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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

虹も見れずに。

作者: 赤亀たと

 死のうとしている子を見たのは、その日が初めてだった。雨が降っていて、辺りは水たまりだらけだった。


 私は雨よけもない段ボールで震えていた。段ボールの底がきちんと密閉されていなかったおかげで、雨水が中にたまらなかったことだけが幸いだった。


 私は昨日、捨てられた。他の兄弟姉妹はよそへもらわれた。けれど残り物の私には、行く先なんてなかった。そしてこの路地裏にあっけなく捨てられた。そんな私を、今からまさにこの世に別れを告げようとしていた君が、見つけてくれた。私は路地裏にいて、フェンスを挟んだ向こう側のプラットホームに、君がいた。


 濡れたビニル傘を腕にかけていて、それが制服やスカートに当たっているのにも構わず、君はじっと足元を見ていた。少し濡れた前髪が君の目を隠していたけれど、わずかなすき間から見えたその瞳には、悲しみと絶望が溢れていた。君が立っていたのは他の人と同じ場所だったけれど、行こうとしている先が違う事は、すぐにわかった。


 遠くで踏切の音がして、私はすごく嫌な予感がした。雨が視界を遮っているはずなのに、雑踏や雨音がうるさいはずなのに、私には君がはっきり見えて、何も聞こえなかった。不思議だったのは、それが君も同じだったことだ。電車が雨の向こうからやって来た時、君はその瞳のまま一歩、前に出ようとした。でもその寸前に、その瞳で、私を見つけてくれた。他の誰も見つけてくれなかった私を、君は確かに、見つけてくれた。君の瞳に驚きがちらりと顔を出した途端に、電車が私たちの間に入った。人ごみで君を見つけることはできなかったけれど、電車が出発した時には君も他の人達と行ってしまったとわかって、寂しいような、ほっとしたような気がした。



 結局雨は午後になってもやまなかった。厚い雲が空を隠していたから、今が夕方なのか、もう夜なのかもわからなかった。街頭や車のライトが、地面に落ちる寸前の雨を光らせていた。体中ぐっしょり濡れて、お腹もすいて、悲しくて寂しくて、やるせなかった。だから私に影が被さっても、もう顔を上げる気力もなかった。隣に誰かが座るような気配がした。次に私に届いたのは、純粋で、静かな声だった。

「生きてるかい?」

 その声色が今朝の瞳と同じだったから、私はすぐにそれが君だとわかって顔を上げた。どうして。今朝は傘を持っていたのに。私と同じでずぶ濡れなのは、どうして。君は私の疑問に答えようともせずに、ブレザーを脱いで私の上に被せた。途端に雨粒が体に当たらなくなった。君の温もりが伝わった。

「かわいそうに。捨てられたんだね。本当に人間って、勝手で、最低だ」

 短い黒髪を耳に掛けながら、君はそう言った。雨粒みたいに冷たくて、ガラスみたいに静かに尖った声だった。でも確かに、そのガラスはもう砕けていた。君は一人で話し続けた。


「君、今朝もいたよね」

 当たり前。私の居場所は、この濡れた段ボールしかないのだから。

「おかげで私、今日も学校行かなきゃなんなかったよ。おかげでこのざまだよ」

 そう言って君は自分の足元を指さした。ローファーを履いていたのは、片方だけだった。雨が降っていたって、私にはわかる。君が泣いていることくらい。

「って、そんなこと言ったって、君の方がよほどひどい目に合ってるんだよね。死にたいとか言うとみんなそう言う。あなたより辛くても一生懸命生きている人がいるんだって。生きたくても生きられない人がいるんだって。諦めないで生きてればいい事があるって」

 震える声でそう言いながら、君は私を優しく撫でてくれた。手は冷え切っていたけれど、温かかった。


「でもさ」

 私の耳の後ろをカリカリしながら君は続けた。


「生きたくないんだ、私。そんなこと言われたからって、よし生きよう、なんて思えるほど、私、強くないんだ」

 生きるかどうかはまた別として、気持ちにも耳を傾けて欲しいと思った。そんなことを言うのは、どうしてなのか。きっと言っている本人も気づいていないだろうけれど、そんな台詞を君に言うのは、どうしてなのか。それはもう言葉にはできないものだ。私たち犬は、よくそうして話をする。気持ちと気持ちの会話だ。私の母さんが、教えてくれた。こんなんじゃ、もう二度と、会えないけれど。


「病んでるなんて言われてもさ・・・しょうがないじゃん」

 雨粒と同じにきらりと光る涙が、ふた粒、君の両目からこぼれた。君はさっと私から手を離すと両目を拭ってにこりとした。死んだ人が病気になるなんて、母さんでも知らないと思うな。でも私も不思議に思う。どうして感情に悲しいとか辛いとか、苦しいとかがあるんだろう。母さんに、聞きたかったな。教えてくれただろうか。


 でも、どうしてだろう。寂しくて、悲しくて、あんなにやるせなかったのに、君に出会ってから、なんだか、落ち着くんだ。

「君といると、落ち着く。あ、アニマルセラピーってやつかな」

 そう言って君は静かに笑った。私も尻尾を振った。ごめんね。明日から君が元気になる魔法でも知っていて君が望むなら、今すぐにでもかけてあげたいけれど、そんな力、持ち合わせちゃいないんだ。明日も、明後日も、今日と何も変わらない。コインが裏返るように、何もかもが突然変わってうまくいくなんて、そんなの奇跡だ。


 でも、嫌なことや悲しい事で落ち込んでしまうのは、辛いけれど、悪ではない。喜ぶことや、嬉しいと思う事には、たまに悪があると人は言うけれど。私は、君の何の救いにもなれやしないけれど。


 君は私の頭をもう一度撫でると、立ち上がって言った。


「ちょっと元気出た。ちょっとだけだけど」


 それだけ言うと君は私に背を向けて、雨に打たれながら歩き出した。振り返ってくれたのは、数歩先だった。


 「じゃあ、またね」

 うん。じゃあね。


 このブレザーが、乾いた頃に、また来てよ。この雨、そんな簡単にはやまないだろうけどさ。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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