第十八話 こんなところで
(けっこう奥の方まで来ちゃったな……)
キマイラの笑い声を追跡することどれほどか、レンは迷路上の谷間を抜けた先にある、森林地帯へとやってきた。
ちなみに、来たのはこれが最初ではない。
迷路状の岩山地帯の地図作りをしていたころ、虱潰しに探索した過程で、たどり着いた。
魔物が群生している地帯でもあり、初見の時はすぐに撤退した。
情報を集めてから再アタックをかけようと考えたのだ。
しかし、クアザルマに帰ってレヴィアに訊ねると、
「危険度が高い割に、とりたてて探検する価値のない場所と聞いたことがあるわ。どうせ森を探索するなら、『南』の方の〈剛鉄山脈〉手前がいいらしいわよ?」
と教えてくれて、以来二度と足を踏み入れたことはなかった。
(しかも声、聞こえなくなっちゃったし)
森の中ではどうしても移動速度が確保できず、空を翔けるキマイラには置いていかれた。
それに、遠くの声も反響して聞こえる岩山地帯と違い、草木というのは音を吸収してしまう。
(飛んでいっただいたいの方角はわかるから、絶対追跡できないわけじゃないけど……)
追うべきか、追わざるべきか、またも逡巡させられる。
そして、またも迷う時間は長くなかった。
(ここまで来て引き返したなんて土産話をしたら、レヴィアさんにきっと笑われるよね)
森の中を進み、謎のキマイラを追うことにする。
危険地帯とはいえ、レンが初めてきたころに比べて、自分もライナーとして格段に成長できているはずだった。
気配を殺す技能も、危険をいち早く察知する感覚も、段違いだ。
いくら魔物が群生しているといっても、見つからなければ問題はない!
(――って、思ったんだけど……いくらなんでもこれは……)
森の中を慎重に移動すること、またどれほどか――
レンは異変に気づいた。
森の奥へと進めど進めど、群生しているはずの魔物の気配が、きれいさっぱりなくなっているのだ。
(あの謎のキマイラが、全部食べ尽くしちゃったとか……? ……いやいや。……まさかね。……ハハハハ)
自分で自分の考えを否定しながら、薄ら寒い感覚を拭えない。
やっぱり帰ろうかな? なんて弱気もだんだんもたげてくる。
森の奥へと進む足取りも鈍くなる。
しかし結局、撤退する決断にも踏み切れず、ずるずると森の奥へ進むレン。
そんな彼の耳が、かすかの聞こえてくる少女の歌声を捉えた。
(歌!? こんなところで!?)
どこかのおめでたいライナーが、魔物を呼び寄せるかもしれないのも気にせず、歌っているのだろうか?
あるいは逆に、魔物が人間を呼び寄せるために、歌っているのかもしれない。
この〈常夜の国〉にはいないが、第二層の〈魔海〉に棲むローレライ等、そういう習性を持つ魔物は存在する。
そして現在、〈常夜の国〉は深層種だらけになっているので、本来いないはずの魔物がいてもおかしくない。
(一応、確認しとこうか)
レンは一層、足音を忍ばせて、歌声のする方へ近づいていく。
そして、見つけた。
歌声の主を。
熟れて地面に落ちた、ドングリのような木の実をひろい集めている、同年代の少女を。
しかも、相当の美少女だ。
豊かな金髪を、二本の太いおさげにして、胸元に垂らしているのが、彼女の可憐さを強調している。
何よりレンの目を惹いたのは、少女が歌を口ずさみながらも、その横顔がひどく憂いを帯びていたこと。
儚げで、哀しげで、見ているこっちが胸を締め付けられそうになる。
「あ、あの!」
おかげで我に返った時には、声をかけてしまっていた。
相手が少女に化けた魔物か否かなんて、考えもしなかった。
「ふぇっ!?」
相手も生と不死の境界で呼びかけられると思っていなかったのだろうか、ドングリ(?)を集めた籠を取り落とすくらい、びっくりして狼狽した。
レンも慌てて説明する。
「ご、ごめん、怪しい者じゃないんだ!」
「でもでも、怪しい人ほどそう言うから気をつけなさいってお母さんがっ」
「本当なんだ! 信じて! あ、名前はレンっていって、君は――」
「魔物相手に名乗ったら、恐ろしい呪いをかけられるってお父さんがっ」
「ち、違うってばっ。てかこんな魔物いる!?」
「本当に恐ろしい魔物こそ、可愛い子に化けるっておじいちゃんがっ」
「可愛いって言わないで気にしてるんだからっ!」
レンは最後、説得という目的も忘れて、涙目になって訴えた。
だが、それが功を奏したらしい。
ずっと怯えて警戒していた少女が、ぷっと噴き出す。
くすくす、くすくす、笑い声が止まらなくなる。
横顔に浮かんでいた憂いの色が、嘘のように消えてなくなる。
少女の可憐さがますます輝いて際立ち、レンは改めてハッとさせられる。
「ご、ごめんね、レン君。そうだよね。わたしだって、可愛いより綺麗って言われたい」
彼女はそう言って一頻り笑った後、名前を教えてくれた。
「わたしはニーナ。よろしくね、レン君」
「よ、よろしく、ニーナさん」
「あはっ、『さん』付けはちょっと抵抗あるなあ。わたしたち多分、同い年くらいだよね?」
「僕、十四なんだけど……」
「やっぱり! わたしもそれくらい」
「でもじゃあ、ニーナ『ちゃん』? ……なんか、馴れ馴れしい感じがして抵抗が……」
「うー、そっか。じゃあ、どうしよっか……」
「……いっそ『レン』と『ニーナ』とか……」
レンは気恥ずかしさでもじもじしながら提案してみる。
ニーナに「それこそ馴れ馴れしくない?」とかバッサリ言われたらどうしようかと、おっかなびっくり。
「レンく――レンがいいなら、わたしはそれでいいよ」
「じゃ、じゃあそういうことでっ」
再びパーッと表情を輝かせたニーナに、ちょっと見惚れながらレンは喜んだ。
さて、それはよいとして――
「と、ところでニーナは、生と不死の境界で何を……?」
「このドングリみたいなのを集めているの。磨り潰した粉でパンを焼いたら、美味しいの。お母さんが喜んでくれるの」
「…………」
ごく明るいトーンで言われて、レンは絶句させられた。
いやそういう問題じゃなくて、と内心でツッコみながら、
「ここ生と不死の境界だよ!? 女の子の来るところじゃないよ!? 危ないよ!?」
屈強なライナーでさえ毎月、幾人も命を落とす危険地帯だというのに。
ニーナが全く自覚ないみたいなので、レンはヤキモキさせられる。
「ぼーだー……らいん……?」
「おおお……」
なんとニーナは、ここがどこだかさえ理解していないらしい。
いったいぜんたいどうなっているのか?
ごく普通の少女に見えるけれど……彼女は果たして何者なのか?
「あっちの方に村があって、わたしたちは住んでるの」
「生と不死の境界に村が……」
それは果たして秘密の妖精郷か。
はたまた魔物の巣窟か……。
「レンも一緒に来る? お父さんもお母さんも大歓迎だと思う」
「う、うん。じゃあ、お邪魔します」
恐いもの見たさというやつで、レンは即答した。
声はちょっと震えていた。
「あ、でも、その前にドングリ集め直さなくちゃ!」
「ゴメン! 手伝うね!」
自分が驚かせたせいで、ニーナはせっかく集めた籠を落としたのだ。
レンはシュバババババッと彼女の三倍の速度で、ドングリをひろい集めた。




