幕間 デリック、拾われる④
そんなわけでデリックは、一家が帰国するのに同行してトゥイリアース王国へ行く事になったのだった。
その道中の船の上で、デリックの目の前にぺらりと一枚の紙が差し出される。その内容に目を丸くしていると、アルベルトは素っ気なく「覚えておけ」と一言。
「これ、いいのか?」
紙はデリックの戸籍表、それに載せる情報が書かれていた。だが、そこにはあるはずのものがない。それを問えば、アルベルトはつまらなそうに吐き捨てた。
「戸籍のことか? 犯罪歴のことか? そんなものどうにでもなる」
「お、おお……」
さして問題ではないと言わんばかりの態度にデリックは絶句する。
牢から出された後、執事のベンジャミンから色々聞かされていた。アルベルトの扱いについての注意が主だったが、聞いただけではいまいちピンと来なかったものの片鱗に触れたのだ。
(ひょっとしてやべえ家か、これ?)
そんなデリックの直感は間も無く肯定される。このヴァーミリオン家というのは、あまりにリリアンを中心にし過ぎていたのだ。
物事の基準はリリアンで、リリアンの意思を通すのが最優先。その為に全力を尽くすのがアルベルトという人物で、無理矢理とも思える要求を発しては即行動に移し確実に実行させた。
それはデリックを牢から出したことからも分かる。行動力が異常に高く、実行力も半端なものではなかった。そうと決めたら確実に貫き通す、その為の労力は惜しまない。金に糸目は付けず、必要とあれば権力も立場も(何なら顔面も)使っていた。
残念な事に、異常なのはアルベルトだけではなかった。
デリックは領地に到着後は、能力を確かめるという名目で様々な訓練を受けた。訓練とは言うものの、実際には合格試験みたいなものだ。デリックをリリアンの傍に置いていいものかどうか、それを判断された。
まず最初に立ちはだかったのは侍女・メイド軍団である。彼女らは当然リリアンに心酔しており、彼女の為に身を粉にするのを厭わない。筆頭の侍女だというシルヴィアは特にそれが顕著で、リリアンに対して少しでも不遜な態度だと判断されると、容赦なくナイフを向けられた。貴族の礼儀作法というのに疎いデリックはなかなか苦戦を強いられる。廊下ですれ違うだけでナイフが飛んでくるので、デリックの瞬発力とマナーはそれなりに鍛えられた。
ナイフの飛んでくる回数が減った頃、ボーマンとの戦闘訓練が開始された。デリックの役割はどうやら護衛らしく、守る為の技術はボーマンに教え込まれたと言っていい。
ボーマンは寡黙な男なのだが、この男、喋らないだけで熱量は他の者と同じだった。手合わせは毎回過酷で、何本も訓練用の剣を壊す羽目になった。
そんな彼は身軽なデリックが護衛となったのを歓迎していた。どうしてなのかと聞くと、静かに「機動力があるからだ」と答えた。
「自分は、走るのが不得手だ。何かあったら、お前がお嬢様をお連れしろ。その時間は、自分が稼ぐ」
「……おう、分かった」
つまりボーマンが囮になるので、その隙に逃げろ、という事らしい。
(やべえ連中の集まりか。俺はそうはなんねーぞ)
そう決意を固めるデリックだったが、この時すでに感覚が狂っていたのかもしれない。そもそもそんな場所、逃げ出してしまえばいいのだ。なのにデリックは一度でもそれを考えた事がなかった。
もっとも、もし本当に逃げ出そうものなら、熱意の高い人達が許さないだろう。考えつかなかったというのはある意味で幸運だった。
最後にベンジャミンとレイナードが訓練に参加し、合格を出したことで、デリックは正式にヴァーミリオン家お抱えの騎士となったのだ。
ただ、レイナードの方はまだデリックを完全に信用してはいないようだった。元が犯罪者なので仕方がないが、まだ十代前半のレイナードでは、いくら魔法が使えたとしても年上のデリックには敵わない。不信なのに自分では追い出せず、かと言ってベンジャミン達が認めたのなら賛同する他ないとあっては不満に思うだろう。
だが、これまで何人もの悪ガキを見てきたデリックに言わせれば、レイナードは相当な腕前と言える。あと数年で確実にデリックを抜くだろう。それまで辛抱して頂きたい。
そんなレイナードは、この集団では唯一まともに見えた。だが、程度に違いはあるものの、方向性はまるっきり父親と一緒だった。本人はただ妹想いな兄のつもりなのがまた厄介で、一般的な水準からすると遥か高みにいる。ある時さり気なく指摘したのだが、全く通じなかった。
「坊ちゃん、あんまリリアン様に構わない方が。リリアン様だって一人がいい時もあるでしょうから」
「父上ほどじゃないだろう?」
「いや、あれを比較対象にしちゃまずいっすわ」
「どうして」
「どう……うーん」
デリックは悩むふりで濁したが、この時はっきりと「ありゃあ異常だからです」と言うべきだったかもしれない。けれども、それがアルベルトの耳に入ったら身が危ないかもと思うと、何も言えなかった。
そうしてなんだかんだで出勤初日を迎えたデリックは、言い渡された任務に目を丸くする。
「お前の仕事はリリアンの護衛だ」
「は? 冗談だろ?」
「冗談でこんな指示を出すわけがないだろう」
そう言うアルベルトの表情は真剣そのもの。傍らのリリアンを見下ろしているところは子煩悩な親が我が子を心配している姿そのものだが、それだけでないのをデリックは知っている。このアルベルトという人が過剰なだけで済ませるはずがないのだ。
「今後あのような事態が起こらないとも限らない。そうなった場合に貴様はリリアンを守れ。それ以外のものは気にしなくていい」
「それは……あー、旦那様と坊ちゃんもで?」
「そうだ、そう言っているだろうが」
「お、あ、はい」
凄まれて、デリックは言葉を失った。
(マジだわ、これ)
アルベルトも、その後ろにいるベンジャミンも、いつもの様子と変わらない。どころか、どこかピリッとした空気を纏っている。その様子には覚えがあった。僅かな間だが、領地に到着するまでにデリックは何度か同じ空気を感じた事があったのだ。それは船の上でリリアンがぽつりと呟いた「オレンジ美味しかったわ。毎日でもたべたいくらい」という言葉に「そうか、じゃあ毎日食べられるようにしよう」とアルベルトが返した時だ。それまでのにやけた顔が一変して引き締まり何かを思案していた。港に着くなり何やら手配を始めていたのだが、翌日から本当に毎朝新鮮なオレンジが食卓に並ぶようになっていた。その手筈を整える時と今と、アルベルトの様子はまったく同じだったのだ。
「何があってもリリアンが最優先だ。危険があるのならリリアンだけ抱えて逃げろ。いいな」
「了解しました」
内心頬を引き攣らせる思いで答えれば、幼い主人も一言添えてくれた。
「よろしくお願いしますね」
「……っす」
どう接すればいいか分からず、リリアンへは軽く頭を下げるだけになってしまったデリック。リリアンは気にしていないようだったがアルベルトはそうではなかったらしく、すぐに叱責された。ただ、その内容が「リリアンの言葉には全身全霊をもって答えんか!!」というものだったので、今後がちょっと不安になる。
(絶対、こうはならねえ)
デリックはそう誓った。
◆◆◆
「終わったようですね。早く行きますよ」
「……へい」
思い出に意識を飛ばしていたデリックは、ベンジャミンの声ではっとする。
そういえば自分は、かつてそんな風に思っていた。いくらリリアンに命を拾われたからと言って、あんな狂人じみた真似はごめんだと思っていたのだ。
だが、デリックは気付いていない。リリアンのために街一つ変えるのだと言われて、「あー、じゃあまず情報探んなきゃっすね」と当然のように返した自分の意識が変わっていることに。
デリックは、状態を整えるのは必要な処置だと思っている。ただ、その手段がマフィア根絶、というのはやり過ぎだと考えていた。精々マフィアが手出ししないように脅せばいいと思っていたのだ。
そもそも安全に街歩きをする為には、街から犯罪者を追い出す必要はない。普通に警護を増やすとかその程度でいい。なのに、デリックにはもうそれが思いつかない。
それは護衛として付き従う間に、懸命に筆頭公爵家の令嬢として相応しく在ろうとするリリアンに感銘を受けたからだった。いつからか変わってしまった意識によって、ちゃんとリリアンが安全なようにしようと思っているうちアルベルトの指示に疑問を抱かなくなり、リリアンに神性を見出してその姿を手元の木材(主に薪)に彫るようになった。
もしアルベルトがそうなった理由を知れば、「リリアンの神聖さに感化されるのは当然の事だ、何もおかしなものではない」などと言い切っただろう。
「やっぱやべえわ、あの人」
ボコボコになったマフィアの連中を念入りに躾けるアルベルトの姿にデリックはそう呟くが、自身がすっかり毒されているのには気付かないのだった。




