第三十六話 狂騒の後
昼食には早い時間。
レンは「毎日笑顔」亭の開店前に、お得意様のよしみで入れてもらっていた。
さらにはオヤジさんのはからいで、ニーナと一緒に早めのお昼を食べる。
今日は羊肉のシチューで、これまた美味い!
「――で、今回もオグライさんが一肌脱いでくれることになったんだ。この後、門弟さんたちと一緒に僕も〈常夜の国〉へ行って、その村の人たちをクアザルマまで護衛してくるよ」
「偉いね、レン。じゃあ、ちゃんと腹ごしらえしないと。食べて、食べて」
「ありがとう! ……でもね、今回は村のみんなを連れ帰ったら、それでめでたしめでたしってわけにはいかないんだ」
「そうなの? どうして?」
「うん……。食事中の話題じゃないかもしれないけど……」
件の村の住人達は、悪逆なトロールの人体実験の犠牲者でもあった。
皆、自分と他人の体の部位を、出来の悪いパズルのようにメチャクチャに入れ替えられていた。
「ひどい……」
ニーナも顔色が蒼白になる。
食事の手も止まってしまう。
「だけどね、僕もびっくりしたんだけど、オグライさんが言うにはなんとかなりそうだって」
「そうなの!? そんな無茶苦茶な状態なのに!?」
「うん。魔術師ギルドの長とか、その直弟子の人たちなら、皆の体を元に戻せるだろうって。で、実際にオグライさんがギルドに行って、頼んできてくれたんだ。そしたら時間はかかるけど、魔術師ギルドで再生治療してくれるって。まあ、そっちはタダじゃないらしいけど……」
「でも、すごいわ! ちゃんと助かるんだもの」
「だよね? すごいよね? うん、実は僕も興奮した! そんなこと可能なんだ、って! 改めて、クアザルマって都市はとんでもないって思ったよ。とんでもない人たちが、いっぱいいるってワクワクしたよ!」
レンはスプーンを握りしめ、武者震いする。
いつかは自分も、そんな「とんでもない人」の一人になりたい――
この街で、英雄になりたい――
そんな気持ちを昂揚とともに新たにする。
そこへ、
「やあ、レン君。やはり、ここにいたようだね」
「なんだい、坊や。食事中にスプーンなんか握りしめて。お行儀悪いねえ」
「あはは……こんにちは、クリスレイアさん。マーサさん」
クリスレイア一行が店に顔を出した。
この後、彼女たちも〈常夜の国〉へ行って、ともに村人の移動を護衛する約束なのだ。
リーダーのクリスレイアを先頭に、ぞろぞろと皆が続く。
女剣士のタナ、老魔術師のマーサ――そして、初めて見る女性が一人。
「紹介しよう。新しくパーティーに入ってくれた、射手のミルナだ」
「え、もう新メンバーの方を見つけたんですか!?」
「ビアンカがいなくなってしまったからね……。でも、腕の立つ後衛はいないと困る」
「だからって昨日の今日で!?」
「ハハハ! 私はやると決めたら即行動の女だぞ」
クリスレイアが腰に両手を当てて勝ち誇った。
新入りのミルナが、どこか頼もしげにそれを見ていた。
実際、クリスレイアたちは、トロールみたいな魔人に遭遇して殺されかけても、ビアンカに手ひどい裏切られ方をしても、全くナイーブになっていない。
そのタフさは、同業者として見習わなくちゃとレンは思った。
クリスレイアたちへの、尊敬の念を強くした。
「何はともあれ腹ごしらえだ!」
「オヤジ、我々にも定食を頼むよ」
「……まだ開店前なんだがねえ」
「まあ、そう言わずとも! 新たな仲間の歓迎会も兼ねて一つ、美味しいものを作ってくれたまえ。お代は弾もう」
「仕方のねえ奴らだ。レン君よお、つき合う相手は選びなよ」
「あ……あはは……」
レンは苦笑させられながらも、クリスレイアたちも交え、楽しい昼食を囲んだ。
午後からの護衛仕事のための、英気を養った。
◇◆◇◆◇
密室。
まだ変声期を迎えていないかのような、少年の高い声が殷々と響く。
「まさかトロールまで屠ってしまうとはね。ライナーになってまだ数か月の駆け出し君が、だよ? いくらバーサーカーといえどあり得ない。まさに非常識を超える非常識だよ、レン君は」
声の主は――竜種、カイト・ブラッダンダーク。
一見、あどけない少年の姿に化けているが、燭台の灯は彼の瞳の奥にある、爬虫類めいた縦長の虹彩を照らし出していた。
「最初からわかりきっていたことだ」
と、返事をする者もまたいた。
奇妙な姿だった。
いや、姿といっていいのだろうか?
テーブル上の燭台に照らされ、壁に映った影。
言葉を発しているのは、口もないそいつだった。
本体の姿は、部屋のどこにもない。
極めて高度な魔術を用いて、気が遠くなるほどの彼方から、カイトと交信しているのだ。
「狂戦士化していながら、生き永らえた唯一例なのだ。非常識を超える非常識なのは、当然のことだろう」
「道理だけどねえ」
カイトは大仰に肩を竦めてみせる。
「〈常夜の国〉の隠し村を一つ、教えてやってまでレン君を試した甲斐は、あったかい?」
「あった」
影は強い口調で、きっぱりと断言する。
「じゃあ、いいけど。我々が生と不死の境界に呑み込ませた村が、一つ偶然に発見され、二つ今回のテストで発見させた。三つ目、四つ目を探そうって好奇心の強いライナーが、今後出てくるかもしれないよ?」
「そうかな? 連中は深層種の異常出現事件で、しばらくは探索を手控えているか、逆に狩りに躍起になっているだろう。〈常夜の国〉に謎の村があった程度の事件、眼中に入るまい」
「まあ、そのために骨を折って引き込んだわけだしねえ」
一つの事件を隠蔽するためには、よりショッキングな事件を用意し、皆の目をそちらに集中させてやればよい。
これも道理だ。
カイトは影へ質問を重ねた。
「レン君は『英雄』になれると思うかい?」
「十中八九なれる。ただし――」
「ただし?」
「英雄は英雄でも、我々の大望成就の切り札となるか、あるいは逆に障害となるか、そこまではわからない」
「大いなる博打だねえ!」
「だからこそ面白い」
影は不敵な口調で断言した。
かと思えば一転、寂しげな口調に変わって、
「それくらい楽しみがなければ――ここは、あまりにも退屈すぎる」
聞いてカイトは目を細めると、同情した。
数千年を生きる竜種が。心底から。
「ま、なんにせよ僕たちのやることは変わらない」
「ああ。クアザルマを真の異次元隣接都市とするため――」
「“傲慢”のをはじめとした僭王どもを討ち果たし――」
「そして、生と不死の境界を完全破壊する」
宣言して、影はすーっと消えていった。
交信終了。
カイトは燭台の灯を、覆いをかぶせて消す。
一切の光がなくなった密室で、独白する。
「その時ようやく、僕は君の真の友人となれる」




