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12.這い寄る影と女神のしもべ③


 蜂球、いや蝗球(こうきゅう)はソルシュレンからも見る事が出来た。不気味な(うごめ)く塊は、構成するひとつひとつの蝗が魔力を保有していた。僅かばかりのそれは、意識しなければ察する事が難しいものだった。なぜならば、この世界のあらゆる物には魔力があるからだ。大小はあれど、必ず物には魔力が含まれている。人も例外ではないのだが、身体の大きさの割に保有量が極端に少ない生物で感知力も低い。だからこそ、蝗球の異常さにこれまで気付く事が出来なかった。


「どうやら当たりみたいだな!」


 マクスウェルは口角を上げる。レイナードとガードマン、それから二十名ほどの騎士を連れて蝗球に近付けば、そこから蝗が次々と襲いかかってきた。それらを撃ち落とし中心部へ向かっているのだが、正面から魔力の波が吹きつけてくるのが分かった。蝗一匹一匹が魔力を持っている。一匹の魔力は微々たるものだが、あまりに数が多いために、大きな魔力の塊に感じた。

 虫の群れがごう、と突風を起こし、かつそれに乗って一行に迫る。さっきからずいぶんと虫を潰して進んでいるが、一向に勢いが衰えた感じはしない。


「マクス、これ以上は無理だ。近付けない!」


 そう言うのはマクスウェルの前方で剣を振るレイナード。レイナードは、八方から降りかかって来る虫達を魔法で操った土塊で撃ち落として道を拓いているが、それも難しくなってきた。虫の数が膨大になってきたからだ。もう会話をするのも難しい。羽音でなにもかもが掻き消されてしまっている。


「このままでは危険ですぞぉ殿下! 数が多すぎます!!」


 ガードマンの爆音でもちょうどというくらいなのだから凄まじい。そのガードマンも剣と棍棒を手にして振り回している。

 カン、と甲高い音を立てて身体のあちこちに虫がぶつかる。鎧の上からでも衝撃が伝わってきた。体当たりなのだろうが、その衝撃が石つぶてのようなのはどういう事なのだろうかと思わずにいられない。顔にも虫が当たる。そのせいで、顔は擦り傷だらけになっていた。


「うわっ!」


 マクスウェルの後方で盾を掲げてくれていた騎士が、急に声を上げた。どうしたのかと振り返ったところ、耳を蝗に齧られた、と腕を振り上げていた。よく観察してみれば、同じようにあちこちで悲鳴が上がっている。

 今度はマクスウェルの近くで別の騎士が声を上げた。「あれを!」との声に振り向けば、蝗が空中で塊になっているのが見えた。


「なんだありゃ……まさか」


 マクスウェルは目を見張る。次の瞬間、ごう、と音を立ててそれがこちらを目掛けて突っ込んで来るのが見えた。

 全員が咄嗟に防御の姿勢を取る中、レイナードが立ち塞がるようにその前に出る。

 レイナードが手を翳せば、一行を覆うようにして半球形の土壁(つちかべ)が現れた。塊を形成する蝗の多くはその分厚い土壁に飲まれたが、それでも突き破って出るものもあった。後ろから回り込んだ少数の蝗と合わせて、それらは一行に襲いかかる。


「くそっ、こんにゃろ」


 マクスウェルは腕に張り付く虫を柄尻(えじり)で潰すと、刀身の腹を打ちつけるようにして剣を振り下ろした。幾つか潰せたが、大半の虫には当たらなかった。ちっ、と舌打ちが出る。どうしても小さな虫相手では剣は役に立たない。

 土壁に受ける衝撃が収まったのを確認して、レイナードはぼろぼろになったそれを崩した。降り注ぐ土の欠片の向こう、まだまだ大量の蝗が見える。防ぐ分にはいいのだが、土属性の魔法で攻撃するには向かない相手だ。正直に言って分が悪い。だが、相手が攻めるだけの虫ならば出来ることはいくらでもある。

 また空に虫の塊が現れた。それはさっきと変わらず纏まって一行に降りかかってくる。今度はレイナードは、強度は最低限にして、分厚く土を重ねた土壁を作り出した。虫は、やはり土壁に突っ込んでそれを体当たりで崩そうとする。どどど、と無数の衝撃音が低く響いた。レイナードはそれを確認すると次の魔法を発動させる。めり込んで蠢く虫ごと、土壁を圧縮した。そうすれば少ない労力で退治することができる。攻撃を防ぐ事もでき、多少は安全だと言えるだろう。小さく圧縮され土壁は、桶ほどの大きさになるとさらさらと形を崩していく。虫の姿はその中のどこにも見えない。

 次々と土壁を作っては崩すレイナードの背後、マクスウェルは騎士達と共に剣を振るう。レイナードが大半を削ってくれてはいるが、それでもこの数だ、防壁をすり抜ける虫も多い。次から次へと襲ってくる虫をなんとか潰していた。手袋はもう虫の体液でぐちょぐちょになっている。剣の柄が滑る。抜き身の刀剣よりも鞘で叩き潰した方がいいと、鞘に持ち帰る者もいた。

 と、圧縮した土壁の向こう、大挙してやって来た虫が見えた。瞬間マクスウェルは魔力を高める。


「レイ、防げ!!」


 言うや否や、マクスウェルが掲げた剣が炎を上げた。

 レイナードはマクスウェルが駆け抜けるのを見送ると土壁を作る。その先でマクスウェルの魔力が燃え上がるのを感じた。

 ごう、と白炎を纏う剣で薙げば、炎に触れた蝗が瞬く間に消し炭となって地面に落ちる。

 苛烈を具現した魔力は、マクスウェルの意のままに温度を上げていく。体当たりを仕掛ける蝗がマクスウェルに近付くとそこでジュッと音を立てて燃え尽きた。

 その魔力を、上段から振り下ろす。爆炎が剣から上がる。マクスウェルの正面、その延長上の蝗が燃えた。ただ、炎に巻かれて気流が乱れた。


「くそっ。散るなぁさすがに」


 王国一の熱風が残りの蝗を炙るが、始末は出来なかった。だが、土壁を経てもなお頰を撫でるほどの熱は、その動きを止めるには充分だった。


「ぬぅん!!」


 ガードマンが、数人の騎士と共にマクスウェルの後に続き土壁から飛び出す。動きの鈍った蝗をめちゃくちゃに潰すが、それでもまだ空には、そしてあの蝗球には変化は見られない。

 まるで嵐の真っ只中にいるようだった。止むことのない嵐がひっきりなしに襲い掛かる。


「やむを得ない。一度下がるぞ!」


 マクスウェルがそう言えば、総員がそれに従った。ガードマンを殿にしてその場を離れる。その間も蝗は一行に襲い掛かってはいたが、ある程度の距離まで下がるとそれも止んだ。縄張りというよりは、中央から離れようとしない、というのがそれを見ての感想だった。

 蝗球の中央に何かがいる。それだけは確実だった。



「やれやれ、参ったな」


 まだ羽音が耳の近くで鳴っているような感覚がしてマクスウェルは顔を顰めた。甲冑はともかくズボンや露出している髪なんかは、虫の体液で固まってしまっていた。男前が台無しだ、と呟くが、レイナードがそれに反応する事はなかった。分かってはいたが、少しくらいは反応が欲しかったマクスウェルは何も言わなかった事にした。


「どうにかして中央に近付きたいな」

「ですが殿下、あの距離であれですぞ」

「そうなんだよなぁ」


 うーん、とマクスウェルは腕を組む。街の隅、蝗球(こうきゅう)から距離を取って様子を伺いながら、しばし休憩をしている。各々が手拭いで顔を拭いたりしているが、想像以上の虫の数に疲労感が募る。蝗の羽根が顔に張り付いたり、脚が口に入ったりして精神力が削られていたために、誰も口を開かなかった。

 闇雲に突っ込んでも先程の二の舞となるだけだ、けれど、だからと言って良い手があるわけでもない。


「どんな奴か確認はしておきたい。あれの中心になにかがあるのは決定だろう」


 ただ、このまま下がるわけにもいかなかった。せめて対峙するなにかの正体を判別しなくてはならない。フィリルアース王国の騎士は、マクスウェル達よりも戦力としては劣っているようだった。彼らにあれと戦えというのは酷だろう。協力を仰ぐにしても、相手が分からないのでは支援の頼みようがない。これから対峙するにもなにが居るのかだけは確認しておきたかった。

 それにはガードマンも同意だったのだが、あいにくと妙案は浮かばない。

 うーん、と考えを巡らせていると、一人足元を睨み付けていたレイナードが呟いた。


「下から行くのはどうだ」


 その声にマクスウェルはレイナードを見る。


「は? 下? ……ああ、なるほどな」


 にっとマクスウェルは口の端を上げる。地上からがだめなら、地下から行けばいいのだ。蝗は空を飛びはするが、地面を潜るとは聞いたことがない。


「いけるのか?」

「いけると思う。ただ、農地なだけあって土が柔らかい。崩れないように、それと勘付かれないように、結構深くしないといけないかもしれない」

「そうか……それしかなさそうだな」


 二人の会話にガードマンは首を傾げる。


「殿下、なにをなさるおつもりです?」

「レイが地面を掘る。そこを通って、あれの中心に近付こうって事だ」

「おお、なるほど!!」


 ガードマンはぱっと分かりやすく喜びを露わにした。「すごい魔法」というのに興味深々な彼は、間近でそれを見る機会が増えた事に喜ぶ。さっきのマクスウェルの一撃も目をらんらんと輝かせて観察していたのだ、浮き足立っていたのがわかった。


「レイの負担を減らしたい。小柄な奴だけ連れて行こう」


 が、マクスウェルの続く言葉にがっくりと肩を落とす。ガードマンは騎士団の中でもずば抜けて背が高い。まず真っ先に除外される。

 ただ、だからと言って他の者が全員小柄というわけではない。


「それで言うとお前が一番でかいんだが」

「うるさいな!」


 小柄と言ってもそこは騎士、がっしりとした体型の者が多い。今はしっかり武装しているからなおのことだ。いいから行くぞ、とマクスウェルはレイナードをせっつく。

 もう陽が傾いている。できるだけ急がないといけない。


「でかい穴が空くな」

「終わったら耕す。それでなんとか許して貰えるよう、交渉は任せた」

「へーへー。なんとかするよ、王太子サマがな」


 蝗が群がって来ないぎりぎりのところで、レイナードは魔法を発動させた。ボコッと足元に空洞が現れる。


「よし、行くぞ」


 穴の前には騎士が数人立ち、蝗の侵入を防ぐ。レイナードを先頭に、マクスウェルがその後に続いた。マクスウェルの後ろに、念の為にと騎士が二人着く。

 レイナードは順調にトンネルを掘り進めた。ちょうど成人男性一人が歩けるだけのトンネルは、圧迫感がある。屈まないといけないのはあまり大きなものにするわけにもいかないので最低限の大きさに留めた結果だった。通りにくいが仕方がない。

 レイナードが右手を壁になった土に添えれば、あっという間に道ができる。ランプの灯りが届かないほど一気に掘り進めて先を急ぐ。思った以上にふかふかして柔らかい土だったので、仕方なく硬くなるよう加工するしかなかった。魔力的には余裕があるので問題はない。

 幸いと言えばいいのか、地上の蝗は地下を気にする事がないようで、上から襲い掛かってくる、という事はなかった。

 だが、ランプを手にレイナードの後に続くマクスウェルは、近付くそれに息を呑んだ。レイナードの方も、それの存在に気が付いている。一度に掘り進める距離を詰めて、慎重になっていた。

 やがて、頭上にそれの気配を感じた。


「マクス」

「ああ」


 小さな蝗の集合体ではあり得ない魔力。明らかに、大きなひとつのなにかのものだ。騎士の二人はじっと息を潜めている。魔力量の低い彼らも感じ取っているようだ。

 マクスウェルはレイナードに、上を指差してみせる。レイナードはそれに頷いた。天井になる部分を一部削る。


「気を付けろよ」

「わかってる」


 そうしてマクスウェルは薄くなった天井の穴から外を覗いた。


「……!」


 その穴から見えるのは蝗で間違いなかった。ただ、常識を逸して大きい。マクスウェルは目の前の光景が信じられなかった。なぜならその蝗の全体は、首を回しても視界に収めることが出来なかったからだ。地下から見ているとは言え、見上げるほどにその頭部は遠い。

 太い脚は地面にめり込んでいる。胴体は牛よりも何十倍も大きい。というより、下手な建物よりもずっと大きい。街にある民家などよりももっと大きいもの、もしかすると貴族のタウンハウスほどあるかもしれない。巨大な胴体は見た限りでは通常の蝗と変わらないように見える。だが、大きさとこの魔力。間違いなくこれは魔物だろう。でなければ説明がつかない。

 とにかくこれは、この場で対応できるものではないと判断したマクスウェルは、巨大な蝗に勘付かれないようにそっと後退る。その際、できる限り観察をしようと視線を巡らせた時だった。巨大蝗の口ががぱりと開く。

 なんだ、と動きを止めるマクスウェルの目の前で、ごお、と突風が過ぎ去る。小さな蝗の群れだ、それが群れが帯の様に繋がって空を舞っている。蝗球が姿を変え、渦を巻いていた。どうしたことかと行き先を追えば、それは巨大蝗の口に吸い込まれている。

 共食いだ。その意味する事とは——。

 それに思い至ったマクスウェルは即座に頭を引っ込めた。


「マクス?」


 マクスウェルの勢いに危機感を覚えたレイナードは、すぐに穴を塞ぐ。ランプの灯りだけになったトンネルで、マクスウェルは全員を急がせた。


「すぐに離れるぞ」


 二人の騎士は、硬い声色に顔色を変えた。声は出さず頷いて、トンネルを引き返す。その後にマクスウェルが続き、レイナードは最後尾でそれを追う。追いながらトンネルを塞ごうとするレイナードをマクスウェルが止めた。


「レイ、魔力を抑えてくれ。とにかくあれに勘付かれたくない」


 レイナードは一瞬躊躇(ためら)うような仕草を見せたがすぐに頷いた。ごくごく僅かに魔力を絞って、土魔法を操る。両側の壁がそれでぽっかり空いた通路を塞いだ。


「何があった」


 駆けるように進みながら後ろを塞いで、レイナードはマクスウェルにそう聞く。マクスウェルは騎士を急がせながら言った。


「思ったよりずっとまずい」

「と言うと?」


 急いで戻った為に、そこで外の灯りが見えた。そのままの勢いで飛び出すようにして外へ出る。光が目に染みるがそれどころではない。マクスウェルは蝗球だと思っていたものを振り返った。

 トンネルの入り口で控えていた騎士と、随行していた騎士、それからガードマンがマクスウェルに駆け寄る。


「殿下ァ! ご無事でありますか!」


 マクスウェルはガードマンを振り返る。


「あれに変化はあったか」


 ガードマンはこくりと頷いた。


「はっ! 彼奴(きゃつ)を取り囲む蝗の群れが、一時距離を取るように離れたのを見ました」

「彼奴?」


 ガードマンの言葉にレイナードが眉を寄せる。


「中心に居るものの事か」


 マクスウェルが頷く。


「ああ。あの中心に居るのは蝗だ、それもばかでかいやつ。お前んちに温室があるだろ」

「? ああ」


 急になにを、とレイナードは首を傾げた。ヴァーミリオンの別邸の敷地内には確かに温室がある。リリアンが楽しめるようにとあらゆる植物を集めた結果、個人で持つには国内最大規模となった天井がガラス張りになっている建造物だ。王都の民家なら五軒分が入るくらいの。


「それがどうかしたか?」


 そこにある何かに用があるのだろうか、とますます首を傾けるレイナードに、マクスウェルは引き攣った笑みを浮かべた。


「その温室よりでかいやつが、あの中心に居る」

「……は?」


 レイナードは瞬いた。


「そんなものが存在するのか?」

「実際にこの目で見た」


 そう言えば、マクスウェルの視線を受けたガードマンと、それから騎士達が頷いた。彼らはいずれも顔色が良くないが、表情は真剣なものだった。なによりも真っ直ぐこちらを見る瞳には偽りの色はない。

 それでレイナードは、それが事実なのだと認めた。

 ますますレイナードの眉間に皺が寄る。想像以上のことが起きている。にも関わらず、更にマクスウェルは一行が驚愕する情報をもたらした。


「しかも、小さな個体を取り込んでいるのを見た。どうやら吸収しているらしい」


 それに全員が息を呑んだ。ガードマンは、さすがに普段の勢いを無くしている。


「吸収……魔力を、ですか」

「おそらく。でかい蝗の口に群れが突っ込んでいくのを見た。その直後に僅かに体が膨れるのもな。あれがあんなに大きくなったのも、それが要因だろう。でなきゃあんなにでかくなるもんか」


 マクスウェルは吐き捨てるように言った。信じ難い事ではあるが、今こうして目の前でそれが起きてしまっている以上、対処しなければならない。


「見た目は小さいやつと変わらないようだ。だがあの大きさ、あの魔力。仮にこの群れ全てを吸収したら、取り返しがつかない」


 あれだけ潰して、そして巨大蝗に喰われたというのに、いまだに空は黒くなるほどの大群が飛び交っている。その全てを排除する事になるだろう。だがこの場にいるのはマクスウェルとレイナード、それと数十名の騎士。冒険者もいるものの、彼らは住民の救助を優先している。とにかく応援を呼ばなければ話にならなかった。


「フィリルアース王に伝令を。ありったけの戦力を願うんだ。急げ!」


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