第4話 『Former Rain』
かおりとの出会いをもう一度振りかえながら四階のE組の前に立つ。
もうこのクラスになってから約半年になるのに、どうしてもすんなり入ることができない。この教室のドアは全面ふさがれていて中から外を見ることはできない。だから、いつ誰が入ってくるかわからない。中にいるクラスメイトたちは僕が教室の前に立っていることはわからないだろう。
時にこう思う。「今、帰れば欠席にはあるけど家に帰って二度寝できるだろう……」この言葉は半分偽りである。本当はあまり教室に入りたくない。入ったところで誰も声を掛けてはくれないからだ。
ただ、自分の席(前から二列目左から二番目、机は繋がっている為、椅子の位置で確かめる)に座って、将来役に立つかどうかも分からない講義を受ける。学費もタダではない。親が払ってくれているが僕は払わなくてもいいという覚悟で講義を受ける。
学校に残るか、辞めるか、悩んでいる最中だ。そんな何げない気持ちのまま三年に上がった。二年の時は楽しかった。毎日かおりと喋りまくって講義など聞いてはいなかった。考査前は教科書をひたすら読む。読書とは違い山を張る。ちなみに、僕はノートを書かない。理由、教科書の空いてる隙間に書けばいいから。他は教科書を見ればわかる。高得点ではないが、かおりよりはいつも点を取っていた。しかし、今は違う。何もやることがないから、仕方なく先生の話を聞く。相変わらずノートは書かない。
だから、いつもじっと空ばかりを眺めている。青い空、白い雲、薄暗い空、灰色の雲……僕は、この半年間、何を見てきたのだろうか……。
そんな事を考えていると、
「よっ!」
いきなり肩を叩かれた。まぁ、教室の前でじっと立っていたら邪魔だろう。そして、こんなことをする人間はこの学校に一人しかいない。
「おはよう。山門」
僕は相手の顔も見ずに山門だと確信し、挨拶をする。それに山門も答える。
「おぅ。遅刻ギリギリだぜ」
山門は肩で息をしていた。山門は電車通学、時間に遅れることはまずない、はずなのだが。
「珍しいな、山門が遅刻しそうになるなんて」
ぜいぜいと、息を切らしている山門に問う。
「はぁ、はぁ……まぁな、アレを例の場所に張り付けてきたからな」
「あぁ、アレか」
アレとは煙草のこと。山門は学校敷地内では呼び方を「タバコ」から「アレ」に変える。
「アレアレ言うな。バレるだろ!」
「山門もアレって言ってるだろ……」
半径一メートル以内にしか聞こえない声で言った。
「そんなことより。さっさと教室に入ろうぜ! 遅刻しちまうだろ」
「ちょっと、ちょっとまった!」
そんな僕の必死の抵抗もむなしく、結局、僕は山門に腕を引っ張られて、ずるずると教室に入れられた。
クラスの男子や女子から「おはよー」だの「よっ」だの声を掛けられる。しかし、それらは僕に向けてではなく、すべて山門に対してのものだった。
僕は自分の席に座りトートバッグを机の横に掛ける。山門の席は一番後ろ右から四番目、すぐ右隣にはさくらが座っている。
僕はふと山門を見るかのように振り返り、後ろの席を見た。でも、山門を見るふりをして、すぐ隣のさくらを横目で、気づかれないように見る。正直、幼馴染みだとは言え、真っ正面から女子のことを見るのはキツイ。だから、横目で見るしかないのだ。
さくらは机の中から教科書とノート、ペン類、そして最後にメモ帳を取り出していた。なぜメモ帳が必要なのか、僕はさくらを見ながらバックの中から教科書的な物を取り出す。教科書的とは、それをあまり教科書として見ていないから的なをつけている。正直、これが教科書であってもなくても、どちらでもいいのだ。
さくらを横目で見続けていると一瞬目が合った。少し胸の中で心臓がびっくりして、まるで小さなトゲが刺さった気分だった。僕は瞬間的に目を離した。そして、また目をやると、さくらは逃げるように目を逸らした。僕はもう少しばかりさくらのことを見ていようと思った。
やがて、山門が机の上には何も乗っていない状態でさくらに話しかけていた。ここで僕はさくらから目を逸らす。妬いている訳ではないが、なんかこう山門と話しているさくらを見るのは嫌だった。ちなみに、さくらと僕が幼馴染みだということは山門は知らない。教えても、僕らには何の得もしない、生まれないのだ。
そして数分後、先生が教室に入ってきて全体を軽く見た後、出席を取らずに講義を開始した。
僕はとりあえず先生の話を聞く事にした。しかし、直ぐに寝た。教室の中で寝ることを、最初はためらっていたが、今となっては常識のように思える。やることがない人間は、こうなるのだ。
講義は午前四コマ、午後二コマで行われる。ちなみに「コマ」というのは、一時限という意味で、この学校では一コマ、七十分となっている。だからこそ、一時間一時間がとっても長く、辛いのである。
そして、昼食時間になり、僕は学食で昼食を取っていた。正面には山門が座っている。僕は学食内で売っているランチとドリンクを机に並べ、山門はカップラーメンとペットボトルのジュースを乗せている。
「それだけで足りるのか? ショーゴ」
「それはこっちの台詞だよ、山門……」
学食でもカップラーメンを販売している。しかも、単価は安い。だから学生としては買いやすいし、コストも掛からないのだが。しかし高校三年生が食べてお腹がいっぱいになるわけない。特に山門のような食べ盛りでは、ぜんぜん足りないだろう。僕はと言えば、元々少食なのでランチだけで足りる。
「ん、俺か?」
カップラーメンをほとんど食べ終えている山門が言う。それに僕が答える。
「毎回思うけど、それだけで足りるの?」
毎回と言っても、毎日一緒な訳ではない。誘われたらその人と食べる。五割は山門と、三割はかおりと、残りは一人で食べることが多い。
「あぁ、足りないさ。でもまぁ、俺は授業全部終わったらまたここで食べるからな。一日五食だ、俺は」
一日五食も食べている割には太ってはいない。よっぽど消化が良い身体をしているのか、一回に食べる量が少なくて、ちょうど五食で三食分になるのかのどちらかだろう。特に聞いても意味がないので聞かないことにする。そんなことより、僕は山門に聞きたいことがあるのだ。
「ところでさ、山門。なんで、桜さんと付き合ってるの?」
今までいろんな人に聞かされただろう。その中でも、僕が一番聞きたい人間なのかもしれない。今まで、なかなか機会がなかったので、聞いてみることにした。どうせ周りにいるのは二年と一年だけだ。他の三年に聞かれることは、まずない。普通、高校生にもなれば恋愛話などは普通に話せるだろうが、僕はそういう話をあまり得意としていない。苦手なのだ。
「ん、ショーゴらしくない会話だな。なんで、って……ただ普通に付き合ってるだけだ」
「そうか……でも、なんて言うか……どうして付き合ったの?」
「疎いな、ショーゴは」
そういい、にやっと山門は笑い、カップラーメンの中身を完全にカラにしてから山門は続けた。
「俺が告った。それで桜がオーケーしてくれた。それだけだ。……って言うか、他に何があるんだ? ……あっ、俺が告られる可能性もあったな!」
最初はニヤリと睨みを利かせた顔をしていたが、後半は周りに聞こえる位の大きな声で山門は笑った。
「その可能性はない。……それで、桜さんは、すんなりオーケーしてくれたのか?」
ちなみに、僕が山門と話すときは「さくら」ではなく「桜さん」に呼び方を変更している。その方が、怪しまれないからだ。……別にやましい訳ではないのだが。
「少し考えてたよ。でも十秒もしないうちにオーケーしてくれたぜ」
正直、さくらがそんなに軽い女だったのか、と疑いたくなる。初めて山門とさくらが付き合ってる、って噂を聞いた時とは違う感情だった。以前はちょっと悲しかったが、今となっては直接会話することはないから、半分どうでもいいという気持ちだ。
「……女の子って軽いのかな?」
そんな事を考えてると、つい本音が出てしまった。
「俺もびっくりしたよ、可愛ければ可愛いほど答えが返ってくる時間は長い。逆にすげー短い女は逆にこっちが疑いたくなる……うぅ難しい」
なんか、軽く僕と山門の気持ちが、ほんの一瞬一致したような気がした。
その後、少しの沈黙のあと、昼休み終了のチャイムが鳴った。僕は先に食べ終えた山門を待たせないように急いで食べ、教室に戻った。
結局、さくらはどういう気持ちで山門と付き合うことになったのか、わからなかった。そして、僕はこんなことを聞いて、今更、何をしようって言うんだ。……もう、終わってしまったことかもしれないのに…………