第二十四話 北派の剣
レンの戦いぶりを目の当たりにし、オグライは心から感心した。
(恋人でもない少女を救うため、妖魔に立ち向かう義侠心。いざこの化物と対峙して、逃げ出さない勇気。将来の楽しみな、素晴らしい少年だ)
好感を覚えずにいられない。
誰だってそうだろう。オグライとてそうだ。
しかし、オグライはただの男ではない。
混沌都市に住まう剣士たちを二分する大派閥――〈北派〉の師範代なのだ。
しかも剣の腕前より、経営能力や政治力を評価されるような男だ。
その「目」は冷徹極まりない。
レンがただの「気持ちのいい少年」ならば、こうも注目はしていない。
妖魔との戦いで、レンは〈ファストブレード〉ばかりを連発していた。
北派において最も「初歩」「基礎」とされる剣技だ。
他の剣技は一切、用いていない。
オグライは知らなかったが、それでかつてビアンカにバカにされたこともある。
そんなレンの独特の戦いぶりを見て、オグライは内心でこう評した。
(こいつは随分と筋のいい剣士だぞ)
――と。
オグライは免許皆伝を受けた身だ。
当然、〈北派〉の剣の術理の、なんたるかを心得ている。
〈ファストブレード〉は、“北の剣聖”が「基礎」と定めた剣技なのである。
あの天才という表現なんぞではまだ称し足らない剣の申し子が、そうと定めたのだから、これが単なる「初心者用の、手始めの剣技」に留まるものなわけがない。
そう、〈ファストブレード〉には、北派の“剣”の全てが内包されていると言って過言ではない。
すなわち「初歩」にして「奥義」なのである。
そも〈ファストブレード〉とは、「剣の威力にスピードを加算する」というシンプルな技だ。
一方、ではその「スピード」とは何か?
例えば、身のこなしの素早さ、機敏さだ。
例えば、体を動かす筋肉の量だ。
例えば、動作から無駄を省く技量だ。
そういった様々な「身体能力」が有機的に結び付き、最終的な「スピード」となる。
そして、ライナーは呼吸法によって氣力を高め、それら一つ一つの要素を爆発的に鍛えていくことができる。
無限に「スピード」を高めていくことができる。
ゆえに〈ファストブレード〉の威力もまた、術理上は無限に上がっていく。
しかも、〈ファストブレード〉そのものに習熟し、磨き抜いていくことで、やがては「剣の威力にスピードを乗算する」奥深い剣技へと発展していくのだ。
レンという少年は、〈ファストブレード〉しか使わない。
オグライの見立てでは、その気になれば〈ダブルブレード〉だろうと〈ファルコンブレード〉だろうと習得できるだろうに。
つまりは、彼の師匠が〈ファストブレード〉しか伝授していないのだ。
それ一本を磨き、究め、剣の深奥へと脇目も振らずに突き進めと、そう教え導いているのだ。
ゆえにオグライは「筋のいい剣士」と評したのだ。
しかも……おお……見よ!
レンが振るう鋼の剣の、なんと鍛え抜かれていることか。
よほどの名匠が打った業物に違いない。
しかも刀身から時おり発せられる、熱気! 炎! 見事にレンの氣力と調和している。
これまたよほどの練成師が、核となる素材を用立てしたに違いない。
繰り返すが〈ファストブレード〉とは、「剣の威力にスピードを加算(乗算)する」という技だ。
つまりは業物・名剣を用いることで、これまた威力は無限に上がっていく。
レンの師はただ「剣技」に頼るだけではなく、「道具」の価値も正しく教えているようだ。
やはり筋がいい!
「私もおちおちしていられんな!」
オグライは昂揚した。
最近はもうずっと後進の育成や道場の経営、あるいは都市の運営ばかりに携わっていた彼が――レンに触発され――久方ぶりに剣士としての血が騒いだ。
うっかりすれば埃をかぶってしまいそうになる「相棒」を両手に構えた。
木刀だ。
ただし、そんじょそこらの木を削って作ったものではない。
生と不死の境界の「第八層」にあったという、樹齢万を超えよう霊木から作った神妙の剣だ。
「〈ファストブレード〉ッ」
その相棒を以って打ちかかる。
空中より襲い来る妖魔の、刃物の如き爪を振り上げたその右肢を、逆に、強かに叩き据える。
わずか一刀――
太く硬い妖魔の前肢が、爆発するように弾け飛んだ。
〈北派〉の師範代の実力、剣技の玄妙のなんたるかを見せつけた。
「す、すごいです、オグライさん!」
「ううむ、さすがだ……!」
「ハンッ、道場経営で腕は鈍っちゃいないようだねえ」
レン、クリスレイア、マーサからたちまち称賛の声が上がる。
無論、オグライからすれば、この程度は褒められるに値しない。
むしろレンに――将来有望な剣士に――範を示すつもりで〈ファストブレード〉を連発する。
【世に在りし日を想わぬ者なし!】
と、妖魔は呪文を唱えて強力な魔術を用い、失った右肢を再生させる。
が、オグライはお構いなし。
今度は左肢を叩き伏せ、弾け飛ばす。
さらに右肩。脇腹。
〈北派〉の剣の神髄――あるいは王道を以って、滅多打ちにし続ける。
そのたびに妖魔は激痛で叫び、魔術による再生にかかりきりになる。
「所詮は見苦しい足掻きよ!」
オグライは裂帛の気勢とともに咆えた。
そして熟練、玄妙の〈ファストブレード〉を以って、妖魔の顔面を打ち、絶大なる威力を以って巨大な猿の頭を吹き飛ばした。
(決着だ)
とオグライは一息つく。
油断である。
そう、彼は確かに偉大なる剣士ではあったが――
哀しいかな、生と不死の境界に熟知したライナーではなかった。
この地獄めいた異界で、常識を逸した魔物どもと、凌ぎを削り合うような経験が、圧倒的に不足していた。
【世に在りし日を想わぬ者なし】
妖魔が呪文を唱えた。
頭部が吹き飛び、口を失い、いったいどの器官を使っているのか、この場の誰もわからなかったが、しかし唱えてみせた。
そして、その失った首から先を再生させた。
元の巨猿の頭ではなく、五人のいたいけな少女の頭という形で……!
(まさか、贄に捧げられたという少女たちか!?)
オグライは瞠目する。
咄嗟に、剣を持つ手が止まる。
反射的に、全身が強張る。
その隙を見逃してくれる妖魔ではなかった。
巨大な爪を振り上げ、硬直したオグライの胴体を斜め、叩きつけるように斬り裂く。
「ぐあああああああっ」
五条の巨大な裂傷を刻まれ、オグライは後方へと吹き飛ばされた。
そのまま、動かなくなった――




