第二十八話 「毎日笑顔」亭の新看板娘
本日も珍しい深層種を狩り、クアザルマへ帰還したレンは、気持ちよく昼食に向かった。
定宿にしている「赤いトサカ」亭のすぐ近所に、通いの食堂があるのだ。
通常、宿屋がそのまま酒場や食堂を兼用しているものだが、そのどちらも需要が高いクアザルマでは、完全に分業が進んでいる。
サービスがどっちつかずの兼用店より、得意がはっきりした専門店にお客が流れるのは、大都市の習いである。
「毎日笑顔」亭という看板を掲げた、小さな店に到着。
温厚な老夫婦が営む、家庭的な味付けの老舗だ。
客数もそんなに多くないけど、その分、荒っぽいライナーがたむろったりもしない。
自分にぴったりの店だとレンは思っている。
しかも現在「毎日笑顔」亭には、看板娘ともいうべき新しい顔ぶれが増えていた。
「いらっしゃいませ!」
と元気よく迎えてくれたのは――誰あろう、ニーナであった。
オグライたちの尽力により、件の村人たちは全員、クアザルマに生還できた。
その後、街のお偉いさんたちが話し合って、彼らに当座の仕事と宿を斡旋したのである。
村人の中には、自分たちが重税逃れで村を捨てた罪人であることを、咎められるのではないかと不安に思っている者もいた(特にあの横柄な村長一派!)。
しかし、クアザルマの長老会議の反応は、こんな風だったらしい。
「皆さんの生国にいちいち報告し、突き出すとでも? 我々になんのメリットが?」
「クアザルマは税も安い。ぜひこの街で末永く働いて、真っ当に納めていただきたい」
「我が都市は常に発展し続け、常に人不足なのです」
「クアザルマは皆さんを歓迎しますよ!」
――という具合だったと、ニーナの両親から聞かされた。
さすがクアザルマの人らしい逞しさだと、レンは苦笑いさせられた。
一方、ニーナはレンの口利きで、この「毎日笑顔」亭で働くことになった。
今までずっと老夫婦二人で切り盛りしていたが、寄る年波には勝てず、誰か人を雇いたい――できれば、気立てのいい看板娘が欲しい――とオヤジさんがしばしば話していたのを、レンが気に留めていたからだ。
明るく親しみやすくて、それでいて気丈なところもあるニーナを紹介したら、大喜びしてもらえた。
「お帰り、レン。今日も探検の帰り?」
「うん。お腹空いたー」
「もっと狩らなきゃって粘ったんでしょ? もうお昼過ぎだもんね。今日の首尾も上々だね」
「あは、ニーナは鋭いなあ」
そんな挨拶を交わす間にも、空いた席に着いたレンへ、ニーナが給仕してくれる。
レンは決まって「日替わりランチ」を注文すると知っているので、いちいちオーダーを聞いたりしない。
テーブルの上に、野菜と鶏肉がゴロゴロ入ったシチューとチーズ、鱒の燻製をスライスしたもの、お昼前に焼いたばかりの香ばしいパンが並ぶ。
それも二人分だ。
「お客さんの波も引いたし、一緒に食べていいってオヤジさんが」
「え、いいの? 後でお礼言わなくっちゃ」
まさか気を利かせたのだろうか、老夫婦は奥に引っ込んでいた。
店内はニーナと完全に二人きりだ。
「生と不死の境界で粘って正解だったね、レン。おかげでこんなに可愛い看板娘とランチできるもんね」
「なるほど、いいことづくめだね」
ニーナが冗談めかし、屈託なく笑い合う。
クアザルマに生還して以降、ニーナはさらにずっと明るくなった。
冗談の数も増えた。
やはり〈常夜の国〉で出会った時のニーナは、素の彼女ではなかったのだ。
生贄にされる運命を前に、無理やり明るく振る舞っていただけなのだ。
(ニーナを助けることができて、よかった)
眩しいくらいの笑顔を前にして、レンはその喜びを噛みしめる。
一緒に、柔らかく煮込まれた鶏肉も噛みしめる。
空腹も手伝い、幸せいっぱい頬張るレン。
ふと、気づく。
ニーナはこっちをニコニコ見ているばかりで、自分の皿に全く手をつけていない。
「食べないの?」
「うん」
「お腹空いてないの?」
「ううん」
「じゃあ、なんで?」
「いいから」
理由になってない理由を言って、ニーナはレンの食べっぷりをニコニコ見つめてくる。
「恥ずかしくて食べづらいんだけど……」
「お腹いっぱい空いてるんでしょう? どんどん食べなくちゃ、立派なライナーになれないよ。あたしの分もあげる」
ニーナは言うなり、自分のシチューを一匙すくって、レンの口元へ「はい、あーん」と差し出してくる。
「よけいに恥ずかしいんだけど……」
「いいでしょ、わたししか見てないんだから」
「そういう理屈かなあ」
「そういう理屈なの」
レンは強引に押しきられて、「あーん」と口を開けてニーナが差し出した匙を頬張る。
やっぱりメチャクチャ照れ臭い!
でも、美味しい!
「ありがと……」
「ううん」
ニーナは笑顔のまま、ゆっくりとかぶりを振った。
「お礼を言うのは、わたしの方だよ」
なんのお礼かと訊ねるほど、さすがのレンも鈍くはなかった。
◇◆◇◆◇
「この後も探検に行くの、レン?」
「ううん。今日はオグライさんに招待されてて、〈北派〉の本道場に行ってくる」
昼食後、カウンター厨房で洗い物をしているニーナに訊かれ、レンは答える。
招待された理由はまだ聞いていない。
正確には訊ねたのだが、「いいことを教えてあげよう。楽しみにしていたまえ」と、いたずらっぽく言われた。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
洗い物を続けるニーナに見送られ、レンは出かける。
なんだか夫婦みたい――なんて思ってしまったのは、ちょっと調子に乗りすぎかもしれない。




