第二十一話 伝わりづらい優しさ
クアザルマに帰還したレンは、まっしぐらに「乙女と乙女だった者たちの楽園」亭を目指した。
レン自身が訪れるのはこれが初だが、引退した女性ライナーが店主で、女性客しか宿泊させないというので有名な宿だ。
ライナー時代の店主が、女性ならではの要らぬ苦労をさせられたから、せめて後進にはそんな想いをさせぬようにという経営理念があるのだとか。
(クリスレイアさんたち、いるかな……)
ここを定宿にしていると聞いて、レンは訪れたのである。
〈時の塔〉を見やれば、現在十二時半過ぎ。お昼時だ。
しかし、ライナーの生活リズムというのは得てしてメチャクチャだし、あるいは昼食をどこかよそでとっていてもおかしくない。
クリスレイアたちがいるかどうかは賭けだった。
(でも、他に頼れそうなツテなんかないし、もしいなかったら、早く帰ってきてくださいって祈るしかない……)
駆け出しライナーの悲しさである。
そんなレンを、果たして神も憐れんだのであろうか――
「乙女と乙女だった者たちの楽園」亭からゾロゾロと出てくるクリスレイア一行と、レンはバッタリ鉢合わせた。
そう、彼女のパーティーメンバーである剣士のタナに狩人のビアンカ、魔術師の老婆マーサの姿も一緒にあった。
「クリスレイアさん! 皆さん!」
「やあ、レン君じゃないか。どうしたんだい、そんなに息せき切って?」
「実は折り入ってお願いが――」
レンがそう切り出した時、クリスレイアたちは四者四様の表情を見せた。
タナはいつもの無表情、ビアンカははっきり不快顔、マーサは慎重な顔つきになった。
そして、クリスレイアは満面に笑みを浮かべ、
「よし、聞こうか! ちょうど私たちは昼食に向かうところだったんだ。レン君も一緒にどうだい?」
「はい! ありがとうございます!」
◇◆◇◆◇
クリスレイアに案内されたのは、近所にある定食屋だった。
ここも引退したライナーが経営していて、同業者だとサービスがよくなるらしい。
クリスレイアたちはさすがの健啖ぶりを発揮していたが、レンは食事が喉を通る気分ではなく、羊肉と野菜のシチューを軽くいただいた。
同時に、ニーナと妖魔にまつわる事件のあらましを説明する。
「オイオイオイオイ! つまり、何か? ウチらに妖魔を狩る手伝いをしろってことか? しかも時間がないから、このメンツだけで? そのカワイコちゃんを助けて、レン坊がかっこつけたいがめに? ウチらに命を懸けろってか?」
たちまちビアンカが、辟易したように吐き捨てた。
初めて会った時もそうだ。この女狩人は、とにかく否定から入り、他人をまるで信用せず、また嘲弄する。
しかし、レンは「ぐっ」と息を呑むだけで、反論しなかった。
今回ばかりはビアンカの言う通り、自分が無茶な要求をしているとわかっているからだ。
実際、クリスレイアも思案顔で、
「妖魔か……噂には聞くが、遭遇したことも戦ったことも一度もないな。マーサはどうだろう?」
「アタシゃ、あんたたちと組む前に何度か」
「さすがだな。では実際のところ、どうだろう? 私たち五人で勝てる相手だろうか?」
「おい、クリス! 勝手にウチを勘定にいれんな!」
「……四人で勝てる相手だろうか?」
「さあてねえ。妖魔といってもピンキリいるからねえ。キリの方なら死力を尽くして、加えて幸運の女神様が微笑んでくださりゃあ、斃せないこともないだろうが」
「なるほど、簡単な話ではないな」
クリスレイアが難しい顔になって腕組みした。
その顔に書いてあった。
「私一人のことなら、ぜひとも協力してあげたい」
「しかし、極めて危険な事態に、みすみす仲間たちを巻き込むことはできない」
――と。
誠実で善良な彼女だからこそ、迷いに迷っている様子だった。
たちまちビアンカが心底楽しげにし、
「話になんねえ! 理解できたらとっとと帰んな、レン坊。可哀想だから、ここのメシはウチが奢ってやるよ。すぐにも別の誰かに助けを求めに行かなきゃいけないもんな~? せいぜいがんばれよ~?」
真っ赤な舌をべろりと出して、煽ってきた。
しかし今のレンは、そんな低次元のやりとりに一喜一憂できる心の余裕がない。
どう説得して、協力してもらうか、頭の中はそのことでいっぱいだった。
ところが――
「条件次第じゃ、アタシゃ協力してもいいよ」
「マーサさん!」
魔術師の老婆がそう言ってくれて、レンは思わず喜色を浮かべる。
しかし、マーサがいつになく真剣な表情をしていることにすぐに気づき、自分も襟を正す。
「そ、その条件というのは……?」
「一つ目。妖魔を斃して得られる魔物素材は、そりゃ稀少なもんだよ。だけど取り分は、アタシらが九十九で、あんたは一だ」
「九十九対一!? マーサ、それはあまりにアコギだろう!」
「クリスは黙っておいで。二つ目の条件だ。さっきも言ったが妖魔はピンキリ、いざ戦ってみたら、こいつは絶対に勝てないって相手かもしれない。その時はアタシらは一目散に逃げさせてもらう。だけど、あんたは殿だ。アタシらが無事に逃げおおせるまで、独りで体を張っておくれ」
「待て待て、マーサ! それはレン君に死ねと言っているのか!?」
「ああ、そうさ」
老婆は真剣な顔つきのまま、しごくあっさりと認めた。
本当に厳しい表情だった。
駆け引きでふっかけているわけでは決してなくて、この条件から微塵も譲るつもりはないという、そんな強い意志が見てとれた。
「無茶苦茶だよ、マーサ……。断るなら、ただきっぱりと断れるだけでいい。そんな条件を提示するなんて、まるで意地悪をしているみたいだ」
善良なクリスレイアが、パーティーメンバーに苦言を呈す。
でも――
「庇ってくださって、ありがとうございます、クリスレイアさん。でも、マーサさんは決して意地悪をしてるわけじゃないです」
レンはゆっくりとかぶりを振って、そう答えた。
思わず、口元が緩んでいた。
マーサの優しさに、胸打たれていた。
そう、初めて知った。
クリスレイアのようにわかりやすくはないが、マーサもまた優しい女性だと。
だって、繰り返しになるが今回、無茶なお願いをしているのはレンの方なのだ。
ビアンカのように、取りつく島もなく断られても当然の話なのだ。
にもかかわらず、マーサは条件次第で請け負ってくれると言った。死地につき合ってくれると言った。
これが優しさでなくて、なんであろうか!
振り返れば初めて会った時も、マーサは優しかった気がする。
やはり、クリスレイアみたいにわかりやすくはなかっただけで。
マーサはレンのことを一度もバカにしなかったし、レンの言葉を無暗に疑ったりしなかった。
「ありがとうございます、マーサさん!」
「……クリスとマーサが協力するなら、私もする」
「タナさんまで! ありがとうございます!」
レンはうれしさで跳び上がりそうだった。
マーサ、タナと順に感謝の握手を交わした。
「ハン、やってられるか! 命あっての物種、ウチはごめんだね。あんたらで勝手にやって、死んでくれ!」
「ああ、この件は無理強いしないさ。ビアンカは宿で待ってくれていい」
「言われなくてもそうさせてもらうよ、クリス!」
ビアンカだけが一人、捨て台詞を吐くとさっさと行ってしまった。
勘定もせずに……。
「仕方がない。私が立て替えておこう」
「いいじゃないか、クリス。奢っておやりよ、景気祝いだ。妖魔を斃したら、こんなケチな食事、どうでもよくなるくらい大儲けできるんだからねえ」
「ははは、なるほど! マーサの言う通りだ」
マーサが真剣な表情から一転、茶目っけたっぷりに片目をつむり、クリスが彼女の軽口に呵々大笑する。
「じゃあ、とっとと食事をすませて、戦いの準備をしよう。一時間だけくれるかい、坊や?」
「はい! わかりました、マーサさん!」
頼もしい仲間を得られて、レンは喜び勇んで返事した。
自分はソロ専門のライナーだからこそ知っている。痛感している。
一人より二人、二人より三人、三人より四人――仲間と一緒に戦うことの、相乗効果を。
それは決して単純な個人戦力の、足し算ではないことを。
ゆえに、たとえ相手がソロでは決して太刀打ちできない化物でも、
(クリスさんたちが加勢してくれるなら、勝てる! 絶対に!)
一気に希望が見えて、全身が奮えた。
無論、武者震いだ。




