第二十九話 北派の剣道場
〈北派〉の本道場は、クアザルマ北部の繁華街と住宅街の中間に、周囲を見据え、圧するように建っている。
敷地面積はまるで公園のように広く、四方は生垣に囲まれている。
内側は、門弟が全力で剣術修行に打ち込むための庭が大半で、平屋の立派なお屋敷が一つと、離れが三つ存在する。
大昔はというか、最初は掘立小屋みたいな道場からスタートして、今や門人が数百人にまで増え、栄えに栄えているという話だった。
レンが通されたのはその離れの一つで、オグライの住居兼、師範代の執務棟となっていた。
門弟らしい、レンよりは倍は年嵩の剣士が二人、こっちが恐縮するほど丁重に案内してくれる。
離れの中にも小さいながら鍛錬場があって、オグライはそこで待っていた。
「呼び立ててすまなかったね、レン君」
「いえいえ、オグライさんみたいな有名人がウチの宿にいらっしゃったら、多分大騒ぎになると思いますし」
オグライも自分の立場を理解しているからこそ、出向くのではなく招待という形をとったのだと、レンも当然わかっていた。
それからレンは、オグライの隣に目をやる。
やや下がったところに、如何にも「美少女剣士」然とした娘が一人、立っていたのだ。
顔立ちはキツめだが、凛とした佇まいには良く似合っている。
歳はレンと同じくらいだろうか?
オグライが紹介してくれた。
「こやつはシエナ。まだ十五歳だが、とても筋がいいので特別に直弟子にしている。できれば仲良くしてやって欲しい」
「シエナと申します。お見知りおきを、レン殿」
シエナは折り目正しく一礼した。
決してつっけんどんではないのだが、「礼節」という壁が一枚あって、踏み込みがたい空気があった。
レンにその気があっても、ちょっと仲良くできそうにない。
「それで今日、レン君に来てもらった本題なのだが――君は〈北派〉の剣士に、幼少より教えを受けていたね?」
「あ、はいっ。正確にそう聞いたわけじゃないんですけど、僕に剣を教えてくれたジェイクは、〈ファストブレード〉の使い手でしたし、多分間違いないかと」
「ふーむ……ジェイク殿か……」
それだけでは手がかりに乏しい、という顔つきにオグライはなった。
以前、マーサに話した時と同じ反応だ。
ジェイクなんてありふれた名前すぎるし、偽名かもしれない。あるいはクアザルマでは偽名で通していたかもしれない。
「ともあれ、そのジェイク殿はとても優れた指導者だと私は感じた」
「えっ、本当ですか!?」
初めてそんなことを言われて、しかもそれが他ならない高名な師範代で、レンは我がことのように喜ぶ。
「レン君自身も、大変に筋の良い剣士に思う。そこでだよ、せっかくこうして知り合った縁だ、君にさらなる〈北派〉の術理を伝授したいと私は考えているんだよ」
「え……あ……う……」
とても――そう、とてもありがたい申し出だった。
これほどの地位にある剣士が、ポッと出の少年に、直に稽古をつけるなど本来はあり得ないはず。
まさに望外の極みといっていい。
にもかかわらず、レンは二つ返事どころか、言いよどんでしまった。
しかしオグライは、レンのその煮え切らない態度を咎めるどころか、ニヤリといたずらっぽく笑い、
「ジェイク殿は君に、〈ファストブレード〉のみを磨けと言った。ゆえに君もその教えを破るつもりはないし、私の教えは余計だ――といったところかな?」
「ご、ごめんなさい! オグライさんがせっかく誘ってくださったのに! でも、ジェイクは僕にとって兄みたいな存在で……憧れの英雄で……」
「良いのだ、良いのだ。気持ちはわかる。私も君に〈ファストブレード〉以外の剣技を手ほどきしようとは思っていないよ」
「そ、そうなんですか?」
でも、しかし、それでは言ってることに矛盾がないか?
「剣技だけが〈北派〉の剣ではない――ということさ」
オグライは頓智みたいなことを言った。
そして、実証してみてくれた。
「どうぞ、レン殿」
と、まずシエナが稽古用の木剣を貸してくれる。
「遠慮なく打ち込んできなさい、レン君」
「い、いいんですかっ?」
「私はこれでも師範代だよ? 本気でかかってきなさい」
「じゃ、じゃあ……」
レンは木剣を構え、〈ファストブレード〉を打ち込もうとする。
だが――
(うっ……隙がない……っ)
オグライは得物も構えず、ただ突っ立っているだけなのに、レンがどこからどう打ちかかろうと、絶対にかわされてしまうだろうことが、推測できてしまった。
「ははは! ちょっと意地悪だったかな。では、これならどうだい?」
オグライが言うなり、隙が生まれた。
今なら右足の脛に打ち込めそうな気がした。
「〈ファストブレード〉!」
レンは相手の胸を借りるつもりで、遠慮会釈なく打ちかかる。
しかし寸前、間一髪のところで、ぬるりと回避されてしまった。
オグライはむしろゆっくりとした動作で、半歩後ろに下がっただけで、レンの鋭剣をかわしてみせたのだ。
「エイッ! ヤァッ! ハッッ!!」
レンはそのまま畳み掛けるように、連続して打ちかかるが、全て回避されてしまう。
オグライはぬらりくらりと歩きながら後退するだけなのに、刀身がかすめもしないのだ。
まるで影や幻を相手にしているような錯覚を覚える。
「わかったかい、レン君? 剣技――攻めだけが〈北派〉の術理じゃないんだよ。歩法――守りもまた重要だ。この歩法を〈流水〉というんだ」
「〈流水〉……!」
「ジェイク殿は〈ファストブレード〉以外の剣技を禁じたようだが、守備の技術まで禁じたわけではないだろう? それを私が君に伝授しようと思うが――どうだね?」
「ありがとうございます!!」
今度こそレンは二つ返事で、感謝を告げることができた。
「なんてお礼を言ったらいいか……」
「いやいや、いいんだ。私の気持ちだからね。あるいは、代わりといってはなんだが、シエナの稽古相手にもなってやって欲しい。同年代の者がいれば、励みになるだろうからね」
「それは、僕はいいんですけど……」
シエナの気持ちはどうなんだろうか?
目を向けると、果たしてシエナはわずかに口を尖らせて言った。
「……レン殿はおいくつでしょうか?」
「じゅ、十四ですけど……」
「師匠から聞きました。レン殿は既に高いレベルにある剣士だと。某より一つ下で、師匠から手放しの称賛を受けるなんて……正直に言って、嫉妬を禁じ得ません」
「そ、そうですか……」
「はい。某とて人間ですから」
そう言ったシエナは、確かに薄っすらと頬を染めていた。
内心を打ち明けて、気恥ずかしいらしい。
「嫉妬していますが、同時に敬意も覚えております。だから、某の稽古相手になってくださったら、うれしいです」
「あっ、ぜひ、お願いします、こちらこそ、それはもう」
意外とストレートに言われて、レンの方まで気恥ずかしくなって、片言になって了解する。
「ははは! レン君とシエナはきっといいコンビになるぞ! いや〈北派〉の未来は明るい!」
よほどうれしいのか、オグライが呵々大笑する。
(いや、門弟になった覚えは……あ、でも、教えてもらうんだから一緒かな……?)
レンはわずかに釈然としないものを感じつつ、シエナが差し出した手と握手を交わした。
剣ダコだらけだったけれど、やっぱり男の自分とは違う、柔らかい手だった。




