ってね。リアーの勘違いだったとしたって、誰かがいたんでなけりゃ、おかしいわ」


 それらはおそらく、この一年間繰り返し交わされている、決まりめいたやり取りなのに違いない。少女たちは台本を読むようにそんな言葉を投げ合った。クラーナは今度は聴衆の立場に立ってそれを聞く。


「魔術師よ。おかしな魔法をかけてリアーを惑わしたの」


「昔の恋人じゃなくて、ほかの男だったのよ。でもコトがいるものだから、コトの父親と逢い引きしているふりを」


「どっちも的外れよ。リアーは毒の花を吸って、死ぬつもりだったんだわ」


 この発言には、少女たちも少し眉をひそめて、魔除けの印を切る者もいた。


 自死した者の魂は善き精霊ラファランによって冥界に導かれることはないと言われる。悪さを働く連中についてもそれは同じだが、彼らが闇のラファランによって獄界に連れていかれるのとも異なる。


 自死者の魂はどっちつかずの浮遊を続け、冥界のラ・ムールで癒されることはもとより、いずれ死 神 (マーギイド・ロード)の戯れで存在を絶たれることもなく、永遠に茫洋と苦しみのなかに漂うという――どうにもぞっとする運命に憑かれるのだと言われていた。


(これこそ、畏れの対象ってやつだと思うけれど)


 姿の見えぬ相棒に心のなかで言ってやりながら、クラーナは声を出した。


「〈三穀祭〉なのにわざわざ『外』に出る人ってのは、よくいる訳?」


「まさか」


「それって、クラーナ。『火事のなかにわざわざ飛び込んでいく人はいるのか』って問いかけとおんなじよ」


 どうやら、そこに疑問はない。〈三穀祭〉の日に森へ近づくというのは、サルフェンの人間にとって火事に飛び込み、崖から海に飛び込むのと同じだと言うことだ。だから「死ぬつもりだった」という発言も出るのだろう。


「でも、リアーはそうした」


「だから魔術師だって」


「違うわ、そうじゃなくて――」


 少女たちは似た話題を繰り返した。クラーナは適当に相槌を打ちながら、死への恐怖に足をすくませず、幻の恋人を求めた見知らぬリアーを思い、哀しみを覚えた。詩人だけあって彼の感受性は豊かだが、それに比して少女たちが酷く冷淡だというのではなく、これは一年間の差異がもたらすものかもしれない。


 この話題は彼女らには過去のことだが、クラーナにはまるで今日のことなのだ。


「魔術師、か」


 本当にオルエンは関係ないのだろうか。彼は否定したし、嘘だと思うのでもなかったけれど、本当に――何の関わりもないのだろうか?


「ああ、クラーナ。そこにいたのか。ちょっときてくれないか」


 不意に声がかかって、詩人は振り向いた。すると、〈白蛙〉亭のカンザが少し離れたところで彼を手招いている。


 何だろう、と思いながら詩人は少女たちの席を立ち、貴婦人に対するように暇乞いの挨拶をして――これは少女たちにたいそう喜ばれた――酒場の主人の方へ歩いていった。


「やあ、カンザ。何かな? まだ、歌は必要なさそうだけれど」


「そうだな。人形師(トラント)のあとは、いかにもそれらしい雰囲気の占い師(ルクリード)が控えてるよ」


 カンザは中央の舞台を指した。芝居は終盤にさしかかるところのようだが、確かにその脇では薄い布をかぶった女が何やら支度をしている。


「それじゃ、僕は何を求められたのかな?」


「おませなお嬢ちゃんたちに囲まれて困ってるんじゃないかと思ったのさ」


 カンザは笑って言った。クラーナも笑みを返す。


「何だ。せっかくの役得を邪魔してくれたって訳」


 そう言うとカンザは奇妙な表情をした。


「気に入った娘でも……いたのか?」


「やめておくよ。この町の女の子をたぶらかして、〈三穀祭〉に悪い伝説を加えることはしたくないからね」


 詩人が少し悪い冗談を言うと、カンザは次に神妙な顔になって感謝の仕草をし、謝罪の仕草まで続けた。クラーナは目を見開く。


「どうして謝罪なんか」


 言いかけて、彼は気づいた。


「ああ、そうか。あなたは僕を助けてくれたんじゃなくて、彼女たちを助けようと、した訳か」


「すまん」


「いいよ。当然だ。旅の吟遊詩人なんて、絵に描いたような流れ者だもんね。ただ、僕は」


 クラーナは肩をすくめた。


「詩人の放浪癖を鎮めるほどの女性に出会わない限り、一夜の恋と割り切れる慣れたご婦人以外は、そういう対象にしないよ」


「ふうむ」


 カンザはどう反応していいか困るようだった。都会であればいまのは、ある種「誠実な台詞」だが、田舎町では「一夜の恋」自体があまりにも奔放なのだ。今度は、そうと気づいたクラーナが謝罪の仕草をする番だった。


「ねえ、ところで見慣れない白髪の若者を見なかった?」


「白髪だって? いいや、そんなのは見ていないようだ」


 オルエンの頭はそれなりに目立つ。老人ならともかく、若者の姿であれば目にとまるだろう。となると、カンザは言った通り、オルエンを見ていない可能性が高い。


「そうか」


 実際、〈鍵〉の気配は近くにない。宿に戻ったか――いや、やはり森へ行ったのだろう。彼には一年に一度の祭りより、一年に一度の花の方が大事なのだ。


 そんなことは判っていたけれど、この陽気な雰囲気に触れて暗い毒のことなど忘れてくれればいいと、少しだけ思っていたのだ。そんなことは無駄だと判っていたけれど。


「じゃあ、コトは?」


 次に彼は、同じように気になる少年のことを尋ねた。やはりと言おうか、カンザは首を振る。


「見かけないな」


「デン爺さんのところだと思う?」


「ここにいないんなら、そうじゃないか」


 カンザは肩をすくめた。


「……誘い出しても、いいものかな」


「何だって?」


「母親を亡くした思い出はとても痛いものだと思うけれど、あんな小さい子がいつまでも哀しみを引きずっているのは可哀想だ。こういった、楽しい騒ぎに連れてきた方が――」


 先に思ったことをクラーナは口にした。出過ぎているような気もしたけれど、この馬鹿騒ぎのなかで「母親が心配だ」とうつむいて小さく呟いた少年のことを思い出すと、どうにかしてあの子を笑わせてあげたいと、そんなふうに考えてしまう。


「そりゃ、いい考えだ」


 町の男は簡単に答えた。


「こんな日は誰も彼も自分の楽しみで手いっぱい、人の子供のことなんか思いやってやれない。もしそうしてくれるんなら、クラーナ、俺は歓迎するね」


「そう」


 クラーナはほっとして言った。


「有難う、カンザ。僕、ちょっと行ってくるよ」


 そう言うと吟遊詩人は弦楽器を手にし、祭りの賑わいをあとにすることにした。


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