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月の花  作者: 一枝 唯
第1章
10/31

10 ちょっと、悪いなって

「あれは〈三穀祭〉のときだった。ちょうど一年か」


「どうして、亡くなったんだい」


 クラーナは慎重に尋ねた。ふと、思いつくことがある。


「もしかして……『外』に出たとか」


 その問いに、主人は実に困った顔をした。当たり(レグル)を引き当ててしまったことに、詩人は気づく。彼は黙って、謝罪の仕草をした。それが適当であるのかどうかは、いまひとつ確信がなかったが。


「いいんだ」


 主人は言った。


「あんまり喜ばれる話じゃあないことは確かだが、祭りの今日、誰もが思い出してるだろうよ。去年の不幸な出来事」


「……何があったのか、聞いてもいいかな」


 遠慮がちに詩人は言った。


 正直なところを言うと、これはただの好奇心に近い。だがそれをむき出しにするのは礼儀に反するし、噂話のなかでも「人の死」は重いものの部類だ。


 同じように主人も少し躊躇うようだった。だが、旅をしていろいろなものを見聞きしている詩人から話を求められたのだという喜びのような、或いは誇りのようなものに押されたか、ぽつぽつと語り始めた。


「その娘はリアーと言って、旅の男に恋をしたんだ。私らは余所者を嫌うと言うほど偏屈じゃないが、若い娘をたぶらかす男はあまり気に入らんわなあ」


 それを聞いたクラーナは、僕はやらないよ、とでも言うように両手を上げた。主人は笑う。


「彼女は森へ薬草摘みに行っては逢い引き(ラウン)を繰り返し、やがて子供を身ごもった。それがコトだ」


「その男は? 結婚して、サルフェンの人間になったのかい?」


 話の雰囲気からそうではないだろうと思ったが、クラーナは尋ねてみた。案の定、主人は首を横に振る。


「子供ができたと判った途端、男はやってこなくなったんだ。よくある話さ。気の毒なリアー」


「それでも彼女は子供を産み、ひとりで育てた?」


そう(アレイス)。町の人間全員が彼女を軽薄女と糾弾はしなかったが、全員が温かく見守った訳でもない。そんななか、あの子はよく頑張ったよ。でも、無理をしてたんだな。去年のことだ」


「〈三穀祭〉のときだと言ったね」


「言った」


 カンザはうなずいた。


「俺は覚えてるよ。その何日か前、リアーは嬉しそうに、かつての恋人が帰ってきたと言ったんだ。森で姿を見かけたとね。俺は、それは疑わしいと思った。何かを見間違えたか、夢でも見たんじゃないかと。祭りも近かったし、夜には出歩くなよと釘を刺したんだが」


「……恋人の影を求めて、彼女は森へ」


そう(アレイス)


 主人はまた言った。


「誰だってまさかと思う。五年前にもてあそんだ娘とわざわざ結ばれにやってくる男がいるかね?」


 それは問いかけの形を取っていても質問ではなく、クラーナは黙っていた。


「でもリアーは信じて、それから毎晩、祭りの夜にも森の外れまで足を運んで、毒の香りを吸って死んだよ」


 主人は追悼の仕草に続けて魔除けの印を切った。クラーナは前半に倣い、首をかしげた。


「何か納得のいかない話でもあるのかい」


 詩人は尋ねた。「毒の花」は別に魔術ではないはずだ。だから、それを忌んで除けようとするのではないだろう。では、魔除けの印を切る理由は?


「……もしかして、サルフェンの人々が魔術師を敬遠する理由は『何となく不気味だから』なんて曖昧な話ではないのかな。もしかするとそれは、コト君が『魔術師は悪い人』だと考えるのと、同じ理由で」


 半ば当てずっぽうでクラーナは言った。ううん、と主人はうなる。


「噂さ、何の確証もない。ただ」


「ただ?」


「一年前にリアーが見たのは、恋人じゃなくて魔物だとか魔術師だとかってな、そんなふうに言われてる」


「魔術師は、魔物じゃないよ。人間だ」


 思わず擁護してしまってから、あまり意味がなかったことに気づいた。話の焦点はそんなところではない。


「その男は、黒いローブでも着ていた?」


「そうだったら、はっきり『魔術師だ』と言えるだろうに」


 どこか困ったようにカンザは言った。


 魔術師だからと言って黒いローブを着ているとは限らない。魔術師ではない人間が黒いローブを着用することは稀だ。


 つまり、黒いローブを身にまとっていれば魔術師の可能性が非常に高いものの、着ていなかったからと言って必ずしも魔術師ではないとは、言い切れない。


 しかし「何となく怪しいから魔術師かもしれない」というのはさすがに魔術師に対して気の毒かもしれない、という気はした。


「それで」


 ともあれ、事情は少し判った。クラーナは呟くように言う。


「それで、『母さんが心配』か」


 魔術師が母を森へ連れ出したという噂。


 オルエンの存在から母の死を思い出し、同じように何か悪いことが起きるのではないかと案じている。そんなところだろうか。


 クラーナの胸は痛んだ。小さな子供が傷ついた心を抱え、死んだ母を心配している。それは、感受性の豊かな詩人にとても切ない思いを引き起こした。


(オルエンに、せめて黒ローブで出歩くなと言っておかなくちゃ)


(裸みたいだろうと何だろうと、禁止してやる)


 コトの心に不安を呼び覚ましたくない。そう思った。リ・ガンたる彼には〈鍵〉の意思を尊重したいという気持ちが湧いてしまうのだが、無視できないほどではない。だいたいオルエンが黒ローブを脱いでも彼は少し困惑する程度だろう。しかしコト少年は違うのだ。


「誰もが本気で、魔術師がリアーを惑わしたんだと思ってる訳じゃないが、〈三穀祭〉との奇妙な一致を気味悪く思う人間も多い」


「……そうだろうね」


 何となく、クラーナは謝罪の仕草をした。


「あっ、僕の相棒が去年の件に関わると言うんじゃないよ」


 誤解をされては困る、とクラーナはつけ加えた。


「ただ、ちょっと、悪いなって」


 クラーナがこの町でオルエンを見つけなければ、オルエンはわざわざこの町に宿を取るような真似をしなかったかもしれない。何しろ、いきなり彼の背後に現れたのだ。魔術でもって、どこへでも好きに姿を見せられるに決まっている。となると、例の砂漠から毎晩好きにやってくることだってできるのだろう。そうなれば、彼をサルフェンに留めるのは、クラーナの存在だ。


 もっとも、これは偏見の一種で、魔術師は「どこへでも好きに」跳んでいくことなどはできない。彼らなりの理があり、人や物、場所などに符を打っておくことで、それを目印に跳ぶのだ。全く知らない場所にいきなり姿を現すことはできない。


 だがクラーナはそのようなことは知らないし、知っていたとすれば、オルエンがどうやって現れたのか考え、その先にいたのは自分であるとの結論を出すだろう。となると、やはり、町なかに黒ローブをもたらしたのはクラーナだということになる。


 カンザはそのようなクラーナの思考については判らなかったものの、言う意味はだいたい判ったようだ。気にするな、などと答えた。


「今年は恋に哀しむ娘もいない。祭りは無事に済むだろう」


 町の男は、ただそう言った。


「きてくれよ、詩人さん(セル・フィエテ)


 クラーナは笑顔でそれに答えた。


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