一難去ってまた一難。地下通路での会敵!
今回区切るところを間違えてしまい……少しだけ長いです。
お読みいただければ幸いです。
「……ったく何なのよこの森! 木だったら真っ直ぐ天に向かって立ちなさいよ!」
「ノイズ……」
昼間でも薄暗いこの樹海の木々は、いろんな方向に好き放題に伸びていて、その幹や枝葉で空への視界がほぼ完全に遮られていた。そして噂通り、僕たちが持っていたコンパスも、樹海に足を踏み込んだ途端にぐるぐる回り始めちゃって、針が止まったのはなんと真上。でもそのお陰で、どうやら針は太陽を指し示しているらしい、ということは分かったから、それはそれで役立っていたりする。で、僕が持っていたコンパスとシナリオの地図をクリストに渡して、彼が位置関係を算出しながら進んでいるんだけど……
「どうやら、そんなに時間はかからなそうですよ。地図を見ると地下通路まではあと数回」
言ってクリストは、かなり傾きかけた様子のコンパスを僕たちに見せてくれた。
「え? もうこんなに時間経っちゃってるの?」
「ええ。みなさん夢中でしたからね……順調に進んでいるようですよ」
コンパスが傾いているということは、太陽が沈んできた証拠。僕たちがいろんなモノと格闘している間に、時間はしっかり経過していた。
「うっし! そういうことならさっさと進もうぜ!」
「そうね!」
こうして、再びロープを持って木々の間を潜り抜け、難儀して直線に伸ばして正方形を作る作業に戻ることになった。
繰り返すこと数回。モンスターの襲撃は、およそその倍。僕たちの体力も魔力もそろそろ限界かな……っていうところで、見えた。
「あったぁ! これじゃない⁈」
僕が見つけたのは、半ば以上が地面に埋もれた門のようなもの。それはレンガや石ではなく、不思議な温もりのある素材だった。……木の幹を削ったり焼いたり加工して、組み合わせたようなそんな感じの素材。その周囲もしっかりと雑草やら蔦やらで覆われてはいたのだが、そこだけ不自然に四角くなっているのだから間違いはないだろう。そんな場所にあった門の奥は、先の見えない深い闇が支配していた。
「これがそうか……」
「分かりやすいと言えば分かりやすいけど……よく見つけたわね、こんなの」
「へへ……すごい?」
「凄いですよ、ルシア」
ポンと僕の頭に手を置いたのはクリストだ。大きくて暖かいクリストの手は、なんだか安心する。『お兄さん』ってこんな感じなのかなぁ。
「ずっと薄暗かったから気づかなかったけど……もうじき日暮れよね?」
「うん、そうだね。夜に動くのはやっぱり危険だし、みんな疲れもピークだし」
「そうですね、今日のところはここで休みましょうか」
「おう、賛成だな。んじゃ俺はちょっくら周り見てくるかな」
言うとリードは、左手の剣を少しだけ収めて、キャンプ地にしようとしている現在地から周辺を見回るために出かけて行った。当然のようについて行くのはノイズ。切り替えが早いのはいつものことだけど、さすがの体力。
僕はというと、荷物の中から魔力を込めた細いロープを取り出して、五芒星の形に杭を打つ作業。いつもの魔除けの結界を張る。
そしてクリストは、手近なところから集めた薪に火をつけて、簡単な夕食の準備。
僕たちの役目は大体決まっているから、その準備も慣れたモノ。リードたちが見回りから戻ってくる頃から、早くも小麦粉を練った簡易パンが火にかけられようとしていた。
「どうだった? 何か変わったことは?」
「……………………」
「? ……どうしたの? リード、ノイズも」
「…………」
戻って来たのはいいけど、二人とも様子がおかしい。ずっと黙り込んでいる二人の雰囲気があまりに不自然で、僕はかなり不安な声を出してしまった。
明らかに変だ。
いつもなら大声を出しながら戻ってくるのに、未だ一言も声を出していない。それどころか、目は虚ろで、焚き火の炎を見つめているようだったけど、その焦点はどこにも合っていないような気がするし……。
「ね、ねえクリスト」
「……妙ですね……」
クリストは自分の胸元の十字架を掲げ持ちながら二人に近づき、彼らの目の前で片手をちらつかせる。……それでも何の反応もない。無言で焚き火の傍の倒木に座り込み、焦点の合っていないその目で炎を見つめている。
「クリストぉ……」
あまりのことに、僕は完全に狼狽えてクリストの背中にしがみついた。それでも僕が二人から目を逸らせなかったのは、クリストが何とかしてくれると信じていたからなんだけど、この時のことはほんと、後から思い出してもゾッとする。
「リード、ノイズ、ちょっとごめんなさい。痛いですよ」
バシッ! バシッ!
「わっ! クリストっ?」
クリストはいきなり二人の頬、耳のあたりを平手打ち。……二人が正気だったら、クリストは即反撃の嵐に遭うような、そんな荒業だ。
「…………あら?」
「…………ん?」
「気がつきました?」
「え? 何のことよ? どうしたのルシア?」
まだクリストの背中にしがみついていた僕に目をやって、何事もなかったかのように聞いてくるのはノイズ。
「どうしたの……って、本当に何でもないの? ノイズ、リードも」
「何だよルシア、何かあったのかよ?」
リードもノイズと同じように、不思議そうな顔でクリストの背中の僕を見ている。
……クリストが説明してくれたことなんだけど、彼らの耳の中に、ある植物の花粉が入り込んでいたらしい。これがほんの少しで、叩いたショックで全て取り出せたからよかったものの、そうじゃなかったらかなり大ごとになっていたらしい。
「大ごと……って?」
話を聞いたノイズが不安げに問う。
「自我を奪われて、その植物の仲間入りですよ。本当の意味での植物人間になるでしょうね……」
苦い顔で説明を続けるクリスト。
非常に珍しい植物で、人の踏み込まない未開の森などにごく稀に存在が認められている種類のものらしい。この植物の存在がはっきり知られるまでは、生息域に踏み込んでしまった者の生還率は非常に低かった。そして何十年も経過した頃、植物の一部となった変わり果てた姿で発見されたこともあるらしい。
そんな話を聞いていた二人は、焚き火の炎でもはっきり分かるほどに青ざめていた。
「……おっそろしいこともあるもんだな……」
「ええ……気をつけましょう」
「ねえ、それってここからは風下にあるんでしょ? ここは大丈夫だよね?」
「ああ、その木なら相当離れてるし、確かに風下にあったぞ」
「でしたら大丈夫でしょう。直接触れなければ体内に入り込むような危険はないようですから」
「そっか。……安心したら腹減ってきたよ。クリスト、まだ?」
現金なもので、僕も話を聞き始めた頃は不安で仕方なかったんだけど、クリストの『大丈夫』の言葉で完全に安心しちゃった。そしてリードの台詞でお腹の虫が騒ぎ出した。
「僕もお腹すいたよ……あ、そろそろ良さそう」
言って、焚き火の周りで串焼きになっていた簡易パンの一つに手を伸ばす。
「これも大丈夫そうよね。あら? ねえこれは?」
ノイズが手を伸ばしながら気づいたのは、焚き火も周りに置いてある葉っぱの包み。
「あ、それね。バズから貰ってた干し肉があったでしょ? それに香草摘んできたのを巻いて蒸してあるの。そろそろいいんじゃないかな?」
その葉っぱの包みを手に取ると、温まった干し肉からジューシーな匂いが漂ってくる。包みを開けると、薄い干し肉がふっくらと蒸し上がり、それに包まれていた香草からも、香ばしい、いい匂いがしていて食欲をそそる。
「どれ」
言っていきなりかぶりついたのは、言わずと知れたリードだった。出来立ての熱々をかじったものだから、その結果はご想像の通り。しばらくは熱さでのたうってたみたいだったけど、味の方はかなり良かったらしい。文句を言わずに食べ続けているのがその証拠。
そんなこんなで、簡単だけど温かい食事でお腹を満たした僕たちは、交代で見張りにつきながらその場で一夜を明かすことになった。
今いる場所から太陽の姿は見えないけれど、日が沈んだであろう時刻からは外気温が急に下がって、毛布がなければ眠れないほどだった。それでも、昼間の疲れが手伝って、次の太陽が昇る頃には僕たちの体力も魔力も完全に回復していた。
「焚き火の始末はいいな? 荷物は……忘れもんないか?」
「ええ、大丈夫よ。一番心配なのはあんたでしょ?」
「お前な……いっつも一言多いんだよ」
「あんたね、いつものことなんだから仕方ないでしょ」
「やめてよ二人とも……忘れ物はないみたいだし、焚き火の後始末もOK、結界解くよ」
言いながら、僕は昨夜張り巡らせた結界用の細いロープを回収する。全て巻き取って、出発準備完了。
「よし、出発! ルシア、灯り頼む」
「うん」
みんなが手に持っているのは、携帯用の簡易ランプ。本来はこれに炎を灯して使うんだけど、僕の魔法があるからね。炎の代わりに魔力の光球を中に入れて、地下通路での光源に使おうってワケ。
小さく唱えた杖の先から、四人分の光球がゆっくりと飛び出してそれぞれのランプの中に収まっていく。光球が逃げないようにしっかり蓋をして、僕たちはリードを先頭に、半ば以上土に埋もれた巨大な門の中に身体を滑り込ませて行く。
「気をつけろ……足場かなり悪いぞ……いだっ」
言ってる傍からリードの決まり悪い声。その直後、べしゃっていう音が聞こえたから、悪い足場で滑って転んだかしたんだろうな……。
僕たちは、リード、ノイズ、クリスト、そして僕という順番で一列になって進んでいた。だから、僕からはリードの状況が分からない。
「馬鹿ねえ……下に行くのにランプ上に持ってちゃ意味ないじゃない」
「いやこれ……ランプ下にしたら降りられねえよ……あだっ! 何か引っかかった!」
「うるっさいわね! ほら、これ使いなさい!」
ノイズがクリストから受け取って渡したのは、ロープを括り付けただけのランプ。それを自分の足元に転がすようにして足場を照らす。
その後も何だかんだと叫びつつも、少しずつ歩みを進めていく。……やがて急勾配な通路を降り切ったようで、僕たちは水平な地面に立っていた。
「なんか……何だろう、この壁とか……」
「ただの石ではないですね……植物のような感じもしますけど……」
僕たちが立っているこの場所、床も壁も天井も、通り抜けてきた門と同じような素材でできているみたいで、クリストが言うように植物のような感じだった。綺麗に切り出された板とか、そういうものじゃなくて、蔓とか葉っぱとかを織り込んだみたいな、そういうモノ。
「ま、それも進んできゃ分かるだろ? 虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言うしな」
「あんたにしちゃ珍しい言葉だわね」
「だから一言多いんだよお前はっ!」
「珍しいこと言うからよ、さ、行くわよ二人とも!」
壁や天井を眺めていた僕とクリストに喝を入れ、今度はノイズが先頭に立って、少し広くなった地下の廊下をずんずん進む。
不思議さと期待と興奮を抑えきれないままで、僕たちは未だ見ぬ世界への道を辿って行くのだった。
真っ暗なはずの地下通路は、ほんのりとした柔らかな光に包まれ、不思議な空気が僕たちの頬を撫でていた。僕が魔法で作り出した光球を閉じ込めたランプもあるけど、この明るさはそれだけではなかった。
「何なんだ? この明るさ?」
ノイズの後ろを歩きながら、リードが疑問を素直に口に出す。
「不思議な感じよね。地面の下のはずなのに……」
振り返ったノイズも同じように言うけど、その言葉の先は疑問の応えを期待してクリストに向かっていた。ちなみにクリストは先頭を歩く二人のすぐ後ろ。で、僕が最後尾。
「おそらく発光植物の類だと思いますけど、見たことのない種類のようですね。ほら、周囲の壁にある小さなデコボコの隙間に生えている苔ですよ」
「ほう、これか」
片手に持ったランプを壁の隙間に当てるリード。ただ、魔法の光は強いから、当てるとその小さな光は全く見えなくなるんだけどね。
「でもさクリスト」
「何です?」
「苔って、結構ジメジメしたところに生えるでしょ? ここはそんな環境でもなさそうだし」
僕も不思議に思っていたことを聞いてみる。クリストだって僕たちと同じく、こんな場所は初めてだから推測しかできないことは分かってるんだけど、彼の考え方を聞いてみたい。
そんなことを考えながら、自分たちの両脇に広がる、不思議に光る壁に触れてみた。
「何か……壁自体は湿ってるみたいだけど……樹、みたい」
「ええ……人工的に作られたもので、材質が樹であったなら乾燥するはずですが……まるで生木ですね、まだ水を通しているのかも」
そう、周りの壁の材質はおそらく植物。樹を切り出したものではなく、それを素材として編み込んだようなものだと思うんだけど……それは加工されてなお、湿気を含み生きているようだった。そして、地下特有の籠もった湿気は、この壁に吸収されている。その壁の湿気を吸って、発光性の苔が生息しているのではないか。……そんな考えが、僕たちの中で固まった。リードとノイズは……あんまり考えていないみたい。未だ不思議そうに壁に触ったりキョロキョロしたりしながら歩いていた。
今更ながら、ここは結構広い。あれだけ下り坂で苦戦したのに、降り切った場所はまるで別空間のようだった。二人並んで歩けるくらいだし、明るさも手伝って歩きやすい。
「…………あれ?」
「どした?」
「何か、音、聞こえない?」
僕の耳にふと入ってきたのは、どこか遠くから流れてくるような、さらさらと小さく、清楚な音。小川のせせらぎみたいな……。
「…………ああ、聞こえるな」
「……水?」
お喋りをやめて耳を澄ました三人もこの音に気づいたみたいで、音源を探るべく呼吸を鎮める。そして音が聞こえてくる方へと意識を向ける。
「何だか……近づいてくるような気がしませんか……?」
『……………………』
クリストの小さな呟きが、僕たちの動きを止めた。
静まり返る地下通路。
ごくごく小さな音だった清らかなイメージのものが、彼の言葉通り、近づいてくるように大きくなっていく。川が大きくなりながら僕たちに迫ってくるようだった。
「ちょっと……っ」
「あ、ああ……」
ひんやりとした空気を孕んだノイズの言葉に続いて、冷静そうに対応しつつも頬に一筋の汗を伝わらせたリード。
「どこから来るんだろう……?」
ランプを括り付けた杖を握りしめて、僕。クリストに目を向けると、片手はランプ、そしてもう片方はしっかりと十字架を握っていた。
握り拳を固めたノイズに、引っ込めていた刃を戦闘モードにスタンバイするリード。
「ね、ねえ」
「何だよ?」
「もし、ただの水だったらさ……どうするの?」
最も基本的と思える疑問。
もし、僕たちの想像通りに、近づいて来ているのが水だったとしたら、僕たちには戦う術はない。唯一、今来た道を全速力で戻るしかないんだけど、聞こえている音から察するに、それは相当なスピード。いくら全力で走ったって逃げ切れるものではないだろう。多少余裕があるとはいえ、こんな狭い空間でまともに魔法を使えば、僕たちだってタダじゃ済まない。
小川のせせらぎのようにか細かった流水音は、すでに壁一枚隔てた河川の奔流のそれ。……だけど僕たちの足は、まだその場に踏みとどまっていた。
すぐに引き返すことの方が得策のはずなんだけど、まるで正体の分からないものに対しては、逃げることより正体を見極めることに重点を置く傾向が、冒険者にはあるみたい。……ただこのときは、逃げなかったことを後悔はしなかった。
「……変だね」
「ああ……」
ごごぉおおぅうう……
流水音は、すぐ傍に聞こえてくる。まさに、壁一枚という感じ。ごくわずかだけど空間が振動していることは確か。だけどそれ以上大きくなることも小さくなることも、僕たちに襲いかかってくることもない。ただひたすらに何かの警告のように響いていた。
「音だけなの……っ?」
ドンッ
緊張した空間を閉ざすように、一言だけ喚いてノイズが壁を殴る。
「気持ち悪いけど……そうみたいだね……。どうする?」
「ん……、進もう」
「そうですね。今すぐに流されることはなさそうですし……このまま行きましょう」
リードの言葉に、十字架を手放さないままでクリストが頷く。
僕もノイズも、耳が痛くなりそうな音の中でリードの言葉を聞いていた。お互いに頷いて、さらに先に向かおうと、ランプを進行方向に翳したとき。
「ひっ……ッ!」
「な……っ」
僕たちの声は、飲み込んだ息に紛れて詰まるように自分の耳に返ってきた。
「………………!!」
目の前に突如現れたものから目を離せず、リードもクリストも言葉がない。
僕たちがランプを当てて見つけたもの。一言で表現するなら水の壁。一見して不動の壁のように見えるけど、薄い膜の中で轟音をたてながら流れている。
リードの口から『こいつ……』という声が聞こえてきた。通路をきっちりと塞ぐ水の壁の真ん中よりも少し上に、二つの暗い穴があって、それが丁度目玉に見えた。闇色の穴の奥には、真っ赤な点が一つずつあって、僕たちを観察するように、視線を向けられている気分になる。
「クリスト……何だろう? これ……」
「私に聞かれても……でも確かなことは」
「?」
言ってクリストは、次の言葉を口にするより先に、いつもの防御結界用の呪文を詠唱。
ぼぉおうっ……! バヂュッ!
「うをっ!」
光のドームが僕たち四人を完全に包み込むのとほぼ同時。水の壁が僕たちに向かって体当たりをかけてきた!
「……私たちを敵として認識しているようです……」
「そういうことか……」
結界に護られた地下通路の一角で、リードが挑戦的な色を含ませ一言。左手の剣は、少し短めにセットして、戦闘開始の合図。
「どうやって戦うの?」
僕は杖を構え直して、三人に問う。相手は多分、水そのもの。リードの剣は特殊な構造ではあるものの、完全なる物理的攻撃しかできないし、ノイズももちろんそう。握り拳を固めてはいるものの、水に対して直接攻撃は不可能だ。
とりあえず僕は、結界を補助するために風系列の魔法を結界に重ねる。クリストが結界を張るとき、彼はそれを維持するための集中力を解くことができない。だから僕は、こういう状況ではまず一番に結界を補強する魔法をかける。
「ルシア、この補助ですが……」
「何? まずかったっ?」
「ええちょっと……これじゃ外からは攻撃できないですけど、中からも身動き取れないんじゃ……」
「…………あ」
「阿呆ルシアっ! どうすんだよ?」
意識を目の前の敵に注いでいたリードが、思いっきり振り返って怒鳴る。
「ごめんなさいっ!」
咄嗟に謝りながら、再び杖を構え直す。ぶら下げたまま忘れられていたランプが、それにつられて回転する。
どどんっ! ばぢゅんっ!
そんなやりとりをしている間にも、水の壁は体当たりを繰り返す。そのたびに、重い振動が僕たちのいる結界空間に響いてくる。水の塊がものすごいプレッシャーで、僕たちを揺さぶってくる。
「待ちなさいルシア! 結界解く前に作戦考えた方がいいんじゃないの? あたしたちじゃ攻撃できないわよ、こいつ!」
珍しく正論のノイズ。……だけど、この状況じゃ僕がツッコミを入れるわけにはいかない……。
「そうですね、このまま動くこともできないですし……。この程度では破られませんよ、二重結界ですから」
僕のミスをフォローしつつ、クリスト。
相手は見た目水の塊。ただ、自然の水じゃないことは確実。気になるのは、意志を持っていそうな赤い光を潜ませた、二つの暗い穴。
ぢゅどんっ!
「うわっ! ちょっと待てっ! 作戦会議中だ!」
「怒鳴ったって待ってくれるわけないじゃない!」
「うるせえっ!」
「二人ともいくよっ!」
バンッ!
声を張り上げると同時に、補助としてかけていた僕の結界を弾けさせ、そのまま消滅させる!
風の勢いで、一瞬ではあったけれど水の壁をほんの少しだけ僕たちから遠ざける。水飛沫が、クリストの結界を破って降りかかる。
『バースト・フレア!』
じゅわあぁっ……!
唱えた炎の礫が壁となっていた水を直撃!
炎に触れた水が一瞬にして水蒸気と化し、僕たちの視界を濁った白一色に染め上げる。僕たちの視界も完全に遮ったんだけど、おそらくは相手も標的を見失ったであろうほどの水蒸気。…………熱い。
「リード、ノイズ、見えてるっ?」
『大丈夫!』
二人の頼もしい声が、もうもうと立ち昇る水蒸気の奥から同時に聞こえる。
ぼふんっ! ゴッ……!
鈍い音が連続して聞こえる。微かに水が弾ける音も混じってはいたけど、リードとノイズが白い幕の中で標的を捉えた感触。魔法属性を持った二人の『武器』が、逃すことなく暗い穴に攻撃を仕掛けているはず。
「ルシア!」
『エア・ブラストっ!』
リードの鋭い声を合図に、連続して唱えておいた『風』を解き放つ!
水蒸気が爆風で掻き消え、その中で二人が捉えていた水の壁が激しく波打つ。リードの剣とノイズの拳が、ものの見事に二つの暗い穴を貫いていた。
『聖なる力よ、我らに光差す道を!』
『我らが行く道に光を!』
攻撃を仕掛けた二人が動く気配に合わせて、僕とクリストが鍵となる言葉を唱える。同時に、僕たちの魔法と連動した二人の剣と拳が眩い光を放つ!
パアンッ……!
乾いた破裂音。続いて、バケツをひっくり返したものより何十倍もの激しい水音が、狭い地下通路に響き渡る。
……僕たちの視界を遮っていた水蒸気が完全に晴れる頃には、目の前にいた水の壁は消え、僕たちはずぶ濡れだった。
『はあっ、はあっ……』
戦いの余韻の残る空間に、僕たちの息遣いだけがしばらく響いた。
戦闘の緊張感、そして、恐ろしいほどの水蒸気に包まれた時の息苦しさがなかなか消えてくれない。
自分で目眩しを仕掛けたとはいえ、見えない未知の敵に対して気配だけで攻撃するというのは、恐ろしい。一歩間違えたら味方に向かって攻撃しかねないしね……。
「……やったのか?」
「多分。形はなくなったよね……初めからなかったような気もするけど」
「大丈夫よ、ちゃんと手応えはあったわ」
洪水に見舞われたようなビチャビチャの床にしゃがみ込むような格好で、僕たちは辺りを警戒していた。水の流れる音は、今は完全に聞こえない。ただ、天井から落ちてくる雫の音は、しばらく止みそうになかった。
「あれ見て!」
立ち上がってそれを指差す僕の目線の先に、一瞬にしてみんなの意識が向く。
「何よ……」
不満気な声で応えるノイズ。不満というのは多少間違っているかもしれないけど、僕たちの目線の先には赤い二つの光。だけどそれの周りには何もなく、ただ光だけが通路の奥に向かって飛んでいくのが見えた。どうやらさっきの水の壁、それの核になっていたのがその赤い光らしく、それは僕たちの攻撃を逃れたようだ。ノイズは倒せなかったらしいことが不満みたい。
「どうやら、一応作戦成功のようですね」
ホッとした声で、クリスト。
水壁モンスターを倒せなかったのは悔しいけど、今は水の恐怖から解放されたことを喜ぼう。
「二人とも大丈夫?」
「あたしは大丈夫よ。クリストの魔法は直接攻撃にはならないもの」
「何で俺がルシアとコンボなんだよ……?」
「どしたのリード? ………………やっぱり痛かった?」
後ろ頭を掻きながら聞いた僕をジト目で睨むリード。リードにかけた魔法をブレイクさせた時に巻き込まれたらしい左腕をさすっている。
「いや……クリストみたいな魔法は期待してないけどさ、衝撃波が来ることくらい先に言っとけよ……」
僕は攻撃魔法が主体だから、放つ魔法に近いところにいると、大抵の場合巻き込まれる。大半が光の奔流だとしても、それの支点となっている場所には衝撃を伴うもの。
「だって時間なかったんだもん。……ごめんね」
「ま、おかげで倒せたからな。よくやったよ」
言いながら、僕の頭をぽんぽん叩く。
一難は去った。まだまだ油断できないし、何が起こるか分からない地下通路だけど、僕たちは少しだけその場で休んで、探索を再開することにした。
その地下通路も間もなく終わりを迎え、僕たちは新たなステージに進んでいく。
お読みいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。