第8話 『Former Rain Operations』
いつもより重い足取りで階段を上がっていく。
どうやってさくらに声を掛ければいいのだろうか? 最後に話した時のことも覚えていない。まるで他人に初めて声を掛けるような気分だ。もしかしたら他人よりもたちが悪いかもしれない。どうしようか……考えているうちに教室の前まで来てしまった。
中にいるクラスメイトにはまだ気づかれてはいない。今から帰ることはた易い事だ。しかし、こんな時やってくるのは……
「よっ! ギタマニ!」
今日はあからさまテンションが高いのがわかる。
「あ〜山門、おはよう……」
今日の僕はテンションが上がることはない。僕はもともとテンションが上下するキャラではないのだ。
「元気ないぞ! さ、さっさと教室入るぞ!」
山門はまたしても僕の腕をぐいぐい引っ張り教室の中へ連れ去る。必死で抵抗しようとしたが、なんとなく無駄だとわかった。
教室に入ると僕宛に、ではなく山門宛にのみの挨拶の声が聞こえる。これはいつものことだ。
僕はいつも通り自分の席に腰を掛ける。ふとさくらの席に目をやる。さくらもいつも通り自分の席に座っていた。僕はさくらが遅刻することはいままで一回も見たことがない。欠席も少ない。さくらはやはり早めに授業の準備をしていた。やはりメモ帳も一緒に取り出す。なぜだろうか? しかし今日聞くことは他にあるのだ。なぜ指が動かなくなったのか、もう治っているかもしれないこの症状を聞くのはどうなんだろうか。もうどうやったら治るか、より声を掛ける方がよっぽど緊張する。
ふと、さくらが山門と話をしているのが目に入った。いつもだったら目を逸らしている所だが、今日は気づかれないように横目で見ることにした。笑顔を見せるさくらが見えたがこの笑顔は本当の笑顔ではないような気がした……。なにかこう作り笑顔が混ざっている感じがした。
一方の山門は満面の笑みでさくらに話しかけている。もしかしたら……さくらは無理矢理付き合わされたのではないか?
なんとなく、そう思った。
三時限目の終了のチャイムが校内に鳴り響く。
僕は未だにさくらに声を掛ける事が出来ずにいた。このままじゃいつまで経っても声を掛けれない。どうしよう……そう思って頭を抱え込んだときに、誰かから声を掛けられた。さくらではない。
「頭でも痛いのか?」
山門だった。「今日も昼メシ一緒に食べよう」の誘いだと思った。
「これだ……」僕の頭の中にこれ以上ないチャンスが訪れたことを言い聞かせる。
今の今まで考えていたさくらとの会話の条件。
その一、なるべく人目につかない所で話す。これは他の人に噂されないようにするため。特に山門に噂が渡ったらとんでもないことになる。
その二、山門が近くにいたらダメ。山門のことだ「俺の女を取るな」とでも言いそうだ。……そこまで強情でもない気がするが……。
その三、話しづらいだろうが勇気を振り絞って会話を進める。人目のつかない場所でも、山門と距離を置いても、何も話せなかったら意味がない。僕は意味の無いことをすることが大嫌いだ。将来使えそうにない事をしていても意味がない。
しかし、僕にとって音楽は論外だ。音楽は好きだからやっている。例えで言うとストレス解消ってやつだ。
「聞いてるか? 正午?」
山門が再び話しかけてきた。山門の気が変わらない内に作戦を実行することにした。
「あぁ。……ちょっと寝不足かな? 昼休みは保健室でも行ってみるよ」
「そっか……。正午は毎朝早いからな。じゃ今日はさくらとでも食べるかな」
山門がちらっとさくらの方を見る。だが、そうはさせない。そのための作戦だ。
「昼ならかおりと一緒に食べるといいよ。今朝、山門に用がある、みたいなこと話してたから」
僕は心の声で「上手くいけ! 思いよとどけ!」と願った。
「かおりが? なんの用だろ?」
「なんか昨日、高橋とロッカールームに行くのを見たって言ってたけど……」
「まさか、例の取引の事か!? 口封じしとかないとまずいことになる!」
「そうしとけ。かおりは容赦ないから危険だぞ」
よし、上手くいった。僕はほっとして頭を支えていた腕をほどいた。
後はアフターケアが大切だ。
「それを朝言えよ! すぐに飛んで行ったのに!」
「悪い、考え事してたから……」
頭を横にしながら言い訳をする。
「まぁいいや。とりあえずサンキューな!」
こっちがサンキューだ。助かった。
かおりに山門と昼食を取ること、例の取引の話で話を伸ばすことをメールで送信、二分後「OK、まかせといて。」とメールが返ってきた。
しかし、問題はここからだ。作戦をもう一度立て直しつつ確認する。もう四時限目など関係ない。一年に一回あるかないかのチャンス到来だ。
なぜか、さくらに声を掛けることが怖かった自分が、いつの間にか楽しみにしている自分に変わっているのがわかった。苦労は報われるものである。四時限目の授業がなんの授業だったかなんて覚えていない。恩師「かおり」の為にもこの作戦を成功させなければならない。でなければ帰りの楽器屋どうこう言っている場合ではなくなる。必ず成功させる。重要なミッションだ。
四時限目、僕はいかにも頭が痛いように見えるジェスチャーをしていた。が、実は必死に作戦を立てている真っ最中だった。
そして四時限目終了のチャイムが鳴った。山門は一目散に教室を走り抜ける。
さぁ作戦開始だ。
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