第二十三話 妖魔との戦い
「あれみたいですね……」
レンは小声で仲間たちを振り返る。
クリスレイア、タナ、マーサ、オグライの四人が、無言の首肯で応答する。
〈常夜の国〉の、重苦しい闇に覆われた森の奥深く。
ニーナの住む村のさらに「西」。
地面に、斜めに穿たれた大穴があった。
ニーナの母親に聞いた話では、そこに件の妖魔が起居しているという。
「皆、こいつを差しときな」
マーサが小声で、小瓶を渡してくる。
〈暗視の目薬〉だ。
高価なマジックアイテムだが、月明かりすら届かない穴の中へ、なんの準備もなしに入るわけにも、目立つ松明を持って乗り込むわけにもいかない。
皆で回して使う。
レンもありがたく使わせてもらうと、眼球にジンと沁みた。
効果はすぐに表れ、〈常夜の国〉の森の中が、まるで〈常昼の国〉になってしまったかのように視界が明るくなった。
「では、突入するぞ」
パーティーの中でも図抜けた実力者であるオグライが、率先して穴へ入っていく。
中は広かった。
だが、奥行きはほとんどなかった。
だから、すぐに、件の妖魔の姿が見つかった。
頭は大猿、胴は獅子、手足が虎で、尻尾の代わりに二本の蛇が生えている――何度見てもゾッとするような、怪異なシルエット。
穴の一番奥で、体を丸めるように眠っている。
いや、眠っていたと思ったのだが、
「なんの用だ、人間どもよ……」
妖魔はうずくまって目を閉じたまま、そう問いかけてきた。
「さまよい込んだか? 供物を捧げに来たか? まさか――ワシを討ちに来たなどと、たわけたことを申すまいな?」
「そのまさかだよ、バケモノ!」
「たわけの方か。イカレか」
啖呵を切ったクリスレイアを、妖魔は傲慢な口調で嘲った。
「ワシは無益な殺生を好まん……が、そこまでほざくなら喰ろうてやろうぞ」
妖魔は刮目すると、ゆらりと起き上がる。
間近で見ると、やはり大きかった。
その胴体は見た目こそ獅子に酷似しているが、サイズは雄牛よりも何回りか大きい。
「後悔してももう遅いぞ!」
その巨躯で、地面を駆けて突進してきた。
思わず腰が引けそうになるほどの、凄まじい迫力と重圧感。
何より、そのサイズからは到底信じられないほどに速い。
レンたちは急いで散開し、妖魔の体当たりを回避した。
「威勢はよかったが、逃げるしか能がなしか、人間ども?」
妖魔が不気味な笑い声を上げながら、弧を描いて方向転換する。
遠心力を無視するように、まるで突進速度が落ちない。
どころか、その巨躯がだんだんと浮いていく。
地面を蹴っていた四肢が、代わりに宙を蹴って走る。
そう、この妖魔は翼もないのに空を翔けるのだ!
空中から突撃をしかけてくる怪物に対処するため、マーサが呪文を唱えた。
【紅蓮の饗宴! 万華の烈火!】
【笑止!】
マーサが巻き起こした渦巻く猛火を、しかし妖魔は喝破するだけで消し飛ばしてしまう。
悪魔や妖魔は生まれつき持っている魔力がケタ違いで、人が使う初級~中級の魔術など、微塵も効かないという噂はレンも耳にしていたが、こういうことかと理解させられる。
「ゲヴァラヴァラヴァラ!」
薄気味悪い笑い声で、けたたましく哄笑しながら、妖魔が宙を翔けて迫る。
高速でクリスレイアに突撃する。
「〈フォートレス〉!」
力を重視する南派の剣士は、盾による防御技も得意としている。
クリスレイアは妖魔の体当たりを、丸盾で防いで凌ごうとした。
だが、体当たりの衝撃力は凄まじく、クリスレイアは踏ん張ることもできずに吹き飛ばされ、洞穴の壁に叩きつけられる。
「クリスレイアさん!」
「私に構うな、レン君!」
痛みに耐えながら叫んだクリスレイアに、レンは発破をかけられる。
「〈ファストブレード〉!」
身上のスピードを活かして妖魔に肉薄し、横合いから斬りつける。
血飛沫が派手に舞った。
しかし、妖魔の体躯はあまりに大きく、相対的にレンの刻みつけた傷は小さい。
「ゲヴァラヴァラヴァラ! 非力な人間よ、その程度のものか!」
妖魔も平然どころか、笑い飛ばす余裕がある。
あまつさえその傷も、妖魔が【忌々しき傷よ その場より退け】と呪文を唱えるや、たちまちのうちに癒えてしまう。
「くっ……」
無論、レンとて一撃決着などと夢見ていなかったが、突きつけられた現実の重さに、鈍りを呑んだような気分にさせられる。
(でも……負けるもんか……!)
レンは己を鼓舞し、果敢に、勇敢に斬りかかる。
そのたびに、妖魔に治癒魔術でダメージを無効化されても、めげない。
「〈ファストブレード〉!」
皆で勝って、生きてこの場から帰るため。
何よりニーナを救うため。
少年は飽くなき闘志を燃やし続ける……!
「ほう……」
そんなレンのひたむきな姿が、オグライの目に留まっていた。
熟練ライナーであるクリスレイヤやタナではなく、駆け出しの少年の姿が、北派の師範代の「目」に、だ。
北派の門弟たちを、優れた剣士たちを、何百人と見て、育ててきたオグライをして、感嘆の吐息を漏らさせる――それほどのものがレンの勇姿には秘められていたのだ。




