第三十三話 混沌都市を超える混沌(2)
「罠とも知らず、よくぞ私の村へのこのことやってきてくれたな。歓迎するよ」
そう嘲りながら、集落の奥からやってきたその男――
恐ろしく美形だった。浮世離れした美形だった。
しかし、人間ではない。
そいつの身長は、実に三メタ近かった。
(まさか……まさか……)
そいつを目の当たりにし、レンは震える。
幼き日の遠い記憶が、生々しい恐怖とともに蘇る。
タナとともに追いついた、マーサがぎょっとなって叫んだ。
「トロール……!」
「如何にもその通り」
そいつは――不死界の魔人は、誇らしげに肯定した。
そう、本来ならば「第一層」にいるはずのないバケモノだ。
深層種など目じゃない。妖魔同様、不死界本領の住人だ。
「トロール!? こいつがトロールだというのか、マーサ!? 間違いではないのか!?」
クリスレイアも驚き、にわかに現実を受け入れられない。
しかし、レンは「目の前に不死界の魔人がいる」という現実を受け止めていた。
恐怖で呼吸が浅くなりながらも、しっかりと受け止めていた。
これが初めてのことではないからだ。
七年前、自分の故郷をオークの一団が蹂躙した。
その群れを統率していたのが、トロールだった。
あのジェイクが、死闘の果てに辛くも勝利を収めた相手だ。
その時の激闘を目撃したことで、レンが英雄を目指す契機になった因縁の相手だ。
(いつかはまた出くわすって……思っていたけど……)
まさかこんなにも早く巡り合せるとは、夢にも思っていなかった!
「罠――って言ったよね。今」
レンは震える足を叱咤しながら、気持ちを強くしてトロールに問う。
「如何にもその通り。“憤怒”の御方の呪紋を刻まれていながら、なお生き永らえる貴重な検体がいると聞いては、居ても立ってもいられなかったのでな。おびき出すため、一芝居を打たせた」
「なんだって!?」
トロールの言葉の意味を、レンは誤解しなかった。
「おいおい、旦那。バラさないでくれよ。アタシの胸が痛むだろ」
トロールの後ろ、集落の天幕の影から、彼女が姿を見せた。
ビアンカだ。
レンたちは彼女の絶叫を聞き、心配して駆けつけたのに――ビアンカは五体満足、ピンピンしていた。
「レン君を売ったのか、ビアンカ!?」
クリスレイアが怒りで眦を吊り上げながら怒鳴る。
つまりは、こういうことだ。
ビアンカは「知人が〈常夜の国〉で村を見つけた」と嘘をつき、
「調査をしよう」と提案し、
いざ村を前にした時は率先して偵察に出向き、
そして絶叫するお芝居を打った。
全てはレンを、このトロールの前におびき出すための罠だった。
そりゃ張りきるはずである。
「恥を知れ、ビアンカ!」
「おいおいクリスレイアちゃんよー、アタシらは別にダチンコでも家族でもないだろー? ただ利害が一致して、一時的にパーティー組んでただけだろー? もっと美味しい話があったら、鞍替えするのは当然の話だろ? アタシは利潤の追求に誠実なんだ。これは裏切りでもなんでもないよ」
「よくもしゃあしゃあと……それが恥知らずというんだ!」
クリスレイアこそ誠実を絵に描いたような女騎士で、だからこそビアンカの卑劣には怒り狂っていた。
「クソ女」
と、無口なタナまでツバを吐いていた。
だが、ビアンカは痛痒も感じるどころか、
「ぎゃはサイッコーの気分だ! アタシはな、おまえらのそのムナクソ悪い善人面に、いつか吠え面かかしてやるってずっと思ってたんだよ!」
と腹を抱えて笑いだす。
さらにはトロールが尊大な口調で、
「猿どもの茶番には興味がない。用件にとりかからせてもらうぞ」
と宣言するや否や、呪文を唱える。
【汝、闇の抱擁を恐れるなかれ】
夜闇の中、さらに濃い闇が凝縮したかと思うと、触手を伸ばすようにレンへ襲いかかってくる。
「〈ファストブレード〉!」
レンは〈剣光鉄火〉を抜き放つと、迫る闇を一太刀で斬り払う。
「ほう、感心だ! なかなかよい霊剣を持っているな!」
「なんならその身で味わってみろ!」
レンはトロールへと向け、突撃した。
同時にクリスレイア、タナも突撃した。
【地を這い、舐め尽くす紫電よ】
トロールも呪文を唱えて迎撃にかかる。
電撃が波のように横に広がると、レンたち三人へ向けて、大地を滑るように走ってくる。
【雷の天使は群衆を加護しませり】
後方からマーサの魔術による支援が入った。
レンたちの行く手に光の壁が現れ、トロールの放った電撃を食い止めようとした。
力と力がせめぎ合い、激しく火花を散らす。
結果は――やはりトロールの魔力が勝った。
電撃はいくらか威力を減じさせたものの、そのままレンたちの方へと迫る。
「こっち」
いきなり、タナがレンの腕を引っ張った。
そして、二人でクリスレイアの背中に隠れる結果となった。
レンが「あっ」と思った時にはもう、クリスレイアが体を張って盾になってくれている。
「ぬうううううっ」
電撃を浴びたクリスレイアは、崩れるように片膝をついた。
致命傷というまでではないが、傷は軽くなく、すぐには動けなくなった。
「クリスレイアさん!」
レンは彼女の献身性に感動を覚えつつ、そのままトロールへ突っ込む。
今はクリスレイアの大事を確認している場合じゃない。
彼女が盾になってまで作ってくれたこのチャンスを活かすことこそが、何よりの感謝の形になる。
いくらお人好しでも、その理非がわからないほど、レンは愚かではなかった。
「〈ファストブレード〉!」
一気にトロールへと肉薄し、斬りかかる。
「チィッ」
トロールは回避しようとするも、レンの剣は逃さない。
右腕一本、斬り飛ばす。
「猿が! よくも私の体に傷を!」
トロールは激昂しつつも、我を失いはしなかった。
すばやく呪文を唱えた。
【世に在りし日を想わぬ者なし】
先日戦った、妖魔も使っていた魔法だ。
治癒魔法だ。
それでトロールは、喪った右腕を再生させてしまう。
レンはゾッとさせられた。
強力な治癒魔法を使ったあの妖魔は、本当にタフな相手だった。
しかし、あの妖魔の攻撃力は、対処できないほどではなかった。
膂力こそすごいが、攻撃方法が単調で、素早さを身上とするレンには当たらなかった。
しかし、このトロールは違う。
怖ろしい威力を持つ、攻撃魔法を使う。
その上で、治癒魔法によるタフさを発揮されたら――
レンたちはどうすれば――




