絶対平等主義社会
その人の人生は、その人自身の努力と意志によってのみ左右される。僕はそんな絶対平等主義社会に生まれてきて、本当によかったと心から思う。
「学科試験の学年一位は、今回も須藤だ。みんな、須藤に拍手!」
成績表を受け取ったタイミングで教師が合図を出し、クラスメイトが拍手で僕の成果を祝福してくれる。僕は微笑みを浮かべながら、クラスメイトを見回した。教室に座るクラスメイトは全員僕と同じ顔をしているし、みんなに拍手を促した担任の先生だって、年齢が違うだけで、顔の形は僕たちと全く同じものだった。
「ありがとうございます。今回も学年一位を取れたのは、僕の努力のおかげだと思います。生徒会や部活動に励みながらも、毎日夜遅くまで勉強をする。そんな毎日をコツコツ続けてきたからこそ、こうしてみんなよりも優秀な生徒でいられるんだと思います」
横に立っていた教師も嬉しそうに同意してくれ、それから僕の肩をポンポンと叩きながら補足を加える。
「ここにいるみんなのDNAは全く同じだし、さらには育ってきた環境も変わらない。つまり、みんな須藤とスタート位置は一緒なんだ。みんなが須藤と同じように優秀になれる可能性はあるんだから、もっと勉学に励むように!」
クラスメイトたちがまばらに返事をする。僕は彼らの羨望の眼差しに応えながらも、僕の優秀さを表す成績表へとちらりと視線を落とし、誰にも気付かれないように満足げな微笑みを浮かべるのだった。
*****
遺伝、性別、容姿、家庭環境。一昔前までは、自分ではどうしようもない要因によって、生まれた瞬間から優劣が決まってしまっていた。そんな不平等で満ち溢れた世界を変えようという人々による長い戦いの結果築き上げられたのが、今僕がいる絶対平等社会時代だ。
出産は全て人工授精に置き換えられ、その際、受精卵のゲノム編集によって、新しく生まれてくる子供のDNAはすべて同じDNAへと統一される。DNAが同じであるということはつまり、その人の能力だけではなく、性別や容姿も同じになるということ。数十年前まで存在していた性別制度は廃止され、昔は存在していた男、女というものはなくなり、ジェンダー問題自体が奴隷制度と同じように過去の愚かな遺物へと成り下がった。
生育環境についても、個々の家庭に任せてしまうと様々な不平等が生まれてしまうため、特定の年齢までは国営の施設にて、全ての幼児が同じ環境で育てられる。個体差が出てしまうことを防ぐため、性格が成熟するまでは自分の親を教えてもらうことすらできない。成熟期を経て、安定した性格や能力が身についたと判断されてやっと、彼らの戸籍上の両親と暮らし始めることができる。
改革当初には人間の多様性を失うという批判があったようだが、それも結局は的外れだということも最近の調査によってわかってきている。同じDNAであっても、同じ生育環境であっても、時間が経つにつれてそれぞれの人間には個体差が出てくる。髪を伸ばしているものもいれば、面倒だからという理由で丸坊主にしているものもいる。芸術が好きだというものもいれば、外で体を動かすことの方が好きだというものもいる。一人称だって人によって違うし、好んで聴く音楽の種類だってバラバラだ。
そして何より大事なことは、学業も運動も苦手な落ちこぼれもいれば、僕のように学業も運動も、全てが優れているものもいるということ。みんな同じDNAである以上、誰かが誰かより優れているのは、ひとえにその人自身が努力したから。逆に誰かより劣っている人物は、自身の怠惰や意志の弱さを批判されて然るべき存在ということになる。
「お前みたいな優秀な人間が私の子供で本当に誇らしいよ。お前なら、きっと私の最高の後継ぎになれる」
夜。僕が学年一位の業績を報告すると、戸籍上の父親である須藤正弘さんはそう言って僕を褒めてくれた。正弘さんの顔に泥を塗るわけにはいきませんから。僕が冗談まじりにそう返すと、彼は愉快そうに肩を震わせながら笑い、美味しそうに高級ワインを口にした。
正弘さんは、今の絶対平等主義社会を実現させた政治家の一人だった。今は第一線は退いてはいるものの現政権への影響力は衰えておらず、年末年始にはいつも、テレビで見るような有力政治家が列を成してこの家へと挨拶へとやってくる。初めて自分の親と面会した時、長年抱えていた疑問がすっと解けるような気がした。その時から僕は、同じ年の子供達よりも人一倍努力し、優秀な成績を叩き出していた。他の人と同じDNAを持っているはずなのに、どうしてこんなに努力するのか、自分でもよくわからなかった。ただ、あの日僕が今いる大豪邸で正弘さんと会った時、僕は全てを理解した。僕が努力を続けてきたのは、この父親に見合いだけの人間になるためだったのだと。
「私も子供の頃は優秀だったんだがね、父親は有名な学者だったということもあり、頭のいいDNAを受け継いでいるだけだと、陰でバッシングされたものだ」
正弘さんが顔を赤らめながら昔を懐かしむような口調で話す。
「ええ、昔はそうだったと聞いたことがあります。ただ、今の時代ではそんなことを言う人はいませんよ。生まれた時からスタートは一緒である以上、僕がこうして優秀な成績を収めているのは、ただ僕が他の人よりも努力し、優れた能力を身につけたからです。今の時代にそんな馬鹿げたことをいう奴は、頭だけではなく、心も腐った救いのない人間だと思いますね」
僕は正弘さんにそう話しながら、頭の片隅で、その心も腐った救いのない人間を思い浮かべる。同じクラスの高島伊織。僕たちと同じスタートを切りながらも、一切の努力を放棄し、考えられる最悪の選択をし続け、どうしようもない存在と成り果てた、そんな人間。顔は僕たちと同じであるにもかかわらず、不潔な身体にはニキビや脂汗が浮かび、髪の毛はボサボサで手入れもされていない。でっぷりと太った醜い身体で運動もからっきしできないし、学業だって学年でドベを争うような頭の悪さだった。運動も学業もできない代わりに、何かに特化した分野を持っているというわけでもなく、毎日を無為に過ごし、口を開けば誰かの悪態をつく、そんな救いようのない人間だった。
「お前が良い思いをできてんのは、親が有名政治家だからだろ!」
ある日、僕が高島を皮肉まじりに侮辱し、嘲笑った時、高島は僕にそう叫び、掴みかかってきた。しかし、毎日身体を鍛え、運動を欠かさない僕にとって、高島のような愚鈍な人間をあしらうのは朝飯前だった。一瞬だけ体制を崩されつつも、僕は華麗に高島を柔道技で投げ、鈍い音を立てながら高島が硬い床に叩きつけられる。
「同じDNAである以上、誰が親であるかなんて関係ないことだ。頭が悪すぎてそんな当たり前の事実も忘れたのか?」
受け身に失敗し、身体の痛みに悶え苦しんでいる高島を見下ろしながら、僕は吐き捨てる。
「それに親のことを言うのであれば、君の両親だって有名な政治家じゃないか。おっと、失礼。有名とは言っても、反平等主義グループに所属する、頭のおかしな連中の一人ではあるけどね」
俺の親を馬鹿にするな。僕の言葉にさらに高島が激昂し、もう一度襲いかかってきたが、僕はそれを軽くいなし、彼は再びみっともなく床へと叩きつけられる。いつもの見慣れた光景に、いつの間にか周りに集まっていたクラスメイトがくすくすと忍び笑いをしているのがわかる。
みんなが僕の味方だし、みんなが高島のような怠惰な人間に嫌悪感を抱いている。全ての人間が自分の判断に責任を持ち、自分の努力によって未来を開くことができる。落ちこぼれは全て自分の責任だし、同情の余地なんて一切ない。僕は羞恥で顔を真っ赤にする高島を見下ろしながら、言いようのない高揚感を覚えた。
僕は周りの光景を眺め、思う。これこそが絶対平等主義社会だし、これこそが理想の社会だと。
僕は自分の努力で未来を切り拓き、将来には輝かしい未来が待ってる。僕はそう信じて疑わなかった。そんな順調な毎日が、ある日突然崩れ落ちていくなんて夢にも思わずに。
*****
ある日、僕が学校から家に帰宅すると、家の周りには数台のパトカーが止まっていた。空き巣にでも入られたかと思って家に駆け込むと、奥の部屋から数人の警察官に連行される正弘さんの姿が見えた。自分の尊敬する偉大な父親のその姿に、僕は驚きのあまりその場で立ち尽くしてしまう。そして、正弘さんを連行していた警官の一人が僕の姿を捉えると、須藤侑李さんだねと少しだけ凄んだ口調で声をかけてくる。
「ちょっと失礼」
警察官はそういうと、僕に近づき、そのまま一瞬のうちに僕の髪の毛を一本だけ抜き取った。どういうことですかと僕が恐る恐る尋ねると、いずれわかるよと警察官は答えるだけ。そして、そのまま僕を置き去りにして、正弘さんを家の外へと連行していく。すれ違い様、正弘さんは僕の方をちらりと見つめ、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
子供の遺伝子改竄という絶対平等法違反で、有力政治家を複数人逮捕。次の日のニュース番組で報道されたのは、そんな前代未聞のスキャンダルだった。
子供の遺伝子改竄。言い換えると、受精卵のゲノム編集にて、より優秀な遺伝子を持つ子供を作るという、絶対平等社会を冒涜するような犯罪。あまりに突然の出来事に理解が追いつかない僕を置いて、テレビに映るアナウンサーが現時点でわかっている事実を淡々と述べていく。僕の父親である須藤正弘を含む複数人の政治家たちは、ゲノム編集作業を実施する医師と結託の上、自分の子供に対してのみ、より優秀な能力を持つような遺伝子へと書き換えたらしい。それも手口は巧妙で、周りからバレるような容姿や体格の遺伝子は国指定の遺伝子に合わせ、外見からはわからない、知性や運動能力に関する遺伝子のみを改竄していたらしい。
テレビ画面に、警察筋から独自に入手したと言う、須藤正弘の子供の遺伝子配列が映し出される。それはまさに、昨日僕から採取された髪の毛から抽出されたものだった。アナウンサーが遺伝子配列について、誰にでもわかりやすく説明を続ける。僕は何も言うこともできず、ただ状況をうまく飲み込めないまま目の前を流れていく映像に身を委ねることしかできなかった。
「おっと、ここで速報です」
アナウンサーが突然手渡された原稿を目視し、それから険しい表情を浮かべる。
「これは……正直信じたくないですね。今、入った独自情報によると、今回遺伝子改竄をおこなった容疑者に対して、政敵である野党の子供たちへの遺伝子改竄、それも国指定の遺伝子よりも能力が劣るように改悪したという容疑がかけられているそうです。子供に対して遺伝子の改悪が行われたとされる政治家はこちらになります」
画面に何人もの大物野党議員が映し出される。そして、その中の一人に僕の目が止まる。テレビの画面に映し出されていたのは、高島伊織の父親の顔写真だった。
僕が登校すると、案の定、学校中が今朝報じられたばかりのスキャンダルで話題が持ちきりだった。僕が捕まった政治家の子供であることは学校では周知の事実。だから、僕がそばを横切るたびに、周りの人たちは言葉をつぐみ、それから腫れ物を見るかのような目で僕を見てくる。
それでも気丈に振る舞いつつも教室へと僕は向かう。しかし、いつものように教室へ入ると、隅っこにちょっとした人だかりができていることに気がついた。その中心は、落ちこぼれだった高島伊織。周りを取り囲むように集まっていたクラスメイトたちは、高島に対して今までごめんなとか、何かあったらいつでも相談してくれよと、白々しい言葉を投げかけている。
高島が落ちこぼれだったのは、奴の責任ではなく、遺伝子のせい。
その事実が、馬鹿にすべき存在から、みんなから同情され、慰められる人間へと生まれ変わらせた。人だかりの隙間から高島がこちらを向き、僕と目があった。そして、高島は僕に対して、まるで勝ち誇ったかのような不敵な笑みを浮かべるのだった。
授業が始まっても、どこか浮足だったクラスの雰囲気は変わらなかった。そして、非日常的なニュースに沸く教室の中で、僕一人だけが、まるで別世界に紛れ込んだような居心地の悪さを感じていた。
「えー……それでは、この前の期末試験の結果を返却する」
少しだけ罰の悪そうな表情で、教師がそう呟き、成績表を僕たち一人一人に返していく。それから僕の番になったタイミングで、教師は少しだけ逡巡した。それから、急に今までとは違ったことをやること自体がふさわしくないと自分で自分に言い聞かせたのか、いつものようなハキハキした口調で、今回の期末試験も僕が学年一位だったということをクラスのみんなに告げた。
「もちろん今は色々と思うことはあるとは思うが……みんなも須藤が誰よりも遅くまで学校に残って勉強していることは知ってるだろ? だから、その努力に対して、拍手!」
しかし、教師の言葉に対して、クラスメイトの反応はなかった。波打ったような静けさが教室全体に満ち、気まずい雰囲気がクラスの中を充満する。僕は気を利かせ、もう大丈夫ですと自分から切り上げる。僕は教師とクラスメイトに小さくお辞儀をして、それから自分の席に戻ろうとした。しかし、その途中。誰かの悪意のこもった呟きが僕の耳へと入ってくる。
「遺伝子のおかげでしょ」
その呟きとともに、クラスメイトたちの押し殺した笑い声が聞こえてくる。僕は怒りで顔を真っ赤にしながら周囲を見渡す。お前たちに何がわかるんだ。僕は痛いくらいに拳を握りしめながら、心の中で呟く。俺がここまで優秀な成績を収めてきたのも、運動能力が高いのも、お前たちがへらへら笑いながら遊んでいる間にも必死に努力してきたからなんだぞ。周囲を見渡し、教室の端っこに座っていた高島と目が合う。目があった瞬間、奴はあの意地汚い笑顔をにっと浮かべながら僕に向かって何かを喋る。声は聞こえない。だけど、奴の表情と口の動きから、言っていることは理解できた。
お前が良い思いをできてんのは、親が有名政治家だからだろ。
その瞬間、僕は居ても立っても居られなくなり、衝動的に教室を飛び出した。今まで築き上げてきた努力が、プライドが、自信が、音を立てて崩れ落ちていくのがわかった。同じ遺伝子である他の人間に個性が出るように、たまたま他の人よりも優秀な遺伝子を持っているからといって、それだけで自分の能力全てが否定されるわけではない。頭の中ではわかっている。だけど、他の人と同じ位置からスタートし、自分の力のみで人生を切り開いてきたのだという自分の支えがなくなった今、僕は何を糧に生きていけば良いのだろうか?
気がつけば僕は学校を飛び出し、家にたどり着き、それから逃げるように自分の部屋へ閉じこもった。鍵をかけ、カーテンを閉め切り、耳を塞いでベッドに潜り込む。誰とも関わりたくなかったし、誰かから遺伝子のおかげと言われたと想像するだけで、恥ずかしさと悔しさで頭がおかしくなりそうだった。
心配した家政婦が部屋の外から声をかけてきたが、僕はその声を無視し、部屋の中に引きこもり続けた。外界の人間とのコミュニケーションを遮断し、部屋の前に置かれる食事をとる時と、家の人間が寝静まった時にトイレに行く時くらいしか部屋から出ない。自分の身体が醜くなっていくのはわかっていたから、いつの間にか鏡も見なくなった。部屋から出ないから身体は太り始め、誰とも話さず、頭も使わないから、頭の回転がどんどん悪くなっていくのがわかった。ただ生きるために食べ、寝て、それ以外の時間帯は壁の染みをじっと見つめるだけ。そんな毎日を、僕は過ごすのだった。
そして、そんな引きこもり生活を始めて数ヶ月が経ったある日。ふと、部屋の本棚にあった学校の数学の教科書に目が止まった。身体が思うように動かなくなっていること、頭の回転がとんでもなく遅くなっていること。僕はそのことをきちんと自覚していた。もしかしたら。そんな淡い期待を抱きながら、僕は恐る恐る数学の教科書を手に取り、それからまだ読んでいないページを開き、そこに書かれていた問題を読み始める。
六ヶ月もの間、勉強もせず、人とも話さなかった。努力を放棄した今の僕には、数学の問題なんて解けるはずがない。僕はそう思っていた。だけど、問題を目にした瞬間、今まで眠っていた脳に突然エンジンがかかり、目の前の問題に対する解答がすらすらと思い浮かんできた。僕は頭の中で最後の答えを導き出した後で、そっと教科書を閉じる。それと同時に僕の目から、涙が溢れ出してくるのがわかった。
僕の優秀さは必死な努力によるもの。心の中で、僕はまだその幻想を信じていたのかもしれない。だけど、今この瞬間、それが偽りだということを僕は理解した。僕の今までの成功はすべて自分の力で手に入れたものではない。その残酷な事実が僕の最後の心の支えを崩していった。
僕は狭くて、ジメジメした部屋の中で泣き続ける。人よりも優秀な自分の遺伝子を呪いながら。そして、自分の力では何も手にすることのできない、自分の人生を呪いながら。