第二十七話 泣き虫のバーサーカー
レンが目を覚ますと、すぐ目の前におっぱいがあった。
ズウウウウウンとした、それはもう大きくて形のいい乳房だ。
隣に寝そべっていたレヴィアの双丘だ。
いい加減、見慣れてもよさそうなものなのに、レンは思わず生唾を呑み込んでしまう。
こういう不意打ちで目に入ると、未だに狼狽してしまう。
(――ってアレ!? 僕、妖魔と戦ってたんじゃ!?)
跳ね起きて、キョロキョロと周囲を見回す。
開店休業状態の、レヴィアの錬成屋。その奥にある寝室。
時刻は――朝か?
レヴィアと二人きり、ベッド代わりの巨大クッションに並んで寝ていたらしい。
もっとも彼女は眠っておらず、またもレンの寝顔を眺めて堪能していたようだが。
「おはよ、レン君。すっかり元気みたいで安心したわ?」
「ありがとうございま――って、そんなことより妖魔はどうなったんですかッ!?」
「どうなったもこうなったも、レン君がやっつけちゃったんでしょ?」
いや、確かに無我夢中で妖魔と戦い、とどめとなるような一撃を叩き込んだ記憶まではあるのだが……。
それで本当に妖魔の息の根を止めることができたのか、確認する前に意識を失ってしまったので、顛末がわからないのだ。
「クリスレイアちゃんといったわね。君をここに運んできてくれた子が、一部始終を教えてくれたわ」
「僕にも教えてください!」
「前にレン君の土産話で聞いてたけど、本当に凛々しい娘ね~。あんな子と仲良くしてるなんて、レン君も隅に置けないわね~。妬ける~」
「か、からかわないでくださいってばっ」
それより自分にも顛末を聞かせて欲しいと、レヴィアにせがむ。
「妖魔は滅びた。そして、レン君が見つけた村の人々も、クアザルマへの帰還計画が進んでるわ」
「本当ですか!?」
それもまたレン一人ではどうにもならない、頭の痛い問題だったのに。
「オグライ主導で、北派の剣士たちが護衛と誘導をやってくれるそうよ」
「オグライさんが!? そ、それなら安心ですっ。本当によかった……っ」
「もう一人、事件を聞きつけたクアザルマの重鎮も、子飼いの優秀な戦士を派遣してくれるってことになったから、村の人たちは万が一にも魔物に襲われることはないでしょうね」
「クアザルマはいい人ばかりですね!」
「……そんなお人好しなこと言うの、レン君だけだと思うけど」
「そうですか? レヴィアさんだっていい人だし、僕はこの街に来てからいいことづくめですよっ」
「もうっ。不意打ちで褒めるのやめてくれる?」
レヴィアは本気で照れ臭かったのか、口を尖らせながらも頬を薄く染めた。
「ともあれ、村の人は助かる。何よりニーナちゃんも救われた」
「ああっ……ホッとしました」
レンは感極まりながら、胸を撫で下ろした。
「レン君の活躍のおかげね?」
「ぼ、僕は大したことしてないですっ」
今度はレンが照れる番で、頬を紅潮させながら頭をかく。
すると――
「嘘つき」
レヴィアは隣で寝そべったまま、いたずらっぽく言った。
でも、目がまるで笑ってなかった。
「マーサから聞いたわ、今回の妖魔は相当ヤバいやつだったって。たとえオグライが不意打ちを喰らっていなかったとしても、勝てるかどうかわからないレベルだったって。それをレン君はほとんどソロで斃しちゃったんだよ? 大したことあるわ」
「そんな――」
――ことない、と続けようとしてレンはできなかった。
レヴィアの言う通りなのだろう。
でも、なぜ自分にそんな大それたことができたのか、それがわからない。
自分はただニーナを救いたい一心で戦いを始め、そして妖魔を許しておけないという怒りのままに、ひたすら剣を振るい続けていただけなのだ。
「右手を見せてくれる、レン君?」
レヴィアも上体を起こし、同じ目線の高さになると、優しい声音でそう言った。
レンはおずおずと従う。
レヴィアは彼の右手をとると袖をめくり、古傷を露わにした。
七ツ首の竜にも見える、消えない痣だ。
「これはね、ただの傷痕じゃあないの。正式には〈憤怒の呪紋〉というの」
「え……。ど、どういうことですか?」
「長くなるけど、聞きたい?」
「もちろんですっ」
他ならぬ自分の体のことなのだから、レンは即答した。
「ライナーのたしなみとして、不死界のことは最初にちょっと教えてあげたでしょう?」
「は、はいっ」
例えば不死界には、「悪魔」と呼ばれる神にも近しい存在がいる。
そして、悪魔たちに君臨するのが、七柱の魔王たち。
神をも凌駕しよう超越的存在たち。
「“憤怒”の魔王はその一柱で、そいつを象徴する紋章がこの――七ツ首の竜」
かつて、レンの生まれ故郷である村が、オークの群れに襲われた。
レンがジェイクと出会い、英雄を目指す原因となった、はじまりの物語だ。
レヴィアにも詳しく語り聞かせている。
「そのオークの群れを、トロールが統率していたって言ってたでしょう?」
「はい。今にして思うと、本当に恐ろしい奴でした。それこそ今回戦った妖魔なんて、比にもならないレベルの……」
「そのトロールこそが、“憤怒”の魔王に仕える家来だったのよ。これは推測というより確信ね」
なぜならば――
“憤怒”の魔王は家来を使って、見どころのありそうな人間に〈憤怒の呪紋〉を刻ませる。
例えば件のトロールがジェイクを狙い、誤ってレンの右腕に刻み付けたように。
〈憤怒の呪紋〉が持つ効果は一つ。
その人間の怒りに反応し、暴走を始めるのだ。
すると、どうなるのか?
呪紋を刻まれた人間は正気を失い、見境なく暴れ始める。
同時に、呪紋は怒りを氣力に変換して際限なく高めていき、結果、その者は超人的な身体能力を得ることになる。
「それが狂戦士。レン君が妖魔を屠るほどの力を一時的に得られた、原因よ」
バーサーカーは強い。尋常ではなく強い。
しかし、その代償は恐ろしい。
怒りと氣力を止め処なく暴走させた結果、最後は肉体が堪えきれなくなり、内側から弾けるように「死」という末路を迎える。
そして、行き場を失った怒りと氣力は、呪紋を通して“憤怒”の魔王のところへ転送され、彼の魔力源となるという仕組みだ。
「で、でも、待ってくださいっ。僕は確かに無我夢中でしたけど、見境なく暴れたってほどじゃないと思いますし、この通り死んでもいません。僕はバーサーカー化してないのでは?」
「それが君の特別なところよ、レン君。そもそも〈憤怒の呪紋〉を刻まれた人間が、七年も生き延びてるってこと自体が普通じゃないの」
「えええっ!?」
「いくらお人好しといってもレン君だって人間なんだから、腹の立つことは日常的にあるはず。そのたびに呪紋は、レン君の感情と氣力を暴走させようとしていたはず。だけどレン君は、そのたびに呪紋を制御して、暴走を抑え込んでいたのよ」
「全く自覚ないんですけど……」
レンが当惑すると、レヴィアは竜の痣を人差し指で撫でさすりながら、質問した。
「人の“心”はどこにあると思う、レン君?」
「うーん……。頭とか……ですか?」
「ハズレ」
レヴィアの人差し指がレンの肌を這い、右腕の痣から肩へと向かってツツツと移動、そこを経由して胴体にたどり着き、やがて左胸のところで止まった。
「人の“心”は心臓にあるのよ。頭の中にあるのは知性だけ」
「そうなんですか!?」
「ええ。レン君みたいに頭の中にあると考えた、とある悪魔が昔、実験したの。首から上をねじ切って、その状態で生きられるように魔術をかけて。するとどうなったか? 首だけになったその彼は、知性や思考力こそ変わらなかったけど、すっかり感情の欠落した人間になったの」
「うええぇ……」
あまりグロテスクな実験に、レンは想像してげんなりする。
レヴィアはもう一度、レンの右腕から心臓の上まで人差し指を這わせながら、
「呪紋はレン君を暴走させようとして、こうやって呪詛を送り込んでくる。でもレン君の心臓がそれを堰き止めて、暴走一歩手前のところで防ぐ。あるいは完全に抑制してしまう」
「ど、どうして……」
「レン君の“心”が、魔王の呪詛に負けないくらい強いから」
レヴィアはどこかうっとりとした顔で言った。
「いやでも僕、すごい泣き虫ですよ!?」
「それもいいのよ。怒りを抑制する一助になっているの」
「ええええ……」
「ただの泣き虫じゃダメよ? でも、レン君が号泣する時っていつも、自分を憐れんでじゃなくて、他の誰かのために流す涙でしょう? 怒る時もそう。君が本当に怒る時って、他の誰かのためにだけ。だから“憤怒”の呪詛も、君には敵わない。それがレン君の“心の強さ”の形。在り方なのよ」
「ううん……」
「にわかに信じられない? ま、そこで調子に乗らないのもレン君の魅力かもね」
レヴィアはおかしげに微笑むと、そっと両手を伸ばしてきた。
そのままレンの頭を抱えて、ぎゅっと抱き寄せる。
「わわわっ」
レンは赤面させられた。
抱き寄せられた頭が、ちょうどレヴィアの胸に当たっている。
深い深い谷間に、顔が埋まっている。
柔らかくて弾力に満ちた双丘の感触に挟まれ、包まれている。
「いい機会だし懺悔させてね、レン君」
その体勢で、レヴィアは真面目腐って言い出した。
「最初、私がレン君に興味を抱いたのは、レン君の右腕に〈憤怒の呪紋〉があって、しかもレン君がそれを制御してみせたからよ」
「え、僕、そんなことしましたっけ?」
「したのよ」
レヴィアは苦笑して続ける。
「どうやってあの“憤怒”の魔王の呪詛に対抗できているのか、興味津々だった。だけどね、レン君、私の興味はすぐに、君の人柄そのものに移っていったの。なんて素直で、可愛くて、それでいて一途で芯の強いところもあって――つまりは魅力的な子なんだろう! って思うようになったわ」
「そ、そんなストレートに言われたら、照れます……っ」
これでは懺悔ではなくて、告白ではなかろうか。
「それでね、レン君、私は気づいたのよ。そんな君の稀有な心の在り方こそが、魔王の呪詛に対抗している要因なんだって。もう堪らなかったわ! 大興奮よ!」
その時のことを思いかえしているのか、レヴィアがぎゅうぎゅう抱き締めてくる。
レンはおっぱいが気持ち良すぎてクラクラしてくる。
「許してくれる?」
「許すも何も、レヴィアさんが手取り足取り教えてくれなかったら、僕、ライナーとしてここまで成長できてないですよ!」
「うふ。ありがとう」
最後にもう一回、ぎゅ~~~~~っと抱き締めてから、レヴィアは解放してくれた。
レンもようやく一息つけた。
心臓はまだバクバク言っていたけど。
それからレヴィアはごろんと寝転がって、流し目とともに隣をぽふぽふ叩いて、
「それじゃあレン君のお土産話を聞かせてもらおうかしら? 一応、クリスレイアちゃんたちから顛末は聞いたけど、やっぱりレン君の口から聞きたいしね?」
「そ、それはまた今度でいいですか!」
「……いいけど。どうして?」
「どうしてもです!」
きょとんとするレヴィアに、レンは言い訳になってない言い訳を返すと、脱兎の如く逃げ出した。
股間を押さえて隠しながら。
レンもまた男の子なのだった。
◇◆◇◆◇
レンが去った後、レヴィアは寝室を出て、店先へと向かった。
そこに客人が来ていたのを、気配で悟ったのだ。
「泣き虫のバーサーカー、か。なんとも稀有で――何より面白いじゃないか、レヴィア」
「あなたも物好きね、カイト・ブラッダンダーク」
相手は人の姿をした竜種だった。
この都市を統べる“大老”のひとりで、オグライとともにニーナたち村人の護衛派遣を買って出てくれた、その人だった。
気づけば三十話も目前で、いつもご愛読ありがとうございます。
もし「もっと続きを読みたい」と思っていただけましたら、
下からブックマーク登録や評価項目に点をつけてくださると大変にうれしいです。
皆様のお力をぜひお貸しくださいませ。
未ブックマーク、未評価の皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。




