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18.思い出の選考会はとても激しくて③


 会場に残された人々は、身の置き場がなくてどうにも居心地が悪かった。困ってあちこちに視線を彷徨わせる者が大半だったが、あえてシャロンは正面を見据えている。ミオラルもシャロンに倣って同じ姿勢ではいるが、不安そうだ。それはそうだろう。残った家門は二十に満たない。閑散とした会場では囁きも響く。迂闊に発言すれば誰かの耳に届いてしまう。


「ねえ、シャロン……」


 たまらずミオラルがシャロンを呼んだ。


「なあに、ミオラル」

「うん……あのさあ……」


 なんとも歯切れが悪いが、言いたい事は分かる。大人達が緊張し切っているものだから、子供達は不安でいっぱいだったのだ。

 シャロンもそりゃあ緊張していたが、両親はどっしりと構えていて微塵も動揺が見えない。いつも通りの様子だったから、多少なりとも冷静でいられるだけだ。


「大丈夫よ。公爵家からのあんないがあるまで、じっとしてましょ」

「うん……」


 そうして嫌な緊張感が漂う中、待たされることしばし。キィ、と扉が開く。誰もがそちらに注目したが、現れたのはメイド服の女性ただ一人。てっきり公爵とそのご令嬢が現れると思っていたのだが。

 女性はそれなりの年齢に見えた。四十かそこらだろう。一同の視線を集める事になったが一切の動揺を見せなかった。そのせいか、ぴんと伸ばした背筋のせいか、貫禄の様なものを感じる。年齢とその態度からすると侍女長かなにかだろうと想像がついた。

 その侍女長は、背筋を真っ直ぐ伸ばしたまま、会場をぐるりと見渡す。


「お待たせしており申し訳ございません。どうぞこちらへ。会場へご案内致します」 

「……会場?」


 ミオラルは瞬く。それは、今居るこの部屋の事ではないのだろうか?

 他にもそう思った者がいるらしい。戸惑いの声があちこちから聞こえる。が、侍女長はそれらを気にした様子がなかった。すたすたと歩いて、中庭に面したガラス戸を開けると一同を促す。てっきり彼女が入って来た扉の先に案内されると思っていたのだが違うらしい。

 戸惑いながらも、招待客達は彼女の言葉に従い、庭に出た。そこにもテーブルが準備されているのに気付き驚きの声が上がる。室内から見た時、そんなものがあるとは気が付かなかったのだ。いつの間に準備したのかと思ったが、それは違う。ガラス戸に室内の景色が反射していたのではない、反射だと思っていたものは外にも準備されていたのだ、最初から。

 何の為にって、この為だ。初めから庭に案内するつもりだったのだ。

 それに気が付いた者から順に驚きの声が上がる。ミオラルはもちろん驚いて目をまん丸にした。テーブルの上は、さっきの室内と同じくらい綺麗に飾られ、お菓子もたっぷり乗っていたのだ。思わずシャロンを見ると、さっきまで澄ましていた彼女も目を見張っている。

 立派な衣装を纏う彼女が驚くくらいなのだ、とても凄い事なのだろう。これが〝とうとい公爵家〟なのか、とミオラルが関心したその時だった。ざあ、と風が吹き、白い花の花弁が風に舞う。

 花弁は庭に咲いているものだ。春の到来を感じさせるその花はごく一般的なものだが、まだ緑の茂っていない庭園においてはよく人の目を引く。風で舞った花弁を追う様にして庭へと目を向ければ、その花の小道からこちらへ向かってくる人影があった。

 その影に、誰もが息を飲んだ。数年前から全く領地から出て来なくなったが、その美貌、銀の髪は見間違えようがない。


「アルベルト様……!」


 アルベルトが、腕に小さな女の子を抱いた姿で白い花のアーチを潜る。吹き上げる風に銀髪が靡く姿に誰もが目を奪われた。その瞬間、一切の音が消える。風の音も耳に入らない程の衝撃を全員が受けていた。

 陽の差す中、銀髪が風に靡いて白く輝く。形の良い眉の下、長い睫毛に縁取られて煌めく瞳。切れ長の目が向けられているのは、彼の腕の中にちょこんと収まる小さなレディだ。彼女はアルベルトと同じ色の髪を持っていた。それで誰もが、その子こそ今回の主役――リリアン・ヴァーミリオンなのだと理解する。

 幼いリリアンを片腕で抱き上げ、堂々と歩くアルベルトの姿は異様に様になっていた。すらりと長い足を踏み出せば、ふわりと髪が跳ねる。舞い上がった花弁が髪の上を滑って落ちていく。

 アルベルトが社交界に姿を見せていたのは八年以上前の事だ。その内後半の四年は完全に領地に篭り、王都には年に一度しか現れないと聞く。

 十代、二十代であった頃の彼は、若さもあって本当にきらきらしていて美しかった。それが、どうだろう。少年や青年の若々しさ、というのはさすがに落ち着いてはいるが、そのきらきらしい美しさは一向に衰えていない。どころか、その落ち着きが彼に妙な色香を与えていた。

 ふと、アルベルトがリリアンを抱えていない方の腕を上げ、すっと横に動かした。その直後、再び花弁を巻き上げる風が起きる。それに、きゃあ、とリリアンが歓声を上げる。

 そして一同はあんぐりと口を開いた。きゃっきゃと舞い上がった花弁に喜ぶリリアンを見て、アルベルトが微笑んだのだ。

 一瞬の事だったので誰もが幻覚だとそう思った。アルベルトの微笑みなど、誰も目にした事がなかったのだ。いや、そもそも社交界で彼が笑った事なんてない。失笑ならばそれなりに見せただろうが、心からの笑みを浮かべるだなんてあり得ない。

 だが、その一瞬見せた微笑みは恐ろしいほど美しかった。見間違いでないのなら、もう一度見たい――そんな風に思った者も居ただろう。けれども同時にそれは叶わないかもしれないと思い知る事になる。娘から視線を移し、招待客を見る彼の目は、以前から噂となっている「アルベルト」と相違なかったのだ。

 ただそれでもその美貌には違いがない。ただただ美しい彼は、悠然と歩みを進める。

 彼の娘は大きな瞳を輝かせ、空を舞う花弁を追って手を伸ばしている。

 一人、金の髪を持った少年がその子を愛おし気に見ている。

 美貌の一家は、花吹雪の中で、美しい姿を浮かべていた。


 ◆


「どういう事なの!? リリアン様はどこ!?」


 叫んだのはベラハ侯爵夫人、その言葉はその場にいる全員の心の声を代弁したものだった。


「お帰り下さい」


 そんな夫人に対峙するのは、公爵家の執事だという男だ。体格のいいその男の有無を言わさない態度に、夫人はたじろぐ。


「だから、どういう事なのかと、そう聞いている」


 取り付く島もない執事の言葉にベラハ侯爵本人が前に出る。けれども執事の男の表情はまったく変わらず、玄関先の人集りは騒めくのを止めない。

 ここに居るのはあの時使用人に連れ出されていた人々だ。てっきり公爵とご令嬢が控える別室に案内されると思っていた彼らは、表に出されたのだから慌てた。


「か、帰れだなんて」


 突然そう言われて納得できるはずもない。愕然として青褪める子がそう呟いたが、やはり執事の表情は変わらなかった。


「皆様はお嬢様のご友人には不適切と見做されました。お帰りを」


 その言葉に誰もが息を呑む。


「そんな……!」

「な、なんだと」

「君、我々に対して失礼ではないかね」


 あまりの事に悲鳴と困惑する声とが上がった。全員が思ってもみなかった、と言わんばかりに驚愕していて、執事の男――ベンジャミンは内心呆れる。

 この場に居るのは他の招待客に無礼を働いたり、リリアンやレイナードをダシに利を得ようとした者達だ。例え令嬢にその気はなくとも両親がそうであったのなら、いつかきっと危うい事態を招く。そうなってからでは遅いから、今の時点で弾かれたのだ。


「我々は旦那様の耳目として、会場内におりました。その上で判断しております。これは旦那様もご存知の事」

「そ、そんな」


 公爵当人が把握しているのであれば、もう覆らないだろう。そう思い知ったのか、これまで驚きの表情でいた彼らの顔色が変わっていく。どんどん青くなっていって、泣き出す子まで現れた。察しの良いことだ、もう二度と機会を得られないと理解したのだろう。


「そんな――こんなの、おかしいわ!」

「リヴィル」


 夫人が慌てて令嬢の手を引く。が、彼女はそれを振り払った。


「ただ、リリアン様と友達になりたいだけなのに! どうしてだめなの!」

「どうして、ですか」


 ふむ、とベンジャミンは顎に手を添える。


「貴女は当家が招いたレンブラント様に無礼を働きました。思惑はともかく、それは許されないのですよ。あなたがリリアン様へ、同じ事をしないとは限りません」

「しないわ、そんなこと! だってリリアン様は〝とうとい〟のだし」

「では、リリアン様へしなくとも、別のリリアン様のご友人にしないと言えますか?」


 びくりとリヴィルは肩を揺らした。表情は歪んで、動揺を隠し切れていない。


「そ、それは……」

「正直でなによりです。お分かりになったでしょう、それがだめな理由なのですよ」


 言って、ベンジャミンは一同を見渡した。


「本日は御足労頂き有難うございました。お気を付けてお帰り下さい」


 ◆


 招待客の案内が完了したという連絡を受けたアルベルトは、いよいよか、とリリアンを抱き上げる。おめかしをしたリリアンはお昼寝を済ませた事もあり、控え室では待ち遠しそうにそわそわと出番を待っていた。これなら心配いらなそうだと、そう思っていたのだが。今しがた抱き上げたリリアンは、アルベルトの腕の中で不安そうに眉を下げている。


「おとうさま……」


 アルベルトを呼ぶ声も不安気に震える。


「り、リリアン? どうした?」


 慌てて顔を覗き込めば、リリアンは大きな瞳を潤ませてアルベルトに抱きつく。いきなりの事に驚くが、すぐに続いたリリアンの声に眉を顰めた。


「こわいの」

「怖い?」


 アルベルトは首を傾げる。今は夜ではないから明るいし、天候が荒れていて雷が鳴り響いている、ということもない。リリアンの苦手な虫でも居るのかと思ったが、周囲には羽虫の一匹も見当たらない。


「大丈夫だよリリアン、怖いものなんて何もない」

「でも、こわいの」


 そう言ってもリリアンは落ち着かず、ぽろぽろと涙を溢した。


「あああ、リリアン! そんな、泣かないでくれ。怖いものならお父様がやっつけるから、な? 大丈夫だから泣き止んでくれ」


 アルベルトの最も苦手なもの。それはリリアンの涙だ。

 さっきまでご機嫌で庭を眺めていたリリアン。それが一転、大粒の涙を流している。どうしたらいいのか分からなくてアルベルトは慌てた。

 抱き上げたまま揺すってやっても、優しく背中を撫でてやってもリリアンは泣き止まない。


「リリアン、大丈夫、大丈夫だ。お父様がついているからね。なにも心配はいらないよ」


 そう言ったアルベルトを、様子を伺っていたレイナードが呼ぶ。


「父上。リリーはきっと、大勢の人の前に出るのが怖いんだと思います」

「何?」


 思いもよらない言葉にアルベルトは瞬いた。そんな父親を尻目に、レイナードはリリアンを見上げる。


「リリー。僕も一緒に居るし、父上だってずっと傍にいる。大丈夫だよ」


 レイナードが優しく声を掛けるのに、すん、とリリアンは鼻を鳴らし、困ったように眉を下げた。


「おにいさま……でも、あんなにいるなんて、しらなかった」


 その言葉にぐっとアルベルトは喉を詰まらせる。大勢と言ってもたかだか六十人程だ、しかもこれでもかなり減らした。その前の、招待客を通した室内ではやはり数が多すぎた。リリアンが萎縮するのが分かっていたのでふるいにかけたのだ。

 にも関わらず、これまでほとんど屋敷から出た事の無いリリアンには、これでも多かったらしい。目にいっぱい涙を溜めて震えている。

 リリアンが本気で嫌がるのなら、ここまでにして中止もやぶさかではないとアルベルトが思い始めた時、レイナードが小さくアルベルトを呼んだ。


「父上。ここでやめにしても、リリーが怖がるのは同じことです」

「むっ」


 それはそうだ、例え今中止にしたとしても、次回があればそこでまた同じ事が起きる。リリアンが乗り越えてくれれば良いが、いつそれが可能になるか分からない。何より、リリアンが望んだお友達を手にするのが遅くなってしまう。それではだめだ。

 だとしたらリリアンには、ここは我慢してもらわねばならない。それに準備を進めていたさっきまでは、そわそわして楽しみにしていたのだ。出来るだけ早く、友という存在をリリアンにプレゼントしてあげたい。

 少しでもリリアンの気を逸らしてやらなければ、と逡巡したアルベルトの目に映るものがあった。


「リリアン、見ててごらん」


 と、そう言って、アルベルトはリリアンの目の前に空いた手をかざしてみせる。リリアンがそれに目を瞬かせたら、ふわりと魔力をその手に纏わせた。その魔力を起点に風の魔法を発動させる。

 風が、三人の周囲に吹き起こった。渦を巻き吹き上がるそれは、周囲の草花を揺らす。そのうちにたくさん咲いていた白い花弁が巻き込まれて、空に舞い上がる。

 さあっと通り抜ける風が攫った花弁を追いかけ、リリアンは空を仰ぎ見た。

 どこへ行くのだろう。そう思っていると、ふと風が止む。次の瞬間、リリアンは目を大きく見開いた。白い花弁が辺り一面に降り注いだのだ。

 花弁はくるくる回りながら落ちてくる。それが、日の光を浴びるとどうなるか。白さを増して輝いて見えるのを、リリアンはこの時初めて知った。あまりにたくさんの花弁がそうして舞って、辺りは輝いている。


「わあ……!」


 リリアンは思わず手を伸ばした。


「すごいわ、きれい!」


 すっかりご機嫌となったリリアンの目からは、もう涙は流れていない。アルベルトは紅潮している頬に残った涙の跡をそっと拭って歩き出す。レイナードがそれに続いた。

 花弁の舞う中を歩けば、リリアンが歓声を上げて白いかけらを追う。リリアンのとても楽しそうな様子に気を良くしたアルベルトは、また魔法を使って風を起こした。リリアンを抱えていない方の腕を横に薙ぐと、地面に落ちた花弁がそれでまた空に踊る。きゃあ、とリリアンが喜びの声を上げるものだから、アルベルトはつい笑みを浮かべた。


(う、か、可愛い)


 アルベルトの腕の中で目を輝かせるリリアンは特別可愛らしい。うっすら桃色に染まった頬。元から輝いているところへ、歓喜の色を乗せた瞳なんて最高だ。それをこんな間近で見られる。至高の瞬間だった。

 思わずリリアンを高く抱き上げ、その場で回り出しそうになる衝撃を必死になって抑え込む。リリアンの愛くるしさに止まれる自信がない。もしも実行してしまえば確実にリリアンは目を回すし、何より花弁を眺めるのを邪魔してしまう。それはアルベルトの望むところではなかった。

 頬の内側を噛み堪えていると小道が終わった。その先のテラスが目に入る。テラスにはテーブルをいくつも並べてあった。ここが、リリアンの友人選考会の本会場となる。

 テーブルの周囲には選考に残った招待客がすでにリリアンの登場を待っていた。その誰もが、惚けた表情でこちらを見ている。

 その事に、当のアルベルトは満足気に口角を上げた。


(ふふん。美しいリリアンに見惚れているな。正直な事だ。初めて目の当たりにする可憐な天使に平伏すがいい!)


 というのを澄ました顔の下に潜め、レイナードを伴ったアルベルトはテラスへと向かう。ここからが本番なのだ、リリアンの為にも気を抜くわけにはいかなかった。

 招待客の視線が集中する中、アルベルトは抱き上げていたリリアンをそっと地面に降ろす。


「さあリリアン、挨拶を」

「おとうさま、でも」


 してごらん、と促したものの、リリアンは不安気に見上げてくる。アルベルトはそっとその頭を撫でてやった。


「大丈夫だ。あれだけ練習したろう?」


 できる限り優しく、そうっと吐き出すように囁く。父親のその声色に落ち着きを取り戻したのか、リリアンはこくりと頷いた。それから大勢の招待客へ向くと、二歩、三歩と進む。靴の先を揃え、そこですっと腰を折った。


「皆さま、はじめまして。リリアン・()ーミリオンともうします。ほんじつはわたくしのためにお集まりいただき、ありがとうございます。……えっと」


 それからなんと言うのだっけ、とリリアンはスカートを摘む手に力を込めた。

 最初のフレーズは、何度も繰り返したから完璧だったと思う。けどその後の言葉はリリアンには難しくて、何度シルヴィアに教えて貰っても覚えられなかった。

 レイナードも、ゆっくりと丁寧に、一言ずつ説明しながら教えてくれたのだけれど。リリアンはつっかえずに言えるようになるのがせいぜい。次の日には、どうしても言葉が抜けてしまう。

 せっかくレイナードとシルヴィアが教えてくれたのに。どうしても覚えられなくて、ついにリリアンは泣いてしまった。慌てるレイナードとシルヴィアを前に、だめな子でごめんなさい、とリリアンは泣きじゃくった。

 するとどこからかアルベルトが飛んで来て、リリアンを抱き上げてくれる。


「どうしたんだリリアン、泣いたりして」

「だって。おぼえられないの。いっぱいれんしゅうしたのに」


 目の周りを何度も拭って、リリアンはしゃくりあげる。


「いっぱいやってもだめなの。おにいさまにも、シル()アにも教えてもらったのによ。こ、こんなじゃ、すてきなおともだちなんて、できっこないの……ご、ごめんなさい、おとうさま。リリーのために、じゅんび、してくれたのにっ」


 つっかえながら鼻も啜って、どうにかそう言えば、アルベルトがひゅっと息を飲んだのがリリアンには分かった。

 こんなに物覚えの悪い子、叱られて当然だ。きっとこれから自分は叱られるのだろう。そう思ったリリアンは、止まらない涙をそのままにきゅっと目を瞑る。


「リリアン。心配しなくていい」


 だと言うのに降り注ぐ父親の声は柔らかい。驚いたリリアンは顔を上げた。そこにはいつも通りのアルベルトの顔があった。

 アルベルトはそれまでと変わらず、リリアンの頭を優しく撫でる。


「どう挨拶をしようと、肝心なのはお前の気持ちだ。来てくれて嬉しい、と伝わればそれでいいんだ。どうしても覚えられなくて、何て言ったらいいか分からなくなってしまったら、それをお前の言葉で言うといい」


 てっきり叱られると思っていたリリアンは瞬く。それでまたぽろぽろと大粒の涙が落ちた。


「いいの……?」

「もちろん。肝心なのは、リリアンが自分で挨拶をする、その事だけなのだから」


 だけど出来る限り頑張ろうね、と微笑む父親の姿に、なんだか無性に泣きたくなって、余計にリリアンの涙は止まらなくなってしまった。それでアルベルトが慌てまくり、ハンカチを何枚も取り出していたっけ。

 リリアンはその時の言葉を思い出し、そうだったわ、と深呼吸をした。そうすると気持ちが落ち着くよというアルベルトの言葉通り、リリアンの中に渦巻いていた焦りが消えて行く。

 本来なら、わざわざ出向いてくれた招待客に、もてなしの言葉を続けるはずだった。けど、あえてリリアンは姿勢を戻し、今自分が感じている言葉を紡ぐ事にした。

 テラスに居るのはたくさんの大人と、何人かの女の子。彼女達はこちらを見たまま固まっている。それでリリアンは、彼女達も自分と同じように緊張しているのだと理解した。

 そうか、あの子達も自分と一緒なのか――そう思ったリリアンからはもう、焦りは消えていた。ごく自然に微笑むことができた。


「皆さんに会えて嬉しい。どうか、わたくしと仲良くしてくださいね」


 と、そう言って改めて礼をすれば、会場からは一斉に拍手が沸き起こった。どうやら挨拶は問題なかったようだ。リリアンはほっと胸を撫で下ろした。

 そんなリリアンの後ろからは、一際大きな拍手が聞こえてくる。


「リリアン、立派だったぞ! よく出来たな!」


 その声に誘われ、リリアンは後ろを振り返る。


「へんじゃなかったですか?」

「どこも変じゃない、むしろ立派すぎるくらいだ! ああ素晴らしい、さすがリリアン私の天使。リリアンの立派な姿が見られて最高だ。こんな最高の気分、ただ過ごすだけでは消化しきれん……そうだ! 今日という日を『リリアンが立派に挨拶出来た日』として祭日に定めよう、そうしよう」

「お、おとうさま。それは、はずかしいわ」

「そうか? なら、残念だが祭日にするのは諦めよう」


 いつも通りの父親の姿に、リリアンはようやく肩の力が抜けた。先程までの強張ったものとは違い、ふわりと微笑むリリアン。その柔らかな笑みに、アルベルトもにこりと口角を上げる。

 そんなアルベルトをぽかんと見ているのが、招待された令嬢の親達だ。彼ら彼女らの記憶の中に居る人物と目の前の男とに差異がありまくる。一致しているのは見た目だが、その見た目もこの通り、表情が違えば別物に見えてしまう。それで一層、同一人物とは思えなくなっていた。


(誰だ、あれは)


 というのが、誰もの心の声の第一声であった。たった今、挨拶をした彼の娘は確かに愛らしく、そして聡明に見えた。あらかじめ準備していた言葉が出なくなる気配を感じたが、それをうまくカバーしてみせたのも素晴らしい。ひょっとしたら意図的なのかもしれなかったが、そうではない自然さがあった。もしもあれが意図してのものであれば、彼女は将来大物になるだろうと、そういう予感を覚える。

 が、それを上書きする出来事がその直後に起きた。その風貌と様相から『月光の貴公子』と呼ばれていたアルベルトが、笑ったのだ。それはあまりにも自然な姿に見えた。誰もがその事に驚愕する。

 そもそもアルベルトが月光の貴公子、なんて呼ばれるようになったのは、空にただひとつ浮かぶ月が、何者も寄せ付けない彼の姿と重ねられたからだ。

 アルベルトの双眸は三日月のような鋭さを秘め、青い輝きは美しいが冷え冷えとしている。あまりにも寒々しい視線に真夜中の月明かりを連想させるのは、彼の髪がまさしく月光のような美しい銀をしているからだろう。

 空に浮かんだ月のように孤高な男、それがアルベルトという人だった、はずだ。それがどうだろう、今我が子に向いている彼は、そんな姿の方こそ想像できないくらいにやけた笑顔を浮かべている。

 呆然とする保護者と、親のその姿に戸惑う令嬢とでひっそりと会場は混沌としていたのだが、リリアンの健闘を讃えるのに夢中になっていたアルベルトはそれに気付いていなかった。とは言え本番はこれからで、リリアンと招待した令嬢とを引き合わせねばならない。仕方なく会場をぐるりと見回したアルベルトは、その中のひとつに見覚えがあるのに気が付く。


「シュナイダー・アズールか?」


 他の招待客と同じく、いや、ひょっとしたらそれ以上に驚いていたシュナイダーは、突然呼ばれて意識を戻した。つかつかとこちらへ歩いてくる相手に頷いてみせる。


「あ、ああ。そうだが」

「見違えたな。誰だか分からなかったぞ」


 それはこっちの台詞だ、というのをシュナイダーは飲み込んだ。

 アルベルトとまともに顔を合わせたのは、もう十年近く前の事。その間噂話は聞けど、そもそも王都に居ない相手と会う手段など無い。それ以上に交流も無いのだから、それは当然と言えば当然だった。

 この十年程でシュナイダー自身がアズール公爵家を継ぎ、プレッシャーやらストレスやらで随分と体重が増えた。人相は変わっていないが体格は横に広がり、服のサイズがいくつも大きくなった。なにか不調を覚える度、年齢を感じずにいられない日々。

 シュナイダーが変わったのは自他ともに認めざるを得ないだろう。だがそれよりも目の前の男だ。こいつは一体誰なんだ、とシュナイダーは瞬く。

 シュナイダーの知るアルベルトという人間は、決して人前で笑ったりしなかった。何の感情も乗せず、他人を見てすらいない瞳。記憶にあるのはそれだけ。

 それが、今はどうだ。もう、キラッキラのにっこにこ、笑顔で少女を抱き上げている。


「貴様、本当にアルベルトか」


 思わずそう言えば、目の前の男は怪訝そうな顔に変わる。


「私ほどの美男がそうそう居るか?」


 その言い草にシュナイダーは心当たりがあった。それはかつてのアルベルトに重なる。それでようやくシュナイダーは、これがアルベルトで間違いないのだと確信した。


「信じられん……」

「何がだ。リリアンの可憐さがか」


 すんでの所でシュナイダーは「何言ってるんだお前」という言葉を飲み込んだ。そしてひとつ、深く呼吸をすると切り出す。


「そういうわけではないが。その、なんと言うか随分と印象が変わったな」

「何の」

「貴様のだ。娘が産まれた影響か」


 きらりとアルベルトの瞳が輝いたように感じた。


「そうか、分かるか。実は毎朝リリアンの声を聞くと、それだけで体調が良くなるんだ。全身に力が漲り活力が湧き出る。きっとリリアンの声は私の肉体と相性が良いんだ、そうに決まっている。体が喜んでいるのが分かるからな。そして朝日を受けたリリアンの瞳の輝き……! あれを宝石なんぞに例えるのもリリアンに失礼極まりないが、最も分かり易い表現だと言えるだろう。あるいは星か月か魔石かその辺りだろうな。とにかく素晴らしい煌めきを湛えたリリアンの瞳に射抜かれると、心臓を鷲掴みにされた心地になるんだ。分かるか、私の心臓はリリアンに握られているんだ。素晴らしい事だぞこれは。この世の全てをリリアンに捧げると決めた私の心臓がリリアンの手の中にある。そう思えばあらゆる障害を打ち払うのにも気合いが入るというものだ。リリアンという存在がそれだけの活力を私に与えるんだ。もうそれから逃れられるはずがない。私はリリアンというラビリンスに迷い込んだのだ」


 捲し立てられたシュナイダーはぽかんと瞬く。


「何言ってるんだ貴様」

「リリアンの素晴らしさを語っているだけだが?」

「世迷言の間違いではなく?」


 アルベルトの勢いが激しくて口を挟めなかったのだが、あまりに意味不明過ぎてついぽろりと溢してしまった。が、そんなシュナイダーの失言も、アルベルトは気にした様子がない。


(というかこの男、こんなに喋る奴だったか?)


 いや、確かに話すには話す。学会の発表なんかではそういう姿も見たなと思い出した。が、それ以外の場では必要以上に言葉を発していた覚えがない。

 それがどうだ、こんなに生き生きと娘について語っている。こんなものを見る日が来ると、誰が想像出来ただろうか。

 未だに会場内の誰もが呆然としているのはそのせいだ。ひそひそと囁く気が起きないほど目の前の状況が理解出来ない。シュナイダーも思考がままならず、まだまともに挨拶を交わしていないのに気が付かなかった。

 それにいち早く気付き、父親を促したのはリリアンだった。アルベルトに一声かけ、腕から降ろして貰うとちょこんとスカートを摘む。


「アズール公。おはつにお目にかかります」


 そうして頭を下げた彼女は、礼儀を弁えた小さな淑女で間違いなかった。少なくとも開口一番、お互いを「誰だお前」と言い合うような大人とは違うだろう。


「……本当にお前の娘か?」


 なのでシュナイダーはリリアンに向けて「これはどうも、初めまして」と述べた後、アルベルトにそう言った。

 シュナイダーの態度に、アルベルトは眉間に皺を寄せる。


「見れば分かるだろうが。どうだ、私に似て可愛いだろう?」

「いや、まあ、あー、見た目はそうだな、そっくりだが。彼女の方が、貴様より賢いんじゃないか?」

「そうか分かるか、リリアンの素晴らしさが!」

「なんだこいつ」


 気付けばシュナイダーは、思った事が即座に口から出るようになっていた。扇を広げたままの妻が肘で突いて来てはっとする。しかし、やはりアルベルトはシュナイダーの失礼な態度を気にしている様子ではなかった。どういう事だろうと思ったが、気にしていないなら蒸し返す必要はないかと、そのまま何食わぬ顔でアルベルト父子と対峙する。

 アルベルトの後ろの方には利発そうな男の子が居て、その彼は会話に口を挟まなかった。その特徴と年頃から彼が長男のレイナードなのだろうとシュナイダーは思ったが、あえて後ろで控えているのには理由があるに違いなかった。彼の視線は常に小さな妹に向いている。リリアンが主役だと理解しているのだろう。

 そのリリアンは今、そわそわとしてシュナイダーと妻の間に居る少女に視線を向けていた。


「あの、そちらの子は」


 ああ、とシュナイダーはその声に傍らを見下ろす。


「ああ、私の娘のセレストだよ、リリアン嬢。セレスト、お前も挨拶させて貰うといい」

「…………」

「セレスト?」


 シュナイダーの娘のセレストは聞き分けが良く、初対面の相手であってもきちんと挨拶を交わせる子だった。だからいつものように促したのだが、そのセレストはいつになく険しい顔付きで、言ってしまえば睨み付けるようにリリアンに視線を向けている。


「……セレスト・アズールですわ、リリアン様」


 そう言う声も、なんだかいつもより低い。どうした事かとシュナイダーは息を飲むが、そんな状況とは思ってもいないリリアンはぱっと表情を輝かせる。初めて同世代の子ときちんと言葉を交わす事が出来て嬉しいのだろう。


「セレスト様、ですね。初めまして。あの、もしよろしければ」

「わたくしは、あなたとなんかお友達になりませんわ!」

「えっ?」


 セレストが叫ぶように言い切る。突如放たれた言葉に会場の空気は凍りつき――ピキリとアルベルトはこめかみに青筋を浮かべた。


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