第四話 生と不死の境界
「終わったわよ、レン君」
「ありがとうございます!」
火吹き狼の胆石の錬成が無事完了し、レンはレヴィアにお礼を言う。
それはいいのだが――
「あ、あの……」
「なあに、レン君?」
「いつまでこの体勢でいるんですか……?」
「別にいいじゃない。このままおうちデートしましょ?」
レヴィアは後ろからレンにくっついたまま、そしてレンの両手を両手で包み込んだまま、離してくれなかった。
「こ、困りますっっっ」
「うふふ。いつまで経っても初心なまんまなんだから、かーわい」
「~~~~~~~~~~~~~~~っ」
背後から耳たぶを吐息でくすぐられ、レンは真っ赤になってのぼせ上がった。
「けどま、レン君に嫌われたくないから、解放してあげるわ」
「き、嫌ったりしませんよ!」
「じゃあ私のこと好きー?」
「す、好きですよ……っ。尊敬してますっ」
「うーん、私の欲しい言葉とはちょっと違うけれど、ま、ありがとう」
そんなレンの反応に、レヴィアはますます気を良くしながら、冗談めかしつつも離れる。
(レヴィアさんていったい僕のどこが気に入ったんだろう!? それともあれかな? これがオトナの女性の余裕ってやつで、別に僕のことなんてなんとも思ってないけど、からかうのが楽しいだけなのかな? ううう……それはそれで寂しい)
思春期の少年は、ドギマギしながら思い悩む。
オトナってコワイ。
「その石ね、ちゃんと高熱で溶けて、金属と混ざり合うように錬成しておいたから」
「はい! レヴィアさんの腕前は、信頼してますからっ」
レンは両手をそっと開いて、そこに載る〈火吹き狼の胆石〉だったものを観察する。
ますます宝石として価値を上げたような、透明感の強い、美しい石に変貌していた。
専門的には〈火吹き狼の錬成石〉という魔物素材に変わっている。
レンはそれを大事にポケットにしまって、立ち上がる。
「またすぐ出発?」
「せっかくレヴィアさんが錬成してくれたんだし、すぐにでもこれで剣を作りたくって! それに今から出れば、夜までに帰ってこられるかなって思いまして」
「相変わらず忙しいことね」
「僕はまだ駆け出しライナーなんで。ゆっくりしてる時間が惜しいんです!」
「うふ、ステキ。でも、私とおうちデートする時間もちゃんと作ってね?」
「よ、夜にまた来ますっ。土産話はその時まとめてします!」
「楽しみにしてるわね♪」
妖艶な流し目とともにウインクするレヴィアに、レンはまだ心臓をドキドキ言わせながら、彼女の店を後にした。
◇◆◇◆◇
高度に、そして奇怪に発展した都市であるクアザルマには、立派な塔が幾本も建っている。
そのうちの一つ――クアザルマ魔術師ギルドが管理し、本部とする〈時の塔〉は、街の人間たちにとって大変ありがたい存在だった。
塔の頂上部に巨大な、そして正確無比な魔術仕掛けの時計が設置されており、クアザルマ市民やライナーはいつでも、どこからでも現在時刻を確かめられるようになっているのだ。
この都市のギルド創設者が、弟子たちやギルドメンバーに対して、「一分一秒を惜しめ。無駄にするな」という戒めを込めて、いつでも時間を忘れぬようにと作らせたものだと聞いた。
現在は昼の十五時十七分。
レヴィアに言った通り、急げば夜までに新しい剣を持って帰り、お披露目できる時間だ。
「急ごう」
レンは意気揚々と出発し、街の中心部へと向かう。
そこには「不死界への門」、あるいは単に「門」と呼ばれる建造物がある。
見た目はちょっとした砦めいている。石造りで、重厚で。
誰でも中に入ることはできるし、入った後でどんな不利益を被ろうとも自己責任だ。
そして、中には〈境界の裂け目〉と呼ばれる、時空の歪みが存在する。
見た目は、漆黒に渦巻く泉という感じ。
レンたち尋常の生物が住む生界と、魔物たちの住む不死界。
二つは本来交わることのない、異なる次元に存在する世界である。
だがごくまれに、両界をつなげる〈境界の裂け目〉が、自然発生――否、不自然発生する。
裂け目が生まれる可能性は、生界のどこでも、いつでもある。
ただし、普通はごく小さなものだし、一時的なものだ。
すぐにまるで「森羅万象の摂理に合わないから」とばかり、世界が自己修復をしてしまうように、裂け目は消える。
ところが、クアザルマにあるこの裂け目は、世界最大規模を誇るだけでなく、五十年間ずっと消滅することなく残っているのだ。
ここからならいつでも、誰でも、生界と不死界の狭間に横たわり、両者をつなぐ生と不死の境界へと、踏み入ることができるのだ。
クアザルマが“異次元隣接都市”と呼ばれるゆえんである。
クアザルマに来てからの二か月――
レンは毎日ここへ通い、生と不死の境界を探索した。
今では少しだけ慣れてきて、この真っ黒な泉に飛び込むだけなら、緊張はしなくなった。
装備を確認して、エイヤッと跳び込む。
泉といっても見た目がそう見えるだけの話で、別に濡れたりはしないし、そもそも感触というものが一切ない。
一瞬で――そう、恐ろしいほどあっさりと――裂け目の向こうへ到達する。
生と不死の境界へ到着する。
明けない夜と、二つの不気味な月が浮かぶ異次元――〈常夜の国〉がレンを迎える。
まるで真夏から真冬に変わってしまったかのように、大気が冷たく感じられる。
虫とか鳥とか、生き物の気配が感じられない。
草一つ生えない、乾いた大地がどこまでも広がっている。
だが、人がこうやって立ち入り、呼吸も生存もできるのだ。生界と何もかもが全く違うということはないだろう。
それでも、生界とは「空気」が根本的に、異質なものに感じられる。
そもそも「時間の流れ」すら一緒ではない。
不死界が不死の名を冠するゆえんは、時間という概念がそもそも存在しない世界だからだという。
ゆえに不死界の魔物はそこに住んでいる限り、老いることも自然死することもないのだと。
対して今、レンがいる生と不死の境界には――やはり生界に近しいからか――一応の、時間の概念が存在する。
ただ、生界よりも時間の流れがひどくゆっくりなのだ。
クアザルマから奥へと進めば進むほど、不死界に近づけば近づくほど、その特質は顕著になる。
例えば、クアザルマから入ってすぐ、第一層に位置づけされるこの〈常夜の国〉では、時間の流れは生界の十分の一。
つまり同じ一日でも、〈常夜の国〉では生界の実質十日分ほどのゆったりとした時間をすごすことができる。
生界の昼十二時ぴったりに〈常夜の国〉へ向かい、体感で五日ほどをあちらで活動し、戻ってきたとして、生界ではまだ夜中の二十四時という計算だ。
一方、不死界を目指してさらに深い場所――第二層に位置づけされる〈剛鉄山脈〉や〈魔海〉では、時間の流れは百分の一。
さらに第三層に位置づけされる〈無間砂漠〉等では、千分の一。
レンは力量が足らず、まだ第三層に踏み入ったことは一度もないが、仮にそこで体感三年間をすごしたとしても、生界ではたったの一日が経過しただけという計算になる。
食事、排泄、あるいは老化の問題も同様だ。
仮に第二層で、生界の住人の感覚で百年をすごしたところで、必要な食事と排泄は実質的に三百六十五日分だけ、体の老化も一歳分だけとなる。
平均寿命四十歳とも五十歳とも言われる人類が、生と不死の境界の奥へ行けば行くほど不老長寿に――そして、果てはまさしく不死へと近づいてゆけるのである。
あらゆることが途方もなさすぎて、いざ体験してもなかなか実感が追いつかない。
生と不死の境界とは、そういう場所なのである。