第五話 二重遭遇
クアザルマの巨大な〈境界の裂け目〉を抜け、〈常夜の国〉に入ってから、南へ向かう。
この場合の「南」とは、もちろん仮定の話だ。
異次元世界の東西南北が正確にどうなっているかなんて、誰も知らない。
常時、空の同じところにある二つの月に、背を向けて進むことを、ライナーの間では便宜上
「南へ進む」と称しているのだ。
緑一つない乾いた大地を飽きるほど進むと、やがて草原にたどり着き、さらには深い森が見えてくる。
なぜ昼も太陽もないこの場所で、植物が育つのか?
レンは諸説耳にしたことがあるが、これもやはり本当のところは知らない。
「埒の明かねえ話は、学者先生たちに任せてろよガハハ!」
「それより俺らは、如何に稼業を捗らせるかが肝よグハハ!」
「他にオツムの使い道なんかあるわけねえゲハハ!」
――というのが、大方のライナーの本音だろう。
身も蓋もないとは思うが、レンもちょっと賛成だ。
そしてこの森を抜けると、今回の目的地である〈剛鉄山脈〉に行ける。
ただし、それが楽ではない。
この森は魔物が多く徘徊する、いわゆる旅の難所だ。
しかも、ただでさえ頼りない月明かりを、枝葉を張った木々が遮ってしまう。
おかげで、ひどく視界が悪い。
レンは森に入ると、気配を殺して慎重に進む。
今日は狩りに来たのではないし、なるべく魔物に見つかりたくない。
――なんて思っている時ほど、トラブルに見舞われるものだ。
尾行されていることに、レンは気づいた。
(いい加減、僕も勘が鋭くなってきたよなあ)
レヴィアとの契約で、ソロ活動を余儀なくされているレンだ。
仲間がいないから、いつ如何なる時でも気を休められない。
休みたくても見張りを立てられない。
不意を討たれたらほぼ詰み。
備えなしに囲まれようものなら必死。
それらの危機意識が、レンの五感を自然と研ぎ澄ませてくれた。
(ついてきてるのは、一匹だけ……かな。今のうちになんとかした方がいいかも)
どんな魔物かは知らないが(まさかライナーではないと信じたい)もし仲間を呼ばれて、敵が際限なく増えていくのは困りものだ。
もっとも、迎撃戦闘を始めたらそれはそれで、騒ぎになって他の魔物を招きかねない恐れもあるのだが。
危険あふれる生と不死の境界に、絶対確実な安全策など存在しない。
(すぐにやっつけられたら、それが一番いいんだけどね)
まずは尾行しているのが何モノか、確認しよう。
一蹴できる魔物かもしれないし、逆に今のレンでは絶対に歯が立たない大物かも。
前者ならラッキー、後者の場合は全力で尻尾を巻くしかない。
ともあれ、確認優先!
ということで、木の幹に隠れて様子を窺う。
あっちも尾行しているくらいだから、それでレンを見失うということはない。
だが、こちらがアクションを起こしたことで、あっちの出方を窺える。
果たして尾行者は、レンに追いつき、襲いかかることに決めたようだ。
フゴフゴと大きな鼻を鳴らしながら、足を速めてやってくる。
夜闇の中、木漏れ日ならぬ月明かりに照らされ、その姿がレンの目にも露わになる。
オークだ。
魁偉な体格を持った人型の魔物で、頭だけが豚のそれ。
両手には、粗雑だが侮れないサイズの棍棒を携えていた。
(オークか。よかった)
火吹き狼よりは強い魔物だが、それでもライナーの間では小物に分類されている。
レンにとっては因縁深い魔物だ。
七年前、こいつらに村を襲われた時の恐怖体験は、忘れられるものではない。
(僕だって、あの時のままの僕じゃないけど……)
ただし油断はできない。
今、レンを追いかけてくるこのオークもまた、七年前に村を襲ったオークどもとは、全く違う魔物なのだから。
オークやゴブリンは、生界にもたくさん棲息している。
だが本来の奴らは、生と不死の境界発祥の、立派な魔物なのである。
それがたまたまできた〈境界の裂け目〉を通って、たまたま生界に来て、そのまま棲みついて、たまたま現地の生物と繁殖可能で、しかも繁殖力旺盛で種として広がった――そういう連中なのである。
逆に言えば、生と不死の境界に棲息する本来のオークやゴブリンは、まさに純潔ともいえる連中で、血の薄まった生界の帰化種とは強さが全く違う。
ゆえにライナーたちは「原種」と呼んで、区別している。
そのオーク原種が、棍棒を振りかぶり、躍りかかってくる。
こっちが木陰に隠れているのも委細構わず、木の幹ごと薙ぎ払わんと叩きつけてくる。
レンは咄嗟に回避したが、オーク原種は一撃で倒木させていた。
凄まじい膂力だ。樵だったら繁盛しそうだ。
(一発ももらいたくないなあ)
レンは顔を引きつらせる。
同時に鼻呼吸を止め、口から引き絞るように息を吸う。
そうして、生と不死の境界の大気に遍く豊潤な霊気を取り込み、己が氣力の火にくべて、焚きつける。
漲ってきた氣力を、全身に行き渡らせる。
スピードを身上とするレンは、特に両足に重点的に。
そうすることでレンは、常人を凌駕する爆発的な身体能力を獲得し、生と不死の境界の魔物たちとも渡り合えるのだ。
七年間、ジェイクにみっちり教わった呼吸法だ。
といって、別に彼の専売特許ではない。
ライナーなら誰でも知り、実践している基礎闘法だ。
レンは木々が邪魔する森の中を、しかし何もないかのように、縦横無尽に動き回る。
得意の機動力で、オーク原種を攪乱する。
安全マージンを確保するための様子見であり、早期決着のための仕掛けを兼ねる。
これはジェイクに習ったものではなく、ソロだからこそ知恵を絞り、編み出した独自の闘法。生き抜く手段だ。
(うん。こいつ、僕よりずっと遅い)
オーク原種は怒り狂って棍棒を振るい、辺りの木々を薙ぎ倒しまくっているが、右に左に揺さぶりをかける、レンの陰すら追えていない。
オーク原種とは幾度か戦い、倒してきたが、その撃破スコアを伸ばせそうだ。
(決めるよ!)
レンは腰の剣を抜くと、初めて反撃に出た。
それも一撃決着を狙った。
〈ファストブレード〉。
オーク原種が対応できないほどの高速で一気に肉薄し、そのまま喉元を掻っ捌く。
否――掻っ捌いたつもりで、傷は浅かった。
(踏み込みが甘かった!? 僕ビビっちゃった!?)
脳内検討。
瞬時に却下。
(違う! こいつが硬すぎるんだ!)
ただのオーク原種ではあり得ない。
だとしたら、こいつは――
「加勢するぞ、少年!」
――思考の途中で、割って入った声に遮られた。
ぎょっとなって見てみれば、ライナーのパーティーが、今まさに駆けつけてくれているところだった。
女騎士に女剣士、女狩人、それに恐らく魔術師の老婆。
四人組の、珍しい全員女性のパーティーだ。
「〈ヘヴィスラッシュ〉ッ!!」
先頭を走る美貌の女騎士が、剣を振るう。
この奇襲をオークは回避できず、右腕一本、斬り飛ばされる。
「スゴい!」
レンは素直に、女騎士の手並みを称賛した。