幕間 朝焼けの再興は琥珀の輝き〜銀朱の爆薬を添えて〜②
どうやら、コーラルは本格的にレイナードを気に入ったらしい。毎日のように王城に行っているようだと聞いて、アンバーは眉間に深い皺を刻んだ。
アンバーは、グレストーンがレイナードに接触したと聞いた日から、グレストーンだけでなくコーラルにも見張りを付けていた。目に余るようなら止めるつもりだったが、派手な事態になる前に手を打った方が良さそうだ。王都の拠点を訪ねていたアンバーは、予定を切り上げてサングロー家のタウンハウスへ向かった。
到着すると、丁度コーラルが母親のリッシェルと共に馬車へ乗り込むところだった。従者に御者を止めさせ、自身は扉の前に立ちはだかる。二人は不機嫌を隠さなかったが無視した。長身のアンバーが胸を張って見下ろすと、それなりに高圧的になる。
「一体、なんの真似です」
リッシェルは一瞬怯んだが、現れたのがアンバーだと分かると強気になった。分家のアンバーは大した相手ではないとでも思っているのだろう。
そういう性根が堪らなく気に入らなかったが表情には出さず、アンバーはただただ少女を見下ろす。
「そりゃこっちのセリフだ。どういうつもりなんだい、コーラル。婚約者のいる殿方を追い回しているそうじゃないか」
「あなたには関係ないでしょう?」
「大ありさ。ヴァーミリオン家の令息が相手なんだろう。あの家はサングロー家とは格が違う。怒らせちゃならない相手なんだ、礼儀知らずな真似を止めるのは、親族として当然さね」
アンバーが向いていたのは娘のコーラルの方だったが、それに反応したのはリッシェルの方だった。不快を隠さず口元を歪め、アンバーを睨み付けている。
「……親族ですって? やめてちょうだい、平民に混じって働くような者を、身内とは認めない」
「あんたが認めなくともアタシは間違いなくサングローの血縁だからね、そんなのはどうでもいい。とにかくこれ以上はやめときな。薮を突いて大蛇を出されちゃ困るんだよ、ヴァーミリオン公の逸話を知らないわけじゃないだろう?」
リッシェルは、アンバーを遮るようにコーラルの前に立つ。後ろ手でコーラルを馬車へ促した。
視線はアンバーへ向いたままだ。蔑みの色が濃いのは、なにもアンバーが相手だからというだけでは無いだろう。
「お爺様達があの方を恐れているのは知っているわ。でも、だから何だと言うの? ご長女を熱心に可愛がられているだけでしょう? それに、コーラルが声を掛けているのは嫡男のレイナード殿。あの年頃なのだから心変わりはあって当然です。何の問題があると言うの」
「それが問題無いと思ってるのが問題かもな」
「何を!」
「とにかくすぐに止めるんだ」
有無を言わさないアンバーに、リッシェルは歯噛みする。他家から嫁いだリッシェルと分家筋のアンバーとでは、そもそも意識が違う。貴族の嫁としてはリッシェルの言い分も正しい場面が多かった。だが、サングロー家においてはそれだけでは不十分だったのも事実。歳下の、しかも本来なら立場の低いアンバーが意見するのが、リッシェルは昔から気に入らなかった。
だからこの時も、リッシェルはアンバーの話になど耳を貸そうとも思わない。控えていた従者達を呼び寄せると、無理矢理アンバー達を排除させる。
揉み合いになっている隙にコーラルが馬車へ乗り込んだ。すかさずリッシェルは御者の男に指示を飛ばす。
「お前、コーラルを城へ連れてお行き」
「は、はい」
「待ちな!」
アンバーは叫んだが、本家の女主人の命令を遮るのは無理だった。馬車はからからと音を立てて走り去ってしまう。
コーラルさえ向かわせればそれでいいと思ったのか、リッシェルが勝ち気に笑みを浮かべていた。
「ったく、しょうがないね」
せっかく忠告をしに、来たくもない場所へやって来たというのに。聞く耳を持たれないのは構わなかったが、コーラルがしでかした事によってサングロー家に類が及ぶのはまずい。取り潰しになったりはしないだろうが、そもそも何が気に触るのか未知数な相手なのだ。それを理解して欲しかったが、やはり彼女達はアンバーの言葉など聞き入れなかった。
アンバーは、仕方なくコーラルの後を追う。
背後でリッシェルが何かを叫んでいたが、聞こえなかったし、聞く必要もないだろう。なにせ彼女も、アンバーの言った事など聞いてくれなかったのだし。
◆◆◆
レイナードの婚約者となってから、クラベルは度々ヴァーミリオン家を訪ねていた。
名目は無論、親睦を深める為。それと将来公爵夫人になるのに、ヴァーミリオン家で教育を受ける為だ。
隣国フィリルアースからは、のんびり馬車に揺られて四日ほど。到着したら休んで、次の日から教育が始まる。休憩をいくらか挟み、その時にレイナードとお茶をし、また勉強に戻る。
三日ほどそうして過ごして、また同じだけの時間を掛けて国へ戻る。行って帰るだけで大掛かりになるので、レイナードに会うのは三ヶ月に一度くらいの頻度だった。
それはつまり、リリアンと会うのも三ヶ月に一度、という意味である。
「そんなのは耐えられないってガブリエルに溢したのよね。そうしたら、長めの滞在を提案してくれたみたいで」
「そうだったんですね!」
「ええ。だからリリアン、しばらくは一緒よ」
「うれしいわ、クラベルお姉さま!」
「わたしもよリリアン」
クラベルとリリアンは今、王城を訪れている。王妃シエラからお茶の誘いがあり、それに応じた形だ。
最初クラベルは、招待はリリアンだけなのだと思っていた。アルベルトは当然リリアンに着いて行くようだし、レイナードも城で用事があるらしい。だから留守番かな、でも他家の自分が留守番するのってどうなのかしら、とぼうっとしていたのに、侍女長を務めるガブリエルが「では、御支度を」と言ったものだから、目を丸くした。なんでもシエラは、クラベルのことも招待していたらしい。
さすがに固辞しようとしたが、リリアンが「クラベルお姉さまも行くの!?」と目を輝かせているのを見ては断れない。
そういうわけで、レイナードの先導で移動中である。
「ところでレイ、勝手に進んでいるけれど、いいの?」
「ああ。シエラ様に案内を頼まれてるんだ」
「そうなのね」
なんでもない風に言いながら、クラベルはちらりと周囲の様子を伺う。さっきから、すれ違う人達の視線が刺さっていた。
自分の事が珍しいのかと思ったがどうやら違う。前を行くレイナード、その後ろのクラベルからリリアンに視線が移るとそこで一旦止まり、その次へ向かったところで誰の視線も釘付けになっていた。
最後尾を行くのはアルベルトだ。その彼は今、朗らかな笑みを浮かべ、娘リリアンに熱い視線を向けている。
シエラに会うのだから、とおめかししたリリアンは特別愛らしい。結った銀の髪を白いレースのリボンが飾っているが、これはアルベルトからの指示でクラベルが用意したものだ。フィリルアースで流行しているものの中でも、特に細工の細かい高級品。様々な植物が模様として織り込まれたリボンを見たリリアンは、目を輝かせていた。
気に入ったそれを、一等目立つ場所に飾る。これでご機嫌にならない方がおかしいだろう。クラベルが長めに滞在すると聞いたのもあって、リリアンはうきうきだ。さっきからずっと笑顔が輝いている。
そして、笑顔なのはリリアンだけでなく、アルベルトもだ。嬉しそうなリリアンに呼応するように口角を上げているものだから、誰もが視線を止めてしまう。
そうしているアルベルトはなんだか妙にキラキラして見える。まるでそこだけ陽が差しているようだ。
それもそのはず、テンションが上がったアルベルトは浮き足立っており、無駄に溢れた魔力が垂れ流しになっているのだ。光の粒子のような状態で可視化された魔力が、アルベルトとリリアンを中心として周囲に広がっている。
(ああ可愛い、なんて可愛いんだリリアン。凄くすごい。本当に可愛い。繊細過ぎるデザインは年齢的にリリアンには早いのではと思ったが、そんな事はなかった……さすがはリリアンだ、この歳でこれを着こなすとは。という事は、来年の誕生パレードのドレスに入れても問題ないという事だな。よし早速手配しよう。あとは日常品にも……ああリリアン、そ、その笑顔は反則だ! なななんて美しッ……!! こ、呼吸が!!)
不意にリリアンがこちらを向き、にこりと笑う。
途端、ぐふっ、と息を吐くと、アルベルトは身動きが取れなくなる。
(い、息を、息を吸うんだ、私!!)
意識して吸って吐いてを繰り返すと、ようやく呼吸と鼓動が落ち着きを取り戻す。
(ふう……危ない。リリアンの可憐さに仕留められるところだった)
それはいけない。リリアンの美しさを見る事ができなくなってしまう。アルベルトは気合いを入れ直してリリアンの観察を再開させるが、そんな決意を裏切るかのようにますますテンションは上がっていく。なにせリリアンの可憐さは天井知らずなのだ。一瞬ごとに違った輝きを湛えるリリアンはまさしく天使のようで、アルベルトの視線を離さない。
こうなっては抗っても無駄なので、アルベルトはリリアンの姿を堪能する事にした。そのうちに語彙力は消し飛び、「リリアン可愛い」しか考えられなくなっていったが、見た目にはいつも通りだったので誰も気にする事はなかった。
熱視線を送られているリリアンは、綺麗なレースが気に入ったのか、しきりにリボンの端に触れている。
リボンは非常に繊細な織りをしている。しっかりと結んであっても生地自体が薄いから、あまり触れては解けてしまうかもしれない。そう危惧し、声を掛けようとしたところで、はらりとリボンは解けてしまった。
「あらリリアン、リボンが」
「えっ?」
クラベルもそれに気付いたらしく、リリアンを呼ぶ。それでリリアンも理解したようだ。肩口までリボンの端が降りてきているのに触れ、さあっと顔を青褪めさせた。
「これからシエラ様にお会いするのに」
どうしよう、と慌てるリリアンに、アルベルトはそっと囁く。
「リリアン、お父様が直してあげよう。おいで」
「お父さま、本当?」
「勿論。大丈夫だ、心配しなくていい」
「は、はい」
リリアンの動揺を抑える為、落ち着いた声色を心掛けるアルベルト。取り乱したりせず、手招きに応じたリリアンだったが、不安に瞳を揺らしているのが見て取れた。
リボンを完璧に直せばいいと思っていたが、それだけでは不十分そうだ。
そう判断したアルベルトはきょろきょろと辺りを見回す。
窓はリリアンにはちょっと高い位置にしかないし、あいにくと飾り気のない通路なので身を映し出せそうなものは見当たらない。リボンを直していく様子でも眺めれば落ち着くかなと思ったのだが。
何か代わりになりそうな物は、と更に視線を動かしたところ、いいものを見付けた。銀の燭台だ。
アルベルトは壁に固定されたそれをおもむろに(力づくで)取り外す。べきん、と金具がへし折れるのを無視して魔力を込めた。
背の高い燭台の半分よりも下の方、ちょうどリリアンの背丈くらいの部分を、魔力で変形させる。両側から叩いて潰したように薄く伸ばし、表面はなだらかになるようにすれば、簡易的な鏡のできあがりだ。
色味を完全に映しはしないものの、なにが映っているかは分かる。これならいいだろうとリリアンを呼び寄せると、その前でリボンを直す。
他に無かったから燭台を使ったが、これが案外いい仕事をした。明かりが近いからか、意外と見やすかったのだ。
ご機嫌でリボンを結うアルベルトだったが、リリアンは形が変わってしまった燭台の方が気になるようで、ちらちらと映り込むアルベルトへ視線を向けている。
「お父さま、きちんと戻さないとだめよ?」
「リリアンはしっかりしているな」
もちろんそのつもりだと伝えると、ようやく安心したのか、大人しく終わるのを待っている。
その様子は一見微笑ましい。
「ねえレイ。あれ、いいの?」
「放っておいていい。どうせ好きなようにしかしないから」
「そうなのね……」
クラベルはぽかんと父娘を見ている。
燭台は、見た限りかなりの年代物だ。廊下の要所要所に備えられた揃いのもので、おそらくそれなりに価値が高いだろう。それをあんな風に変形させてしまっていいものか。いや、アルベルトは元は王族なのだし、ひとつくらい形を変えさせたくらいどうって事ないのかも知れない。でもその目的が鏡代わり、というのはどうなのか。
クラベルの視界の端で兵士が狼狽えている。燭台を外したせいで、金具だけでなく、壁にも被害が出ているせいだろう。磨かれた大理石が割れているのはなかなか目立つ。
ひっそり戦慄しているクラベルの隣、レイナードは彼女とは違った思いでアルベルトとリリアンを見ていた。
大人しくリボンの処理を待つリリアン。その間もぴしっと背筋を伸ばしているのはさすがだ。外出用のドレスを着てそうしていると、まるで絵画のようだった。
(なんて可愛いんだ)
間違いない、とレイナードは一人で納得する。なぜって、ドレスは最高に似合っているし、繊細なレースを銀髪に纏わせているのなんて、天使が羽根を広げているようだ。レースが目立つよう、ドレスと揃いの青色のリボンも一緒に結ってあるのが特にいい。純白の羽根は、さぞ青い空に映えることだろう。リリアンは全身でそれを表現しているのだ。本当に素晴らしい。
そして、そんなリリアンの世話を焼けるのは純粋に羨ましい。
リリアンの側には常に父が居て、そのせいでレイナードの出る幕はほとんど無い。今だってそうだ。令嬢の身を飾るリボンの結び方なんて、レイナードは知らない。今日使っているリボンなんて、レースの意匠が特に細かくて向こう側が透けて見えるほどだ。へんなところを持って引っ張るだけで破けてしまうだろう。
リリアンを飾るには不足ないが、とてもではないけれどレイナードには扱えない代物だ。なのにアルベルトはするすると、それをリリアンの髪に結んでいく。
「できたぞリリアン」
「すごいわ! お父さま、上手ね」
「リリアンのリボンを結ばせて貰うんだ、このくらいはしないと」
「すてき。これなら、シエラ様にも褒めていただけるわ」
「リリアンが褒められないなんてあり得ないだろう? 義姉上が褒めないのなら、その分私が褒めるぞ」
「お父さまが? 前みたいに寝てる間も、なんていうのはやめてくださいね」
「それは無理だな。止めようと思っても止められるものではないから」
「ええっ?」
あんなに不安そうにしていたのに、リリアンはもう笑顔だ。それはリボンが直った安堵からかもしれなかったし、直後の会話で気が紛れたからかもしれない。
どちらにせよ、アルベルトの功績である。まったく手出しできない状況なのだから仕方がないとは言えちょっと悔しい。レイナードは内心でリボンを結ぶ練習をしようと誓った。
その後、リリアンは燭台を元に戻すアルベルトを見張り、レイナードはリリアンを見守っていた。無論見守るというのは口実で、ただ一挙一動を見ていたかっただけだ。見張りをする合間、クラベルに直ったリボンを褒められるリリアンが可愛かったから、仕方のないことである。
レイナードはかなり集中してリリアンを見ていた。そのせいで、廊下の向こうから来ているものに気が付かなかった。
「レイナード様! 良かった、お会いできて!」
「…………」
その声に、レイナードは顔を歪める。その顔のまま声のした方へ視線を向ければ、思った通りコーラルがこちらへ駆け寄ってくる。ついさっきまで高揚していた気持ちが一気に萎えた。深く溜め息を吐き、会釈だけをした。もう言葉を交わすのも面倒だった。
「ふふっ。どうなさったの? まさか……照れてます?」
あまつさえ間近まで来るとそんな事を言うものだから、本格的にレイナードの機嫌は悪くなる。表情は消え、纏う空気は冷たいものに変わっていく。
が、そんな態度を取られてもコーラルに変化はない。
「ふふっ。一等良いドレスを着てきた甲斐があったわ。似合いますでしょう? 今話題の工房に、急いで作らせたものなの。レイナード様にお会いするのに必要だからと、父様にねだったのよ?」
コーラルはふわりとドレスの裾を靡かせてみせた。確かに良いもののようで、刺繍は見事だ。だが、リボンやレースとの組み合わせが派手で、コーラルにはまったく似合っていない。流行りのモチーフを片っ端から収めただけなのだろう。
レイナードは声を聞き流しつつ、視線をリリアンへ移した。リリアンは父の見張りを続けている。アルベルトの隣で立っているという、ただそれだけなのに、存在感がコーラルとは段違いだった。
確かにリリアンのドレスも流行を取り入れてはいる。刺繍だってみっちり施されていた。けれどそれはリリアンの添え物であって、メインではない。そこを履き違えているから、いくら良いものであってもコーラルはドレスを着こなせないのだ。リリアンとは大違いである。
小首を傾げるコーラルは、レイナードに会う為にわざわざ作ったのだとアピールした。それだけ執心していると言いたいらしい。
そんな事をしても無駄だけど、と聞き流すレイナードだったが、コーラルの方はなぜかヒートアップしていった。もしかしたら、新しいドレスで高揚しているのかもしれない。甲高い声が廊下に響いた。
「父様から言われた時は、どうしてわたくしが、なんて思ったけれど。レイナード様ってばとっても素敵なんだもの! わたくしの旦那様にぴったりだわ」
「…………」
レイナードはそれに、ふう、と小さく息を吐く。反論する気も起きない、というか、独り言に反応してやる義理も感じなかったのだ。好きに言わせておけばいいと放置する事に決めた。そのうち放っておかれるのに嫌気が差して帰るだろう。まだ捲し立てるコーラルの声がしてもまったくの無視を決め込んだ。
一方でクラベルは、知り合いなのだろう、と放っていたものの、なかなか聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。レイナードの様子から関わらない方がいいと思っていたが、無関係というわけでもない。自分の立場云々の前に、分別のない発言にはクラベルも呆れ、ついレイナードに話し掛けてしまった。
「レイ、この方は?」
「サングロー公爵家のコーラル嬢だ。よく分からないけど、僕に付き纏っていて」
「……それは大変ね」
ぽそぽそと小声で話していたものの、目の前で行われてはさすがにコーラルも気付いた。ムッと眉を寄せ、クラベルに詰め寄る。
「それはこちらのセリフよ。レイナード様と近いんじゃないかしら。礼儀というものを知らないの?」
お前が言うのか、というのを辛うじて飲み込んで、レイナードは遮るように間に入る。
「コーラル嬢、こちらはフィリルアース王国のランバル公爵令嬢です」
「ご挨拶申し上げます、サングロー公爵令嬢。クラベル・ランバルと申します」
「それで?」
「……それでとは?」
コーラルはキッとクラベルを睨み付ける。クラベルの方はきちんと礼までして挨拶をしたのにだ。
それだけで、なるほどこういう子なのね、とクラベルは納得する。レイナードが無視するのにも構わず話し掛けていただけはある。なかなか図太い、いや、気位の高い少女なのだろう。高位貴族の娘にはありがちな話だ。だがクラベルも、隣国とは言え公爵家の人間である。コーラルに見下される筋合いはない。
ここトゥイリアース王国とフィリルアース王国は、かつてはひとつの国だった。だから両者の間にはほとんど差はない。爵位が同じなら、より一層そうなるのは当然と言える。
なのでクラベルも対等な態度を取ることにした。コーラルがそうしているように、クラベルも胸を張って真っ直ぐに相手を見据える。勝ち気な表情だけは抑えたが、こちらが下手に出ないのが不満なのか、コーラルは更に目付きを鋭いものに変えた。
「フィリルアースのご令嬢が、どうしてレイナード様と一緒に居るのよ」
「わたしがレイの婚約者だからよ」
「……なんですって!? ふざけないでちょうだい! そんな事を言って、どうしてレイナード様のご迷惑になると気が付かないの!?」
コーラルは眦を釣り上げ金切り声を上げる。きんと響いているところへ捲し立てるものだから、端々で警護をしている兵士達までもが目を丸くしていた。
「レイナード様の婚約者は決まっていないはずよ!」
「それは無いわ。きっちり書類にサインをしたもの。レイもあの場に居たから、確かめたらどう?」
「嘘を言ったって無駄よ。撤回なさい!」
「だから、嘘じゃないのよ」
信じたくない、というよりも、本当に信じられないのだろう。クラベルが何を言ってもコーラルは聞かず、嘘だと決めつけていた。
ぎゃあぎゃあとコーラルの声が廊下に響く。あまり騒ぎになるのは、とレイナードとクラベルはこっそり視線を合わせたが、コーラルは一向に落ち着く気配を見せなかった。
グレストーンが居れば父を引き合いに出せたが、今日に限ってコーラルだけだ。さすがにこの少女にあの大人げない大人をぶつけるわけにもいかず、レイナードは眉間に深い皺を刻んでいた。
「お兄さま、お姉さま、どうかしたの?」
「リリー」
そのうち、心配したリリアンがこちらへ来てしまった。コーラルが無体を働くとは思えなかったが、近付いて欲しい相手でもない。レイナードはすぐにリリアンに離れるよう言うつもりだったが、なにを思ったのかコーラルはにんまり笑むと、とんでもない事を言い出した。
「〝お姉様〟はわたくしよ」
「えっ?」
突然言われ、リリアンはぱちぱち瞬く。
「違うわ。お姉さまはクラベルさまよ」
「だから、それが変わるの。分からない?」
リリアンは困ってレイナードを見上げる。
コーラルは口角を上げているが、どうにも笑顔に見えなかった。リリアンが困惑しているのはそのせいだ。
おそらくだが、コーラルはリリアンがもっと御し易いと思ったに違いない。小さな子供だからと、笑顔で言えばオウム返しで「お姉様」となれると思った。けれど、リリアンは違うと言った。それに対してコーラルは苛立ったように見える。
それだけならまだいい。コーラルはリリアンに、「分からない?」と言った。それが問題だった。
リリアンは六つで幼いが、馬鹿ではない。ものの道理はよく理解している。突然道理の通らない事を言われ、混乱しただけだ。それを愚か者のように言うのには我慢がならない。
レイナードはギロリとコーラルを睨んだ。
「リリー、相手にしなくていい」
後ろ手で庇うようにすると、リリアンの困惑が深まる気配を感じる。それでもいい、とレイナードは自分の影に妹を押し込んだ。もうこれ以上、コーラルの前にリリアンを晒してやる必要を感じなかった。
コーラルはレイナードの態度にたじろいだが、それも一瞬の間だった。すぐに表情を改めると扇を広げ、ふふ、と笑ってみせる。
「まあレイナード様ったら! わたくしが婚約者になるのですから、それは寂しいですわ」
それは、暗にレイナードを責めるものだった。コーラルを相手にしなくていいという無礼を、笑って流してやる。だからリリアンに挨拶をさせろと、コーラルはそう言っているのだ。
レイナードは目を見開き、すぐに閉じる。短く息を吐くと後悔が押し寄せる。
無視をするのではなく、彼女が姿を現した段階で排除すべきだった。少なくとも、リリアンが居る今日、この場では。
これ以上会話をする気はないし、約束もある。金輪際関わらないくらいの気持ちで拒絶しようとしたレイナードの後ろから、小さく呟きが聞こえた。
「いや」
同時に、リリアンに添えていた右手が持ち上がる。
「それは、嫌。お兄さまのとなりはクラベルさまのものよ。あなたじゃないわ」
「なっ!」
「リリー」
見れば、リリアンがレイナードの腕から体を出していた。きっぱりと言い切るリリアンは険しい表情でコーラルを見据えている。レイナードもほとんど見た事がない姿だ。
あまりにもはっきり言われたためか、コーラルは真っ赤になってリリアンを睨んでいる。
「リリアン、閣下のお側に居た方がいいわ。さあ」
それを見たクラベルがリリアンの背を押して後方へ促した。激昂した様子のコーラルは閉じた扇を強く握り締めており、振り翳しかねない雰囲気がある。リリアンを打たれてはたまらない。レイナードもだが、それよりももっと問題のある人物がここにはいる。もしもコーラルが手を上げたりしたら、アルベルトが何をしでかすかわからない。
コーラルは視線でリリアンの背中を追う。と、その先のものを目にしたのだろう、途端に顔色が変わる。やっとアルベルト——公爵家の当主が居るのに気が付いたようだ。
青褪めるくらいなら始めからやらなければいいものを。呆れと蔑みを隠さないレイナードの視線はコーラルに突き刺ささる。
コーラルのプライドを傷付けるには、それは充分すぎるほどだった。
「シエラ様をお待たせするわけにはいかない。行こうか」
促すレイナードの声は、数歩先からだというのに、コーラルにはどこか遠くに感じる。それも当然だ、彼は顔を背けていて、コーラルを見ていない。
思えば、コーラルに向けられるのは先程のようなものばかりだった。クラベルに向けられるような気安さも、リリアンへ向ける思いやりもまるでない、冷たいものばかり。それが彼のすべてだと思っていたコーラルは、衝撃で身動きができなかった。
コーラルから数歩離れた場所を行くレイナードが、自分を警戒しているのが分かる。妹か令嬢を守ろうとでもいうのか、それはまったくの誤解なのに。
そうは思うが、コーラルはそれを口にできなかった。コーラルの言うことなんて、きっとこれまでのように彼は聞いてくれないに違いない。
コーラルには、それが悔しくて堪らなかった。
だから、ほんのちょっとした腹いせだった。ちょうどコーラルの横を通り過ぎようとしたクラベルを、真横から突き飛ばしたのは。
「きゃっ!」
クラベルは衝撃に耐えきれず、床に膝をついてしまう。幸い、絨毯の上だったので、膝と手のひらを打ち付けただけだ。
「ベル、大丈夫か」
「ええ」
「クラベルお姉さま!」
「大丈夫よリリアン、少し驚いただけだから。擦りむいてもいないわ」
それだけなのに、レイナードはすぐに彼女に歩み寄る。
「……ふん!」
コーラルは足早にその場を立ち去った。
そのままでは間違いなく糾弾されていたし、何より、レイナードに支えられるクラベルの姿なんて、見たくなかった。
ほとんど走るように去って行くコーラルの靴音を聴きながら、レイナードはクラベルに手を差し出す。
真後ろで起こった出来事なので確実ではないが、クラベルはコーラルに転ばされたに違いない。状況的に限りなく怪しいし、何よりリリアンの態度がそうだと言っている。
「わたくし、あの方はきらい」
「リリアン、そんな事言っちゃだめよ」
「だって、お姉さまにいじわるしたわ」
リリアンはクラベルに宥められているが、怒りが収まらないようだった。大丈夫だからと何度クラベルが言ってもそのままだ。こんな事は滅多になく、レイナードにもどうしたらいいのか分からない。
ちらりとアルベルトを見ると、意外な事に真顔だった。
(怒っているリリアン……! な、なんて珍しいんだ。真剣な表情がたまらん。だがここで私が表情を緩めては水を差してしまうな。気を付けないと……)
そういうわけでアルベルトは真顔を保っていたわけである。
そうとは知らないレイナードは、転んだのはクラベルなのだから当然か、と思ったが、直後聞こえた声に考えを改める事になった。
「どうするリリアン。あいつを消そうか?」
「えっ?」
驚くリリアンは目をまん丸にしてアルベルトを見ている。
「消すって?」
「この世から消そうか、と聞いているんだ。嫌いなんだろう?」
そんな娘に対し、アルベルトは不思議そうに首を傾げてみせた。
まるっきり、自分の発言がおかしいとは思っていないようだ。当たり前じゃないか、とでも言いたげで、リリアンと同じく目を見開いていたレイナードは半目になった。クラベルは、完全に理解不能、とばかりに貼り付けたような笑みを浮かべている。
アルベルトと対峙するリリアンはと言えば、驚きから一変、生真面目な表情で父親を見据えていた。
「ど、どうして、そんな」
「どうしてって……リリアンの嫌なものを排除するのが私の使命だからだ。あの子供が嫌だと言うのなら排除しよう。顔も見たくないだろう? なら消すしかないじゃないか」
同意を求められても、リリアンには何も答えられない。
クラベルを押したのは許せないしもう会いたくないとは思うが、それだけで命を絶つというのはやり過ぎだ。
ちらりとレイナードを見れば視線で頷かれる。リリアンはそれに頷き返してから父親に向いた。
「それは、しなくていいです」
「そうか。じゃあ、本当に嫌になったら言うんだぞ。いつでも処分するから」
な、と笑顔で頭を撫でられ、一応はリリアンも微笑み返す。けれども内心穏やかではない。
まるで食後のデザートを薦めるような気安さで、人の命を奪おうかと父は言った。なんて冗談を言うんだ、と注意しようとしたけれど、真剣な色を宿す瞳はいつも通りのものだった。
そう——リリアンの好みに合わせて生活環境を整える、普段とまるっきり同じもの。
リリアンは震えそうになる体を必死に抑え込む。そんな風にして他者の人生を変えるなんて嫌だった。
不用意な発言はしないようにしよう。リリアンはこの時初めて、言葉には気を付けないといけないのだと悟った。
一行がシエラの元へ向かっている時、コーラルは王城の廊下の一角で、アンバーに捕まっていた。
「コーラル! あんた、なんてことを」
「うるさいわね。急に出て来て、なんなのよ」
アンバーが現れたのは、廊下を進んでひとつ角を曲がった先だ。腕を取られ、柱の影に引き込まれた時は悲鳴を上げそうになった。すぐに赤い髪が目に入ったのでぎりぎり堪えたものの、真っ先に言われたのがそれで、コーラルはこれでもかと顔を歪める。
「自分が何をしたか分かってるのかい」
「何をってなによ」
「……本当に分かっていないみたいだね。あんたが転ばせた相手、ランバル公爵令嬢はね、フィリルアースの王家筋の娘なのさ。数代遡ってやっとそれらしいものが混ざるサングロー家とは違うんだ。それを害するなんて」
「うるさいわね。そんなに言うのなら止めれば良かったじゃない! まあ、あなたに出来るのなら、だけど。あなたは分家の人間なのだもの、あの場には居られないわよね。だからこうして今になって声を掛けたんでしょう?」
ふん、と腕を組むコーラルは、自分よりずっと高いところにあるアンバーの顔を睨み付けている。どこか勝ち気な笑みを浮かべる彼女を、アンバーは信じられない思いで睨み返した。
きっとコーラルは誰にも責められなかったのを勘違いしている。クラベルもレイナードも、あえてコーラルを放置したというのに。
正式に抗議をすれば両家の間に軋轢が生まれる。そうでもなくとも遺恨になったりもするだろう。若い時分のものは、今後の長い時間に影響を与えてしまう。そうなるのを防ぐのに、あの二人はコーラルの行動を無かった事にしてくれたのだ。
コーラルはレイナード達よりも少しだけ年下だ。それに気付かないのは年齢のせいだけではないに違いない。
これはもうだめだろう。アンバーはそう判断をした。
「この事は御隠居達に報告させて貰う。あんたの父親にもあんたにも、罰が下されるだろうさ。それを待つんだね」
「どうしてわたくしが」
「それだけの事をしたってだけさ。もう少し考えてから行動するといいよ……ああ、あんたはアタシの話なんて、聞く気がないんだっけ。じゃあ忘れていい」
「なにを」
「そうしたって、あんたのやった事は消えてなくならないからね」
「……!」
言い捨て、アンバーはコーラルに背を向ける。
振り返り様に見えたコーラルは怒りでか顔を赤くしていた。それが全てだろう。
去っていくアンバーの背中を見送り、コーラルはぎりぎりと扇を握り締める。
「なんなのよ。分家の人間のくせに、わたくしに忠告だなんて」
コーラルの周りに従者の姿はなかった。誰の手助けも借りられない代わりに、止める者もない。だからこそ、コーラルはレイナードに会う時は、両親のいずれか以外を伴うことをしなかった。
今日こそレイナードを射止めるつもりで、特別なドレスを着て城へ来た。母親から宝石を借りて身を飾ると、鏡の中のコーラルは一際美しく輝いた。だから自信満々でいたというのに、レイナードはちっともコーラルを褒めてくれなかった。
そんなの起こり得ない事態だ。どう考えてもおかしい。しかも、彼の隣には自分ではない令嬢が寄り添っている。
「このままじゃレイナード様はあの子と……どうにかして邪魔しないといけないわ」
もしくは自分を選んで貰うか。が、そうなるとしても、やはりクラベルの存在が邪魔だ。排除しないといけなかったが、その方法がコーラルには分からない。
ふと母親が言っていた言葉が蘇る。
『他に候補がいるようだけれど、傷物にでもならないかしら。そうなればさすがにすげ替えなければならなくなるでしょうに』
それは、母と共にレイナードに初めて会った後のものだ。情報を聞いた母がぽつりと溢すと、執事が奥様、と咎めたのでよく覚えている。
コーラルは、それが良くないものだというのは分かったが、具体的にどういうものなのかはふんわりとしか理解していない。傷、というからには、嫁ぐのに都合が悪い状態にする、という意味だろう。
「それだわ。あれを〝傷物〟にしてしまえばいいのよ」
母が言っているのだ、貴族社会にはよく用いられる手段に違いない。ならばコーラルがやったって問題ないはず。
そうと決まれば急いで屋敷に戻り準備をしなければ。コーラルは足早に廊下を進んでいった。
「…………」
その様子を、アンバーは陰でこっそり見ていた。
「どこに誰がいるか分からないってのに、不用心な娘だね」
「不用心どころか危険ですよ」
軽い声に返したのは、側に控えている従者の男だ。呆れるを通り越して半分笑っているアンバーを嗜めるように、彼は続ける。
「ご自身がどんな立場か理解していれば、あんな事は言いません。まったく、あの男はどういう教育をしたんだか」
「だからこそだろう。あれじゃあ優秀な婿を迎えるしかないからね。レイナード殿に執着するのは、なにもコーラルだけじゃない」
「お嬢様が男性でなくて良かったと、心の底から思います」
はあ、と深く息を吐き、男は眼鏡を掛け直す。
幼少期から側に仕えていた男だ、アンバーの気性もサングロー家の現状も良く知っている。もし仮にアンバーが男性だったら、グレストーンは間違いなくコーラルの相手としてアンバーをその座に据えていただろう。
そうなったとしたら、アンバーは国を捨てていた自信がある。サングロー家をどうにかしたいと思っていても、生涯彼らの尻拭いをするのは御免だった。
だからアンバーは、従者だった男を伴侶にした。グレストーン達の思惑に自分を使わせない為だ。まあ、それがなくったって、アンバーは彼以外を選ぶ気なんてさらさら無かったが。
それはともかくとして、今はコーラルだ。そういう筋の手配がまともにできるとは思っていないが、もしも本当に実行できてしまったら、かなりまずい事になる。
「協力を仰ぐしかないが……話を聞いて貰えるかどうか」
すでにアンバーは彼女らを見限っている。事前に防ぐなら勿論のこと、それ以上をするにしても、単独で動くには心許ない。
アンバーは、コーラルが去ったのと反対方向に視線を向けた。
「ま、やるだけやってみるか」
そう呟くなりそのまま歩を進めた。従者が慌てた様に後に続くが、振り返ったりはしない。
この思い切りの良さこそが、アンバーの持ち味だからだ。




