第十七話 謎の深層種
朝――レンが目を覚ますと、すぐ目の前におっぱいがあった。
ズウウウウウンとした、それはもう大きくて形のいい乳房だ。
隣に寝そべっていたレヴィアの双丘だ。
いい加減、見慣れてもよさそうなものなのに、レンは思わず生唾を呑み込んでしまう。
こういう不意打ちで目に入ると、未だに狼狽してしまう。
(そ、そういえば、夜遅くまで土産話をしてたんだった)
なのに、レヴィアがいつも使っている超巨大クッションをベッド代わりに、うっかり寝落ちしてしまったらしい。
恥ずかしい。
「お、おはようございます、レヴィアさん」
「おはよう、レン君」
あちらは先にばっちり起きてたみたいで、明瞭な挨拶が返ってくる。
ますます赤面させられる。
「レン君は寝顔も可愛いけど、そんな風にしてるところも可愛いわね。うふ」
「見てたんですか!?」
「そりゃ見てたわよ。寝落ちしたレン君が悪いのよ?」
「ううう反論できない……」
レンはもう両手で顔を押さえて悶えた。
そんな自分の様子を見て、レヴィアはくすくすと楽しげにしながら、
「朝酒にする? それともこのまましばらくイチャイチャする?」
「あ、朝ご飯って選択肢はないんですかっ」
「ゴメン。私、朝は食べない主義なのよ」
「か、体に悪いですよっ」
「そう? 極めて健康体のつもりなんだけど……なんなら確かめてみる?」
レヴィアはいたずらっぽくそう言うや、レンの手をつかんで誘導した。
美と情愛の神が造り給うたような、彼女の完璧なおっぱいへ。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいっっっっっ!?」
「どう? 張りのある、健康体でしょ?」
レヴィアはいたずらっ子のように笑ったが、レンとしては感想どころじゃない。
鼻血を吹いて斃れそうになった。
――五分後。
「落ち着いた、レン君? 鼻血止まった?」
「ひゃ、ひゃい。なんとか」
レヴィアが出してくれた詰め物を鼻に入れたまま、レンは返事をする。
「まあ、朝酒もイチャイチャも気分じゃないなら、ちょっとおしゃべりしましょうか?」
「そ、それなら大歓迎です」
「昨日、レン君が話してくれたでしょう? オークの深層種を群れで見たって。あれね、遭遇したのはレン君たちだけじゃないみたい。〈常夜の国〉のあちこちで、相次いでるそうよ」
「え、そうなんですか!?」
予想だにしない大事に、レンは目を丸くした。
ちなみに素直な彼は、このわずか一晩のうちの、いつどこでレヴィアがその情報を仕入れたのかなんて、気にも留めない。
「い、いったい何が起きてるんでしょうか?」
「さあ、まだわからないわね。でも、理屈としては二つに一つよ。〈常夜の国〉で何かが起きていて深層種が呼び寄せられているか、もっと深い層で何かが起きていて魔物が逃げてきているか」
「なるほどっ。確かに」
答えを聞けば単純な話だが、レンは咄嗟にこういう思考には至らない。
レヴィアのことを「さすがだなあ」と尊敬の眼差しで見る。
「レン君、今日も探検に行くんでしょ?」
「は、はいっ」
「そういうわけで、〈常夜の国〉には深層種がいっぱいいるみたいだから――」
「気をつけて行ってきますね!」
レヴィアは心配してくれているのだろう。
なんて優しい人なんだろう。
――と、思ったのはレンの早とちりだった。
「違うわよ、レン君。逆、逆」
「え……?」
「これは深層種を狩るチャンスだわ? ドンドン捜し歩いて、ジャンジャン狩ってきてね?」
「え? え? え?」
ヤバい。この人メチャクチャだ。
レンは二の句が継げなくなる。
レヴィアのことを「さすがだなあ」と畏敬の眼差しで見る。
◇◆◇◆◇
「メチャクチャだと思ったんだけどなあ……」
レンは顔を引きつらせながら嘆息した。
〈常夜の国〉は「西」側にある、谷間が迷路のように入り組んだ岩山地帯。
足元には氷雪監獄の小鬼の死体が転がっている。
本来は第四層の魔物である。
レンも名前とざっくりした外見や特徴を聞いたことがあるだけで、これが初遭遇。
当然、楽な敵ではなかったが、討伐に成功してしまった。
ゴブリン深層種が凍れる呼気を吐きながら、獲物を求めて谷底をさまよい歩く姿を、レンの方が先に見つけたのが端緒。
入り組んだ地形と夜闇を利用して、待ち伏せに適した場所でじっと息を殺し、奇襲をかけることに成功した。
レンもライナーになって二か月、〈常夜の国〉はかなり探索した。
この辺りの迷路構造も、地図を自作してみたし、今ではすっかり頭に叩き込んであった。
「地の利は我にアリ」」というやつだ。
逆に深層種であるゴブリンに、土地勘はなかったはず。
ゆえにこそ決まった奇襲である。
加えて、鍛え抜いた〈ファストブレード〉、さらにプラス炎属性を秘めた〈剣光鉄火〉。
ここまで揃えばこそ、第四層から来た魔物をソロで屠ることができたのだ。
(仮に僕の方が〈氷雪監獄〉に行っていたら、死体になってたの僕の方だよなあ……)
土地勘はないわ、この強敵ゴブリンがうじゃうじゃ群れをなしてるだろうわで、勝てる要素が見当たらない。
なにしろレンはまだ第三層すら、おっかなくて足を踏み入れたことがないのだから。
(でも、レヴィアさんの言う通りだった……)
〈常夜の国〉に深層種が出没する今だからこそ、狩りのチャンスだった。
駆け出しライナーには討伐できないはずの魔物を、討伐できてしまった。
この第四層のゴブリンからは、貴重な魔物素材を入手できるはずだ。
お金にしたら、いったいいくらになるだろうか?
あるいは、また自分の武具を作るための錬成素材にしてもいい。
夢がふくらんで仕方がない!
(痛感させられるなあ。レヴィアさん、伝説の錬成師っていわれて、昔は凄いライナーと契約してたってのは、伊達じゃないっていうか。アドバイスが深いっていうか。帰ったら、いっぱいお礼を言おう)
そんなことを思いながらレンは、魔物素材を回収し、次の深層種を求めて谷間をさまよう。
世にも不気味な笑い声が聞こえたのは、その時だ。
驚くよりも先に、本能的にその場を逃げ出してしまいそうな、怖気が走るような声。
実際、レンは引け腰になってしまった。
ただ――そこで尻尾を巻かなかったのは、英雄を目指す彼にライナーとしての性が、立派に染みついてきた証左である。
その性の名を、冒険心という。
(なんだろう……また深層種かな?)
レンは声がした方へと向かう。
谷間から谷間へと反響しているからだろう、笑い声はけっこう遠くから聞こえていた。
けっこう走らされた。
可能な限り足音は忍ばせていたから、無理なフォームで走り続けて両脚が悲鳴を上げた。
ともあれ、レンは笑い声の主に気づかれることなく、近づくことに成功した。
岩陰からそっと覗く。
(巨鬼……の深層種か……?)
その巨躯を見て、オーガーだというのは断定する。
しかし、そいつは今までレンが見たことのあるオーガーと、あまりに違っていた。
何しろ毛むくじゃらのその毛が、虹色の光沢を放っているのだ。
しかも、妙にきらめいているし。
(いったいどこからやってきたんだろう……)
もはや想像もつかない。
それに、全く耳にしたこともないことから、恐らく第五層よりも深い場所から来た魔物に違いない。
(こいつがさっきの不気味な声の主かあ)
――と、思ったのはレンの早とちりだった。
再び不気味な笑い声が、けたたましく聞こえた。
それも、遥か頭上から。
見上げれば、何か大きなモノが高速で飛翔していく。
キマイラの一種だった。
それも見たことは当然、聞いたこともない種類の。
頭は大猿のそれ、胴体は獅子のそれ、四肢は虎のそれ、尻尾の代わりに二本の蛇が鎌首をもたげている。
そして、翼もないのに空を翔ける奇異さ!
虹色オーガー同様に、珍しいということはそれだけ生と不死の境界の奥深い場所から、やってきたということだ。
キマイラは空中よりオーガーに強襲をかけると、一撃で屠ってしまった。
いったい何層の種かもわからないオーガーよりも、さらにずっと強力ということだ!
そのまま臓腑に喰らいつき、咀嚼を始める謎のキマイラ。
(うっ……)
生理的嫌悪感をもよおし、レンが目を逸らしている間にも、キマイラの食事は終わった。
肉は要らず、内臓だけを好むらしい。
また不気味な笑い声を上げながら、飛び去っていく。
(…………っ)
レンはしばしその場に隠れたまま、逡巡する。
でも、すぐに立ち上がる。
そして、謎のキマイラが飛び去った方へと追いかける。
それが境界人の性というものだった。




