19.突撃! 魔法天文台 〜リリアンの職場訪問〜④
「リリアン!」
所長室へ向かっていると、廊下の向こうからアルベルトが駆け寄ってくるのが見えた。
「お父様、もう良いの?」
「ああ、済ませてきた」
アルベルトは胸を張ってそう言うが、ベンジャミンの表情は渋いものだった。すでに準備されたものにサインだけしていると思っていたのだが、なにか不備でもあったのだろうか。
リリアンが首を傾げていると、それに気付いたらしい執事は溜め息をひとつ吐く。
「一番重要な仕事を後回しにすると言われまして」
「まあ!」
「おいこら、リリアンに告げ口するんじゃない!」
アルベルトはベンジャミンを止めようとしたが、リリアンにじろりと視線を向けられて黙り込む。
「お父様……」
「いや、確認はした。その上で急がなくてもいいと判断したから、それで」
「それは本当?」
「誓って事実だ。リリアンと一緒に居たくて切り上げたとかそういう理由じゃない」
「魔導士の皆さんの作業が阻害されるような事があっては……」
「大丈夫だ、そういう類いのものではないから!」
「そうなの?」
「ああ!」
強くそう言えば、ようやくリリアンは納得したようだった。リリアンに信じて貰えて良かったとアルベルトは胸を撫で下ろしたが、本当に信用されていればこんな風に疑われたりしないだろう。ベンジャミンとシルヴィアが無表情になる中、アルベルトは笑顔でリリアンに向き直した。
「ここからは私が案内するからな」
「ええ、分かりましたわ」
リリアンが頷くとアルベルトの笑みはますます深いものになる。
「リリアンならどこでも案内するぞ。どこがいい? 禁書庫にでも行くか?」
「えっ? いえ、そういうのは結構です」
「そうか……? 割と楽しいんだが」
「ええっと、では、魔道具を作るところが見たいわ。ああいった作業は目にしたことがないから、新鮮でしたの」
「じゃあそれ関係のところにするか」
「……お父様は、どこの研究室でなにを研究しているか、把握されているのですか?」
「まあな」
「まあっ!」
意外だ。魔法天文台へは滅多に来ないと言うから、どこでなにをしているかなんて知らないだろうと思っていたのに。
「さすがはお父様ですわ!」
と、リリアンは瞳を輝かせているが、半分は本当で半分は嘘だ。天文台での研究内容は定期的に報告があるが、興味を惹かれたものしか記憶に残っていない。全部は覚えていない——というか知らなかった。が、リリアンから尊敬の眼差しを向けられるのは純粋に嬉しいから、その事実は伏せておく。
エマが「え、本当に?」という顔をしているが、彼女はリリアンの後方に居るためリリアンからは見えていない。アルベルトには都合が良かった。ふふん、と胸を張って威厳を示しておく。
それに、どのみち道具作りなら一番はアルベルトだ。一応塔内に自身の研究室があるから、そこへ案内すれば特に問題はないだろう。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
来た道を戻るアルベルトの後ろについて、リリアンも移動する。
目的地は所長室のある塔からしか行けない別塔だそうだ。そう言えば、階段の窓から他の塔とは形の違うものが見えた気がする。
「塔は、五本なのではないの?」
「手狭だったから建てたんだ」
「建てた?」
「所属してすぐの頃だったか。部屋を割り当てられたんだが、狭くてな」
「ああ、それで」
リリアンはさらっと流したが、当時それは天文台を騒然とさせる大事件だった。中庭を潰して研究室にするのはまだ理解を得られた。なぜなら五角形を保っている状態での改装だからだ。そうではなく、新しく一本塔を増やすと言った時、魔導士達の猛反対にあった。
人は、そうだと言われ続けたものがそれ以外の形になるのには、抵抗感を覚えるものだ。ずっと魔法天文台は五本の塔が主体でやってきた。その『五本の塔』に入れる、というのは魔導士にとって大きな意味を持つようになっていた。
数少ない魔導士達の中でも、選ばれた者だけが塔に入る事が許されていたのだ。それは彼らの矜持とやる気を程良く維持するのに役立っていた。
中庭を研究室に改装する時は単純に所属できる人数が増えるので歓迎されたが、アルベルトがやったのは「塔を増やす」というもの。『塔に所属するには選ばれなければならない』——そんな常識をめちゃくちゃにする行為だった。あれやこれやの実績があったので押し通し黙らせたが、建てて正解だったと思った事が多い。そういう連中が立ち入らない場所は、アルベルトには不可欠だったのだ。
とは言え、それはリリアンが知る必要のないものだ。単に部屋が狭いという事にしておく。それは一応事実であるし。
リリアンはそれで納得したようで、どんな設備かしらと楽しみにしていた。わくわくしているリリアンは控え目に言ってとても可愛い。いつまでも見ていたい。アルベルトはその思いのまま、ほとんど真横を向いた状態で歩いていた。そのせいで、視界の端にいつものしょうもないものを見る目をしたベンジャミンとシルヴィアの姿が入ってしまうが気にしなかった。それよりもリリアンの鑑賞を優先したのだ。
(まだ見ぬ場所に思いを馳せ、期待に胸を膨らませる。好奇心旺盛で素晴らしい。さすがはリリアンだ、睫毛の先までが輝いて見える。まるでリリアンの期待が目に見える形で具現しているかのようだ。世界がリリアンに呼応している……ん? つまりリリアンは世界を動かしているという事か……!?)
アルベルトが雑念にまみれていると、ふいにリリアンが「そうだわ」とこちらを向いた。
「うおっ!」
目を輝かせるリリアンのあまりの眩さに、アルベルトは一瞬目が眩んでしまった。可愛らしさに打ちのめされ、思わず仰け反ってしまう。
「お父様?」
「ああいや、なんでもない。何かなリリアン」
「お父様にひとつ質問があったんです」
「なんだい?」
「魔道具の研究開発に、失敗はつきものだとか。お父様もやはりうまくいかないことがあるのですか?」
思ってもみない質問だ、思わずアルベルトは瞬く。
「失敗?」
「ええ。エマに塔を案内して貰って色々見て、そこで知りましたの。魔道具ひとつでも様々な工夫と苦労があるのですね、わたくしそんな事、全然知らなくて……。いつもお父様が作ったものを使わせて頂くだけなのですものね。でも今日ようやく、お父様が色んな工夫をされていたのだと、初めて知ったのです」
「……それで私にも失敗があるのじゃないかと、そう思ったのか」
「はい。いくらお父様が凄い魔法使いであっても、思った通りにするには、やはり試行錯誤なさるはずですもの」
「リリアン……!」
アルベルトはふるりと身を震わせる。
(もの凄い魔導士だと、偉大な父だと……私をそう評価してくれるのか!)
アルベルトは感動した。まさか魔法の事でリリアンに褒めて貰えるとは!
嬉しい。嬉し過ぎてリリアンの言葉を拡大解釈しているが、アルベルトにとってはどちらもさして意味は違わない。自然と滲み出る涙を指先でそっと拭い、考えを巡らせる。感動に浸りたいところだが、回答を待つリリアンを放置するわけにはいかないのだ。
「うーん、そうだな」
失敗らしい失敗など生まれてこのかた経験は無いが、さすがのアルベルトであっても、初めて造る物は想定外の出力となる事が多い。計算より少なかったり、思ったより多かったりする。あの〝リベラ〟もそうだ。想定より出力が良くて、当初計画していた物とは別物に仕上がってしまった。
それが失敗だったかと言われると、そうではない、と断言できる。あれは近年でも出来の良い魔道具だとアルベルトは自負している。が、本来作ろうとしていたものは作れていないので、そちらは成功していない。
「……それは、なにをもって失敗と言うかにもよるな」
「と言うと?」
「失敗というのが効果が発動しない状態を指すのなら、無いと言えるな。レイナードに渡した〝リベラ〟がいい例だ。ナルマフから仕入れたミスリルの特性を確認していたらああなった」
「まあ!」
「義姉上に渡した薔薇のブローチは、あれを応用したものだな。想定とは異なる結果が出たんだが、面白い物が出来たろう?」
「ええ、あれはとっても素晴らしいものだと思いますわ」
「であれば、あれらは失敗ではないということになるな。ミスリルのナイフを作ろうとしていたんだが、それは結局兄上の剣になってしまった。だがあれもかなり良い物に仕上がった。つまり失敗ではないわけだ」
「すごいわ、さすがお父様!」
リリアンにそう言われ、アルベルトは上機嫌でふふんと胸を張る。が、その後ろではベンジャミンが引き続きしょうもないものを見る目をしていた。シルヴィアに至っては虚無顔である。エマはスッと眼鏡のつるを押し上げているが、彼女にしては珍しく真顔であった。
そうして賑やかに廊下を進んでいると、リリアンの視界の端で何かがきらりと光る。
「……あら?」
「どうしたリリアン」
「落とし物のようです」
光を追って開いたドアまで近付いたリリアンはそこで屈んだ。
「魔導士が落とした物のようですね。……どこの研究室のものかしら」
戻って来たリリアンの手にあったのは、魔石を加工したような部品だった。三センチくらいの楕円形で表面に模様が彫られている。模様は魔法陣だろう。
重要そうなものだったので、リリアンはそれを父に手渡す。
「これは……」
魔法陣を確認した途端、アルベルトの眉間に皺が寄る。
「お父様、これが何かご存じなの?」
「ああ、おそらくだがこれは」
「すみません! この辺にこのくらいのっ……あっ!!」
謎の部品を検分していると、バタバタという足音と共に声が飛び込んで来る。音のした方を見ると、慌てた様子の若い魔導士が走っているのが見えた。
「ああ良かった! 探していたんです!」
魔導士は間近まで来るなり叫ぶ。彼の視線はアルベルトの手にあった。どうやら謎の部品の持ち主のようだと、それで検討がついた。
「貴様が、これを?」
眉間の皺はそのままにアルベルトがそう言えば、若い魔導士は息を切らせながらも笑顔で頷く。
「ええ、僕が作りました。放棄された研究を元に作ったのですが……それが、なにか?」
「…………」
「お父様?」
魔導士が答えるなり、アルベルトの顔つきが険しいものになる。それに不穏なものを感じたリリアンが呼ぶが、珍しくアルベルトがそちらへ向くことはなかった。
魔法天文台に少女が居ること、その少女が銀髪で、更に隣に同じ色を持った男が居ること。その段になって、彼はようやく目の前にいる人物が誰なのか気付いたらしい。はっとなったかと思うとみるみる顔色が変わっていく。
「え、あ、まさか、総帥!?」
「ランクリッド・パーカー。あなた、今頃気が付いたの?」
「だ、だって、まさか総帥がこんな所にいるとは思わないじゃないか!」
エマが呆れた声を出したのに、パーカーという魔導士は思いの丈を叫んだ。
アルベルトは魔法天文台の総帥、エマとオリバーの上司にあたる。一応王族ではあるが継承権は放棄しているから公務には参加しない。やる事と言ったら公爵領の運営くらいだ。その領地も家令に任せっ放しなので、本来なら天文台に出入りしていてもおかしくはない。が、天文台に所属する魔導士の多くは……というより、エマとオリバー以外の魔導士は、ほとんどアルベルトの姿を見た事がないのだ。
理由は単純だ。アルベルトが天文台に来ないから。リリアンの側を離れないから、当然だった。
一同の視線がアルベルトに集まる。が、アルベルトはまったくそれを気にしない。
「パーカーとか言ったか。これを何に使う気だ」
気にしていないのでそのまま会話を続ける。パーカーは面食らったように瞬いた後、どう解釈したのか満面の笑みを浮かべて何度も頷いた。
「興味がおありなのですね! 研究室へいらっしゃいますか?」
「いや貴様の研究なんぞに興味は無いが」
「またまた! いいからどうぞ!」
「は?」
気弱そうに見えるのに、パーカーという魔導士は押しが強かった。憮然とするアルベルトを自分の研究室へ向かわせようと背後に周り、なんとその背を押している。
強引過ぎる。あと普通に無礼だ。アルベルトの機嫌がどんどん悪くなっていく。
リリアンはそれを肌で感じていた。頰をピリッと撫でるものがあったのだ。馴染みのあるそれはアルベルトの魔力で間違いない。苛ついた気分がそのまま魔力の質に反映されていて、そのせいで刺すように肌をピリピリと刺激するのだ。
そのまま放置すると、手の中の部品ごとパーカーを爆散させかねない。リリアンはそっとアルベルトの袖を引っ張る。
「ねえお父様、少しだけ見学してみませんこと? それがなんなのかも知りたいですし」
「リリアンがそう言うなら」
娘の言葉に食い気味で答えたアルベルトからは、もうすっかり怒気を感じない。
こうして若い魔導士を先頭に一同は移動を始めた。
◆◆◆
パーカーの研究室は五本の塔のうち、北西の塔の二階にあった。その中でも一番奥まった扉を開ける。
「……まあ」
思わずリリアンは溢した。その部屋は、今まで入った部屋の中で一番狭かったのだ。そこに木箱やなにやらがたくさん置かれていて、余計狭く感じる。足を一本踏み入れればリリアンの豪奢なドレスが壁を擦った。
「全員は入れませんね」
「我々は部屋の前で待つしかなさそうですね」
ベンジャミンの声にシルヴィアが同意する。扉を開けた状態で「何かあればお呼び下さい」と下がる彼らに頷いて、リリアンは改めて室内の様子を確かめた。
室内にいるのはパーカーとエマ、それからアルベルトとリリアン。四人入っただけでもう一杯だ。
部屋には作業台がひとつ、備え付けの小さな本棚がひとつ。窓辺に小さめの机があるようだが、そこは荷物でいっぱいになっている。それだけの部屋だ。これだけ狭い部屋は公爵家には無いので、リリアンは新鮮な気分でそれを見回していた。
本棚はいっぱいでその上にも本が積まれている。埃がたっぷり乗っており、整頓するつもりのなさそうなそこには紙も混じっていた。その隣の木箱には、さっきリリアンがちらっと見た、動物の胴体の様なパーツがあった。鮮血こそ無いものの部位ごとに無造作に置かれているせいか、妙に猟奇的に見える。
広くない部屋の中央には作業台が陣取っていた。そこにはなにかのメモとペン、インク壺が置いてある。書き損じらしい紙に描かれているのは、なぜか狼の絵。彼が何を研究しているのかリリアンにはさっぱり分からない。
「で、何を作っている」
拾った部品を作業台に放ったアルベルトが、腕を組んでパーカーを睨み付けた。が、嬉そうな様子のパーカーはここぞとばかりに大きく頷き、大きく腕を広げる。
「よくぞ聞いてくれました! 僕が作っているのは『自律式魔導兵器』です!」
「自律式魔導兵器?」
怪訝そうにするアルベルトに、あれを見て下さい、とパーカーが後方の壁を指差す。振り返ってみれば、そこには大きな紙が貼り付けてあった。
「あれは……?」
「設計書です!」
「設計書?」
「ええ! 僕が魔導士となり魔法天文台へ来るきっかけとなった、偉大な設計書! その写しです!」
パーカーはキラリと目を輝かせる。
「実は、偶然見つけたものなのですが……どうやら誰かが途中で放棄した計画のようでした。でもあの設計書を見て、僕は震えました。こんなに素晴らしい研究が打ち捨てられるなんて、勿体無いを通り越してあり得ない! それで僕は魔導士になったんです。魔導士になって魔法天文台に入り、研究を進めました。あれを実現させるためです。今はまだ満足に動きませんが、必ず完成させてみせますよ」
「確か、ここはあなた一人だったわよね」
「ああ」
「師事した魔導士はいるのかしら」
「学院を出てからは、あちこちの研究室に顔を出してはいる」
「ああ、それで……」
エマが問いかけるのにパーカーは答える。エマがどんどん険しい表情になっていくのが分かったが、リリアンはそれよりも、アルベルトがずっとムッとした顔でいるのが気に掛かる。
「お父様、何か気掛かりでも?」
「いや、そういうんじゃないよ、リリアン」
「そう……?」
リリアンは首を傾げる。そう言うわりに、眉間に皺が寄っている。絶対に何かあるはずなのに、とリリアンが更に首を傾げた時、そのやり取りに気付いたパーカーがふとこちらに視線を向けた。
「僕の研究になにか」
「いや」
「不満そうに見えますが?」
「パーカー!」
エマが咎めるような声を上げる。
「口を慎みなさい。どなたと話しているか理解しているの?」
「どうして止めるんだ、副所長。僕の研究に総帥が文句をつけられる理由なんてないだろう? 責任者という立場でありながら、ろくに顔も出さないじゃないか。僕らが何も知らないとでも? 普段総帥は何もしてない。実務は全部あなたや所長がやってるって、皆知ってる」
「黙りなさいパーカー」
だがエマが咎めれば咎めるほど、パーカーはそれを否定する。頑なにも見えるがなにか理由があるのだろう。組織の事で、部外者であるリリアンは静観するしかない。
「いいや折角だから言わせて貰う! いくら仕事ができて才能があったとしても居なければ意味がないだろう。閣下の功績は僕だって知ってるさ。でもだからって、普段居もしない人を据えても仕方ないじゃないか。それで天文台はどうなってる? 何の問題もなく稼働してるよな? それがおかしいんだよ! ソレイン副所長、あなたと所長が懸命にやっているのは分かってるが、そもそもそれが問題なんだ。居なくてもいいんだぞ、組織のトップが! それなら誰がなったって構わないじゃないか!」
あまりの発言に、エマは怒りとも驚愕ともつかない表情をしていた。扉を開けているせいでその声は廊下にも届いたのだろう、ベンジャミンがいつでも割って入れるようにと、リリアンの後ろに立ったのが分かった。
言い切ったパーカーの方はと言えば、肩を怒らせて呼吸を荒くしている。しんと静まり返る室内は重苦しい空気に包まれた。
「つまり貴様は、私が総帥であるのが不満なのか」
アルベルトがそう言えば更に緊張が走った。リリアンも思わず父親を見上げる。けれどもその横顔に怒気は感じられなかった。少なからず、今すぐにパーカーをどうこうする気はなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろすが、やはり表情はさっきと変わらず険しいまま。むしろそっちが気になって、リリアンは首を傾げた。
が、パーカーにしてみればその険しい表情こそ、自分へ向けられたものだと感じることだろう。ひっと息を呑み、彼は言葉を詰まらせる。
「そっ……う、ではなくて」
「じゃあなんだ」
「閣下が総帥なのが悪いのではなくて……居ないからダメって話で……そ、そう! ずっと居ないっていう、それが問題なんですっ!」
「だが私はリリアンの側を離れるわけにはいかない。天文台へ来られないのは仕方がないだろう」
「仕方ないわけでもないと思いますが」
ぽつりと溢れたベンジャミンの声は意外と響いた。リリアンにもばっちり聞こえたが、アルベルトは気にした様子がない。
エマは、すでに呆れ返った表情でパーカーという魔導士を見ている。その理由はリリアンにも想像がついた。アルベルトという人物相手に、パーカーの態度はあまりに不遜だからだろう。
が、引っ込みがつかなくなったのか、それとも本気なのか。パーカーはその勢いのまま捲し立てる。
「だから、そう! ずっと塔に居る人間がトップになるべきだ! 例えば……これまで一日足りとも休みを取っていない、僕とか!!」
言うなり、パーカーは胸を張った。途端にエマが目を丸くする。
「パーカー……あなた有給を使っていないの?」
「有給なんて使う暇があるか! なんなら休日もフル出勤だぞ、そんな真面目な魔導士は僕だけだろう!」
「嘘でしょう!?」
「あり得ませんなあ……」
パーカーが叫ぶ。と、直後にエマとベンジャミンが呆れの声を溢した。何の事だか分かっていないのはリリアンだけのようだ。首を傾げていると、戸口の方から「馬鹿でしたか」と声がした。シルヴィアだ。
「シルヴィア、どういう事?」
「天文台の魔導士は、正確には労働階級とは違うのですが……労働者の環境を見本に休暇が設けられているのです。そうでもしないと研究しっ放しでろくに寝ないからだと、そう聞きました」
「つまり……休まなければならないのに、休んでいない?」
「そういう事になります」
まあ、とリリアンは呟く。給金を得ている人は、休暇が義務付けられているのだ。天文台の魔導士もそうなのだとしたら、立派な違法行為になる。パーカーではなく組織の方が罪に問われるのだ、休ませなければならない人を働かせたから、という理由で。意図的でないにしろパーカーがやったのはそういう事で、それを上司にあたるエマとアルベルトに告白したのだ。エマが頭を抱えているのはそれが理由だろう。
それまでの張り詰めた空気が一変、誰もが呆れ返っている。パーカーがそれに戸惑っているようだが、誰も彼に声を掛けない。——アルベルト以外は。
「そうか。ならお前がやれ」
「はっ?」
そうして発せられたのは意外どころではない突飛なもので、当のパーカーですら驚きの声を上げる。
「アルベルト様、一体なにを」
エマも、驚き過ぎて瞬きの回数がすごいことになっていた。頰を引き攣らせているのが可哀想に感じるほどだ。
けれどもやはりアルベルトが気にすることはなかった。一人うんうんと頷いている。
「あんなもの誰がやったって変わらん。やる事といったら印を押すだけだし」
「それはそれだけで済むようにしているからですわ! アルベルト様であればそれで良いのですが、それを一職員にさせるというのは」
「職員ではないだろう? 彼は総帥だ」
「そんな、おやめください!」
エマの声を無視し、アルベルトは棚から一枚紙を取り、作業台の上にあったペンでなにかを書いていく。
「これで良し」
書き終わると内ポケットから取り出したものを押し付けた。きんぴかのそれは、魔法天文台の責任者の印だ。
完成したものを作業台に置く。エマが紙を覗き込むと、ヒィッと声をあげた。
「嫌ぁっ、どうして正式な書式を完璧に再現されているんです!? あの、アルベルト様。せめて〝総帥代理〟と。国家運営ですもの、総帥の交替は陛下の命がなくては実現できませんわ。陛下が何の説明もなく許可を出されるとはとても」
「仕方がないな。兄上には総帥交代の説明しておく」
「いえ、そちらを解決なさるのではなく! 代理という事にして下さい! 後生ですから!」
エマが叫ぶも、アルベルトにはまったく響いていない。
「ではパーカーとやら。後はよろしく」
「えっ……えっ?」
「リリアン、すまないが書類を作るから戻るぞ。見学はまた今度にしよう」
「え、ええ。それは構いませんが、お父様。構わないんですか?」
「何がだ?」
「閣下。アルベルト様! どうか思い直しを、いえせめて修正を!」
リリアンを伴って、さっさと出て行くアルベルト。エマがそれを追って行ってしまったので研究室にはパーカーだけが残された。
慣れた静寂が、今は現実感を打ち消しているのはなぜだろう。パーカーは開けっ放しの扉から作業台へと視線を移す。
見慣れたいつもの作業台。この部屋に一人でいるのもいつもの事だ。が、今はその作業台の上に、見慣れない文字の並ぶ紙が一枚。整った筆跡が伝えるには、いわく今日付けでパーカーを総帥とするとある。
「ほ、本当に?」
ひくり、とパーカーは頰を引き攣らせた。
どれだけ不満があったとしても本気ではなかったのだ。それはそうだろう、あんな戯言、真に受ける必要がないのだ。だって、誰がどう考えてもただの一魔導士にすぎないパーカーが総帥になれるはずない。そんなふざけた事態が罷り通るほど、魔法天文台の総帥というのは軽々しい立場ではないのだ。
なにせそれは、魔導士達の頂点。魔力や魔法の腕前は勿論、魔導に精通していないといけない。パーカーは魔導士になって数年経つが、まだ一部の知識しか持っていなかった。それを長として据えるほど、魔導士は甘くない。いや、据えられるほど、魔導の道は甘くない。
「じょ……冗談だろ。総帥も人が悪い」
だからきっと、これは軽率な行動をとったパーカーを懲らしめる為に置いていったのだろう。
「そうか……そうだよな。きっとそうに違いない、うん」
そう呟いて、パーカーは不穏な内容の紙を手に寮の自室へ戻った。
翌朝、前日の出来事が夢だったのではと思ったのだが、机に無造作に置いた紙が実在していてパーカーを現実へと引き戻す。思わず天井を仰いでしまったが仕方がないだろう。
勤務時間が近付いていたので、とりあえず普段通りに研究室に向かう。紙はエマに渡そうと持って来た。いつ頃なら彼女の手が空くだろうか、とぼんやりしていたところへ、ノック音が響く。
いつもは誰もやって来ないはずの研究室だ、慌てて扉を開けると、そこにはエマと、それからオリバー所長の姿があった。
「やあ、おはよう」
オリバーはにこりと笑みを浮かべると、持っていた羊皮紙をパーカーに手渡す。
わけもわからずパーカーはそれを受け取り——目を丸くした。
『ランクリッド・パーカーを総帥代理にする』
そこにはそう書かれていた。
「そういうわけだから、早速来て貰えるかな。パーカー総帥代理」
引き継ぎが色々あるんだよねぇと顎を撫でるオリバーと、憮然とした表情のエマ。パーカーはどうしても頰が引き攣るのを止められなかった。
「ゆ、夢じゃなかった……」




