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マリア

作者: 杠煬

彼女の名はマリア。

今でもずっと僕の大切な人。


大学生になって初めての夏季休暇。

僕は1ヶ月の英語研修ツアーに参加した。

行き先はイングランドのLという町にあるL大学。

別に英語が得意なわけでも、会話を極めたかったわけでもない。

僕の通っていた大学はそこと交流があり、格安で参加できた。

安く海外旅行をするつもりで参加したのだ。

L大学の寮に寝泊まりし、午前中は英語の授業、午後からは町へ出て3時頃までフィールドワークを行うことになっていた。


ロンドンに降り立ち、そこからさらにLまでは、バスで2時間程の距離。

都会の喧騒も、田舎の野暮ったさも無い、落ち着いた上品な町である。


よく霧の町ロンドンと言う。

ゴルフが雨でも中止にならないのは、そういったお国柄で起こったスポーツだからなのだそうだ。

しかしながら、そのロンドンも、滞在したLという町もそういった俗説を笑うかのように、比較的晴天に恵まれていた。


ところが、たまに霧が出ると、心にまでモヤがかかった様にどんよりとした雰囲気になり、太陽の光さえ僅かにしか存在し得ないのだった。


マリアに出会ったのは、そんな憂鬱な日の午後だった。


その日は、午後のフィールドワークの時間になっても晴れることなく、町の空気は暗く湿っていた。

到底出かける気にはならず、教師に許可をもらって図書室へ向かう。

適当に簡単な本でも読んで、夕方まで時間を潰すとしよう。

そこで僕は、彼女に出会った。


彼女は隅の方の机で、辞書を傍らに本を読んでいた。

透き通る様な白い肌をして、艶やかなブラウンの髪を首元から背中の真ん中辺りまで編み込んで垂らしている。

水色のシャツに緑色のロングスカート。

グレーのカーディガンを羽織って、丸眼鏡をかけている。

その知的な佇まいに、僕は一目で恋をした。


この時ほど、真面目に英語を勉強してこなかった自分を恨んだことは無い。

旅の恥は掻き捨てとばかりに、僕は心の中のありったけの勇気をかき集めて彼女に話し掛けた。

 

「こんにちわ、初めまして。」


怪訝そうに僕を見上げる彼女。

完全に整った顔とその視線に負けじと、まずは名乗り、必死で会話を繋ぐ。

「いきなり話し掛けてすみません。僕は日本から来ました。まだ英語は下手です。何の本を読んでいるのですか?」


他にも色々としゃべったと思うが、いかんせん記憶に無い。

すっかり舞い上がっていたのだろう。


彼女は不意ににっこりと笑い、同じぐらいたどたどしい英語で答えてくれた。

「私、マリア。遠い南の国から来たの。」

そう言うと、読んでいたページを僕に見せた。

「この国の昔のお話。言葉が難しくて、よく分からない。あなた、分かる?」


後で聞いたところによると、マリアも別の国から短期留学に来ていたとのことだった。

僕達は、お互いに拙い英語で懸命に意志疎通をしたが、マリアは特に、形容詞と副詞をごっちゃにすることが多かった。


翌日から僕は、午後のフィールドワークが終わるとすぐに図書室へ向かった。


マリアはいつもそこに居て、静かに本を読んでいた。

大抵、昔話や神話などを読んでいた。


僕の顔を見ると嬉しそうに微笑んで、

「ここのところがよく分からない。」

と言う。

二人して、英英辞典を傍らに、古典を紐解いていった。


夜になるとパブへ行き、シャンティにフィッシュアンドチップスを注文する。

マリアは、アルコールは体質的に受け付けないとのことで、もっぱらジンジャーエールだったが。


飲みながら、その日読んだ本の内容について話す。

「あなたの国の、昔の話、聞かせて。」

日本の神話や昔話について英語で話すのは、なかなか骨の折れる作業だったが、そこは惚れた弱み。もしくは強みか?

「色々な国の昔の話を調べている。その成り立ちにはそれぞれ理由があって、とても興味深い。」

マリアは真剣な顔で、じっと僕を見つめて言った。


光陰矢の如く日は過ぎ去り、僕の帰国する日が近付いてきた。


後悔はしたくなかった。

帰国を三日後に控えた日、僕はマリアに告白した。

「好きです。」

と。


マリアは淋しそうに微笑んで言った。

「嬉しい、私もあなたが好き。でも、もうお別れ、会えなくなる。」

僕は自分の連絡先を書いて渡し、手紙を出すし、きっと会いに行くから故郷の連絡先を教えて欲しいとお願いした。


マリアは悲しい顔をして、

「それはできない。もう大人になるまであまり時間が無い。」

と言った。

英語の意味を聞き間違えたのかと、問い直そうとしたが、それより早くマリアに手をつかまれた。

「最後に、私の部屋へ行こう。」

初めて触れたマリアの手は柔らかく、しっとりと汗ばんでいた。


マリアの部屋で、僕達は初めての、そして最後の夜を過ごした。

マリアは泣いていた。


その日の朝は、初めて会った日と同じく憂鬱な霧で翳っていた。


僕の胸に顔をのせて鼓動を聞いているマリアの頭を撫でる。

「また会いたい。」

マリアは僕の言葉を、目できっぱりと拒絶した。


「悲しくなるから、もう会わない。」

別れ際、マリアはそう言った。

好きなんだ、別れたくないと食い下がる僕に、

「ダメ、今までのことは夢だと思って。さよなら。」

そして最後に、

「現実に戻るの、現実に戻るのよ。」

と言った。


マリアとはそれ以来、会えていない。

今でも、早口で言った、最後の言葉が耳に残っている。

「Take it really. Take it really.」


「テケリリ。テケリリ。」

と...

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