第三十二話 混沌都市を超える混沌
「今回はあくまで調査だ。いいね、坊や?」
道中、マーサに言い含められた。
〈常夜の国〉を「北」へ「北」へ。
ビアンカを先頭に道なき葦原を、二つの月を頼りに進む。
「村人をクアザルマへ生還させるにも、人数がわからなくちゃ護衛の規模も決められない。それにまた妖魔が背後にいるなら、オグライが加勢してくれるという話だ」
「わ、わかりました、マーサさん」
「本当かねえ。あんたは何かあったら、突っ走ってしまいそうでねえ」
「マーサの言う通りだ。レン君は優しいし、窮地に陥っている人を見て、放っておけない性分だからな」
クリスレイアにも脇から言われて、レンは首を竦める。
「それは間違いなくレン君の美徳だが、場合が場合だから今回は自重をお願いするよ」
「は、はいっ、クリスレイアさん」
くどいほど言われるが、別にレンが問題児というわけではない。
パーティーというのは、しっかりと意見のすり合わせをするものだ。
でないと、咄嗟の時に判断がバラバラになって、組織が崩壊してしまう。
ましてレンは助っ人で、このパーティーの古株ではないのだから、意見統一を入念に行うのは当然のことだった。
「言わなくてもわかると思った」なんて甘えが通用するのは、命の危険がない場所だけの話である。
途中一度、食事のための休憩を挟む。
マーサが魔法で火を熾し、炙ったベーコンを温めたパンで挟んで食べる。
「魔法って便利ですよね。僕、普段はソロだから、ほくちを使って火を熾すのも一苦労で」
「なんだい。こんなバアサン褒めたって、何も出やしないよ」
マーサも老体に似合わぬ健啖ぶりでベーコンをかじりながら、からからと笑った。
(いつかそのうち、僕も魔法を習得したいなあ)
と、レンは密やかに野心を燃やした。
◇◆◇◆◇
さらに葦原を「北」へ進むと、生界ではあり得ないほど背の高い葦が、ほとんど壁となって行く手を阻む地帯に到着する。
葦をかき分けながら進むことはできるのだが、どうしても移動速度は落ちるし、何より視界が通らなくて、迫る魔物の察知が遅れる。
〈常夜の国〉でも有数の危険地帯として知られる辺りだ。
ソロライナーであるレンは、「当分は近づかないように」とレヴィアにも言い含められていた。
「けどまあ、魔物だってこの葦をかき分けながらじゃないと進めない。その音に耳を澄ませておけば、近づいてきてるのは意外とわかるもんさ」
「僕たちがかき分けて進む音と、聞き分けできるですか?」
「慣れりゃな」
ビアンカが珍しく親切に教えてくれた。
その彼女が先導し――月のおかげで、かろうじて方角だけはわかる――異常な葦原を、皆でかき分け、かき分け進んでいく。
途中、ビアンカが近くで物音がしているのを察知して、もし魔物だったら厄介なのでと、何度も迂回をくり返す。
そして、急に開けた場所にたどり着き、無数の天幕が立つ集落を遠くに見つけた。
「あそこが件の村ですね……」
「ああ、そうらしい。ところで、この人数でノコノコ行くのは無謀じゃないか? まずはアタシが一人で偵察してくる」
「大丈夫か、ビアンカ?」
「任せろよ、リーダー。狩人なんだ、気配を消すのはお手の物だぜ?」
ビアンカが自信たっぷりに請け負い、クリスレイアはわずかに逡巡した後、ならばと頼んだ。
姿勢を低くしたビアンカが、足音も立てずに村の方へと向かう。
レンたちは葦の壁の中に隠れ、彼女の帰りを待つ。
クリスレイアとマーサが、声を潜めて話し合う。
「ビアンカの奴、いつもよりも張り切っているな」
「前回、あの子だけついてこなかったからねえ。信用を取り戻そうと、躍起になっているのかもねえ」
「妖魔と聞いて、腰が引けるのは仕方がない。誰もビアンカを責めてはいないのに……」
「ああ、それもわからないほど、気持ちが追い詰められてるのかねえ……」
クリスレイアが腕組みし、マーサ、タナと一緒になって唸った。
まさにその時だ。
「ぎゃああああああああああああああああああああっ」
苦悶の絶叫が村の方から聞こえた。
聞き間違えようがない。ビアンカのものだった。
「ビアンカさん!」
いったい何があったのか?
居ても立ってもいられず、レンは跳び出す。
「待て、レン君!」
「ごめんなさい、クリスレイアさんっ。僕、やっぱり窮地の人を放っておけない性分みたいです!」
振り返らず、スピードを落とさず、レンは後ろに向かって叫ぶ。
「勘違いしないでくれたまえ!」
クリスレイアが叫び返した。
「どうやら私も同じ性分のようだ」
マーサの護衛はタナに任せ、彼女もまたレンに追随してきた。
レンは足を止めずも思わず振り返り、クリスレイアと目が合うと、互いに苦笑を交わす。
そして二人で、全速力で村へと突入した。
そして二人で、恐ろしいものを目の当たりにした。
奥の方へと行ったのか? ビアンカの姿はにわかに見当たらない。
代わりに、やはり悲鳴を聞きつけたのか、そこら中の天幕から村人が顔を出していた。
その村人たちの姿を見て、レンとクリスレイアは愕然とさせられたのである。
幼い少女の体の首から上が、中年男のそれになっている者。
青年の両腕が、しわくちゃの老婆のそれになっている者。
頭は老人、胴体はふくよかな女性、右腕が筋肉隆々の男性のもので、左腕は幼児のそれ、両脚は左右別人のもので長さが違う――そんなメチャクチャな肉体を持つ者さえいた。
あまりのグロテスクさに、レンは吐き気をもよおす。
だが嘔吐物が口を衝く前に、収まった。
村人たちがこちらに気づくと、口々に言ったのだ。
「あんたら、旅人か?」
「悪いことは言わん、早くお逃げなせえ」
「ここは地獄じゃ。悪夢の世界じゃ」
「わたしたちのようにひどい目に遭う前に!」
と――
レンたちの身を案じ、懸命に忠告してくれたのだ。
「あいつに見つかる前に早く逃げて、お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
首から下が犬になっている憐れな少女までが、涙ながらに訴えてくれたのだ。
レンは素早く、クリスレイアと目配せを交わす。
この村の異様さはよくわかった。
しかし、ビアンカはどうする?
逡巡はわずかのものだった。
しかし、そのわずかが全てを決した。
「逃げるつもりならば、いささか遅きに失したな。これだけの騒ぎだ、私が気づかぬとでも思ったか?」
村の奥から、何者かが傲然と現れる。
その台詞から、少女が訴えた「あいつ」だというのは、理解に難くない。
レンはクリスレイアとともに、その者をにらみつけた。
そいつはなんと――




