第十九話 常夜の村
「本当に生と不死の境界に村が……」
ニーナに案内された先、深い森の最中に開墾して作られた、小さな村。
自分の目で見るまで半信半疑だったが、実際に見てもまだ幻覚を疑ってしまう。
それくらい、生と不死の境界に人の住める場所が存在することが、非常識に思えた。
「な、何人くらい住んでるの?」
「う~ん……数えたことないけど、二百人くらいじゃないかなあ?」
「そ、そんなに……」
レンの故郷である田舎村と比べてもかなり小規模だが、しかし超危険地帯であるはずの〈常夜の国〉にそれだけの人々が暮らしているとなると、やはり非常識な数に思える。
「まさか全員、ライナーだったり……?」
「その、らいなー? っていうのはよく知らないんだけど、普通の人しか住んでないよ?」
「その普通の基準がおかしかったりは……?」
この村では樵のおじいちゃんがデストレントを狩って、漁師の家の少女がデビルフィッシュを狩るのが「普通のこと」だとかなんとか。
「とにかく来れば、レンもわかるよ!」
業を煮やしたニーナに手を引かれ、レンはおっかなびっくり村へと足を踏み入れた。
女の子と手をつないだことを、照れ臭く感じる精神的余裕などなかった。
通りとも呼べない、家と家の間にある空間を二人で歩きながら、レンはあちこちに視線を配る。
人灯りはたくさんあった。
人の住む気配もいっぱいあった。
だが、家の外を出歩いている者を見かけない。
農作業をしている者はおろか、田畑さえ見当たらない。
「ここ、ずっとお日様が出ないでしょう? だから、何を植えたらいいか、誰もわからないの」
ニーナの説明を聞いて、レンは気づく。
「もしかして、この村って新しい?」
「うん。一年くらい前かな……お日様が登らないから正確にはわからないけど、皆で元いた村を捨てて、変な真っ黒な穴を通って、ここに逃げてきたの」
(真っ黒な穴……〈境界の裂け目〉だ!)
だんだんと得心がいってきた。
〈境界の裂け目〉というものは、ごくごく稀な確率ながら生界のどこであろうと、ある日いきなり開く可能性を持っている。
そこから生と不死の境界の魔物たちが溢れ出し、大事件になることもあるという。
逆に言えば、何も知らない生界の住人が〈裂け目〉を通って、生と不死の境界に迷い込むことだってあるだろう。
今回は村一つ単位でそれが起きたケースなのだ。
(ただ、ライナーでもない普通の人が生と不死の境界に迷い込んだら、とうてい生きていけるとは思えないんだけど……)
そこが一番の不思議だった。
魔物が溢れていたはずのこの森から、魔物の気配が完全に消え去ったことと、何か因果関係があるのだろうか……?
疑問に思っている間にも、ニーナの家の前に到着した。
「お父さん! お母さん! お客さんだよ!」
◇◆◇◆◇
「ようこそいらっしゃい、レンさん」
「何もないところですが、ゆっくりしていってくださいね」
ニーナの両親は、温かく迎え入れてくれた。
もちろん、最初は生と不死の境界で来客があったことを、びっくりしていた。
しかし、レンが恐縮しつつも丁寧に挨拶をすると、すぐに気を許してくれた。
さすがニーナの両親だけあって、すこぶる人の好い感じがした。
食卓もある台所へ上げてくれて、噂のドングリ(?)パンも振る舞ってくれた。
サクサクした食感に甘味があって、意外と美味しかった。
ニーナもご両親も話しやすくて、なんとも温かい団欒となった。
レンはライナーとはどんな職業かだとか、これまでの冒険話を披露した。
ニーナとご両親は、村での暮らしぶりを教えてくれた。
しかし、楽しい時間はそう長く続かなかった。
玄関扉を乱暴に叩く音が聞こえたからだ。
しかも家人の返事を待たず、ズカズカと不躾に踏み入ってくる。
「村長!?」
「いきなりなんですか、この騒ぎは!」
「『客』が来たというのは本当か!」
ニーナの両親が批難したが、なんのその。五十前くらいの歳の逞しい男――村長が、如何にも腕っ節の強そうな取り巻きを数名連れて、逆に詰問してくる。
剣呑なその視線が台所をじろりと一周し、レンに留まる。
「おまえか! 怪しい奴め!」
「あ、怪しくなんかありません! 僕、レンっていいますっ。よろしくお願いしますっ」
「怪しい奴に限ってそう言うんだ!」
ニーナともさっきしたやりとりを、村長相手に繰り返させられる。
しかもニーナと違い、村長は目を吊り上げたまま決して態度を軟化させない。
「どこから、誰の差し金で来た、小僧!?」
「クアザルマです! それに僕はソロのライナーで、誰かの差し金とか、そんなんじゃありません!」
「クアザルマ? ライナー? 聞いたこともない!」
頭から否定されて、レンは必死に説明する。
異次元隣接都市クアザルマのこと。
自分たちライナーのこと。
そして、村民の誰も知らないようだが、この村は生と不死の狭間の第一層である〈常夜の国〉にあることを、懇切丁寧に説明した。
村長たちは目を吊り上げたまま、強硬な態度を崩さなかった。
しかし、レンの話にはしっかりと耳を貸した。遮ったりしなかった。
彼らもまた、自分たちの置かれた特異な状況を、誰か説明できるものならして欲しかったに違いない。
「……つまり、ワシらもそのクアザルマに行けば、このおかしな場所から脱することができるのか?」
「じゃあもう一度、お天道様を拝むことができるのか!?」
「そ、そうです。ただ――」
「ただ、なんだ、小僧?」
「村の人みんなでクアザルマを目指すのは……率直に言って、自殺行為です……。この辺りにはなぜかいないみたいですが、〈常夜の国〉はたくさんの魔物がうろつく危険地帯なんで……」
「むう……」
村長は腕組みして唸る。
しばし考えた後、
「ゆっくりして――いや、泊まっていけ、小僧。その間に、貴様の言っていることが本当かどうかも含めて、ワシらは相談してくる。いいな?」
「え、ア、ハイ……。僕は構いませんけど……」
「そういうことだ。この小僧をもてなしてやってくれ」
「私らは最初からそのつもりですよ、村長」
「うちのニーナが連れてきてくれた、せっかくのお客さんなんですからね」
村長に高圧的に依頼され、ニーナの両親がチクりと言い返した。
その態度に、村長は不快げに鼻を鳴らして、取り巻きを連れて去っていった。
張りつめていた空気がほどけて、ニーナの両親たちに笑顔が戻る。
「まあ、そういうわけだよ」
「ゆっくりしていってくださいね、レンさん」
「ありがとうございます!」
中断されていた食事が再開し、レンは二人に頭を下げた。
◇◆◇◆◇
団欒の後、ニーナの母親は寝床も用意してくれた。
といっても、ニーナの寝室で一緒に寝そべるだけだ。
それもベッドはなくて、土間に敷いた茣蓙にそのままゴロリ。
正直、寝心地はよくなく、体が痛くなりそう。
どうしてベッドがないのか?
この村には畑がないから、ベッドに敷く藁も潤沢に確保できないのだと、想像がつく。
柔らかい綿を敷くのなんて、金持ちか貴族の家じゃないとあり得ないし。
この異郷で、村の人たちはなんとか生活を営んでいるようだが、きっと他にも様々な不便があることだろう。
生界に帰還できるものなら、当然したいだろう。
――などと、レンはつらつらと考えさせられる。
茣蓙の端も端っこで。
横臥して、ニーナに背中を向けた格好で。
「寒くない、レン? せっかくだから、引っ付いた方が温かくない?」
「エッ!? いや、それはさすがにマズくない、ニーナ!?」
まだ年若いとはいえ、自分は男でニーナは女だ。
ご両親からすれば子ども同士にしか見えないのかもしれないけど、本来は同衾なんて「ダメ絶対」ではないのだろうか?
「ふーん。レンはわたしに『マズいこと』するつもりなんだ?」
「からかわないでよっっっ」
くすくすと笑うニーナに、背中を向けたまま叫ぶ。
(女の子って強い! 僕、この状況じゃそんな冗談言う余裕ない!)
なんてドギマギさせられる。
「ねえ……。わたしも聞いてもいい?」
「ぼ、僕に答えられることなら、なんでもっ」
「村の人が全員、くあざるま……? に行くためには、何が必要かな?」
「うーん……」
即答できず、レンは考え込む。
一番シンプルなのは、ライナーを護衛として雇うことだ。
しかし、いったいどれだけの戦力を集めればよいのか、これがすぐには答えが出ない。
ニーナは村民の数を「二百人くらい」と言っていた。
それだけの大人数で〈常夜の国〉を移動するのは、魔物に襲ってくださいと宣伝してるようなものだ。
連中からはご馳走が並んで歩いているように見えるだろう。
喜々として襲ってくるだろう。
次々と出現する魔物たちを撃退し、且つ村人の一人も犠牲者を出さない。
となると、ライナーだって人数が欲しい。
三十人? 四十人?
それだけ雇うのにどれだけの金額がかかるか、請け負ってくれる人を集めるのにどれだけの時間がかかるか、ちょっと想像がつかない。
もちろん、バケモノみたいに強い手練れがいれば少人数ですむだろうが、その分一人頭の依頼料も高いし、交渉難易度も上がってしまうので、結局は同じこと。
「……簡単な話じゃないってことだね」
なかなか返答できないレンを見て、聡いニーナは察したようだ。
「う、うん。ごめん……。僕ももっと考えてみるから、時間をちょうだい」
「あはは。レンが謝ることじゃないよ」
レンに背中で、ニーナが笑った。
「レンは優しい人だね」
その背中に、ニーナがぴったりくっついてきた。
(~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ)
びっくりして、レンは硬直する。
触れた場所からニーナの体温が伝わってくる。
あと、体の柔らかさにドキドキさせられる。
ニーナは女の子特有のいい匂いがした。その匂いに包まれるような気がした。
「あはっ。レン、温ったかい」
(そりゃ今メチャクチャ体温上がってますから~~~!?)
緊張と興奮で心臓バクバクいってますから~~~!?
「おやすみ、レン」
(こんな状況で寝ちゃうの!? 寝れちゃうの!? ホントに!?)
もうびっくりだし、男女の綾を意識しまくっているのが自分だけだと思うと気恥ずかしい。
「お、おやすみ。ニーナ」
と、うわずった声で返すのが精一杯である。
「ねえ、レン。いつか、いいアイデアが思いついたら、村のみんなを助けてくれる?」
「そ、それはもちろん」
「ありがとう。今日はいい夢、見られそう」
「よ、よかった……?」
半分、確認の口調で言うと、しかしニーナの返事はなかった。
すやすや寝息を立てていたからだ。
(ど、どうしよ……話し相手がいなくなっちゃった……。僕、寝られそうにないんだけど……)
女の子が背中にぴったりくっついているという緊張のシチュエーションもさながら、レンの「体感」では起き抜け一番に〈常夜の国〉へやってきて、まだ体を睡眠を求めるほどの時間が経過していないのである。
弱りきっていると――ふと、寝室の外に人の気配を感じた。
「レンさん……起きていらっしゃいますか?」
ニーナの母親だった。




